柔らかいパステルカラーでモードな衣装に身を包んだ女性像を描くマリー・ローランサンは、その独特の作風で1920年代前半のパリを席巻し、現在でも世界的に愛され続けています。近年は日本でもたびたび展覧会が開催され好評を博すなど、その作品は時代が変化しても普遍的な魅力を放ち続けています。
この記事ではマリー・ローランサンの来歴やエピソードのほか、画風や代表作などについてアートリエ編集部が詳しく解説します。
マリー・ローランサンとは
マリー・ローランサンは20世紀前半にパリで活躍した画家で、エコール・ド・パリの芸術家の中で唯一の女性画家として知られています。
エコール・ド・パリとは20世紀前半にパリで活躍した外国人画家のことを指す呼称で、モディリアーニやシャガール、藤田嗣治などが代表的な画家として挙げられます。ローランサンはモーリス・ユトリロに並び、パリ生まれでありながら例外的にエコール・ド・パリの画家として数えられています。
彼女は当時のパリに生きる女性たちの姿を、アンニュイかつ夢幻的な雰囲気で描き出す作風で人気を博し、後世の画家のみならずファッション界にも多大な影響を与えました。
マリー・ローランサンの来歴
19歳まで
マリー・ローランサンはお針子の娘として1883年にパリで生まれました。婚姻関係を結んでいない父と母の元に生まれ、主に母親に育てられましたが、父からは仕送りを受けていました。幼い頃から画家になることを志していたローランサンは、陶磁器の絵付けを学びながら、パリにある公立のデッサン教室に通い始めます。
前衛画家時代
1904年に私塾であるアカデミー・アンベールに入学し、そこでジョルジュ・ブラックと出会い才能を認められます。ピカソやモディリアーニらが住み、若い前衛画家たちが集う場所であったモンマルトルのアパートである「洗濯船(バトー・ラボワール)」に招かれ、画家たちとの交流を深めキュビスムの影響を受けます。洗濯船のサークルとキュビスムのグループである「セクションドール」の両方に出入りしながら、サロン・デ・アンデパンダンに出品を重ねます。
画家としての成功
1912年に開催した初個展が評判となり、ローランサンはエコール・ド・パリの前衛作家として活躍していきます。当初はキュビスムの影響が色濃い作品を制作していましたが、次第にキュビスムが自分の成長を阻んでいると感じるようになり、独自のスタイルを確立していきます。
戦争と亡命
1914年にドイツ人のオットー・フォン・ヴェッチェン男爵と結婚しますが、程なくして第一次世界大戦が勃発し、二人はスペインへ亡命します。しかし夫は妻そっちのけで酒浸りとなり、ローランサンは孤独の中で制作を続け独自の作風を確立していきました。スペイン滞在が終わりに近づいた頃には結婚生活は破綻しており、1920年に二人は離婚し、ローランサンは単身でパリへ戻ります。
狂騒の時代
1921年に彼女はポール・ローゼンバーグ画廊で個展を開催し、大いに評判となります。この展覧会をきっかけとして国内外で作品が売れるようになり、独立した芸術家として認められるようになります。
パリの上流貴族の間ではローランサンに肖像画を注文することが流行となりました。ファッション・デザイナーのココ・シャネルもその時期に作品を注文した一人でしたが、完成した作品が気に入らず返却したというエピソードが残っています。
狂騒の時代(レ・ザネ・フォル)と呼ばれた1920年台のパリで、ローランサンは多数の作品を制作したほか、舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功を収めました。
晩年
1935年にはレジオン・ドヌール勲章を授与されましたが、その頃にはローランサンは前ほど社交の場に顔を出さなくなり、人気も落ち着いていました。第二次世界大戦中はドイツ軍によって自宅を接収されるなどの苦難に見舞われながらも制作を続け、1956年に72歳で死去しました。
マリー・ローランサンの画風
柔らかな色彩
マリー・ローランサン作品の最大の特徴として、柔らかなパステルカラーが挙げられます。彼女はピンクや水色、灰色などを基調としたパステルカラーによって女性の可愛らしさ、気品、優美さといった側面を描き出したことで、美術史上で他に類を見ない画風を築きました。
初期作品においてはピカソやブラックらのキュビスムの影響下にあったこともあり、色よりも形の面白さに重点が置かれ、色彩はやや暗めの作品がほとんどでした。しかしキュビスムの影響から脱すると、次第にピンク、青、黄色、緑といった明るい色彩が取り入れられていきます。彼女自身は青が最も好みの色だったようですが、現在は灰色がかったピンクがローランサンのイメージカラーとして定着しています。
女性像の描写
ローランサンは生涯にほとんど男性像を描かなかったと言われています。同性愛者でもあったローランサンは、生涯を通して社交界に出入りするモードな衣装をまとった女性の姿や、その姿の優雅さ、あどけなさ、曲線美といった要素に着目して作品を制作し続けました。
彼女の作品においてはしばしば二人の女性が親密な空間に置かれ、身を寄せ合っていたり、ロマンティックな雰囲気を醸し出していたりします。
シンプルで流れるような線描
ローランサンの女性像の形態の特徴として、シンプルで流れるような線描が挙げられます。キュビスムの影響下にあった1900年代前半の頃からその傾向は見られ、当初は太めの線描によって輪郭線が強調されていました。しかし1920年代に入るとはっきりした輪郭線に代わって、太めの筆のタッチで柔らかく形を作る描き方に変化していきました。描かれた女性たちの手足は長く、しなやかな曲線が強調され、その形はしばしば抽象化されて描かれています。
詩的で夢幻的な雰囲気
彼女の作品で描かれている女性たちは、同性愛の現実的な生々しさとはかけ離れて、夢や幻想の世界のような柔らかな雰囲気に包まれています。平面的な空間構成や、柔らかな色面による構成といった特徴の他に、女性たちの憂いを帯びた切長の目や、力の抜けた表情なども相まって独特の夢幻的な雰囲気が生み出されています。
マリー・ローランサンのエピソード
アポリネールとの恋
ローランサンは男爵と結婚する以前に、洗濯船で出会った詩人ギヨーム・アポリネールと恋愛関係になり、アポリネールのミューズとなりました。芸術家たちの憧れのカップルでしたが、互いが芸術家として成功するにつれその関係が不安定になり始めます。アポリネールがルーブル美術館の「モナリザ」盗難事件の容疑者として逮捕されるという事件が起こると、ローランサンはスキャンダルを恐れてアポリネールから距離を取り、ついに二人は別れることとなります。しかし別れた後も二人の友情は終生続いたと言います。
舞台装飾の衣装
ローランサンは20世紀前半のパリを席巻したロシアのバレエ団「バレエ・リュス」が行った1923年の公演「牝鹿」の衣装と舞台美術を手掛けました。バレエ・リュスの舞台においては美術、音楽、ファッションなどのあらゆるジャンルを超えて前衛芸術家たちが集まり、それぞれが舞台作品に関わり表現の幅を広げていきました。ローランサンもその仲間として重要な人物のうちの一人でした。
モード界との交流
社交界に出入りする女性の優美さを描いたローランサンの作品からは、狂騒の時代のパリのモード界の様相を垣間見ることができます。1920年代に登場したモダンガールの典型的なスタイルであった、ストレートなシルエットのドレスに短髪のヘアスタイル、帽子やネックレスなどの小物を見にまとった女性たちの姿をパステルカラーで描いた作品が多数現存しています。
同時代に活躍したココ・シャネルとはほとんどライバルのような関係で、肖像画の注文以外に接点はありませんでしたが、芸術とファッションという枠を超えて互いに影響し合っていたと言えるでしょう。20世紀に入り、シャネルのデザイナーであるカール・ラガーフェルドがローランサンの作品の色彩に着想を得たドレスを発表するなど、後世のモード界にも大きな影響を与えました。
ローランサンの詩(忘れられた女の詩)
ローランサンは同時代の詩人たちと多くの交友関係を持ちましたが、彼女自身も詩作を残しています。中でも有名なのがローランサンが33歳の時に書いた「鎮静剤(ル・カルマン)」という詩で、「死んだ女よりもっと哀れなのは、忘れられた女です」というフレーズで終わるため、「忘れられた女の詩」とも呼ばれています。
ローランサンの代表作
接吻
1927年に制作された「接吻」はフランスの作家であるモームが別荘に飾るために依頼した作品です。グレーの服をまとった女性がピンクの服の女性にキスをしている様子が描かれています。
ローランサンは同性愛者だったと言われており、生涯男性を描くことはほとんどなく、気品のある女性像をテーマとして作品を描き続けました。本作の女性像もどこか憂いを帯びた目で当時のモードの衣装に身を包んでいます。
シャネル嬢の肖像
1923年の「シャネル嬢の肖像」は、ココ・シャネルの注文によって描かれた作品です。椅子に腰掛けたシャネルがブルーの衣装に黒いスカーフをまとい、白いプードルを膝の上に乗せて物憂げな表情を浮かべています。画面右側にはもう一匹の黒い犬と、人物に向かって飛んでいるキジバトが描かれています。
シャネルは作品を注文しておきながら、絵の仕上がりが気に入らないと受け取りを拒否しました。それに対しローランサンは激怒し、本作は加筆して画商を通して売りに出されました。現在はパリのオランジュリー美術館に所蔵されています。
舞踏
1919年頃に描かれた「舞踏」は、ギターを弾く人物と音楽に合わせて踊る女性たちの姿が描かれた作品です。女性たちはパステルカラーのドレスを身にまとい、長いスカートの裾やリボンを揺らしながら踊っています。衣装が華やかな一方で、全体的にはグレーのトーンで描かれており、どこか翳りのある雰囲気が醸し出されています。
狂騒の時代のパリでは貴族たちが競って舞踏会を開き、頻繁に社交の場を設けていたと言います。本作からは当時の社交界の華やかさと空虚さの両方が感じられます。
ばらの女
1930年に制作された「ばらの女」は緑を基調とした衣装に、ヘッドドレスを身につけた女性が左手にバラの花を持ってこちらに振り向いたようすが描かれています。
背景は落ち着いたグレーのトーンで統一され、女性の肌は白く、真っ黒な瞳とほんのり赤い唇の色が際立っています。女性のアンニュイな魅力と振り向きざまの一瞬の美しさを捉えた作品です。
黒いマンテラをかぶったグールゴー男爵夫人
1923年頃に描かれた「黒いマンテラを被ったグールゴー男爵夫人」は、当時のパリ社交界の中心的な人物であったグールゴー男爵の夫人を描いた肖像画です。本作は夫人が2度目に依頼した肖像画で、社交界で大きな話題となった作品として知られています。
当時のパリではローランサンに肖像画を書いてもらうことが社交界におけるステータスでしたが、本作はそのきっかけを作った作品の一つとして数えられます。パステルカラーの花や装飾品の中で、白い肌と黒いドレスのコントラストが映える本作では、柔らかくも芯の強さを持った女性の魅力が表現されています。
ローランサンの作品を収蔵する主な美術館
マリー・ローランサン美術館(閉館)
現在は閉館してしまいましたが、マリー・ローランサンの最初の個人美術館は、長野県茅野市の蓼科高原に設立されました。東京のタクシー会社である株式会社グリーンキャブの創始者である高野将弘が収集した500点のコレクションを中心に、ローランサンの生誕100年にあたる1983年に設立されました。蓼科高原のアートランドホテル蓼科に併設して「マリー・ローランサン美術館」として開館しましたが、観光客の減少などの理由で2011年に閉館しました。2017年に東京のホテルニューオータニの中に新しくマリー・ローランサン美術館が誕生しましたが、こちらも2019年に閉館しています。
美術館は閉館してしまいましたが、所蔵作品は現在もグリーンキャブが管理し、展覧会などへ貸し出されています。
ポーラ美術館(神奈川)
箱根のポーラ美術館には、ローランサンが最も活躍した時代である1920年代から30年代前半に描かれた女性像が4点所蔵されています。
中でも「女優たち」と「ヴァランティーヌ・テシエの肖像」は舞台女優の姿を描いた優品であり、舞台芸術とも深く関わったローランサンの女性へのまなざしを感じることのできる作品となっています。また、同館にはローランサンが挿絵を手がけた小説も数点所蔵されています。
ひろしま美術館(広島)
ひろしま美術館には、ローランサンの1910年代から40年代までの作品4点が所蔵されています。1923年作の「牝鹿と二人の女」と1930年頃の「二人の女」では、女性たちが仲睦まじく寄り添っている様子が描かれており、同性愛者でもあったローランサンならではの女性への愛着が表出した作品です。
諸橋近代美術館(福島)
サルバドール・ダリの作品を中心として、西洋近代絵画を多数所蔵する福島の諸橋近代美術館には、ローランサンが1928年に制作した「ダンサー」が所蔵されています。
赤いドレスと黄色いドレスをそれぞれまとい踊っている二人の女性が描かれた本作からは、ローランサン作品の特徴である柔和な女性の表情や、柔らかな色彩、独特の筆のタッチを感じることができます。
名古屋市美術館(愛知)
名古屋市美術館には、ローランサンの3点の作品が所蔵されています。1908年に描かれた「横たわる裸婦」は彼女が25歳の時の作品で、画家として人気になる前の作品として重要なものです。はっきりとした輪郭線で裸体で横たわる女性とアラベスク模様が描かれています。彼女が最も人気のあった時代の画風とは異なりますが、女性の切長の瞳や優美な曲線など、すでにローランサンの特徴が表れています。
また1913年頃に描かれた「サーカスにて」は、彼女ならではのパステルカラーを基調としつつもキュビスムの影響が色濃い作品となっています。
DIC 川村記念美術館(千葉)
千葉県のDIC川村記念美術館には1932年から33年頃に描かれた「ピクニック」という作品が所蔵されています。画面右側には白馬に乗りこちらを振り返る少女が描かれ、左側には寄り添って草原の上に座る少女二人が描かれています。
太い筆のタッチで全体的に柔らかい印象で描かれた本作では、少女のあどけなさと楽しげな雰囲気が表現されています。本作はコレクション展で見ることができますが、同館では年に数回コレクションの入れ替えがされているため、事前にホームページで確認することをおすすめします。
まとめ
近年では美術の分野だけでなく、ファッションの観点からも最注目され、日本でも人気が高まっているマリー・ローランサンが描いた女性たちは、狂騒の時代のパリにおいても、また現在においても変わらない魅力を放っているように思われます。
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