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2024.06.24

銅版画とは?特徴・技法による分類から著名な画家まで丁寧に解説します!

銅版画とは?特徴・技法による分類から著名な画家まで丁寧に解説します!

銅版画は印刷技術の一種です。15世紀 にイタリアや西ヨーロッパ諸国で発明されました。16世紀ごろにもなるとヨーロッパ全域で普及していたと言われています。ただ、現代においては、印刷技術の発達もあり銅版画は美術作品として目にする程度なのが現状。「版画の一種とは知っているけど具体的には良く分からない」といった認識を銅版画に持つ方も多いのではないでしょうか。

そういった方に向けて、本記事ではアートリエ編集部が銅版画の詳細を分かりやすい形で紹介。技法の特徴や著名な画家も合わせてお伝えしていきます。

アート初心者の方でも理解しやすい内容になっていますので、ぜひ最後までお読みください。

銅版画とは

銅版画は銅板に彫刻・加工を施して印刷を行う技法です。絵や図などの形に描いた凹部(へこみや溝)にインクを流し、プレス機をかけることで紙への転写が行えます。

凹部を作る方法として一般的なのは、直接法(直刻法)と間接法(腐食法)の2通りです。なお、銅版画は現代だと美術作品としての印象が強いですが、元々は単なる印刷技術として開発されました。ただ、文よりも絵や図の描写が行いやすいことや絵の量産化に向いているという性質もあり、画家達に活用されていった経緯があります。

ちなみに日本国内では16世紀にイエズス会の宣教師たちを通じて、銅版画技術が伝来しました。しかしその時はキリスト教が禁教として扱われた背景もあり、銅版画の文化はやがて途絶えてしまいます。

後の18世紀になると亜欧堂田善や司馬江漢たちの手によって再度周知されるようになりました。

銅版画の歴史

銅版画の起源は諸説ありますが、15世紀半ばには既に製作されていたという説が一般的です。

確認できるものだと、1430年ごろにはライン川流域の金属工芸作家によってエングレービング版画が作られています。誕生のきっかけは、金属細工師が図案を記録・印刷するために鉄板を彫刻したことでした。その後、鉄板から銅板に加工を行うようになり、銅版画というジャンルが作られていきます。

銅版画は当時ルネサンス文化があったイタリアやドイツ、オランダ などの西ヨーロッパ諸国でほぼ同時期に広まっていきました。

そして16世紀(1500年代)以降からは木版画に変わる形でヨーロッパ全域に定着。印刷技術が発達したり19世紀に写真技術が生まれるまで、銅版画は大々的に活用されていくことになります。

銅版画の特徴

1600年代の作家Ambrosius Hannemannの銅板

銅版画は、繊細な線描や表現のバリエーションに優れているのが特徴です。色合いに関しては制限こそありますが技法の発展もあり、ぼかし表現や明暗の妙をある程度コントロールすることができます。

この性質は絵画の表現に適していて、多くの画家達が銅版画を好んだ理由にもなっています。なお、銅版画が誕生するまで多く扱われていた木版画は材質の関係もあり、細かい描写などにはあまり向いていませんでした。

加えて、銅版画は加工部分に色が付き平面が白く抜ける凹版が一般的なのもポイント。こういった所も加工部分が白抜きする凸版が多かった木版画とは違う部分でした。

技法による分類

直接法と間接法

銅版画の技法は、後述するビュランなどで彫り込む直接法(直刻法)と薬品で腐蝕する間接法(腐食法)の2種類に大きく分けることができます。

直接法は銅版画の製作初期から行われたのに対し、間接法および腐食法は16世紀ごろ考案されました。腐食法では硝酸水溶液や塩化第二鉄水溶液など酸性薬品を利用するのが一般的です。銅板をそれらに浸すことで腐蝕させ、インクを流す溝を作成します。

ちなみに今回紹介する直接法と間接法以外にもそれぞれをミックスした手法や斬新な手法も存在します。具体的には感光液を用いた写真製版技法や雁皮紙に写す雁皮刷りなどがあります。

ビュラン

銅板への凹版彫刻を行う際に使用する彫刻刀です。キノコ型の円形ハンドルが付いているのが特徴で、作業時はハンドルを手の平に当てるようにして扱います。アメリカ製は付け根から30度ほど曲がっていることが多いです。

ビュランにはいくつかタイプがあります。例えば、フェイス(先端部分)が正方形になっているものは短的な線を引くのに適したティント・タイプです。フェイスが長方形のものはフラット・タイプと言い、広い範囲での作業に役立ちます。

なお、ビュランで銅版画を彫る技法を「エングレービング」と言います。刻んだ線がそのまま転写されるこの技法は銅版画製作初期から行われてきました。

ドライ・ポイント

銅板よりも硬いニードルなどで板面に傷をつける技法です。このドライポイントでは削った際に発生するまくれた部分(バール)や残った削りかすを活かすのが特徴。その部分にインクが流れると味わい深い滲みや明暗表現ができるようになります。

ドライポイントは道具を扱う技量に左右されないのも魅力です。スクレーパーなどを使えばまくれの修正も難しくありません。こうした性質からビュランなどの扱いに慣れていない人でも行いやすい技法だと言えます。

まくれた部分は転写する毎に摩耗していくため、大量の印刷にはあまり適していません。ただし、50枚程度の印刷ならばクロームや鉄によるメッキ加工で摩耗を軽減できる可能性があります。

メゾチント

満遍なく銅板にまくれた部分(目立て)を作り、先端の鋭いパニッシャーなどでトーン調整を行う技法です。まくれた部分を作る際はロッカーと呼ばれる溝付きの刃を使用します。

この技法はドライポイントの発展形で、17世紀のオランダにて誕生しました。

メゾチントの特徴は中間調子の技法を意味する名前通り、転写した際の明暗バランスをコントロールしやすい点。まくれた部分は黒く写りますが、その個所を削ることでインクの蓄積を無くし明るいトーンを作ることができます。

ルーレット

ルーレットは凹版用の工具です。先端部分が金属製のローラーになっており、銅板に押し付けることで規則的な点や線を表現することができます。

この工具は片方の手で柄を持ち、もう片方の手で先端を押し付けるように扱うのが基本です。軽いザラザラとした調子を付ける時は柄を持つ方のみでローラーを転がします。ちなみにローラー部分の網目の荒さや線の数などのバリエーションは様々。状況に合わせた効果的な使い分けが可能です。

このような性質の工具であるため、エッチングやメゾチント、アクアチントといった技法での使用に向いています。ローラー部分が球体になっているムーレットというものもあり、こちらは不規則な表現が特徴です。

エッチング

エッチング(英:etching)は酸に耐性のあるニスで銅板を覆い、表現箇所に針を使って描く方法。描いた所のみニスが削れるため、その部分だけ腐蝕液で溶かして凹部を作成することが可能です。

腐蝕を行うのが広範囲である場合は、腐蝕箇所の端のみにインキが濃く付着します。それ以外の内部箇所は色味が控えめなグレートーンになりやすいです。また、線の強弱には腐蝕時間や腐蝕環境が大きく関係します。腐蝕に時間をかけるほどシャープな線に仕上げやすくなるでしょう。

このエッチングは間接法の基本形とも言える技法です。技法が確立した16世紀からはそれまでに無かった表現や描写の自由度が評価され、広い地域で行われるようになりました。

ソフト・グランド

ソフト・グランドエッチング(英:soft ground etching)は固まらない描画用防触溶剤(グランド)を使った間接法です。

間接法では通常揮発後に固まるハード・グランドを扱いますが、ソフト・グランドではそれに溶かした獣脂を混ぜるのが特徴。獣脂により固まらなくなるため、レースの布や葉っぱといった質感や模様があるもの、すなわちマチエール(素材感)の表現が行いやすくなります。

使う獣脂は牛や羊の脂から馬脂や豚の脂まで様々。植物性の油で行われることもありました。なお、獣脂の量はエッチングで使う薬品の量・性質によって異なります。少量ずつ加えながら適量を探っていく必要があるでしょう。

アクアチント

粉にした松脂(まつやに)などを銅板に散布して、加熱による定着・腐蝕を行う間接法です。このアクアチントでは微細な空孔を多く作ることが可能。

そうした特性は通常のエッチングでは表現しにくい濃淡のある板面作りに役立ちます。なお、松脂の散布が均一ではなかったり板面に隙間がないと細かい空孔は作れません。その問題を解決するために散布がスムーズに行えるアクアチントボックスという道具も存在します。

また、同技法を行う時は加熱不足による定着ミス、風などによる松脂の散らばりなどにも注意が必要です。

銅版画の著名な画家

マルティン・ションガウアー

マルティン・ションガウアー

マルティン・ショーンガウアーは1448年頃に生まれたドイツの画家・版画家です。

彼は1470年あたりから出生地のコルマールにて画家活動を始めています。そして、エングレービングを扱う版画家として活躍し、版画そのものも広域的に取り扱われました。本格的な銅版画活動をした作家が当時いなかったため、最初に銅版画活動を行った芸術家という見方もされています。

絵画作品には遠近法の解釈など斬新な取り組みをしたものが多い傾向にありました。そうした前衛的な考えの根本には先人であるヤン・ファン・エイクなどの影響がみられます。

アルブレヒト・デューラー

アルブレヒト・デューラー

ドイツで1471年に生まれたアルブレヒト・デューラーも画家や版画家として活躍した人物です。

1494年ごろに結婚し翌年に作業場を持ったデューラーですが、その時はまだ木版印刷を行っていました。そして1498年にエングレービングのためにビュランの技術を習得。幼少期に父親から金細工を習っていたデューラーからすると基本的な技術はそれらとあまり変わらなかったようです。

以降は《ネメージス、運命の女神》(1502年)などの緻密な大作銅版画を多く生み出していきます。

ちなみにエングレービングという手法は、彼が敬愛していたマルティン・ショーンガウアーと共通するものでした。

レンブラント・ファン・レイン

レンブラント・ファン・レイン

レンブラント・ファン・レインは1606年に生まれたオランダ出身の画家です。長きにわたるヨーロッパ美術史の中でも、多大な功績を遺した人物として知られています。

また、光の画家と称されるように明暗の表現手法には特に優れていました。当時数多くの絵画作品が評価された彼ですが、銅版画においても独自のスタイルを自身で確立。

エッチングの腐食を極端に減らしたり、和紙を使用したりなどして斬新な作品製作を行いました。

ジャック・カロ

ジャック・カロ

ジャック・カロは1592年に生まれたフランスの画家です。

エッチング作品を人生の中でおよそ1400点も制作したと言われています。彼の作品は「エショップ」という楕円形の針による独特な線を活かしているのが特徴です。

エングレービングで表現したような線をエッチングで実現したことは、当時としては非常に革新的でした。他にも防触剤を工夫したりなど、銅版画家として前衛的な取り組みを自ら実践しています。

フランシスコ・デ・ゴヤ

フランシスコ・デ・ゴヤ

フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは1746年に生まれたスペインの画家です。

レンブラントやレオナルド・ダ・ヴィンチと並ぶヨーロッパの優れた画家(オールド・マスター)として知られています。長い研鑽期間と下積み生活を終えて、40歳となる1786年頃からは王様専属の宮廷画家として活躍しました。

1792年には不治の病気により聴力を失くしてしまいますが、作家活動をそのまま継続。《カルロス4世の家族》や《着衣のマハ》などの生涯にわたる代表作を以降に生み出しています。

彼の銅版画に関しては、エッチング作品《戦争の惨禍》(1810~1820年ごろ)などが有名です。

パブロ・ピカソ

ピカソ

パブロ・ピカソは1881年に生まれたスペインの画家です。

91歳で生涯を閉じるまでに絵画や版画をはじめとする様々な芸術分野で活躍しました。版画家としてのピカソは一定期間ごとに手法を変えているのが特徴です。

例えば、第二次世界大戦までは銅版画、1945年以降は石板によるリトグラフ、1960年前後はリノリウム板によるリノカット製作という形で多様に活動していきました。

晩年は銅版画に戻り、エロティックな作品を中心に制作しています。

まとめ:銅版画は繊細な表現に優れた版画法

以上、銅版画の特徴や技法、著名な画家についてお伝えしました。本記事を通して銅版画についての理解をより深めて頂けたかと思います。版画には他にも種類・技法が存在するので、興味があれば調べてみてください。

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