20世紀最大の芸術家と言われるパブロ・ピカソですが、その作風は時代を経るごとに少しずつ変わっているのをご存知でしょうか。
この記事では、ピカソの時代ごとに作風の変化や代表作についてアートリエ編集部が解説します。ピカソの作品にもっと詳しくなりたい方は、ぜひ最後までご覧ください。
青の時代 (1901-1904)
1901年~1904年頃の作品は全体的に青みがかった色彩をしていることから「青の時代」と呼ばれています。スペインから一緒にパリに移って生きた親友のカルレス・カサジェマスの死や、自身のうつ病などの影響から、生や死、孤独、貧困、絶望などをテーマにした作品を多く製作しています。
老いたギター弾き
作品概要
● 原題 『The Old Guitarist』
● 制作年 1903~1904年
● 画材 油彩、カンヴァス
作品解説
粗末な服装をした盲目の年老いた男性が、スペインのバルセロナの路上でギターを弾いている姿が描かれています。服の肩や袖口、裾などがやぶれていることから、ギターを弾いてわずかな稼ぎを得ていることが伺えます。
頭をガックリと下げた様子や手足には生命力が感じられません。全体的に青みがかっており、孤独や死をイメージさせる鬱々とした雰囲気の中に、手に持ったギターだけが現実的な色をまとい、クッキリと浮かびあがっています。
この絵はレントゲン検査と学芸員による検査、赤外線カメラによって、ギタリストの背後に3人の人物が隠れていることがわかっています。
所蔵先
アメリカ シカゴ美術館
海辺の母子像
作品概要
● 原題 『Mother and Child by the Sea』
● 制作年 1902年
● 画材 油彩、カンヴァス
作品解説
小舟が浮かんだ薄暗い浜辺に、右手に幼い子供を腕に抱き、左手に花を持った母親が砂浜にいる姿が描かれています。全体的にブルーのモノクロームの静かな雰囲気のなか、母親が持つ花だけが赤く色づいており、一説には亡き親友のカサジェマスに捧げられた花とも言われています。
この作品は、ところどころ絵具を厚く塗り重ねているため重厚感のある質感です。全体が4層からなっており、最下層に白い服の子供とその上に女性の肖像、2層目にジョッキを持った男性が描かれていることがわかっています。
また、絵の下に新聞紙が貼られていると思われていましたが、実際は絵を新聞紙で包んだ際にインクが表面に付着していたことが判明しました。
所蔵先
神奈川県 ポーラ美術館
バラ色の時代(1904-1906)
1904年から1906年頃の作品にはピンク色を多用しており「バラ色の時代」と呼ばれています。赤やピンク、オレンジ、アースカラーなどを使って、明るい色彩でピエロやサーカスの団員などを多く描いていることから「サーカスの時代」とも呼ばれています。
恋人のフェルナンド・オリヴィエとの関係が安定しており、うつ病も回復傾向にありました。
サルタンバンクの一家
作品概要
● 原題 『Family of Saltimbanques』
● 制作年 1905年
● 画材 油彩、カンヴァス
作品解説
荒れ果てた風景のなかにたたずむサルタンバンクの一家を描いたこの作品は、バラ色の時代の傑作と言われています。サルタンバンクとは各地を放浪しながら、路上で芸を披露して生活する旅芸人のことです。
ピカソはモンマルトルのサーカス団に通って、サルタンバンクをテーマに何度も作品を製作しました。
6人のサンタンバルクたちは、それぞれ視線を合わせず、物思いにふけっているようにも見えます。独立心や孤独、貧困などを、「青の時代」とは異なる暖色系の色彩で表現しました。
この絵は、ピカソ自身と仲間たちを描いた集団肖像画でもあります。
所蔵先
アメリカ ナショナル・ギャラリー
パイプを持つ少年
作品概要
● 原題 『Garçon à la Pipe』
● 制作年 1905年
● 画材 油彩、カンヴァス
作品解説
青い服を着た少年が赤いバラの花冠をかぶり、手にはパイプを持って椅子に座っている姿を描いています。少年の背後の両脇には花束のような背景が描かれています。
モデルは「プチ・ルイ」や「リトル・ルイ」として知られるストリート・ボーイで、困難な環境のなかで若くして亡くなりました。下絵には少年の立ちポーズや壁にもたれるポーズ、パイプに火をつける様子など様々あり、最終的に椅子に座った姿になりました。
左手に持ったパイプは少年が吸うには逆向きであることから、少年はピカソ自身を反映しているとの説もあります。また、花冠の赤いバラはキリストの血を象徴しており、少年から青年への移行期を表しています。
2004年5月のサザビーズのオークションで手数料を除く9300万ドル(日本円で約100億円)で落札され、ピカソの絵画の中でも高額で取引された作品のひとつです。
所蔵先
個人コレクター
アフリカ彫刻の時代 (1907-1909)
多くのパトロンを抱えるようになったピカソは、1907年から1909年にアフリカやスペイン・ポルトガルなどのイベリア半島などの原始美術の影響を感じる作品を制作するようになりました。また、後のキュビズムに繋がる作品も描いています。
アヴィニョンの娘たち
作品概要
● 原題 『Les Demoiselles d’Avignon』
● 制作年 1907年
● 画材 油彩、カンヴァス
作品解説
抽象的な背景の前に、5人の裸婦が様々なポーズをとってこちらを見ている姿を描いています。この裸婦たちはバルセロナのアヴィニョン通りにある売春宿の娼婦たちです。
彼女たちの身体は写実的ではなく、角ばった幾何学的な面や半円などを使用して描かれています。足元に置かれたブドウやリンゴなどのフルーツの盛り合わせも鋭く、食べられそうにありません。キュビズムの最初期の作品とも言われています。
右側に描かれた2人はアフリカの仮面を被っているような顔つきで、中央の2人はイベリア風、左端はエジプト風とそれぞれ異なる文化の影響が感じられます。また、遠近法を使用せず、フラットな構図であることも特徴的です。
所蔵先
アメリカ ニューヨーク近代美術館
キュビスムの時代(1909-1919)
1909年~1919年は、ポール・セザンヌの影響のあるプロトキュビズムにはじまり、テーマを極端に分解した分析的キュビズムに移行します。やがてパピエ・コレ(コラージュ)が用いられ、装飾的で色彩豊かな総合的キュビスムへたどり着きました。
マンドリンを弾く少女
作品概要
● 原題 『Girl with a Mandolin』
● 制作年 1910年
● 画材 油彩、カンヴァス
作品解説
裸の少女がマンドリンを演奏している様子を描いた分析的キュビズムの最初期の作品です。複数の視点から描かれたマンドリンやそれを弾く少女の形はわかりますが、立方体や正方形、円錐形などの幾何学的模様が少女にも背景にも使用されているため、両者の区別があいまいになっています。
少女やマンドリン、背景の模様など、全体的に黄褐色や薄茶色、オリーブグリーンなどの類似色が使われており、全体が調和して落ち着いた印象です。ピカソはこの作品を未完成とみなしていたため、立体的な表現と平面的な表現の2つをにまとめようとした姿勢が伺えるといいます。
所蔵先
アメリカ ニューヨーク近代美術館
新古典主義の時代(1917-1925)
ジョルジュ・ブラックが第一次世界大戦に徴兵され、1910年代の後半から20年代にかけて多くの芸術家たちが古典的なモチーフを取り入れました。
さらにピカソは1917年に旅したローマで、古代ローマやルネサンス美術に深く感銘を受けて、古典主義的な人物像を描くようになります。
母と子
作品概要
● 原題 『Mother and Child』
● 制作年 1921年
● 画材 油彩、キャンバス
作品解説
地面に座り、幼い子供を膝の上にのせて見守るギリシア風の服装をした母親と、母親に手を伸ばす子供の姿を描いています。母親と子供の身体はどっしりとした重量感があり、大きめな手足と落ち着いた色彩で表現され、背景の空や海、砂は簡略化されており、全体的に静けさと安定感を感じる作品です。
モデルは1918年に結婚した最初の妻のオルガ・コクローヴァと1921年に生まれた息子のパウロです。オルガは貴族の血を引くロシア人バレリーナでした。ピカソは1921年から1923年にかけて、自身の妻と息子をモデルに、母と子をテーマにした少なくとも12点の作品を制作しています。
所蔵先
アメリカ シカゴ美術館
シュルレアリスムの時代(1925-1936)
1924年に作家のアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表し、シュルレアリスム(超現実主義)運動が盛んになると、ピカソはシュルレアリスムのグループ展に参加しました。
妻・オルガとの夫婦関係に問題を感じており、精神的な不安定さが反映された作品を制作しています。また、モデルのマリー・テレーズ・ワルテルと1927年から1935年頃まで愛人関係にあり、娘も生まれています。
夢
作品概要
● 原題 『Le Rêve』
● 制作年 1932年
● 画材 油彩、カンヴァス
作品解説
女性が一人掛けのソファに座り、首を傾けて眠っている姿を描いています。女性の顔や体、ソファや部屋の様子は、極端に単純化されたシンプルな曲線で描かれ、色彩は赤や黄色、緑などの原色や、白やピンクの淡い色が用いられています。安心して眠っている様子にやすらぎを感じる作品です。
モデルは当時のピカソの愛人・マリー・テレーズ・ワルテルで、ピカソは彼女をモデルにした絵を何枚も制作しています。ワルテルの肉体のやわらかさを感じると共に、体の一部にピカソ自身の性器を描くというエロティックな表現をしています。
一人の女性を描いているように見えますが、顔や体、背景は2つに分けて見ることも可能です。特に顔は下半分がワルテルで上部がピカソとし、2人がキスを交わしているとの説もあります。
所蔵先
個人コレクター
後期作品 (1930年代以降)
政治的な活動にはほとんど関わっていなかったピカソですが、2度の世界大戦の間に起こったスペイン内戦の「ゲルニカ爆撃」に関連する作品を残しています。
ゲルニカ
作品概要
● 原題 『Guernica』
● 制作年 1937年
● 画材 油彩 カンヴァス
作品解説
スペインのバスク州にある街・ゲルニカが、ドイツ空軍による無差別攻撃「ゲルニカ爆撃」を受けた際の、直後の混乱や恐怖を描いた作品です。スペインは内戦状態にあり、共和国軍と反乱軍が争っており、反乱軍の援助をしたナチスドイツが、ゲルニカを攻撃しました。
この事件に先だってスペイン共和国政府は、1937年開催のパリ万国博覧会のスペイン館の壁画制作をピカソに依頼していました。ピカソはゲルニカ爆撃を知ると、それをテーマに絵を制作したのです。
この作品の解釈について様々な説があります。一例として、牡牛は暴力、馬は犠牲者、倒れた兵士はスペイン市民、灯火は真理、亡くなった子供を抱く女性はピエタなどと言われていますが、ピカソ自身は動物を象徴的に描いたことは認めたものの、その他については語っていません。
45枚の習作のすべてが保管されており、ピカソは新聞で内戦の状況を把握しながら習作を修正したといいます。直接的にゲルニカ爆撃を示す要素は描かれず、現在は反戦のシンボルとなっています。
所蔵先
スペイン ソフィア王妃芸術センター
泣く女
作品概要
● 原題 『The Weeping Woman』
● 制作年 1937年
● 画材 油彩、カンヴァス
作品解説
『泣く女』はピカソが1937年に何度も取り上げたテーマのシリーズ作品です。「ゲルニカ爆撃」を受けて描かれ、同年に制作された『ゲルニカ』を補完する作品と言われています。泣いている女性の姿は、一度は『ゲルニカ』の習作に描かれましたが、他の女性たちとのバランスを考えて削除されました。
ピカソは「線のひとつひとつに悲しみが表れている顔」と語り、独裁的なフランコ政権下に苦しむ人々の象徴として泣いている女性を描いたといいます。モデルは芸術家でピカソの愛人のドラ・マール(本名:ヘンリエッタ・テオドラ・マルコヴィッチ)です。彼女の政治的活動は、ピカソが『ゲルニカ』を描くきっかけとなりました。
1937年5月から10月末までに確認されているだけでも、油絵やデッサンなど泣く女性のモチーフを36点制作されています。油絵は4点描かれ、最も知られるのはイギリスのテート・モダンの所蔵です。その他の作品は、オーストラリアのビクトリア国立美術館、アメリカのロサンゼルス郡立美術館、フランスのピカソ美術に所蔵されています。
所蔵先
イギリス テート・モダン
日本でピカソの作品を見る
ここからは日本国内でピカソ作品を鑑賞できる美術館を紹介します。(いずれも2024年8月現在の情報です)
〇彫刻の森美術館
神奈川県・箱根町にある彫刻の森美術館のピカソ館には、319点のピカソ作品を所蔵。2024年8月現在、17のテーマに分けて116点を鑑賞可能です。
〇アーティゾン美術館
東京都中央区にあるアーティゾン美術館は、62点のピカソ作品を所蔵。『腕を組んですわるサルタンバンク』や『ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙』などの油絵や多くのエッチングなどがあります。
〇 ポーラ美術館
神奈川県・箱根町にあるポーラ美術館は、22点のピカソ作品を所蔵。『海辺の母子像』をはじめ、『裸婦』や詩集の挿絵などがあります。
まとめ:ピカソは20世紀を代表する偉大な芸術家
ここまでピカソの時代ごとの作風の変化や代表作をお伝えしてきました。絵画や版画、彫刻など、生涯で14万点を超える作品を制作した多作な芸術家です。機会があれば、ぜひ美術館で作品を鑑賞して、時代ごとの変化を感じてください。
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