アートリエ編集部がムンクについて詳しく解説します。
ムンクの作品といえば、不安と絶望を描いた名画「叫び」を思い浮かべるのではないでしょうか。強烈な印象を残す作品の背景には、「狂気の画家」とも呼ばれた波乱に満ちた人生があります。
そこでこの記事では、ムンクの人生と代表作を紹介します。この記事を読めば、ムンクの作品に込められた感情や背景を深く理解できるので、叫び以外の作品や来歴などが気になる方は、ぜひ参考にしてみてください。
エドヴァルド・ムンクとは
出典:Wikipedia
ムンクはノルウェーを代表する画家で、フランスやドイツでも活躍しました。ムンクの作品は、精神的苦悩や孤独などの感情が色濃く表現されており、見る人の心に強く訴えかけます。
独特な表現の理由は、ムンク自身が精神疾患や家族の死といった過酷な経験をしたためといわれています。ムンクは感情を可視化する手段として、誇張されたポーズや強烈な色彩、抽象的なフォルムを用いました。
代表作「叫び」の人物はムンクの感情が強く反映されており、舞台上の役者のような劇的なポーズで描かれています。
エドヴァルド・ムンクの来歴
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ここからは、ムンクの生涯を幼少期から順に紹介していきます。
幼少期
ムンクの芸術的感性は、過酷な家庭環境の中で育まれました。幼少期に母や姉を結核で相次いで失い、深い喪失を経験しています。
中でも、姉の死はムンクに強烈なトラウマを残し、後の作品に繰り返し描かれるテーマにもなりました。ムンクの代表作「病める子」は、その体験を色濃く反映した一例です。
さらに、父の厳格で宗教的な性格や病弱な体質もムンクの内面に影響を与え、「死」や「恐怖」を常に身近に感じていたと後に語っています。
王立絵画学校時代
ムンクが本格的に芸術の道へ進んだのは、1880年にノルウェー王立絵画学校へ入学したことがきっかけです。ムンクは父の反対を押し切って絵画学校の夜間コースに通い始め、フリーハンドやモデルクラスで基礎技術を身につけました。
中でも、彫刻家ユーリウス・ミッデルトゥーンからの指導は、ムンクにとって重要な経験となります。同時に病弱な体質も回復したことで、さらに創作に集中できるようになりました。
この時期は仲間と共にアトリエも構え、著名画家クリスチャン・クローグとも交流を持ちます。王立絵画学校時代に積み重ねた学びと人脈が、ムンクの表現力の土台を築き、のちの独自の画風の確立へとつながっていきます。
パリ留学
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ムンクは1889年、パリ万国博覧会のノルウェー・パビリオンに、「朝」が出品されたことをきっかけに、パリに滞在します。
そこで、現地の芸術家たちと共同生活を送りながら、レオン・ボナのアトリエに通いました。ただし、ムンクはボナの授業には物足りなさを感じており、美術館巡りや巨匠の作品解説に刺激を受けたと語っています。
ムンクは画家のポール・ゴーギャンやゴッホらの表現に影響を受け、心の動きに焦点を当てる象徴主義的な表現へと変化しました。
ドイツ時代
ノルウェーで作品を評価されず孤立していたムンクは、ドイツのベルリンに活動拠点を移し、芸術家としての可能性を模索します。
そこでは、ベルリン分離派の中心人物マックス・リーバーマンらとの関係を通じて、1902年の分離派展に22点の作品を出品します。これが後に「生命のフリーズ」と称される連作として高く評価されました。
展示は大きな話題を呼び、評価と議論が交錯する中でムンクの名は一層知られるようになりました。ムンク自身も「悲惨な時代は終わった」と日記に綴り、この出来事を転機と捉えていました。
版画への取り組み
ムンクは1896年に再びパリに移り、初のリトグラフや木版画などの版画制作に挑戦します。この決断は、ゴーギャンの思想や技法に触発された結果でもありました。
版画はムンクにとって、感情を繰り返し表現できる重要な手段でした。なかでも「生命のフリーズ」シリーズのいくつかは、絵画とは別に版画としても制作され、異なる視点から作品の本質を伝えようとしています。作品を手放すことに慎重だったムンクにとって、版画は自身の内面を他者と共有するための最適なメディアでもありました。彼はこの新たな技法によって、自らの表現をさらに広げていきました。
ムンクは、自分の表現を広げる手段として版画に積極的に取り組みます。
彷徨の時代
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ムンクにとって1900年代は、創作の充実と精神の揺らぎが交錯する時代でした。1905年に開いたプラハでの個展は大成功を収め、ムンクは「王侯のようだった」と語るほどの評価を得ました。
しかし、その裏で恋愛の傷や不安が積み重なり、アルコール依存や対人恐怖など精神の不調が深刻化します。演劇の舞台装置制作や保養地での大作など精力的な活動は続きましたが、心の迷いは消えず、対人恐怖症の発作を繰り返していました。
精神病院へ入院
度重なる酒乱と衝動的な行動により、「狂気の縁にあった」と後に自分で語るほど、状態は深刻でした。そのため、ムンクは自らコペンハーゲンの精神科医ダニエル・ヤーコブソンのもとへの入院を決意します。
8ヶ月間の治療では電気治療も用いられ、旧友たちの励ましもあって次第に回復を見せました。この入院は、ムンクが再び創作へと立ち上がる転機となる、人生を見つめ直すための重要な時間でした。
祖国ノルウェーへ帰還
ムンクは1909年、精神病院を退院すると祖国ノルウェーへ戻ることを決意しました。療養を経たムンクは、静かな環境を求めてクラーゲリョーやヴィトステーン、モス近郊へ移り住み、自然の中で制作を再開します。
この時期は親しい友人たちとだけ交流しながら、モデルとして来た人物の肖像画を描くことに集中しました。また、ムンクは絵を屋外に放置し、風や雨・動物による偶発的な変化を「作品の成熟」として取り入れる独特な手法も実践します。
この手法は、ムンクが絵画と自然の呼吸を深く信じていたことの証といえます。
晩年とムンクの死因
ムンクは1916年からオスロ郊外のエーケリーに定住し、広大な農園で過ごしながら身近な題材を描くようになりました。ここでは、果樹園や畑・労働者の姿を描き、また自画像やヌード画などを制作します。
1930年には右目の血管が破裂して視力が衰えますが、1933年には回復し、再び絵の再作を始めました。
ムンクは戦火による破壊工作で家の窓が吹き飛ばされ、その夜の寒さで気管支炎を患い、1944年1月23日に亡くなりました。1943年12月12日に80歳を迎えたばかりで、ドストエフスキーの「悪霊」を読みながら息を引き取ったといわれています。
エドヴァルド・ムンクのエピソード
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ここでは、ムンクの特徴的なエピソードを紹介します。
クリスチャニア・ボヘミアンでの活動
ムンクは、前衛的なグループであるクリスチャニア・ボヘミアンに参加し、その活動を通じて自分の芸術観を深めました。このグループの中心には、画家のクリスチャン・クローグや作家のハンス・イエーガーがいました。
イエーガーはムンクに対して、従来の芸術慣習に反抗し魂の表現を重視するよう促し、ムンクの作品に大きな影響を与えます。しかし、ムンクは仲間との距離感を感じており、孤立していたともいわれています。
アルコール依存症との戦い
ムンクは1902年以降、画業が順調に進んでいたにもかかわらず、精神的な危機に悩まされていました。若いころから続いた生への不安が強まり、恋人のトゥラ・ラーセンとの破局がムンクに大きな打撃を与えました。
これがきっかけでムンクの不安は妄想を伴うほどに深刻化し、アルコールに依存します。精神的な混乱はムンクの行動にも現れ、1905年には画家仲間と激しい喧嘩を起こし、暴力的な面も見せました。
「叫び」盗難事件
ムンクの「叫び」は2回盗難に遭っています。1度目の1994年にムンクの名作「叫び」がオスロの国立美術館から盗まれた事件は、世界中で衝撃的なニュースとなりました。
犯人は18歳のパル・エンガーで、かつてオスロのサッカークラブ「ヴァーレンガ」に所属していた人物と判明しています。
2度目は2004年の8月22日に、ムンク美術館にあった「叫び」と「マドンナ」が盗まれました。犯人は半年後に逮捕されましたが作品は行方不明で、2年後の2006年に損傷した状態で発見されました。
2008年に修復が完了しましたが、しみのような跡は残ったままのようです。
エドヴァルド・ムンクの画風
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ここでは、ムンクの画風を詳しく見ていきましょう。
狂気の画家|独自の色使い
ムンクの作品は独自の色使いが特徴で、感情や精神状態を色彩と形で表しています。自然や人間の内面に深く迫り、伝統的な画法にとらわれることなく、新しい表現方法を模索しているのが特徴です。
代表作「叫び」にみられるように、色をただの視覚的な要素として使うのではなく、感情を伝える強力な手段として活用しました。この革新的なアプローチは、後の世代の画家やイラストレーターに多大な影響を与えました。
世紀末芸術の影響
ムンクが活動していた1890年代は、ヨーロッパにおいて大きな芸術的変革の時代でした。フランスではアール・ヌーヴォーが、ドイツやオーストリアではユーゲント・シュティールが盛況を誇りました。
全体的に「世紀末芸術」と呼ばれる動きが広がっていた時期でもあります。ムンクを含むこの時代の芸術家たちは、自然の表現から心の探求へとシフトし、芸術の役割を根本的に変えていきました。
表現主義
ムンクの画風は、後期印象派や象徴主義から大きな影響を受けつつも、表現主義の先駆者としての位置を占めています。ムンクは、ポール・ゴーギャンや他の後期印象派の画家たちと同様に、感情や内面的な経験を色や形で表現しました。
しかし、ムンクの作品には人間の苦悩や不安が色濃く反映されています。ムンクの作品は、単に現実世界を再現するのではなく、内面の不安や孤独を強烈に表現することに焦点を当てていました。
このアプローチは、シュルレアリスムやフォーヴィスム・ドイツ表現主義など、新たな芸術運動に多大な影響を与えます。
表現主義に関して詳しく知りたい方は、下記の記事も参考にしてみてください。
エドヴァルド・ムンクの代表的な作品
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ここからは、ムンクの代表的な作品を以下の内容で紹介します。
- 叫び
- 病める子
- マドンナ
- 生命のダンス(生命の踊り)
- 不安
- 太陽
- 思春期
1つずつ詳しくみていきましょう。
叫び
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「叫び」は、ムンクを象徴する世界的に有名な作品です。この絵は力強い色彩と流れるようなラインによって視覚的なインパクトを与え、観る者に普遍的な感情を呼び起こします。
絵の中央に描かれた人物は、手で耳をふさぎ、口を大きく開けて強い不安や恐怖にさらされているように見えますが、叫んでいるのはこの人物自身ではありません。ムンクの言葉によれば、これは「自然を貫く叫び」に圧倒された瞬間を描いたもので、人物はその叫びに耳をふさいでいるのです。
ムンクの「叫び」に関して詳しく知りたい方は、下記の記事も参考にしてみてください。
病める子
出典:WIKIART
「病める子」は、ムンクの深い個人的な経験に根ざした作品です。ムンクは幼少期に母親を結核で亡くし、姉のゾフィーも同じ病で早逝しました。
この絵は15歳で亡くなった妹の死を描いており、ムンクの家族における深刻な悲しみを反映しています。ムンクはこの作品を複数回制作しており、ドレスデンでの展示が有名です。
マドンナ
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「マドンナ」は聖母マリアを描いており、ムンクが描いた独創的な作品として有名です。この作品は聖母マリアの貞淑で服を着た描写とは異なり、成熟した性的な魅力を持つ女性として表現されています。
ムンクは、象徴的な人物であるマリアを現実的かつ感情的に解釈し、彼女の神聖さと人間らしさの対比を強調しました。
生命のダンス(生命の踊り)
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「生命のダンス」は、人生の複雑さと感情の変化を象徴的に描いた作品です。この絵はムンクの「生命のフリーズ」の一部として、愛・死・不安といったテーマを深く掘り下げています。
作品の中央には、赤いドレスを着た男女が情熱的に踊っており、生命力と情熱を象徴しています。左側には純潔を示す白いドレスの女性が二人を見守り、期待に満ちた表情で描かれているのが特徴です。
不安
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「不安」は1894年に制作され、ムンクの内面の苦悩を強烈に表現した作品です。絵の中に描かれた人物は絶望的な表情を浮かべ、周囲の暗い色調が不安と落ち込みを強調しています。
この作品はムンクの代表作「叫び」と深く関連しており、それぞれ人間の内面に潜む不安や恐怖を探求するテーマで描かれています。
太陽
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「太陽」は、1911年にオスロ大学における講堂のために描かれた壁画の一部です。ムンクの芸術的な視点を象徴する作品で、大きさは縦約4.5メートル、横約7.8メートルあります。
「太陽」は、ムンクが精神病院を退院したころに描かれた作品で、心身共に健康になったことを表現しているといわれています。
思春期
出典:WIKIART
「思春期」は、ムンクが芸術家として国際的に注目を集め始めていた1890年代に制作された作品です。この絵は、抑圧された感情と自己認識の葛藤を表現しており、思春期の少女が自分の変化を意識する瞬間を捉えています。
絵に描かれている少女は、恥ずかしそうに足を組んで座り、自己の変化に対する戸惑いと羞恥心が表れています。
エドヴァルド・ムンク作品を所蔵する主な美術館
出典:Wikipedia
ここからは、ムンクの作品が所蔵されている、オスロ市立ムンク美術館とオスロ国立美術館を紹介します。
オスロ市立ムンク美術館(ノルウェー)

出典:Wikipedia
ノルウェーにあるオスロ市立ムンク美術館には、ムンクの代表作からあまり知られていない作品まで幅広く展示されています。収蔵品にはムンクの妹がオスロ市に遺贈した作品や、ムンク自ら遺贈した作品などがあります。
4階には「叫び」が絵画・ドローイング・版画などの多様な形で常設展示されているため、存分に楽しめるでしょう。
開館時間 | 月・火・日:10:00~18:00 水~土:10:00~21:00 |
観覧料 | 大人(オンライン):180 NOK 大人(美術館内):200 NOK 25歳未満:100 NOK 0~17歳:無料 |
休館日 | 不定休 |
アクセス | オスロ中央駅から徒歩10分 |
HP | https://www.munchmuseet.no/en/ |
※営業時間や入館料、休館日などの情報は変更になる場合があります。最新情報については公式ウェブサイトにてご確認ください。
オスロ国立美術館(ノルウェー)
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オスロ国立美術館には、ムンクの重要な作品群が所蔵されており、ムンクの「叫び」「マドンナ」などを展示する、ムンクの特設ルームがあります。オスロ国立美術館は、1890年代のムンクの代表作を一挙に鑑賞できる貴重な空間です。
オスロ大学の裏にあるこちらの美術館は、国立の学術専門施設となっています。
開館時間 | 日・木~土:10:00~17:00 火・水:10:00~20:00 |
観覧料 | 一般:200NOK 25歳未満・学生(30歳未満):120NOK 18歳未満:無料 |
休館日 | 月曜日 |
アクセス | Aker bryggeから徒歩2分 |
HP | https://www.nasjonalmuseet.no/en/ |
※営業時間や入館料、休館日などの情報は変更になる場合があります。最新情報については公式ウェブサイトにてご確認ください。
まとめ
出典:Wikipedia
この記事では、ムンクの激動の人生と代表作を解説しました。ノルウェー出身の画家ムンクは、精神の不安や孤独、死といった内面的なテーマを繊細かつ強烈に描いた画家です。
ムンクは、個人の感情と象徴主義が融合した独自の表現スタイルで、近代美術に大きな影響を与えました。代表作の「叫び」は、世界的に知られる名画として、高く評価されています。
この記事を参考にして、ムンクの芸術と人生に触れることで、より深い理解と感動を得られるでしょう。
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