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2024.08.26

ピカソのすごさを徹底解説!ピカソが残した名言やエピソード、功績を詳しく解説します!

ピカソのすごさを徹底解説!ピカソが残した名言やエピソード、功績を詳しく解説します!

20世紀を代表する巨匠、パブロ・ピカソの名前は世界中に轟いています。彼は生涯にわたって表現を模索し続け、後世に多大な影響を残しました。

そんな彼には名言や逸話も多くあります。

そこで今回は、ピカソの名言から特に有名な10個の言葉をアートリエ編集部が解説します。

ピカソってどんな人?

パブロ・ピカソの肖像写真、1908年
パブロ・ピカソの肖像写真、1908年

ピカソは1881年に生まれ1973年に没するまでの長い人生で、膨大な作品を生み出した超人的な画家です。作品総数は15万点にも上ると言われています。

そのスタイルは常に変わり続け、20代後半にはキュビズムを編み出し、中年期にはシュルレアリスムの画家として活動しました。

彼の創作で一貫しているのは、見た通りに描くのではなく、考えた通りに描くということ。

常に身の回りで起こった出来事や出会ったものを見つめ、それを自分がどのように知覚しているかを表現しようとしていました。

その結果、彼は20世紀の視覚美術に革新的な発展をもたらし、当時も今も人気があり誰もが知る偉大な作家となったのです。

ピカソの何がすごい?

天才の呼び声高いピカソ。彼の作品は時代によって作風がバラバラですが、特にキュビズムの時代やシュルレアリスムの時代の作品は、彼の意図を知らないと奇妙で訳のわからない絵にしか思えないかもしれません。

この項では、実際ピカソは何がすごいのかに迫ってみます。

ピカソ14歳の作品

ピカソ14歳の作品
ピカソ14歳の作品

ピカソは幼少の頃から画才を発揮しており、周囲からの期待も厚かったといいます。

10歳でア・コルーニャ美術学校に特別に入学を許可され、14歳にはスペイン、バルセロナのラ・リョッジャ美術学校に入学します。学校で絵画技法を本格的に学び始めた彼は、ラ・リョッジャ美術学校に入った翌年に早くも画家としてデビューしています。

この時期に描かれた絵画を2作ご紹介しましょう。

まず「裸足の少女」。これはピカソが晩年まで手放さなかった、とても思い入れの強い作品です。

椅子に座った少女を正面から捉えた作品で、彼女の左右で形の違う瞳から、まなざしが迫力を持って迫ってきます。大きく誇張されたたくましい足も印象的です。

そして「初聖体拝領」。こちらは大作で、西洋絵画の古典に倣ったアカデミックな技法で、聖体拝領の一場面を描いています。1896年4月のバルセロナでの展覧会に出品され、バルセロナ画壇でのデビュー作となりました。

キュビズムを創始

アヴィニョンの少女たち

キュビズムとは、対象を細かく分解し、画面上に再構成する様式です。1909年にピカソとジョルジュ・ブラックが創始したもので、ピカソがいなければ誕生し得ませんでした。

視点を変えて対象のあらゆる面を見つめ、それらの断片化されたイメージを組み合わせる方法は、対象の本質をいかに捉えてキャンバスに落とし込むかを模索した結果生まれました。物体が原型を留めていないので抽象的と言われることもありますが、むしろ現実を突き詰めていった先の表現と言えます。

また、キュビズムは分解しすぎて何が描かれているのかさえ読み取れなくなってしまった分析的キュビズムから、平面と三次元の物体をコラージュした総合的キュビズムへと変化していきました。

この全く新しい絵画は、同時代の画家だけでなく、その後の彫刻や広告ポスターの展開にまで決定的な影響を与えて、現在も美術史に燦然と輝いているのです。

ピカソのすごいエピソード

ピカソは91歳と長寿だったこともあり、非常に多作です。表現方法は絵画に限らず、彫刻、版画、陶器、舞台装置、詩など、多岐に渡ります。

しかも若年から制作を始め、晩年になっても創作欲は衰えるどころかますます勢いを増していったのです。

いつの作品でも、その時に見たものや起こった出来事に直接的に影響を受けており、時代によって様々な特徴を示しています。

精力的な活動とその内容において、まさに人類の美術史を体現した人物でした。

さらに、金額の面でも凄いエピソードがあります。

2015年5月11日、ニューヨークのオークションでピカソの「アルジェの女たち(バージョンO)」が1億7936万5000ドルという驚異的な高値で落札されました。これは美術品の落札額として史上最高値です。

去年も「Femme a la Montre」が「アルジェの女たち」に次ぐ高額、1億3900万ドルで落札されました。

ピカソの評価は死後もぐんぐん高まっています。

ピカソの功績

ゲルニカ
Pablo Picasso, Guernica, 1937. Image retrieved from Wikipedia,

彼の功績はやはり、何と言ってもキュビズムという様式を創造したことでしょう。けれど、キュビズムの時代に限らずピカソは世界に衝撃を与える作品をいくつも発表しています。

既成概念に囚われず自身の表現を探求し続けた、その姿勢と成果物全てがピカソの功績と言えるのかもしれません。

キュビズム以外の代表的な作品と言えば「ゲルニカ」ですよね。戦争を示唆する具体的なモチーフは使わず、人や動物の描写で戦争の悲しみや苦しみを表したこの作品は、反戦平和のシンボルとして広く知られています。

1937年のスペイン内乱で起こった無差別爆撃がテーマですが、解釈を限定しない描き方によって、時代を超えて通用する作品となりました。発表後、スペイン返還時の民主主義の象徴として使われたり、イラク戦争の反戦ポスターに利用されたり、様々な意味を持たされ、影響力を持ってきました。

ピカソの名言10選

ピカソは作品だけでなく、ハッとするような名言も多く残しました。

迷いなく言い切った言葉の数々からは、彼の信念の強さや芸術に対しての向き合い方が読み取れます。

そんな彼の名言から、特に有名なものや現代にも通用するものを、10個選びました。ぜひご自身の生活にも照らし合わせながら読んでみてくださいね。

ピカソ語録1

「できると思えばできる、できないと思えばできない。

これは、ゆるぎない絶対的な法則である。」

これはピカソのよく知られた名言で、画家に限らず誰にでも当てはまる普遍的な内容のため、広く受け入れられています。

行動する前からできないと思っていればできるわけがない。当たり前のことではありますが、何かをやるか迷っている時など、一歩を踏み出す勇気をくれる言葉ですよね。成功を収めた作家の言葉だけに、説得力があります。

前人未到な表現に果敢に挑戦したピカソらしい、フロンティアスピリットを表した言葉だと言えるでしょう。

ピカソ語録2

「私は探さない。出会うのだ。」

彼が生前よく口にしていた言葉です。

常に身近なものを題材にしていた彼にとって、身の回りの全てがモチーフになり得ること、描くべきものは遍在していることを示しているのではないでしょうか。

折に触れて言っていたことから、表現活動への信念が窺われます。

一方でピカソは「探し終わるということはあり得ない。決して見つかることはないのだから」とも述べています。反対のことを言っているように聞こえますが、この言葉からも彼の尽きることのない創作意欲や、現状に満足しない野心的な態度が読み取れます。

ピカソ語録3

「牡牛は牡牛、馬は馬だ。鑑賞者は結局、見たいように見ればいいのだ。」

これは自作「ゲルニカ」についての発言です。ピカソは自分の絵を観た人々がどのように解釈しても良いと考えていました。彼にとっては描くことが最も重要で、作品がどのように受け止められるかは二の次だったのです。

この思想は、彼がほとんどの作品にタイトルをつけなかったことにも繋がっています。

似た内容の言葉もいくつか残しています。

「誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ」

「人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ」

ピカソ語録4

「誰でも子供のときは芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである。」

ピカソは創作において、彼の内なる子供を求めていました。子供の想像力や自由さに感嘆し、自分もそのような絵を描きたいと願っていたのです。

彼はこの子供を抑圧するものを敵とみなし、創作活動を通して戦っていました。

後に彼は「ようやく子供のような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」と語っています。

ピカソ語録5

「無理やり探して見つかった個性なんて偽物だ。」

型破りで破天荒なピカソは、きっと「強い個性がほしい」などと悩むことはなかったでしょう。新しいことにどんどん取り組んでいった道のりはそのまま彼の個性です。

そんな彼だからこそこのように言い切れたのでしょうが、自分が没個性的だと悩む人の救いにもなるような言葉になっています。どのような文脈で出てきた格言なのかはわかりませんが、ありのままの自分で良いのだと肯定してくれているようにも思えます。

ピカソ語録6

「明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。」

貪欲に制作に打ち込んだ、ピカソらしい発言です。彼はいつでも今に全力投球で興味のあることに取り組み、現在の自分を芸術活動にぶつけていました。

「何ができるのか正確にわかっているのなら、どうしてそれをやる必要があるのだろう?」とも言っているので、彼自身もどうなるかわからないような未知の領域への挑戦へと、自らを駆り立てていったことが見て取れます。

晩年まで精力的に活動した彼にはきっと、まだまだやらずに死んでは悔いの残るものが多くあったに違いありません。

ピカソ語録7

「絵画に終わりはない。(中略)それはたいてい何ものかによって中断させられるだけなのだ。」

これもピカソがよく言っていた言葉だそうです。

飽きることなく制作を続けたピカソでしたが、彼は1935年から半年近く、絵を描けない状態に陥ったことがありました。この時彼は最初の妻との破局や恋人の出産など女性との間に問題を抱えていたのです。

そうして中断させられた創作意欲は、「ゲルニカ」の制作に注ぎ込まれることになりました。

次に彼の芸術活動を中断した何ものかは、つまり死でした。

関連してこんな言葉も残しています。「しかし最悪なのは終わりがないということだ。一瞬たりとも、今日はよくできたから明日は終わりにしよう。ということはないことだ」。

やりたいこと、やるべきことが目の前に山積していた彼にとって、創作活動は決して楽しいだけのものではなく、時には苦痛に感じることもあったのかもしれません。彼の不断の努力も偲ばれる言葉です。

ピカソ語録8

「自分には過去も未来もない。

ただ現在に生きようが為に絵を描くのである。」

ピカソにとって、今起こっていることが何にも増して大切でした。そんな今を生きていた彼は、身の回りの現象について自分が考えていることを表すために絵を描いていました。そのことを端的かつ詩的に述べた言葉です。

昔のことも先のことも考えず、現在だけに目を向けることは、簡単そうでいてなかなかできることではありません。短い言葉ですが、彼の凄さが伝わってきます。

ピカソ語録9

「根本的に、愛以外は何もない。

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ。」

ピカソの人生は、常にそばに女性の影がありました。結婚は二回して、子供は3人の女性との間に計4人いました。妻以外に愛人や恋人も何人かいました。

彼の女性に対する態度は問題視される面もありますが、彼にとって女性はなくてはならない存在。彼は一つの愛が辛い破局を迎えても、少しすると別の愛を見つけていました。

そんな彼はしばしば女性たちからインスピレーションを得て、彼女たちをモデルに多くの絵を描きました。彼の作品には女性との間に起こった悲喜こもごもが明確に反映されています。

ピカソ語録10

「すべては奇跡だ。

例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって。」

今生きていること。自分が人間という生物であること。自分が自分であること。それらは決して当たり前のことではありません。そのことに気が付いたピカソは、だからこそ現在を大事にしなければならない、という思いを強くしたのではないでしょうか。

何事も奇跡だと思って過ごすと、日々は輝きに満ち、自ずとやるべきことも見えてきます。この言葉は、彼が創作に向かう原点のように思えます。

まとめ:多大な功績を残した20世紀の巨匠、ピカソ

20世紀を代表する偉人、ピカソの名言に、あなたの心に刺さる言葉はありましたか?

これらの言葉が、作家を理解し鑑賞の手助けになるとともに、あなたの人生の彩りになることを願っています。

また、この機会に改めてピカソの作品にも触れていただけたら幸いです。ぜひ美術館にも足を運び、作品の実物も鑑賞してみてくださいね。

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