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2024.07.31

棟方志功とは?来歴や作風、代表作について解説します!

棟方志功とは?来歴や作風、代表作について解説します!

こんにちは、アートリエ編集部です。今回は、日本を代表する世界的に有名な版画家、棟方志功(むなかた しこう)についてご紹介いたします。

芸術に興味のある方は、この白黒で描かれた独特な絵を見て「あ、この作品見たことある!」と思った方も多いかもしれません。

この記事では、生まれながらの近眼という画家にとってのハンディーギャップを持ちながらも、ひたむきに努力と研究を重ね続け、国内外から高い評価を受けるまでの境地に行き着いた1人の画家の生涯と、作品の魅力について、詳しくお伝えしていきます。

棟方志功とは?

棟方志功

20世紀の日本美術を代表する版画家といえばこの人、棟方志功。力強い独特の表現力と技術で、日本だけにとどまらず世界中の多くの人々を魅了してきました。

そんな彼、実はかなりの「近眼」で、版画を掘る際には版画からかなり近くの距離で作品を掘る、というスタイルでも有名です。また、彼は版画のみならず、倭画・油絵・書といった他の芸術作品においても数多くの傑作を残しており、書籍など本を執筆したり、包装紙のデザインまで手がけるといった多才さまで持っていました。けれど、彼は版画家として最初から華々しい活躍を遂げていた訳ではありません。

数々の苦労や、生まれつきの「近視」というハンディーギャップを持ちながらも、ひたむきに、前向きに、そして作品への情熱と自分の作品に対する向上心の強さが、彼を世界的に有名にした理由の1つだと考えられます。

そんな彼の生い立ちや、世界的な画家として成長するまでの道のりを、作品を通してこれから見ていきましょう。

棟方志功の来歴

本名は画家名と同じく、棟方志功(むなかたしこう)。1903年9月5日、青森県青森市に鍛冶屋の三男坊として生まれ、1975年に72歳の生涯を終えるまで、数多くの有名な作品の数々を残してきました。彼は、生まれつき強度の近視でしたが、小さな頃から絵を描くことが好きで、それが後々の芸術表現に大きな影響を与えることに繋がります。

18歳の時には、ゴッホのひまわりの絵を見て感銘を受け、油彩画家としても道を目指しはじめました。21歳になると画家になるという決意をし上京。展覧会への入選を目指しますが、その後落選を繰り返し、厳しい日々を送ります。

最初は油絵の修行をずっと続けていた棟方でしたが、油絵のあり方について悩んでいた彼は、その途中で版画の魅力を知った事により、版画家としての道を歩みはじめます。

そして25歳となる1928年に、彼の努力はついに実り、版画でようやく初入選を果たしました。

そこからどんどん版画家としての才能が花開き、4年後の1932年には代表作である《釈迦十大弟子》を発表し、高い評価を受けます。また、1936年に製作した代表作《大和し美し》では、黒と白を基調とした独自の表現を見つけ出し、1956年には、当時世界で最も有名だったベネツィア・ビエンナーレの展覧会で国際版画大賞を受賞、といった地位にまで上り詰め、国際的な版画家として認められるようになりました。

1960年頃には目の病気が悪化し、左目がほとんど見えない失明状態となりましたが、その後も、国内外問わず、数多くの展覧会で作品を発表し、賞を受賞し続けます。また、版画のみならず油絵や書といった他の芸術作品でも、その才能を発揮しました。そして、1975年の9月、東京の自宅で72歳の生涯を終えます。まさに芸術に生き、全力で人生を自身の作品に捧げてきた彼にとっては、きっと後悔のない、充実した人生だったのだろうと考えられます。

そんな芸術に生きた彼の人生の軌跡を残すため、棟方が死去した同年には棟方志功記念館が建てられました。そんな彼の作品は、今なお国内外問わずたくさんの人たちから愛され、高い評価を受け続けています。

生い立ち

1903年に青森県で生まれた棟方は生まれつき目が悪く、強い近視を持って生まれました。小さな頃から人と違った世界が見えていたこともあり、幼少期に田んぼで転んだ際に見つけた目の前の白い花を見て、その美しさに感動した彼は

「この美しさを表現できる人になりたい!」そう思い立ち、芸術の道を歩み始めたと言われています。

そして、13歳で小学校を卒業した後、家業の家事を手伝うようになりますが、この経験も後々の棟方志功の作品に少なからず影響が出るきっかけとなります。

その後まもなくして家業は廃業となり、17歳の時には給仕として働き出しますが、その間も空き時間には近くの公園に通い、写生に没頭し絵の勉強に励みました。

その頃、母親が41歳と言う若さで亡くなってしまい、悲しみに打ちひしがれます。けれど、このことも彼の後々の彼の版画家としての人生と作品に深い影響を与えていくことに繋がっていくのです。

「青光画社」を結成

友人と共に、1920年代に美術サークルである「青光画社」を結成した彼は、19歳となった1922年にはじめての第1回目となる展覧会を開催します。

以降、1929年までの7年間で13回もの展覧会を開き、友人達とともに、絵画について研究を重ねました。この時期の彼の作品は、油彩画が中心で、ゴッホはもちろん、セザンヌなどの海外の印象派の影響を受けている事も当時の作品から伺えます。

また、当時仲間が木彫りや版画の制作を行っており、そこから棟方も木彫や版画の知識や技術を学び取り、可能性を感じていたことも、後々の版画家としての道に影響を与えたのでは無いかと言われています。

ゴッホ作品との出会い

そんな中、彼の人生に大きな影響を与えたのは、ゴッホの作品との出会いでした。

18歳の時に、初めてゴッホの独特な筆使いと原色の鮮やかな色彩を見た彼は衝撃を受け、感動のあまり「わだばゴッホになる!」と叫んだと言われています。

これがきっかけで、彼は油彩画家を目指すようになり、彼自身の作風を大きく変えるきっかけとなりました。その後、展覧会を開いた際に、彼の作品が高い評価を受けたことで、絵描きになる決意をより強くさせました。

版画家へ転向

棟方が21歳の時、帝展と呼ばれる今の日展に入賞しなければ帰らない、と心に決めて上京をしました。自分の可能性を信じ、夢を叶えるために初めて帝展へ作品を出品しましたが落選し、その後4度も落選を続け、靴直しの注文取りや納豆売りなどをしながら、苦しい生活を続けます。けれど、そんな中でも彼は諦めることなく、絵の勉強をし続けました。

そして、上京してから5年目の1928年、25歳となった彼は目指していた帝展で故郷青森を題材とした油絵《雑園》を出品し、見事入選を果たします。入賞しなければ故郷へは帰らない、と自分の胸に誓っていた棟方は、約束を果たし、5年ぶりに故郷へ帰ります。

そして、両親のお墓に向かって入賞したことを報告しました。ただ、目標だった油絵での入賞の後、彼は版画家としての道を歩み始めていきます。その理由は、彼自身の作品と油絵そのもののあり方に疑問を持つようになったからでした。

ゴッホを敬愛しながらも、ずっと西洋絵画の真似をするだけでは西洋画家を超えることができない、と考え、日本にある、日本古来のもので美を追求するために、どのような手法を選び、表現するか、と考えた時に、ゴッホも高く評価していた日本の木版画を思いつき、強い関心を持ち始めます。そしてそこから棟方の快進撃が始まります。

1927年に初の木版画となる《中野眺鏡堂窓景》を制作し、その後展覧会に出品すると版画7点のうち3点が入賞し、版画家としての自信を深めていきます。

さらに、1932年に展覧会に出品した際には、版画4点の内、3点がボストン美術館へ、1点がパリのリュクサンブール美術館へ買い上げられると言う大きな転機を迎え、その後の1936年には、彼が制作した版画が日本民芸館にも買い上げられることとなり、柳宗悦といった民藝運動指導者と出会い、さらなるレベルアップのために彼らから様々な知識や技術を得ていきます。

そして、彼らとの交流の中で、仏教や古典文学などの知識を深めたことで、彼独自の表現方法の開花につながっていきました。そうして確立されていった彼独自の版画作品は、力強い線と豊かな色彩で知られ、国内よりも先に、海外でいち早く評価されました。

受賞歴と国際的評価

ブルックリン美術館での棟方志功展

日本だけにとどまらず、世界的にも数々の賞を受賞した棟方志功。以下では日本国内および国際的な受賞作品についてご紹介します。

ヴェネツィア・ビエンナーレ国際版画部門グランプリ(1956)

1956年、《大和し美し》の作品がヴェネツィア・ビエンナーレの国際版画部門で「国際版画大賞」を受賞しました。

当時、この展覧会は、世界的に最も有名な美術展と考えられており、その中で版画部門で大賞を受賞できた事は、当時の戦後の日本においてとても喜ばしく、日本の国民に活気と希望を与える明るいニュースとなりました。

そしてこの受賞によって、彼の名は国内だけでは無く、国際的に知られ「世界のムナカタ」として、版画で世界の頂点に立つこととなったのです。

文化勲章(1970)

棟方が67歳となる1970年には、学問や芸術の分野において文化の発展にめざましい功績を残した人に贈られる文化勲章が授与され、日本国内でもその功績が正式に認められました。

そして「板画」の他にも、彼自身が「倭画」と名づけた即興的な日本画も数多く制作し、日本で彼のことを知らない人はいないと言えるほどに、多くの人の心をつかみました。

棟方志功の作風

弘仁妃の柵

彼の作風は、ダイナミックで力強い、迷いのない線で描かれている事でも有名です。

彼独自の表現技法を編み出した独特の世界観について、以下にてご紹介いたします。

宗教的・精神的テーマ

棟方志功の作品には、宗教的・精神的なテーマが多く見られます。

それは、彼自身が西洋絵画を超えたいと願いと、日本古来からある、日本独自の美を表現したいという想いから、宗教的なテーマや背景、哲学的な探求が、作品に深い影響を与えています。

力強い線と大胆な構図

黒と白を基調とした独自のスタイルの彼の作品には、迷いのない線と、力強く淀みのない線を見ることができます。また、油彩画の時に獲得した激しく荒々しいタッチは、彫刻刀を使うときに、激しい感情を表現する際の手法として用いられました。

また、作品を制作する際には、「自分ではない何者かが、自分の腕を走らせている」といった無の境地に行き着くことを意識しており、こういった彼独自の表現が、他の画家とは違った独特の世界観を作り出し、見る者に強い印象と衝撃を与え、一目見るだけで棟方の作品だと分かる作品を生み出すことができるのです。

裏彩色による色彩の豊かさ

棟方は裏彩色という方法を用いて、独特の色彩表現をすることを可能にしました。

紙の裏から筆で絵の具を染みこませることで、紙の質感を生かしながらも、裏からつけることによる柔らかい色合いと繊細さを表現することが可能となり、今まで再現することができなかった表現ができるようになりました。

また、裏彩色を使うことで、立体的で豊かな色彩を表現することができ、それが彼の作品にさらに独特の深みや美しさをプラスしている理由の一つとなっています。

棟方志功の代表作

棟方志功が生み出した作品の中でも、国際的にも有名となった代表作について、作品の画像とともに以下にていくつかご紹介いたします。

二菩薩釈迦十大弟子

二菩薩釈迦十大弟子

出典:棟方志功記念館

この作品は1956年に開催された第28回ベネツィア・ビエンナーレで、棟方志功が日本人初の国際版画大賞を受賞した、世界的にも有名な作品です。

この「二菩薩釈迦十大弟子」では、普賢菩薩と文殊菩薩の二菩薩と、釈迦の10名の高弟を彫ったもの。仏像の世界を忠実に掘るのではなく、彼の自由な発想とアイディア力により、現世の人間の姿を仏像に映し出したかのような、力強くダイナミックな作品を表現することに成功しました。

また、171.5cm×320cmといった、通常の版画よりもかなり大きなサイズで作られていたことも、世間をあっと驚かせた理由の一つでした。

華厳譜

華厳譜

出典:アサヒグループ大山崎山荘美術館

この作品は、棟方志功が初めて宗教的な主題に取り組んだ作品で、日本の神様や仏様、またキリスト教などにもたくさんの着想を得ながら制作した内容と言われています。

ちなみに、華厳経とは仏典の1つで、時間も空間も超越した絶対的な存在として仏様の存在について説明されている創作経典なのですが、こういった華厳経の世界に加えて、不動明王や風神、雷神といった、華厳経に出てこない仏様や神様が登場している所も、型にはまらない彼独自の世界観を醸し出しており、そこも彼の作品の魅力なのではないかと感じています。

大和し美し

大和し美し

出典:棟方志功記念館

この作品は棟方志功の代表作の1つとも言える作品で、一宮市出身の詩人である佐藤一英の長編詩「大和し美し(やまとしうるわし)」に感動し、この詩を版画で表現したものです。

そして昭和11年に行われたこの第11回国画会展への出品が、その後の世界的な版画家としての活躍に繋がって行きました。

棟方志功を収蔵する主な美術館

青森県立美術館

出典:Wikimedia commons

彼の作品を収蔵している美術館は多くありますが、その中でも代表的な美術館を以下にてご紹介いたします。

青森県立美術館(青森)

青森県立美術館は、青森県青森市にある美術館で、世界文化遺産である三内丸山遺跡が隣接しており、豊かな自然に囲まれています。

2024年4月からは棟方志功記念館で展示・所蔵されていた作品や資料が、こちらの青森県立美術館へ移ってきたので、棟方志功の作品をたくさん見たい、と思われる方は、ぜひこちらの青森県立美術館に足を運んでみてくださいね。

棟方志功記念館(青森)

棟方志功の死後、数々の作品と彼の営業を後世に伝えるために建てられたこちらの棟方志功記念館。日本庭園の色が美しいこちらの美術館では、棟方志功の作品を日本で1番多く所蔵していましたが、2024年の3月に老朽化などの理由により閉館されました。

1975年11月の開館から、2024年の3月に至るまでの49年間でおよそ195万人もの人々が国内外を問わず訪れたとのことです。日本を代表する彼の記念館が49年間の幕を下ろした事はとても寂しく思いますが、彼の作品や資料は青森県立美術館に移り、所蔵されているとの事なので、棟方志功記念館に所蔵されていた作品を見たいと言う方は、青森県立美術館にぜひ足を伸ばしてみてくださいね。

また、この他にも、様々な場所で彼の作品について期間限定の展示を行っている美術館等もありますので、ぜひチェックしてみて下さい。

まとめ

版画の世界において様々な新しい技法や表現を生み出した、日本を代表する版画家、棟方志功。ゴッホに憧れた彼が、国際的な版画家として一生を終えるまでの努力と道のりを、実際の作品の筆使いや力強さなどを感じながら、ぜひ直接見て、肌で感じていただけたらなと思います。

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