ロイ・リキテンスタインは、ポップアートの代表的なアーティストであり、その作品は広く愛されています。この記事では、リキテンスタインの人生やその作品の魅力、そして彼がどのようにしてポップアートの巨匠となったのかをご紹介します。
ロイ・リキテンスタインとは?
ロイ・リキテンスタインはアンディ・ウォーホルと一緒にポップアートの代表的な画家として知られています。アメリカンコミックの一コマを拡大したような絵画作品で大きな注目を集めており、一度は見たことがある方も多いのではないでしょうか。
リキテンスタインの絵画は太い輪郭線と鮮やかな原色を使用しており、単純ながらも非常に強烈なインパクトを持っているのが特徴です。
遠くから見ると単なる平面の色彩に見えますが、近づくと無数のドットの集まりであることに驚かされるでしょう。印刷インクによる細かいドットを1つ1つ描写している点は、彼の職人気質を感じさせます。
ロイ・リキテンスタインが送った人生とは?
ここからは、ロイ・リキテンスタインが送った人生について見ていきます。
少年時代
ロイ・リキテンスタインはアメリカのニューヨークで生まれ、中流階級の家庭に育ちました。リキテンスタインはピアノを弾く母親の影響で音楽に興味を持ち、若い頃から楽器を演奏しているミュージシャンを描くことが好きだったそうです。
オハイオ州立大学美術学部の時代
ロイ・リキテンスタインはオハイオ州立大学の美術学部に進学しました。リキテンスタインは学位を取得した後、1943年から1946年まで陸軍に入隊し、任務に従事しました(第二次世界大戦終盤から戦後直後の時期)。
退役後、リキテンスタインはオハイオ州立大学の大学院に進学し、そこで彼の作品に大きな影響を与えたホイト・L・シャーマン教授と出会いました。シャーマン教授の指導のもと、三次元空間でみられるものを二次元に置き換える技術を学び、1949年に芸術学の修士号を取得しました。
製図工・大学講師として抽象表現主義の作品を制作した時代
その後、キュビズムや抽象表現主義の流行に合わせて作品を制作しつつオハイオ州立大学で講師となり、ニューヨークのカールバッハ・ギャラリーで最初の個展を開催しました。
1958年、リキテンスタインはニューヨーク州北部のニューヨーク州立大学オスウィーゴ校で教鞭を執り始めました。この時期に彼は抽象表現主義の作品に漫画キャラクターのイメージを取り入れるようになり、ポップ・ペインティングの片鱗を見せ始めます。
ポップ・ペインティングを始めた時代
リキテンスタインは1960年にニュージャージー州のラトガース大学での仕事を始めました。そこで彼は「ハプニング」と呼ばれるゲリラ的なパフォーマンスアートの創始者アラン・カプローに出会い、ポップアートへ興味を持ち始めました。
1961年、リキテンスタインの息子がミッキーマウスのコミック本を指して「パパにはあんなにうまく描けない」といったことがきっかけで、『Look Mickey』という作品を制作しています。
この作品は、のちに彼のポップアートのキャリアの転機となり、その後の彼の作品においても注目されることになります。
「低俗」「空虚」と酷評された時代
1964年、リキテンスタインは大学の仕事を辞め、ニューヨークでの絵画制作に専念することを決意しました。
彼の作品『Look Mickey』や『Drowning Girl』は注目を浴びましたが、当時の評価は一様ではありませんでした。美術評論家たちはリキテンスタインの作品を「低俗」「空虚」と酷評することが多かったのです。
特に1964年、アメリカの有名雑誌『ライフ』がリキテンスタインについて取り上げ、彼を「アメリカ史上最悪のアーティストではないか」とまで評したのです。しかしこの批評は逆に転機となり、リキテンスタインの作品はより広く認知されるようになりました。
映画制作や彫刻制作などの幅広い領域で表現活動をした時代
リキテンスタインは1964年ごろから彫刻にも興味を持ち、『Head of Girl』(1964年)や『Head with Red Shadow』(1965年)などを制作しました。1972年から1980年初めには、漫画以外にも果物、花、花瓶などの伝統的なモチーフにも挑戦し、自身の表現の幅を広げました。
一方、私生活では、1991年から歌手のエリカ・ウェクスラーとの関係が始まります。
エリカ・ウェクスラーはリキテンスタインの「Nudesシリーズ」のミューズとなり、彼の作品に性的魅力とインスピレーションを与えました。
1995年に国民芸術勲章を受賞
1995年にリキテンスタインは国民芸術勲章を受章しました。この勲章はアメリカの芸術家や芸術後援者に贈られる最も栄誉ある賞です。
1997年に73歳で亡くなりましたが、リキテンスタインは亡くなる前まで精力的に制作を続けました。
ロイ・リキテンスタインの作品の特徴・技法
リキテンスタインは、印刷インクのドットを使用して、グレイスケールやカラー画像を小さな点のパターンで表現する印刷技法を開発しました。この技法では、印刷インクの細かいドットを均一に配置し、その大きさや密度を調整することで陰影を表現しています。
また、リキテンスタインは主に量産されるマスメディア(新聞)から漫画を取り入れました。恋愛や戦争を描いたシリーズ作品や、キャリア後半では漫画以外の要素も取り入れています。作品に登場する人物や物体は太い輪郭線で囲まれ、一般的には三原色を使用して色彩を表現しています。
また、漫画と同様に平面性を強調した構成画面が特徴とされています。これは抽象表現主義の影響も残っており、クロード・モネやピカソなどの名画をオマージュしつつ平面的に描いたり、絵の具を厚く塗って立体的な「筆触」を平面に表現したりしています。
ロイ・リキテンスタインの代表作
ここからは、ロイ・リキテンスタインの代表作を紹介します。
- Look Mickey
- Whaam!
- ヘアリボンの少女
- 溺れる少女
それぞれ詳しく見ていきましょう。
Look Mickey
『Look Mickey』は、釣り針に引っかかったドナルドダックとミッキーマウスの笑顔が描かれています。
『Look Mickey』は視覚的なインパクトと表現力に溢れており、ポップアートの新たな境地を切り開いたと評価されています。これをきっかけに、リキテンスタインはポップアートの世界に足を踏み入れ、特徴的な作風を身に着けていったといわれています。
Whaam!
『Whaam!』は、リキテンスタインの代表的なスタイルである太い輪郭線や印刷インクのドット技法が駆使されており、視覚的なインパクトが非常に強い作品となっています。
この作品はポップ・アート初期の代表例であり、DCコミックスの「All-American Men of War」のコミックブックパネルを転用しています。
戦闘機がロケットを発射し、赤と黄色の爆発音が描かれています。これは彼の戦争をテーマにした代表的な作品の1つであり、大衆文化のアイコンを取り上げながら、その背後にある暗い現実や社会的な問題を浮き彫りにした名作です。
ヘアリボンの少女
『ヘアリボンの少女』は東京都現代美術館(MOT)が開館時に約6億円という高額で購入したことでも話題になりました。この作品は1965年のもので、『Drowning girl』と同じく恋愛漫画をモチーフに制作されました。
リキテンスタインの『ヘアリボンの少女(Girl with Hair Ribbon)』は、MOTで鑑賞できます。機会があればぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
溺れる少女
『溺れる少女』も『ヘアリボンの少女』と同じく、恋愛漫画のテーマで描かれた作品です。この作品は「ラブ・コミック」というシリーズに属しており、「メロドラマの傑作」と評されています。
メロドラマとは、感情の起伏を誇張した大衆的な恋愛劇のことです。作品では、大衆の期待に応えるために感情を最大限に表現した少女たちが、ドラマチックに涙を流したり微笑んだりする感情表現が強烈に描写されています。
ロイ・リキテンスタインの作品の落札価格
最近では、リキテンスタインのオリジナル作品が世界の主要なオークションで驚くべき高値で売りに出されており、版画作品の買取相場も高騰しています。
中には1,000万円以上の価値があると評価される版画作品も存在しているそうです。ちなみに、リキテンスタインが1962年に制作した『マスターピース』は、約180億円の価格がついています。
まとめ
リキテンスタインの作品は、2つの魅力を持っています。1つは、遠くから見ると強烈な印象を与える鮮やかな色彩とポップな漫画のモチーフ、そしてもう1つは、近くで見ると作品が正確な印刷インクのドットで描かれていることです。
リキテンスタイン自身が「絵のように見えるのでなく、物そのもののように見える」と語っているように、漫画を描いているように見せ、物の側面を強調するように描いています。リキテンスタインの作品は日本でも鑑賞が可能ですので、是非ポップアート代表作家の作品をお楽しみください。