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2024.07.26

横尾忠則とは?来歴や作風、代表作について解説します!

横尾忠則とは?来歴や作風、代表作について解説します!

横尾忠則は現代アート作家として有名で、2023年11月に文化功労章をもらい、その独自の感性で世界でも高く評価される人物です。日本の経済成長期時代にポップアートやシュルレアリスムで作品を創作し、2024年88歳となった今も絵を描き続けています。

アートの世界では、作家たちがいろいろな人生を歩みその中で刺激を受け作品を残し語り継がれています。横尾忠則も壮絶な人生を歩んできました。生い立ちや人生におけるエピソードを知ることは、作者や作品に込められた意味を知る大きなチャンスとなります。 この記事では横尾忠則の作品やエピソード、展示されている美術館についてアートリエ編集部が解説します。

横尾忠則とは?

横尾忠則とは、日本を代表する美術家であり画家でもありグラフィックデザイナーでもある存在です。彼の作品には、サイケデリック、オカルティズム、シュルレアリズムの要素が含まれ他に類を見ない独特のスタイルが特徴です。

賞も数多く受賞し、三宅一生や三島由紀夫とも深いつながりがあります。彼の色彩感覚や構図の取り方は、多くの後輩アーティストに影響を与えています。視覚的なインパクトの強く深いメッセージ性も含んでおり2023年11月には文化功労者に選ばれ、今も現役で創作に打ち込んでいます。

横尾忠則の来歴

横尾忠則

出典:横尾忠則現代美術館

横尾忠則は、日本を代表するデザイナーです。1960年代に広告や雑誌のデザインを手がけ、その独創的なスタイルで注目を集めました。特に、1960年代後半~1970年代のロックバンドのポスターやレコードジャケットの横尾のデザインが広く知られるようになりました。

現在も創作活動をやめることなく、アトリエに自転車で通っているそうです。日本のアート会を支える巨匠の生い立ちを探ると作品にどのような意味が込められているか、その独特な感性はどこから来たのか興味が尽きません。

ここからは、横尾忠則の生い立ちやグラフックデザイナー時代、画家宣言を紹介します。

生い立ち

横尾忠則は、1936年に兵庫県多可郡西脇町(現在の西脇市)に生まれました。幼少期より、絵の世界が好きで絵本の模写をするなど遊びを通して絵画の基礎をその身に取り込みます。

5歳の時には石井滴水の『宮本武蔵』の巌流島の決闘を模写して、早くもその画才を発揮。模写から自然と構図の取り方や人体の基礎デッサンなどをその身に取り入れたと考えられます。

幼稚園から小学校に入学すると絵のジャンルが一変。漫画を描くようになり、『漫画少年』誌に作品を投稿するようになり、積極的に絵の世界へ関わりました。中学に上がると、南洋一郎や鈴木御水の『バルーバの冒険』、山川惣治の『少年王者』、江戸川乱歩の少年ものなどに夢中になりました。

1952年、横尾は兵庫県立西脇高等学校に入学し、「郵便友の会」を自らの手で作ります。この時の行動力には周囲もあっと驚きます。高校の学園祭のために初めてポスターをデザインし、エリザベス・テイラーにファンレターを送り、その返信が地元紙で報じられるなど活動に注目を集めました。

グラフィックデザイナー

横尾忠則は、グラフィックデザイナーです。美術家や画家ともいわれていますが、多くの経験や出会いを通じて、横尾忠則はグラフィックデザイナーとしての確固たる地位を築き上げました。

1956年(20歳)には仲間5人で個展を開催し、スカウトで神戸新聞社へ入社します。1959年(23歳)まで神戸新聞社で働き、その後大阪のナショナル宣伝研究社に転職。

ここから横尾忠則のデザイン作品への創作が始まります。

1962年26歳 大和証券DMのイラストでADC賞銀賞受賞。

1963年27歳 東京ADC賞銅賞を受賞

1964年28歳 東京オリンピックのピクトグラム作成にかかわる

こうしてグラフィックデザイナーとして活動し、そのキャリアを着実に積み上げていきました。彼の作品は日本国内外で高く評価され、独自のスタイルと表現方法で多くの人々を魅了し続けています。

海外での活躍

1960年代後半から70年代にかけては海外に拠点を置くようになり創作活動にも磨きがかかります。

1967年には、ニューヨーク近代美術館に横尾が手掛けたポスターがすべて買い上げられ、1972年には個展を開催するまでになりました。そのころから、日本と海外を頻繁に行き来。多くのアーティストと出会い、刺激しあいお互いの感覚を高めていきます。

有名なポップアーティストのジャスパー・ジョーンズやアンディー・ウォーホルにも出会っています。芸術への感性はこうした交流によっても磨かれました。

画家宣言

横尾忠則の歴史をたどると、『画家宣言』という言葉が必ずでます。

これは、ニューヨーク近代美術館での「ピカソ展」を鑑賞した後の自身の言葉で「まるで豚がハムの加工商品になって工場の出口から出てくるように、『画家』になっていた」と語った一言をマスコミが『画家宣言』として取り上げました。

美術館の入り口をくぐった時点ではただのグラフィックデザイナーだった彼が、2時間後に出口に立った時には自らが画家であると転身のきっかけとなった出来事です。それだけピカソの世界観にはエネルギーがあり、横尾にとってのアートとは何かという意識の変化が起こります。

この強烈なインスピレーションを経て、横尾はデザイン作品から芸術へと進化が始まった事です。

横尾忠則の作風やエピソード

Train with eyes by Tadanori Yokoo, 2005

出典:Wikimedia commons

日本だけでなく世界のデザイナーとなった横尾忠則は、エピソードもたくさん残したアーティストです。彼の作品をより楽しむために、彼の特徴や有名なエピソードをご紹介します。

ポップアートの影響

横尾忠則は海外に頻繁に足を運ぶようになった1960年代から1970年代にかけて、ポップアートの影響を受けデザイナーとしての独自のスタイルを確立します。多くの作品を見るとわかるのが、横尾の作品は時代を問わずデザインとして学ぶべき要素が多数。

ポスターなどではその表現技法をふんだんに盛り込み、日本の伝統的芸術と西洋のポップアートが見事に融合して、みた人に強烈な印象を与えています。それまでのアートでは考えられないような色遣いや斬新なアプローチは今でも類を見ない存在です。

コラージュ

コラージュは、横尾忠則の代表的な技法です。「生きることはコラージュそのものかも知れない」と語るほど、自身の作品表現においてコラージュ表現が思想的な柱となっています。

代表作「TADANORI YOKOO」では、コラージュが生と死をテーマにこれまでの自分の生きざまを巧みに表現しています。長期的に見ても、単なるデザイン法としてではなく、横尾芸術として用いられている技術です。

シュルレアリスム的作品

横尾忠則の作品には、多くのシュルレアリスム的特徴があります。シュルレアリスムとは、夢や無意識の世界を表現したアートスタイルです。

横尾のシュルレアリスムの基本概念は、第二次世界大戦を経験した思春期につくられます。1945年の戦争中に横尾は11歳。神戸や明石の空襲を目の当たりにし、その光景に衝撃を受けました。戦後の闇市の風景、空襲跡の風景がのちの作品に強く影響を与えます。

彼の作品は、大胆な色使いと構図、コラージュ技法で人が生きること、死ぬことを表現し、シンボルと象徴深い意味を持たせています。戦争における身近な生と死の感覚にいくつもの要素が組み合わっているのでしょう。横尾の作品は言葉では表しきれないメッセージ性を含み独特の魅力で、ひきつけられるものがあります。

休養宣言

休養宣言は、横尾忠則を語るうえで大きなエピソードです。

横尾忠則は1970年1月横尾34歳、交通事故によって初めての入院をします。この時に彼はあまりにショックで1~2年間絵の仕事は休むと『休業宣言』を周囲に対し行いました。

実際には仕事を完全には休んではいなかったのですが、交通事故により体調の回復が思うようにいかず、創作活動への意欲や自信をすっかり失っていました。深刻な病状の中、多くの著名人が見舞いに訪れ、励まします。ほとんどの友人は「仕事を変えてみたら」と促す中、文豪三島由紀夫だけが横尾に対して見舞いの中で仕事は続けるようにと叱咤しました。

横尾忠則のグラフィックデザイン対して、三島由紀夫は、横尾芸術の世界に対する大きな影響を受けていたからです。三島は『ポップコーンの心霊術』というエッセイを書き、その中で横尾についての思いを語ります。

横尾のもとを訪れた2日後三島は自害をします。このことで横尾は大きな影響を受け、生と死は何かなど問いかける精神世界へさらに深く入り込みます。禅寺で修業をしたり、三島がインドで生と死を学んだ真実を確かめに行ったり・・・。その後の作品では、生と死に対する宗教的な影響がしばしば見られるようになりました。

三島が自決する前に、横尾は写真集『男の死』を制作しています。この写真集は三島の死を悼み、その後長い間封印されたままとなります。男の死に関しては、今でも詳細は謎のままとされています。

休業宣言を行った後の友人の死、精神世界への開拓など。一つ一つの出来事をたどると横尾の当時の心境はかり知れないものがあります。休業宣言後の作品はさらに深い意味を持つようになりました。

三宅一生との関係

横尾忠則と三宅一生は1975年、篠山紀信の写真展「家」の会場での出会いでした。三宅一生(Issey Miyake、1938年 – 2022年)は、日本を代表するファッションデザイナーです。斬新的なデザインと技術で彼のデザインする洋服は世界的に知られています。

二人が出会ったとき横尾との会話が三宅にとっての新境地開拓のきっかけとなります。

その一言とは、「生地って歪むんだね」

服飾業界においては、生地がゆがむことは当たり前とされてきましたが、横尾は普段平面のキャンバスを相手に創作をしています。この一言に三宅は衝撃を受け、二人の芸術家によるコラボレーションが始まりました。

横尾のポスターがプリントされた一枚の布を使って、三宅が服としてデザインを仕立てます。それをモデルが着ることで、服は一瞬たりとも同じ姿を保てない「歪み」の源泉となり、そこに新しい美しさと創造性が示されることとなりました。

横尾の作品がプリントされた布地を使った服は、動くたびに異なる表情を見せ、一瞬たりとも同じ形を保たない「歪み」の源泉となります。これにより、ファッションにおける新しい美しさと創造性が提示されました。

ラッピング電車

ラッピング電車は2004年12月から2012年11月まで、JR加古川線横尾忠則の絵で車体を横尾のデザインで装飾したラッピング電車が運行されました。

〈5つのテーマ〉

  • 「見る見る速い」
  • 「銀河の旅」
  • 「滝の音、電車の音」
  • 「走れ!Y字路」
  • 「ターザン」

5種類のテーマとともに複数のバリエーションが存在しました。自然の中をカラフルな装いで走るこのラッピング電車は貴重な観光資源として多くの人を楽しませる話題となりました。

現在このラッピング電車は、運行をしていません。しかし横尾忠則を語るうえでなくてはならない作品です。

横尾忠則の代表作

横尾忠則の代表作は、多数ありますが、その中でも『腰巻お仙』『TADANORI YOKOO』『Y字シリーズ』の3選は非常に有名です。それぞれについて説明します。

腰巻お仙

出典:文化遺産オンライン

『腰巻お仙』は、現在は京都国立近代美術館に所蔵されています。1966年に発表された横尾忠則のポスター作品で、唐十郎の状況劇場のために制作しました。このポスターは、後の状況劇場の原点ともいえる作品で絵画の分野以外にも横尾の名を広めます。

当時としてはポスターには、珍しくカラフルな色味でポップアートの要素が盛り込まれました。浮世絵風の要素をあわせ、物語の主題や劇の雰囲気がわかるものとなっています。横尾は、色と形を駆使して劇のエッセンスを表現し、観る者に強い印象を与えて劇場への興味を惹きました。

腰巻お仙はその後、60年代を象徴するポスターの一つとして世界のポスター展「World & Image」で国際的に認められました。

TADANORI YOKOO

TADANORI YOKOO

出典:shashasha 写々者

「TADANORI YOKOO」とは、1965年のペルソナ展に出品された作品です。首を吊った男性の姿が印象的なこのポスターには、深いテーマ性や社会的なメッセージも含まれており、アート愛好者や専門家から高く評価されています。実際に目にしてみると、思議な魅力から目が離せません。

「TADANORI YOKOO」とタイトルにもあるようにこのポスターは自身を表現しています。戦後に反骨精神を表すかのような表現に世間は大きな衝撃を受けました。

Y字路シリーズ

Y字路シリーズ(東京Y字路)

出典:shashasha 写々者

Y字シリーズは、横尾忠則が1960年代後半から1970年代にかけて制作した一連のアート作品群です。このシリーズは、人生の選択や心の葛藤を象徴的に表現しており、現代アートの新しい表現として認識されアート界で高く評価されています。

Y字の形状を中心に展開される独自のビジュアルアートが特徴で、横尾忠則の芸術的なビジョンを代表する重要な作品群です。

横尾忠則の作品を収蔵する主な美術館

横尾忠則現代美術館

出典:Wikimedia commons

横尾忠則の作品を収蔵する美術館を紹介します。

横尾忠則現代美術館(兵庫)

横尾忠則現代美術館は、2012年に横尾忠則が自身の作品と、彼とゆかりのある作家たちの作品を展示する場として美術館として開館しました。これまでに横尾が兵庫県に寄贈・寄託した作品も収蔵されています。

横尾が幼いころに書いた挿絵の模写なども保管されていて、様々な角度から横尾忠則の創作を知ることができます。現在では2022年の作品の企画展が行われています。(2024年5月25日〜8月25日)横尾忠則の原点を知りたいのであれば足を運んでみるべき美術館です。

豊島横尾館(香川)

香川県の豊島(てしま)の家浦地区にある横尾忠則の美術館は、「生と死」についてのテーマをもとに民家を改修しています。対立する概念が一体となる空間設計がされています。

美術館全体が一つのアート作品として迫力に満ちています。特に注目されているのは赤い色ガラスと黒ガラスです。赤い色ガラスは「生と死」や「日常と非日常」の境界を象徴し、視覚的な変化を演出してます。黒ガラスは明度を調節し、空間における光と影の効果を作り、その幻想的な風景に日常を忘れることができます。

口コミでも、「美術館全体がアートで休む暇がない」「トイレの中までも独創性にあふれている」と横尾忠則の世界観が話題です。

東京都現代美術館(東京)

東京の現代美術館(正式名称:東京オペラシティアートギャラリー)は、東京の新宿区にあります。現代美術の展示とアートの普及活動を行う美術館で横尾忠則の作品は、「赤い船」シリーズ「Y字シリーズ」「ポスターアート」がそれぞれ貯蔵されています。

ここでは、横尾以外にも国内外の現代アート作品を幅広く紹介しており、企画展と合わせて多くの作品が楽しめます。利便性の高い場所にあるので、気軽に足を運んでみてください。

まとめ

今回は横尾忠則についてまとめました。横尾の作品は見るたびにそのエキセントリックな魅力に引き込まれ、芸術家の感覚をいろいろと刺激されます。それは横尾自身が創作を行う上で、作品に意味を込めているからです。

さまざまな出会いや他のアーティストに強く影響されてきたことも、人生のすべてに意味がありそれらを表現しているからかもしれません。生い立ちやエピソードを知ったうえで作品を見てみると一つ一つに込められたテーマ性などに大きな刺激を受けるかもしれません。ぜひ美術館に足を運んでみてください。

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