琳派とは何か
日本美術のなかでもとくに華やかな一派があります。それが「琳派(りんぱ)」と呼ばれるグループ。江戸時代を通じて発展した装飾画の一派のことです。
琳派が生まれたのは安土桃山時代。
この一派は、江戸時代後期までスピリットを受け継いでいきました。琳派の特徴は、金をふんだんに使ったゴージャス感にあります。ポスターやCMに使われることも多い琳派の作品、みなさんも意識しないままどこかで目にしたことがあるかもしれませんね。
この記事では日本が誇る「琳派」について、アートリエ編集部が詳しく解説します。代表的な画家や有名な作品の魅力もお伝えしますので、最後までご覧ください。
琳派誕生の背景
琳派とはいつ、どのような経緯で生まれたのでしょうか。
琳派誕生の時代背景や由来を解説します。
「琳派」の名の由来
「琳派」という美しい響きを持つ言葉。由来が気になりますね。
「琳派」は「宗達光琳派」と呼ばれることもあります。琳派を建てた俵屋宗達(たわらやそうたつ)と、琳派を大成した尾形光琳(おがたこうりん)の名をとって名づけられました。「琳派」とはつまり、「光琳派」を短縮したものです。
「琳派」誕生の時代背景
琳派が生まれたのは、桃山時代後半でした。17世紀前半に琳派を興した俵屋宗達と本阿弥光悦から始まり、19世紀初頭の酒井抱一にまで画法や概念が受け継がれ発展しました。江戸時代を通じて栄えた一派なのです。
琳派が誕生する以前、日本の絵画の世界は狩野派と土佐派という2つの一族で占められていました。どちらも幕府の御用絵師として高い格式を誇っていたのです。琳派には、こうした風習がありません。子弟関係、私淑関係、影響関係によって画系が成立しています。封建的な世襲制からの開放は、自由闊達な戦国時代の空気が影響したのかもしれません。
琳派の特徴は、豊かな装飾性があげられます。金泥や銀泥、鮮やかな色彩を用いて、鑑賞者の目を奪います。また絵画だけではなく、工芸品や書にも影響を及ぼしたのが琳派でした。
琳派の主なテーマと特徴
豪華絢爛な画風が魅力的な琳派。どんな表現方法や主題を用いていたのでしょうか。
琳派の特徴と魅力を解説します。
初期琳派の特徴と表現方法
琳派の総合的な概念を体現したのは、本阿弥光悦といわれています。光悦は陶芸や漆工に優れていたものの、絵画は得意ではありませんでした。光悦と協力して当時衰退していた大和絵を近世的に復活させたのが、俵屋宗達です。
宗達は華麗な色彩を使い、視覚的効果を狙った革新的な装飾画風を完成させます。二曲一双というスタイルも、ビジュアル効果を狙った工夫のひとつです。全体は平面化しながら、大胆な構図と色遣いで、こちらに迫ってくるような迫力があります。
宗達のこの画風は、当時の日本で盛んだった王朝文化復興の気運に拍車をかけることになりました。宗達はさらに、中国風が主流だった水墨画を和風にアレンジ。複数の色を乾かないうちに重ねてにじませる「たらしこみ」の技法を生み出しました。「たらしこみ」は、琳派の象徴的な技法として後進に伝えられたのです。
尾形光琳から酒井抱一へ
18世紀初頭、光悦や宗達に私淑し、琳派を大成したのが尾形光琳でした。対象の写実性を重んじながら、光琳の作品は諸要素を渾然一体化したところに特徴があります。
光琳の作品は、ゴージャスな元禄文化のシンボルとなりました。艶冶で複雑な装飾様式は、後世の画家たちにも大きな影響を与えたのです。
19世紀になると、琳派の中心は大阪や京から江戸へと移ります。琳派の画風を継承したのは、酒井抱一でした。尾形光琳のパトロンの1人であった大名家に生まれた抱一は、大胆でドラマチックな琳派の画風に、江戸の洒脱感を取り入れた画家です。西の華麗、東の粋を体現したのが抱一の作風でした。
抱一の叙情性は琳派の最後を飾るにふさわしいものとして、高く評価されています。
琳派の代表的な画家たち
華麗でゴージャスな琳派の作品。
数々の傑作を生みだした琳派の代表的な画家をご紹介します。
本阿弥光悦(1558-1637)
琳派の創始者といわれているのが本阿弥光悦です。刀剣の鑑定や研磨を家職とする家に生まれた光悦は、書画、陶芸、蒔絵など優れた作品を残したマルチな人でした。
「寛永の三筆」に数えられるほどの能書家で、俵屋宗達の絵に書を添えた《蓮下絵和歌巻》《鶴図下絵和歌巻》を残しています。
光悦作の書画や陶器は国宝や重要文化財に指定されているものも多く、日本文化に多大な影響を与えました。絵画を描くのは得手とはいえませんでしたが、そのスピリットは切磋琢磨して琳派を盛り上げた俵屋宗達に伝えられています。
代表作は、蒔絵「舟橋蒔絵硯箱」、墨跡「立正(りっしょう)安国論」など。
俵屋宗達(生没年不詳)
本阿弥光悦とともに琳派を創始した俵屋宗達。琳派の絵画は、宗達の才能によって世に出たといっても過言ではありません。
京都の上層町衆出身の宗達は、生没年が不明。若い頃は、下絵や扇のデザインを担当する「俵屋」という工房を営んでいたことがわかっています。京都の富裕層に属していた宗達は、茶道の千家や本阿弥光悦など、当時の一流文化人と親交があり、これが画風の大成に生かされたと伝えられています。
1602年には、大名福島正則から平家納経の表紙を依頼されています。1615年頃までは、光悦が書く和歌巻きや色紙に小さな絵を添える仕事が主流でした。金や銀を駆使した生命力を感じる宗達の作風は、早くから京都の上層階級にも知られていたようです。1621年には、豊臣秀吉の側室淀の方と徳川秀忠の正室からの依頼を受け、養源院に襖絵を描きました。1630年の依頼は後水尾上皇からのもので、三双の金屏風を描いています。このころから宗達の評価は盤石のものとなり、《風神雷神図》、《松島図》、《関屋澪標 図》などの傑作を残しています。
宗達は既成概念にとらわれない自由な町絵師であったためか、斬新でユニークな作風で知られています。一方で伝統を重んじる要素もあり、当時廃れていた大和絵の復興者という評価をする美術史家もいます。
尾形光琳(1658−1716)
尾形光琳は、大大名や天皇家を顧客にしていた高級呉服商の家に生まれました。弟の乾山も画家であり陶工であるという文化的な環境で育ちます。
父の遺産を継承した後、放蕩生活で身を崩し困窮したという光琳。アラフォーで絵師として身を立てる決心をします。当初は狩野派の絵画を習っていた光琳ですが、宗達や光悦に心酔し、装飾性に富む琳派の画風を確立します。
44歳の時、医師や絵師に与えられる「法橋」という地位を獲得。光琳の傑作とされる絵画は、これ以降に描かれたものがほとんどです。光琳の特徴は、宗達を基礎としながら鋭い目で自然を観察し、理知的で斬新な構成によって豊穣な世界を作り出した点にあります。蒔絵や小袖のデザインも盛んに行い、弟乾山との共作も数多く残っています。
1704年頃から京と江戸を行き来し、江戸の文化人とも交わりました。宗達と光悦によって生まれた琳派は、光琳によって完成したというのが通説。
光琳の代表作には《燕子花図屛風》、最晩年に描いた《紅白梅図屛風》、《波濤図屛風》など。
酒井抱一(1761-1829)
江戸後期に活躍した酒井抱一は、大名家の出身。姫路城主の酒井家は、文化に理解の深い大名でした。その薫陶を受けてか、抱一は若いころから絵、俳諧、和歌、書、舞などさまざまな分野で才能を発揮します。
絵に関しては浮世絵、狩野派、丸山派など広く学んだ形跡が残っています。1797年に得度してのち、酒井家が庇護していたことのある尾形光琳に傾倒。琳派の再興を目指したと伝えられています。1815年の光琳百年忌に遺墨展を開催、その模様を《光琳百図》にまとめました。《尾形流略印譜》も出版し、これをきっかけに本格的に絵画制作へと向かいました。
抱一の絵の特徴は、光琳風を継承しつつも江戸の粋人らしい洒脱で繊細なものに変えて、叙情性を加えた点にあります。文化の爛熟を感じる優美な作風が、酒井抱一の魅力です。
代表作は《夏秋草図屏風》、《四季花鳥図屛風》など。
鈴木其一(1796−1858)
鈴木其一は酒井抱一の弟子。近江出身の染屋の息子として生まれ、幼いころに酒井抱一に弟子入りしたと伝えられています。抱一の付き人であった鈴木蠣潭に婿入りして、鈴木姓を名乗るようになりました。
其一は当初、師の抱一の画風を忠実に学び、ときには代作まで行っていました。抱一の死後、師匠の画風から離れて独自の絵を描き始めます。抱一が持っていた叙情性を払拭して、明晰で迫力ある絵が其一の特色です。
幕末の美意識に裏打ちされた傑作には、《夏秋渓流図屛風》、《白椿・薄野図屛風》などがあります。
琳派の代表的な作品
日本が誇る琳派の代表作品には、どのようなものがあるのでしょうか。有名な作品は、どこかでご覧になったことがあるかもしれませんね。
それぞれの作品の魅力とともに、琳派の傑作をご紹介します。
本阿弥光悦《舟橋蒔絵硯箱》
(引用: 国立博物館所蔵品統合検索システム)
本阿弥光悦が制作した硯箱《舟橋蒔絵硯箱》。17世紀の傑作とされ、国宝になっています。
『後撰和歌集』の一句「東路(あづまじ)のさのの舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人そなき」がテーマになっています。縦24.4×横23cm。四艘の小舟が高蒔で描かれた銘品です。
俵屋宗達《風神雷神図屏風》
風をつかさどる神と雷をつかさどる神をテーマにした作品。17世紀前半に俵屋宗達が描いた《風神雷神図屏風》は二曲一双。あまりの素晴らしさに尾形光琳や酒井抱一も模写するほどでした。
向かって左に描かれているのが雷神、右に描かれているのが風神です。卓越した空間の使い方、軽妙かつ豪放な2つの神の姿は今見ても新鮮ですね。
京都の建仁寺が所蔵している国宝です。
尾形光琳《燕子花図屏風》
美術に興味がない人も、この作品をどこかでご覧になった方は多いことでしょう。尾形光琳の《燕子花図屏風》は群青と緑の濃淡によって描かれた燕子花が、バックの金色から浮かび上がるという意匠。『伊勢物語』の「八橋」をテーマに描かれています。
花の配置がリズミカルで、日本絵画史上に残る傑作。
根津美術館が所蔵している国宝です。
尾形光琳《紅白梅図屏風》
尾形光琳が最晩年に描き、彼の画業の集大成ともいわれる《紅白梅図屏風》。二曲一双の屏風絵です。水紋が美しい川の両側に、紅梅と白梅が描かれています。
私淑していた宗達に啓発されながら、独自の大らかな画風を完成させた光琳の傑作。
熱海にあるMOA美術館が所蔵している国宝です。
酒井抱一《夏秋草図屏風》
江戸後期に活躍した酒井抱一は、宗達の《風神雷神図屏風》の裏面に、《夏秋草図屏風》を製作しました。現在は2つに分けて別々の屏風になっていますが、琳派の祖ともいえる宗達と共作ともいえるこの作品は、抱一の最高傑作といわれています。
琳派らしい空間を利用した構図ながら、抱一の画風はとても優美。描かれた草花はとても繊細です。
一説には《風神雷神図》とセットで四季絵にしたともいわれています。
東京国立博物館が所蔵している重要文化財です。
鈴木其一《朝顔図屛風》
抱一の弟子でありながら、抱一の死後は自らの画風を確立した鈴木其一の傑作といわれている《朝顔図屏風》。師匠抱一の優美な画風とは一線を画す大迫力が、画面から伝わってきます。
構図の大胆さ、見事な写実性、華やかな色彩。どこか光琳を思わせる琳派の真骨頂が《朝顔図屏風》から感じられます。 六曲一双の大作は、現在アメリカのメトロポリタン美術館が所蔵しています。
自由闊達な琳派が後世に残した影響
絵画だけではなく、陶芸やデザインにも挑んだ琳派。それまでの日本美術史にない華やかさと闊達さで、現在も高い人気を誇ります。
琳派にまつわる逸話や、構成の美術への影響を見てみましょう。
お坊ちゃまたちによって生まれた芸術
絢爛豪華な琳派を生み出した芸術家たち。俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、いずれも富裕な環境に生まれ育ったという共通点があります。
町絵師といわれた宗達も、京都の裕福な商家の出身でした。光琳にいたっては、天皇の后や大大名を顧客に持つ高級呉服屋の息子です。そして酒井抱一は大名家の出身。とくに光琳は、父が遺した財を放蕩で使い切ったという豪放な逸話の持ち主。堅実で地味な弟の乾山とともに、小説やドラマでもよく取り上げられます。
琳派とは、こうした豊かな環境と才能に恵まれた画家たちの「遊び心」も重要なポイントだったのかもしれませんね。
琳派による後世への影響
琳派は、本人たちが「琳派」を名乗って技術を継承させたものではありません。先達の作品から影響と刺激を受けた後進たちが、それをベースに自らの芸術を発展させていった動きです。
つまり琳派は、後進たちにさまざまな影響を与えることで大成していった芸術です。琳派そのものは江戸時代で終わりを告げますが、明治時代以後もさまざまな影響を芸術の世界に残しました。
明治時代に活躍した菱田春草、能書家としても有名だった安田靫彦、《洞窟の頼朝》で有名な前田青邨らは、琳派の技法を引き継ぐ近世の画家といわれています。
海外における琳派の評価について
大胆な構図と美しい色彩が魅力の琳派の作品は、海外でも高く評価されています。それだけではなく、西洋の美術にも影響を及ぼしたといわれているのです。
海外における琳派の評価について解説します。
琳派が西洋美術に与えた影響
19世紀末、ヨーロッパではジャポニズム(日本趣味)が大流行しました。明治維新によって開国した日本の文化が西洋に伝わり、その斬新さが多くの芸術家を魅了したのです。
とくに1867年に開催されたパリ万博において、日本の芸術は大いに注目を浴びました。アールヌーヴォーや印象派に影響を与えたといわれるのは浮世絵ですが、琳派も注目の的であったといわれています。
自然が有する規則性と不規則性、写実と装飾のバランス、平面的な表現方法、装飾表現の多様性など、琳派が持つさまざまな要素が西洋の美術にも飛び火したことがわかっています。金色の背景が特徴的なクリムトの画風も、琳派の影響をうけたのだとか。言われて見れば納得の相似性ですね。
東洋美術史家に高く評価された琳派
琳派は絵画や工芸を含む総合芸術。この点を高く評価したのが、アメリカの東洋美術史家アーネスト・フェノロサでした。フェノロサは個人的にも琳派を好んだようで、彼のコレクションが今もボストン美術館に残っています。 フェノロサは論文中で、琳派は「日本における印象主義」であると主張しています。琳派の持つ装飾性が、西洋美術の装飾美術の発展に大きな影響を与えた点が、海外の評価を高めたといえます。
琳派の作品が楽しめる場所
琳派について知ると、琳派の作品を見たくなります。
日本国内外で琳派を楽しめる場所をご紹介します。
日本国内で琳派の作品が見られる場所
日本国内で琳派の作品が鑑賞できる美術館をご紹介します。琳派の流れをくむ近代の作品も含みます。
山種美術館:酒井抱一《秋草鶉図》、速水御舟《名樹散椿》
根津美術館:尾形光琳《燕子花図》
横浜美術館:下村観山《小倉山》
北野美術館:横山大観《竹》《松》
MOA美術館:尾形光琳《紅白梅図屏風》、本阿弥光悦《樵夫蒔絵硯箱》
名古屋ボストン美術館:尾形光琳《松島図屏風》
福井県立美術館:菱田春草《落ち葉》、木村武山《花鳥図(日盛り)》
石川県李美術館:俵屋宗達《槇檜図》
足立美術館:横山大観《紅葉》
建仁寺:俵屋宗達《風神雷神図》
静嘉堂文庫美術館:俵屋宗達《源氏物語関屋澪標図屏風》
海外で特に琳派の作品が充実している場所
海外でも評価が高い琳派は、各地の美術館が作品を所蔵しています。国宝級の作品もたくさんあります。
ボストン美術館:尾形光琳《松島図屏風》
ワシントン・フリーア美術館:俵屋宗達《松島図》《雲龍図》
メトロポリタン美術館:尾形光琳《八ッ橋図》、鈴木其一《朝顔図屏風》
まとめ:日本が誇るゴージャスなアート、琳派を楽しもう!
琳派は、金や鮮やかな色彩を用いた豪華絢爛な装飾画で、日本美術の中でも特に華やかな一派です。俵屋宗達や尾形光琳などの代表的な画家たちがその魅力を体現し、宗達の「たらしこみ」技法や光琳の「燕子花図屛風」など、多くの傑作を生み出しました。
また、琳派は江戸時代を通じて発展し、その後の近代美術にも大きな影響を与えました。西洋の芸術家にも刺激を与えた琳派の作品は、今もなお多くの人々に愛されています。
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