印象派とは何か?|瞬間を捉える芸術
美術展に行くことはほとんどないけれど、印象派の作品だけはなんとなく好き。そんな方も多いのではないでしょうか。「印象派」という言葉の美しさもあり、日本では根強い人気を誇るのが印象派です。19世紀後半から始まる印象派の動きは美術の世界における革命といわれ、近代美術の幕開けとも評価されています。
代表的な画家はモネ、ルノワール、ドガ、セザンヌなどなど。普段はアートとは無縁というかたも、これらの名前は耳にしたことがあると思います。それぞれの画家の特徴は異なるものの、光の表現や独特のタッチはとても魅力的。理屈はわからなくても、感覚的に「好き」と感じる人が多いことでしょう。
美術の世界的な潮流となり、日本の芸術にも大きな影響を与えた印象派。アートはよくわからないという方のために、印象派について詳しく解説していきます。
印象派の特徴とスタイル
多くの有名な画家たちが属していた印象派。正しくは、「印象主義」と呼ばれる芸術運動です。印象派にはどのような特徴とスタイルがあったのでしょうか。
わかりやすく解説します。
アトリエ内での製作から屋外へ
印象派を生み出す源流となったのは、17世紀に全盛期を迎えたオランダの風景画でした。それまで絵画といえば屋内のアトリエで製作していた芸術家たちが、風景画の普及で、戸外でキャンバスを構えることが多くなったのです。
18世紀後半には、イギリスで風景や自然の美しさを描くことが大流行。日本でもよく知られるターナーは、この時代に活躍した芸術家です。すでにこの時代、水彩や油彩のスケッチには自然を観察することでアーティストたちが会得した光の表現を見ることができます。
印象派の最大の特徴ともいえる光の表現は、こうした流れから発展していきました。印象派の芸術家たちの多くは、光が満ちて大気が変化しやすい屋外での製作を好みました。また屋内での製作をする場合も、光彩の表現を意識して描かれている作品が目立ちます。
斬新なモチーフや主題
印象派が近代絵画の先駆けといわれる理由のひとつ、それが主題にあります。
17世紀ごろまで絵画といえば、モチーフは宗教、神話、歴史などで占められていました。一方印象派の画家たちは、身近にある風景や風俗、静物といった市民的なジャンルをテーマに作品を描くようになります。
現代の私たちが印象派に親近感を覚えるのは、馴染みのあるテーマで描かれていることも大きな理由ですね。
明るい色彩と大胆な筆使い
モネやルノワールの描く風景を思い出してみてください。ごく自然に見えてくるのは、太陽光の反射を受けたプリズムの多彩さです。対象は固有の色を持っているのではなく、光によって色調は常に変化しているというのが印象派の主張でした。印象派以前は、太陽の光といえば白や黄色の淡色で表現されることが大半でした。光を描きたかったら、画面上に明暗をくっきりと描くことで、明るさを強調するしかなかったのです。
印象派の画家たちはこの約束事から解放されて、七色の光の動きを表現するようになりました。太陽の光を表現するのはプリズムの七色、それらを「混ぜない」ことでより明るい表現が可能になったのです。試していただければ一目瞭然ですが、絵具というのは混ぜれば混ぜるほど色が暗くなってしまうのです。印象派は「混ぜない」ことで、画面に明るい色彩を描きました。
とはいえ、自然をそのまま描写するには「中間色」も必要です。そこで誕生したのが、印象派独特の「タッチ」でした。つまり絵具は実際には混ぜないけれど、見た目は混ぜたと同じような効果をもたらす技術を生み出したわけです。
具体的にはこんな感じです。青と赤の点を画面に表現します。近くで見れば赤と青の点に過ぎませんが、遠くから見ると紫色に見えるという効果が生まれます。さらに補色の関係を活かすという技術も、印象派の特色です。
補色というのは、混ぜ合わせたときに黒色になる2つのカラーを指します。たとえば紫と黄色、赤と緑、オレンジと青などがその代表格。補色の関係を持つ2色は、隣り合うと互いの色を強調するという性質があります。緑を際立たせたかったら、赤を添えるといった具合。これらは、当時はとても前衛的な技術でした。
色の混合をパレットの上で行うのではなく、視覚の上で行う。 これが、印象派の明るい色彩と大胆な筆遣いを生み出した特徴といえるでしょう。
「印象派」と呼ばれる理由
「印象派」という美しい言葉は、どのようにして生まれたのでしょうか。
印象派草創期のエピソードとともに解説します。
なぜ印象派と名付けられたのか
「印象派」という言葉の由来は、1874年4月15日にパリで開かれた展覧会が発端になっています。
この展覧会に参加したのは、モネ、シスレー、ルノワール、ピサロ、ドガ、セザンヌ、ベルト・モリゾ、ブーダン。つまり印象派の立役者が勢ぞろいしたわけですね。
展覧会が開かれてから10日後、フランスの風刺新聞『シャリヴァリ』に「印象派の展覧会」というタイトルの長文記事が掲載されました。執筆者は批評家のルイ・ルロワ。
つまりこのルロワの記事から、「印象派」という言葉が生まれたといわれています。そして「印象派」という言葉の普及を促したのが、モネの《印象・日の出》でした。
モネ自身の述懐によれば、この作品は当初《日の出》というタイトルだったそうです。ところが展覧会のカタログ製作中に、ルノワールの弟のエドモンが「これだけではあまりに無愛想だからなにか工夫を」と提案したそう。
そこでモネが思わず、《印象・日の出(Impression,soleil levant)》と答えたというエピソードがあります。現在はすっかり定着した「印象派」という言葉は、かなり偶発的に誕生したのですね。
評価されなかった初期の展示からの軌跡
印象派最初の展示会の批評が、風刺新聞『シャリヴァリ』に掲載されたことはすでに書きました。この記事は真面目な「批評」というよりも風刺的なルポとなっています。
批評家のルロワが架空の正統派画家ヴァンサンと展覧会を訪れて、そのあまりのひどさに画家が発狂してしまうという、実におちゃらけた内容なのです。
たとえば、モネの傑作《キャピシーヌ大通り》に関しては「通りを歩いている人間を描いた点々、あれは漆喰を塗るときの技術じゃないか」なんてふざけた批評がされています。
印象派による第1回目の展覧会はこのように、美術界におけるスキャンダルとみなされてしまいました。ところが皮肉なことに、モネらの作品を嘲ったルロワの記事によって「印象派」という言葉が世に知られるようになったのです。
印象派の画家たち|その人気と影響力
印象派の画家たちは、日本でもよく知られています。
絶大な人気を誇る代表的な画家とその特色、影響力について説明します。
印象派の代表的な画家
印象派の画家の名は、私たちにも馴染み深いものですね。印象派の中核を成した画家の名前を具体的にあげてみましょう。
まず、1860年代に画家のシャルル・グレールに学んでいたグループのメンバー。
- クロード・モネ
- アルフレッド・シスレー
- ピエール=オーギュスト・ルノワール
- フレデリック・バジール
次に、自由なアトリエとして若い画学生に人気だったアカデミー・シュイスに出入りしていたメンバー。
- カミーユ・ピサロ
- ポール・セザンヌ
- アルマン・ギヨマン
さらにセザンヌと友人であったエドガー・ドガ、ギュスターヴ・カイユボット、女性画家のベルト・モリゾなどが有名です。
著名な印象派の画家たちの特色と影響力
印象派の画家たちの中でもとくに有名な8人。
彼らの特色と影響力を解説します。
クロード・モネ
印象派の開拓者といわれるクロード・モネ。
代表作《印象・日の出》は、印象派という名称の由来となりました。
彼自身はとくに新しい主義主張をしようという意思はなかったようですが、並外れて優れた感覚とセンスが、美術の新しい歴史を生み出したといわれています。
モネは印象派の特徴でもある光の変化を表現するために、筆触分割や色彩分割という技術を生み出しています。印象派の様式は、モネによって確立されたといっても過言ではありません。
風景画が多く、とくに水辺の風景を好んだことで知られています。
代表作は《アルジャントゥイユのレガッタ》、《睡蓮》。
ピエール=オーギュスト・ルノワール
陶器の絵付け職人からキャリアを始めたルノワール。
画家となった当初はロマン主義的な作風でしたが、やがてモネとともに筆触分割の技法を確立しました。
ルノワールは人物画が人気、女性たちを彩る甘美な色調が魅力です。ルノワールの美しい女性像と赤の表現で、後進たちに大きな影響を与えました。
代表作は《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場》、《陽光の中の裸婦》。
ポール・セザンヌ
若い頃は法律を学んでいたというセザンヌ、印象派の画家たちと親交を結びますが、美術学校に落ちたり美術展に落選したりと不遇の時代が続きました。
ピサロの影響を受けて明るい画風を確立。印象派の色彩と堅固な造形表現を両立させるという難しい技術を探求し続けました。
フォービズムやキュビズムにも大きな影響を与えた画家です。
代表作は《カード遊びをする人》、《女性大水浴図》。
ベルト・モリゾ
モリゾは画家エドゥアール・マネの義妹。印象派展に積極的に参加した女流作家です。
女性らしい繊細な感情や軽めのタッチの表現に優れていました。
風景画、人物画、いずれも印象派の真骨頂といった画風で知られています。
代表作は《ゆりかご》《蝶々捕り》。
アルフレッド・シスレー
服地商の家に生まれたシスレーは、画家を志してパリ国立美術学校に学び、モネやルノワールとともに印象派の先駆者となりました。
外光の下での水や大気を描くのが得意で、風景画をたくさん残しています。画面から清々しさが伝わるような魅力があり。
代表作は《ポール・マルリの洪水》、《サン=マメスの曇りの日》。
エドガー・ドガ
富裕な銀行家の息子だったドガは、パリの国立美術学校に学び、さらにイタリアに留学。当初はかなり古典的な様式の作品を描いています。
モネやピサロと知り合い、踊り子などの女性像で頭角を現しました。厳格なデッサンと斬新な構図は、後世の画家にも影響を与えました。写真家としても有名。
代表作は《バレエのレッスン》、《湯上り》。
ギュスターブ・カイユボット
パリのブルジョア階級出身のカイユボットは、自身が画家であるだけではなく、モネやルノワールの援助者でもあったと伝えられています。
パリの街の風景、労働者たちの情景、人物画に優れていた画家です。セーヌ川沿いの風景は、いかにもフランスらしい情緒が漂っています。
カイユボットは印象派の作品のコレクターでもあり、そのコレクションはのちに国家に遺贈されました。現在はオルセー美術館で彼のコレクションを鑑賞できます。
代表作は《床の鉋かけ》、《パリの通り、雨》。
カミーユ・ピサロ
西インド諸島セントトマス生まれのピサロは、1855年のパリ万国博覧会で見た絵画に大きな影響を受けました。とくにコローに感銘を受け、働く人のいる田園風景や風景画を多く残しています。
穏やかな色彩と構築的な構図が特徴。一時期スーラの影響で作風を変えていますが、晩年は印象派に戻りパリやルアンの都市風景を描いています。
代表作は《赤い屋根》、《りんご採り》。
代表的な作品とその特徴
印象派のシンボルとなっている作品は、とくに美術に興味がない人でも目にしたことがあると思います。
印象派の代表的な作品とその特徴について、わかりやすく解説します。
印象・日の出
「印象派」の名の由来にもなった歴史的な作品。1872年にモネによって描かれました。
絵画史上初めて、「光」が画面の主役となった作品です。描かれているのはモネの故郷ル・アーブル。
港にある船も建物も、光と靄の中に溶け込んでいます。日の出の太陽が水面に反射して、潮の香りや朝の冷気も伝わって来そうな傑作。
発表当初は「こんなものは絵ではない」と酷評された《印象・日の出》は、美術の世界における金字塔として、私たちに強い印象を残します。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会
1876年にルノワールによって描かれた作品。1870年代を代表する名作として有名です。
パリのモンマルトル地区にあったムーラン・ド・ラ・ギャレットの華やかな雰囲気と、人々の喜びが画面から伝わってきます。
自然光と人口の光を巧みに利用して、人々と衣服の動きが軽いタッチで表現されています。発表当初は、溶けているような輪郭が批判の対象であったのだとか。
19世紀のパリの美しさを伝える傑作です。
草上の昼食
「西洋近代絵画の創始者」と呼ばれるエドゥワール・マネが、1863年に描いた作品です。
《オランピア》と並ぶマネの傑作といわれていますが、1863年のサロンの審査員によって出展を拒否されたエピソードを持っています。
古典的なイタリア絵画にインスピレーションを得たとされる同作品、洋服を着た男性たちに交じって裸の女性が描かれていることは「猥雑」であると批判され、当時は大変なスキャンダルに。
しかし後世の画家たちに大きな影響を与えた作品として、現在はオルセー美術館でも大変な人気を博しています。
睡蓮
モネの最高傑作のひとつであり、最晩年の作品絵ある《睡蓮》の連作。
1915年から1926年にかけて描かれた幻想的な作品です。当時のモネの自宅にあったジヴェルニーの睡蓮がモデルになっています。光を主役にするならば、同じモチーフで描いても出来上がった作品がまったく異なることを証明した連作で、「光の洪水」と称賛された傑作。
「モネの絵を見れば日傘をどちらに向ければいいかわかる」
と語ったモリゾの言葉が実感できる、目くるめくような作品です。
サント=ヴィクトワール山
セザンヌの代表作《サント=ヴィクトワール山》。
1880年代中ごろから、セザンヌは地中海を中心とする風景画をよく描くようになりました。サント・ヴィクトワール山は、セザンヌの故郷にある風景です。
印象派といえばきらびやかな光というイメージがありますが、セザンヌの作風はどっしりとしたヴォリューム感が主役。この作品でも、印象派の技術を駆使しながら、山の量感を巧みに表現しています。
積みわら
《積みわら》は、モネが1890年から1891年にかけて描いた25点の作品を指します。
ノルマンディーにあったモネの自宅近くの小麦畑がモデルになっているといわれ、季節や気象条件によって変わる積みわらを豊かな色彩で描きました。
フランスの農業地帯の豊かさやのどかさが画面から伝わるだけではなく、季節によって変わる温度まで感じられるリアリティ。
1891年5月にパリで展示された積みわらシリーズは、モネ自身にとっても自信作であったと伝えられています。
印象派に与えた日本美術の影響
西洋美術史に大きな足跡を残した印象派。実は日本美術の影響を受けていたことをご存じでしょうか。
19世紀に海外で花開いた「ジャポニズム」が印象派にどのような影響を与えたのか、詳しく解説します。
ジャポニズムとは
ジャポニズムとは、19世紀後半に主にフランスで盛んになった芸術的エキゾチズムのこと。19世紀半ばに日本が海外に向けて開国したことで、浮世絵や装飾美術が欧米に伝えられ、大変もてはやされました。
この風潮は、芸術家たちに刺激を与えて、屏風や扇などの日本のアイテムが作品の中に描かれるようになったのです。
たとえばマネの《エミール・ゾラの肖像》には、日本製の屏風や版画が描かれています。モネも妻のカミーユに武者模様の着物を着せて《日本衣装の女》を描きました。
みずみずしい感性を持った芸術家にとって、当時の日本の風物は東洋の神秘への憧れとなって、作品に描かれることになったのです。
日本の浮世絵が影響を与えた印象派の構図
後期印象派の代表的な作家ゴッホが、日本の浮世絵をコレクションしていたのは有名なお話。
浮世絵の構図は、印象派に大きな影響を与えたといわれています。
対象を瞬間的にとらえて描く大胆な構図や、唐突な画面の切り方など、画面に静かなドラマが展開するような構図が印象派の特徴です。前景に大きなものを配して、中景を廃して突然遠景をつなげるなどの技術も、印象派の時代に生まれました。
四角い枠で視野を切り取るような浮世絵の構図が、印象派でも数多く用いられています。
印象派から新印象派、ポスト印象派への進化
19世紀後半の美術界にセンセーションを巻き起こした印象派は、そのあと、葛藤や確執を経て変化していきます。
その流れの中で、かの有名なゴッホやゴーギャンも誕生してくるのです。印象派の「その後」を見ていきましょう。
印象派から新印象派へ
1880年頃になると、印象派の先駆けといわれた画家たちも40代になろうとしていました。グループにおける活動よりも、それぞれの画家たちが自己の芸術を深めるというフェーズに入っていきます。主要なアーティストたちの印象派展への不参加も目立つようになりました。
こうした中で生まれたのが、ジョルジュ・スーラによる新印象派です。
新印象派の特徴は、印象派によって確立された直観的、経験的な技法を、より理論的に推し進めたところに特徴があります。新印象派によって、色調分割を徹底的に行う分割主義と、小さな丸い斑点で埋めていく点描主義が生まれました。
スーラの代表作には《アニエールの水浴》、《ポーズする女たち》などがあります。
スーラの死後はポール・シニャックが新印象派を堅持し、若い画家たちに影響を与え続けました。
ポスト印象派(後期印象主義)とは?
印象派の波を受けて、1880年代後半から20世紀初めに生まれたのがポスト印象派です。後期印象主義とも呼ばれるこの芸術運動の名前は、1910年にロンドンで開催された「マネと印象派以後の画家たち(Manet and the Post-Impressionists)」に由来しています。
ポスト印象派の代表格は、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホの3人。
セザンヌは印象派の繊細な画風から堅固な量感を重視し、ゴーギャンは輪郭のくっきりとした力強さを特徴にしていました。
日本でも大人気のゴッホは、印象派の明るい色彩はそのままに、うねるような激烈な感情をキャンバスにぶつけた画家です。表現主義とも呼べるような、独自の画風を確立。《星月夜》や《ひまわり》などの代表作を生み出しました。
印象派とそれに続く流れは、美術史に名を残す高名な画家たちをたくさん世に送り出したことがわかりますね。
現代の印象派の評価
19世紀の芸術を大きく変えた印象派。現代はどのように評価されているのでしょうか。
印象派の評価をまとめて見ます。
フランス美術史における黄金時代
フランスといえばアートの国というイメージが定着したのは、19世紀後半の印象派のイメージが強いためといわれています。
実証主義や写実主義が幅を利かせていた時代、モネをはじめとする印象派の画家たちは、光や空気というものに注目し、それまでに存在しなかった技法を生み出しました。それぞれの感性や主観を解放した時代といわれ、絵画に深い精神性が見られるようになったわけです。
印象派は、写実をベースとするヨーロッパ美術の最後の輝きであると同時に、20世紀に生まれるさまざまな芸術運動に大きな影響を与えました。
こうした意味からも、印象派は「フランス美術史における黄金時代」と評価されています。
日本で突出した人気を誇る印象派
日本でも印象派は大変な人気があります。その理由はなんでしょうか?
印象派以前の西洋絵画は、聖書や神話に関する知識がないと理解できないものが大半。美術に興味がないと、日本の風習や文化とはあまりに違い過ぎて、馴染みにくいのが現状です。
ところが印象派は、西洋文化を知らなくても鑑賞が可能なアート。光や空気をきれいな色で表現したことで、アートに興味がない人にも親しみやすい印象があります。
また宗教画や神話をテーマにした作品には長い年月の隔たりを感じるのに対し、19世紀終わりに生まれた印象派は現代ともそれほど遠くないイメージがあります。
西洋美術を敬遠しがちな人にとっても親しみやすいアート、それが印象派、というわけですね。
印象派の絵が見られる美術館の紹介
印象派の画家たちは多作で、世界各地に作品が収蔵されています。
日本でも印象派をテーマにした美術展は頻繁に開催されるほか、作品を所蔵している美術館もあります。日本ではどの美術館に行けば印象派の作品が鑑賞できるでしょうか。
主な作品と所蔵美術館についてご紹介します。
日本で鑑賞できる印象派の作品
それでは、芸術家別に日本で見られる作品と美術館を見ていきましょう。
- モネ
《睡蓮》 国立西洋美術館
《舟遊び》 国立西洋美術館
《積みわら》 埼玉県立近代美術館
《ルーアン大聖堂》 ポーラ美術館
《散歩》 ポーラ美術館
《グラジオラス》 ポーラ美術館
《貨物列車》 ポーラ美術館
《黄昏、ヴェネツィア》 ブリヂストン美術館
《海辺の舟》 東京富士美術館
《サン=タドレスの断崖》 松岡美術館
《ルーアンのセーヌ川》 静岡県立美術館
《セーヌ河の朝》 ひろしま美術館
《藁ぶき屋根の家》 上原近代美術館
- ルノワール
《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》 ブリヂストン美術館
《カーニュのテラス》 ブリヂストン美術館
《レースの帽子の少女》 ポーラ美術館
《髪かざり》 ポーラ美術館
《泉のそばの少女》 笠間日動美術館
《ジャン・ルノワールと一緒のガブリエルと少女》 村内美術館
《若いギタリスト》 村内美術館
《赤い服の女》 東京富士美術館
《帽子の女》 国立西洋美術館
《パリ郊外、セーヌ川の洗濯船》 諸橋近代美術館
《トリニテ広場》 ひろしま美術館
- セザンヌ
《りんごとナプキン》 東郷青児美術館
《縞模様の服を着たセザンヌ夫人》 横浜美術館
《砂砂糖、梨とテーブルクロス》 ポーラ美術館
《アルルカン》 ポーラ美術館
《座る農夫》 ひろしま美術館
《ガルダンヌから見たサン・ヴィクトワール山》 横浜美術館
《北フランスの風景》 鹿児島市立美術館
- ピサロ
《羊飼いの女》 松岡美術館
《立ち話》 国立西洋美術館
《ポン=ヌフ》 ひろしま美術館
《菜園》 ブリヂストン美術館
《カルーゼル橋の午後》 松岡美術館
- シスレー
《サン=マメのロワン運河》 ヤマザキマザック美術館
《舟遊び》 島根県立美術館
《積み藁》 諸橋近代美術館
《ロワン河畔、朝》 ポーラ美術館
《ルーヴシエンヌの風景》 国立西洋美術館
《秋風景》 上原近代美術館
《葦の川辺・夕日》 茨城県近代美術館
- ドガ
《赤い衣装をつけた三人の踊り子》 大原美術館
《背中を拭く女》 国立西洋美術館
《休憩する二人の踊り子》 ポーラ美術館
《マント家の人々》 ポーラ美術館
《赤い服の踊り子》 ひろしま美術館
《マネとマネ夫人像》 北九州市立美術館
- ゴッホ
《ドービニーの庭》 ひろしま美術館
《ひまわり》 損保ジャパン東郷青児美術館
《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》 ポーラ美術館
《ばら》 国立西洋美術館
《座る農婦》 諸橋近代美術館
《サン=レミの道》 笠間日動美術館
《一日の終わり》 メナード美術館
《アザミの花》 ポーラ美術館
まとめ:身近な風景を芸術に昇華させた印象派は魅力が満載!
印象派は日本でも人気があります。
19世紀後半にフランスで興ったこの芸術運動は、近代美術に大きな影響を与えました。身近な空気や光を捉えることで、アートに詳しくない人々にもその魅力を伝えています。印象派の独特な色彩は、幻想的で飽きることのない美しさを持っています。
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