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2024.08.14

バルテュスとは?来歴や画風、エピソード、代表作について詳しく解説します!

バルテュスとは?来歴や画風、エピソード、代表作について詳しく解説します!

エロティックなポーズをした少女や、時が止まったような空間を描いた絵で知られるバルテュス。静謐で幻想的な作品には、思わず引き込まれるような魅力があります。

この記事では、バルテュスの来歴や画風、エピソードについてアートリエ編集部が解説します。「バルテュスって誰?」という方や、「バルテュスについて詳しく知りたい」という方も、ぜひ最後までご覧ください。

バルテュスとは

バルテュス(本名:バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ 1908-2001)は、パブロ・ ピカソに「二十世紀最後の巨匠」と称された画家です。抽象画や表現主義などが主流の時代に、どんな美術運動にも関心を示さず、古典絵画と現代的な感性を調和させた独自の画風をつらぬきました。

また、バルテュスが「この上なく完璧な美の象徴」と語った少女を描いた作品では、たびたび世の中の波紋を呼びました。

バルテュスの来歴

バルテュス

出典:Wikimedia commons

ここからはバルテュスの来歴を順を追って解説します。

デビューまで

誕生から幼年期

バルテュス(Balthus)は1908年2月29日、フランスのパリで誕生しました。ポーランド貴族の家系で、父は画家で美術史家、母も画家で、兄は後に作家で哲学者になるという芸術一家です。

バルテュスが幼い頃、自宅には詩人のジャン・コクトーやライナー・マリア・リルケ、小説家のアンドレ・ジッド、画家のピエール・ボナール、アルベール・マルケ、アンリ・マティスなど、当時一流のアーティストたちが訪れていました。

また、両親の仕事柄、アートに関する書籍や画集に囲まれて育ち、ピエール・ボナールやモーリス・ドニに絵の描き方を習っていたといいます。

スイスへ

1914年に第一次世界大戦が始まると、一家でドイツのベルリンへ移住しました。しかし、父親が破産したこともあり両親は離別し、1917年に母とバルテュス兄弟はスイスのジュネーヴへ移りました。それまでとは異なる質素なアパートでしたが、快適な暮らしだったといいます。

両親の離婚が成立した後、スイスに滞在していた詩人のリルケとバルテュスの母親は恋人関係となりました。リルケは幼いバルテュスの才能に心を打たれ、バルテュスが描いたデッサン集『ミツ』の出版を手伝っています。しかし、親子は経済的に困窮していたため、1921年に母の兄を頼って子供たちとベルリンへ向かったのです。

絵画の勉強

バルテュスは画家を志し、1924年にパリに戻りました。一時期は、学費が安く、好きな期間だけ通うことができる、美術学校グランド・ショミエールに通っていました。また、ボナールやドニにデッサンを見せたり、ルーヴル美術館でニコラ・プッサンなどを模写したりしていたといいます。

1926年にはイタリア・フィレンツェを訪れて、ルネサンスの巨匠ピエロ・デラ・フランチェスカのフレスコ画や、マサッチオの絵を模写しました。1930年10月から1931年12月までモロッコのケニトラやフェズで歩兵隊の秘書として働き、同時に現地の様子をスケッチしています。

パリ時代

結婚

1933年、25歳でパリにアトリエを構え、アンドレ・ドランやアルベルト・ジャコメッティと親交を深めました。翌年の4月にピエール画廊にて初の個展を開くと、『ギターのレッスン』が物議を醸しました。同個展では『鏡の中のアリス』や『キャシーの化粧』なども展示しており、批判も受けましたが、作家や画家仲間たち、特にアンドレ・ブルトンとピカソから賞賛を得たといいます。

1937年にスイス・ベルンの貴族出身で、絵のモデルをしていたアントワネット・ド・ヴァトヴァルと結婚しました。翌年には1938年ニューヨークのピエール・マティス画廊で個展を開き、しだいにバルテュスの国際的な評価が高まっていきます。

戦争と転居

1939年に第二次世界大戦に動員され、9月にアルザスへ行きましたが、ケガのため12月にパリに帰還しました。翌年にドイツ軍がフランスに侵攻したため、妻・アントワネットとともにサヴォワ県の小さな村・シャンプロヴァンの農場に移っています。

1941年にピカソが『ブランシャール家の子どもたち』を購入。この作品は、後にルーヴル美術館に展示されています。1942年にはドイツ軍占領下のフランスからスイスへ移りました。また、長男のスタニスラスが誕生し、2年後には次男のタデウスが誕生しています。

戦争が終結すると1946年にフランスに戻り、演劇やオペラの舞台装置や衣装などのデザインを手掛けるようになりました。しかし、妻のアントワネットとの別居がはじまっています。

1953年にはフランス中部のモルヴァン県にあるシャシー城に移り、翌年に兄の再婚相手の連れ子である義理の姪、フレデリック・ティゾンと一緒に暮らすようになりました。2人の同居は1962年まで続いています。

ローマ時代

1961年にバルテュスの友人で、フランス初代文化相のアンドレ・マルローからヴィラ・メディチのアカデミー・ド・フランス館長に任命され、ローマに移りました。

翌年にはパリで開催予定の日本古美術展の作品選定ため来日。以降、作品には日本の浮世絵の影響が現れるようになりました。20歳の大学生・出田節子との出会いもあり、5年後に結婚しています。

また、テート・ギャラリーやパリ市立近代美術館、メトロポリタン美術館などでもバルテュスの展覧会が開催されました。

スイス時代

ローマでの任期が終了すると、バルテュスと妻・節子、娘・春美の一家は、1977年にスイスのロシニエール村にある歴史的な大型木造住宅、グラン・シャレに引っ越しました。娘の春美によると当時は「芸術家や映画監督や粋な文化人がひっきりなしに訪ねてきた」といいます。

1983年にパリ国立近代美術館で回顧展、1984年にニューヨーク・メトロポリタン美術館や京都市美術館で回顧展が開催され、1991年には第3回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しました。1995年には、香港や北京、台北で回顧展など、フランスをはじめ、日本や世界でバルテュスの展覧会が開催されています。

1999年には、アーティストで写真家のアンリ・カルティエ・ブレッソン夫妻がグラン・シャレを訪れて、バルテュス一家を撮影しました。

晩年になっても車椅子でアトリエに向かい、絵を描き続けたバルテュスですが、2001年2月18日、92歳で死去しました。

バルテュスの画風やエピソード

The street

出典:Wikimedia commons

ここではバルテュスの画風やエピソードを4つの視点から紹介します。

ピエロ・デラ・フランチェスカの影響

バルテュスの作品には、様々なアーティストの影響が見られます。その中でも特に大きな影響を与えたのが、ピエロ・デラ・フランチェスカです。初期ルネサンスを代表する画家で、明るい色彩と整然とした構成、分かりやすい人物像などを特徴としています。

ほとんど独学のバルテュスは、ルーヴル美術館やフィレンツェで古典絵画やフレスコ画を模写しました。やがて、古典的な技法や構成がバルテュスの生きた時代の空気をまとった画風へと昇華したのです。

詩人リルケとの関係

両親が離婚した後、バルテュス兄弟に父親のように接したのが詩人のリルケです。2人はリルケにとって恋人の子供ということもありましたが、才能のある兄弟をとても可愛がっていました。

バルテュスが11歳の時に描いたデッサンの存在を知ると、リルケが出版社を探し、序文を書くことで初作品集『ミツ』が完成しました。

バルテュスとリルケはどちらも東洋への憧れという共通点を持っており、一緒に岡倉天心の『茶の本』のドイツ語訳を読んだといいます。また、18歳になった1926年にバルテュスは、死の淵にいるリルケを見舞うなど、2人の絆の深さが伺えます。

猫が大好き

バルテュスの猫好きは有名で、バルテュスが暮らしたシャシー城やグラン・シャレも猫屋敷と呼べるほど、数多くの猫と生活していました。もちろん作品にもたびたび猫が描かれており、初の作品集『ミツ』に始まり、部屋の片隅にいる猫や、『地中海の猫』のように擬人化したファンタジー風の猫の姿でも描かれています。

また、自画像に『猫の王様』というタイトルをつけたり、「猫と自分の性格が似ている」「自分は猫の生まれ変わり」と語ったりしており、猫はバルテュス自身を同一視するほどの存在でした。

出田節子夫人

バルテュスと出会った当時、節子夫人は上智大学の学生で、バルテュスの長男と同じ年齢でした。年齢差を気にしてか、当時のバルテュスは自分の年齢をサバを読んで伝えていたそうです。

54歳のバルテュスと20歳の節子夫人の出会いのきっかけは、来日したバルテュスたち一団の通訳を、節子夫人が務めたことでした。バルテュスは若く知的で美しい節子夫人に一目惚れしましたが、当時は別居中とはいえ既婚者で、同居する義理の姪もいるという状況だったのです。

出会って5年後に結婚し、2人は生涯のパートナーとなりました。節子夫人は基本的に和服を着て生活しており、バルテュスも「日本女性は着物を着るようにできている」と語っていたといいます。

バルテュスの代表作

ここではバルテュスの代表作を4点紹介します。

鏡の中のアリス

鏡の中のアリス

出典:Arthive

1933年に制作された油絵で、『鏡の中のアリス』または、『アリス』と呼ばれています。フランス・パリのポンピドゥー・センターの収蔵品です。若い女性がほとんど裸のような恰好で髪をとかす姿を描いています。

モデルはバルテュスの兄の友人、ピエール・レリスの妻・ベディ。鏡は画面に描かれておらず、女性の前方、つまり鑑賞者が鏡の役割を担う構図となっています。エロティックでありながら、表情のない目の表現に不気味さを感じる作品です。タイトルはルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に由来すると思われます。

ギターのレッスン

ギターのレッスン

出典:Wiki ART

1934年に制作された油絵で、以前はニューヨーク近代美術館が収蔵していましたが、絵の内容が社会から批判を浴びたため、現在は個人コレクターの収蔵品となっています。椅子に座る女性の音楽教師の膝の上に、髪を引っ張られながら下半身を露わにされた少女が横たわり、床にはギターが置かれています。

バルテュスの初個展で展示された作品で、無抵抗な少女に対するやや暴力的な性の表現が物議を醸した作品です。生活に困っていたバルテュスが話題性を求めて、あえてスキャンダラスに描きましたが、経済的には個展は失敗に終わりました。

夢見るテレーズ

夢見るテレーズ

出典:Wiki ART

1938年に制作された油絵で、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館の収蔵品です。もの思いにふけるような表情をした少女が椅子に座り、膝を立ててスカートの中の下着が見えている姿を描いています。構図や色使いなど美術的価値の高い作品ですが、描かれている内容から批判を浴びました。

2018年にメトロポリタン美術館の展覧会でこの作品が展示された際に、撤去を求める1万人以上のオンライン署名が1週間もかからずに集まりました。世間に激しい議論が巻き起こりましたが、美術館側は絵の撤去には応じていません。

ベンチシート上のテレーズ

ベンチシート上のテレーズ

出典:Revista Estilo online

1939年に制作された油絵で、個人コレクターの収蔵品です。少女が横長のベンチに体を預け、片手を上に、もう片腕を床について立てひざをしている姿を描いています。この作品は、2019年5月13日のクリスティーズ・オークションで約21億円で落札され、当時のバルテュス作品としては最高額をつけたことでも話題となりました。

子供から大人の女性になる前の移行期にいる少女が、エロティックに絶妙なバランスで描かれています。モデルのテレーズを描いたバルテュスの10点の作品中、最後の作品で、バルテュスの傑作のひとつと言われています。

バルテュス作品を収蔵する主な美術館

ポンピドゥーセンター

ここではバルテュスの作品を収蔵する海外の美術館を3館紹介します。

メトロポリタン美術館(アメリカ)

アメリカ・ニューヨークのセントラルパーク東端にあるメトロポリタン美術館は、1870年に開館。古今東西のあらゆる時代絵画や彫刻、工芸品のほか、家具や楽器、装飾品など490万点以上のコレクションを持つ世界最大級の美術館です。

バルテュス作品は『夢見るテレーズ』をはじめ、『山』や『パレット』シリーズの他、デッサンなど21点を収蔵しています。(2024年8月現在)

スミソニアン博物館(アメリカ)

アメリカ・ワシントンD.C.のナショナル・モール内にあるスミソニアン博物館は、19の博物館や教育研究機関からなる複合体で、スミソニアン協会が運営しています。

バルテュス作品は、スミソニアン博物館内のハーシュホーン博物館に『黄金の日々』や『兄弟姉妹』、デッサンなど11点を収蔵。スミソニアン・アメリカ美術館の「写真研究コレクション」として、バルテュスの絵画やデッサンを撮影した写真数十点を収蔵しています。(2024年8月現在)

ポンピドゥーセンター(フランス)

フランス・パリのポンピドゥー・センター内にある国立美術館は、リュクサンブール美術館のコレクションを継承し、国家が買い上げた存命中のフランス人アーティストの作品を収容する目的で創立されました。現在は20~21世紀の近現代美術、約10万点のコレクションを所有しています。

バルテュス作品は『鏡の中のアリス』をはじめ、『キャシーの化粧』や風景画、多数のデッサンを収蔵しています。(2024年8月現在)

まとめ:バルテュス20世紀を自分らしく生きた画家

ここまでバルテュスの来歴やエピソード、代表作をお伝えしてきました。機会があれば、ぜひ美術館で鑑賞してみてください。バルテュスの作品が持つ不思議な雰囲気に心が引き付けられるでしょう。

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