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2024.07.09

葛飾北斎とは?画風や評価、代表作について解説します!

葛飾北斎とは?画風や評価、代表作について解説します!

葛飾北斎とは?

葛飾北斎

日本が世界に誇るアーティストのひとり、葛飾北斎。

葛飾北斎は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した浮世絵師です。70年に渡り旺盛な創作活動を展開した北斎は、風景画、美人画、花鳥画から妖怪画にいたるまで、さまざまなジャンルの作品を残しました。葛飾北斎はまた楽しい逸話もある画家として有名。彼にまつわるエピソードを知れば、作品をより深く鑑賞できることでしょう。

本記事では日本を代表する浮世絵師の葛飾北斎について、アートリエ編集部が詳しく解説します。

葛飾北斎の略歴

葛飾北斎は90歳という長寿をまっとうした画家です。作風は時代によって大きく変わり、それぞれのジャンルで傑作を残しました。

葛飾北斎の人生を追ってみましょう。

絵師以前(18歳頃まで)

葛飾北斎が生まれたのは1760年。江戸の本所割下水に生まれた生粋の江戸っ子です。

実家は川村という姓でしたが、5歳前後で幕府御用鏡師中島伊勢の養子になりました。幼名は時太郎、鉄蔵と変わっていますが、北斎は生涯に30回以上も名を変えたという逸話があります。

幼少期のことは不明ですが、絵は6歳頃から描いていたと北斎自身がのちに述懐しています。

習作の時代(19歳~30代半ば)

葛飾北斎は15歳のころ木板版下彫りを学び、貸本屋に徒弟として勤めていたと伝えられています。浮世絵の世界に足を踏み入れたのは18歳のころ。役者絵で知られていた勝川春章に弟子入りをしてからのことでした。

当時から葛飾北斎の画才は突出しており、弟子入りの翌年に勝川春朗の名前で絵の世界にデビュー。瀬川菊之丞の役者絵を製作しました。

葛飾北斎は勝川春章のもとで約15年間過ごし、錦絵や洒落本の挿絵を描いて画才を磨きました。

宗理様式の時代(30代半ば~40代半ば)

葛飾北斎が自己の画風を確立したのは30代半ばといわれています。

1794年に勝川派から破門された北斎は、2世俵屋宗理を名乗るようになりました。この時期、北斎は狩野派、住吉派、琳派、洋風画派からあらゆる技能を習得し、独自の作風を模索していきます。この時代の葛飾北斎の画風は、宗理様式と呼ばれています。

狂歌絵本や摺物を数多く制作したほか、時太郎可候 の名前で黄表紙も発表。

1798年に俵屋宗理の名を家元に返上して、葛飾北斎を名乗るようになりました。ある説によれば、「北斎」の名は北斗七星にちなんでいるといわれています。

読本挿絵と肉筆画の時代(40代半ば~50代前半)

40代から50代の葛飾北斎の作品からは、いかにも彼らしい大胆さが見られるようになります。読本挿絵や肉筆画の製作に精を出したこの時代、墨の濃淡や奥行き、常識を逸脱した構図など、北斎らしさが横溢し始めます。

とくに曲亭馬琴とのコンビで制作した『新編水滸 画伝』や『椿説弓張月 』は、江戸時代を代表する読本として高く評価されています。

壮年期にあったこの時期の葛飾北斎は、晩年期に次ぐ多数の作品を残しました。

絵手本の時代(50代~晩年)

1814年頃から読本の挿絵製作は急激に減り、葛飾北斎は絵手本に傾倒し始めます。北斎の名が知られるようになった50代以降、弟子の数が増えたことが絵手本の作成の理由でした。

絵手本としてもっとも有名なのが、1804年頃から晩年まで描き続けた『北斎漫画』。約3000図が載せられた北斎漫画は、百科事典の様相を呈しています。

そのほかにも『略画早指南  』や『三体画譜  』など、葛飾北斎ならではの画法を紹介した絵手本も多く残しました。また1848年に発表した『絵本彩色通 』では、油彩画や銅版画の製法も紹介しています。

錦絵の時代(70代前半~半ば)

読本挿絵等で培われた葛飾北斎の本領が発揮されたのが、70代に入って制作した錦絵です。

1834年までに《冨嶽三十六景(全46枚)》《諸国滝廻 り(前8枚)》《諸国名橋奇覧(全11枚)》などを完成。シリーズ化された北斎の風景画は、現在は日本だけではなく海外でも評価が高い作品になっています。

肉筆画の時代(70代半ば~死まで)

1834年を境に肉筆画に情熱を持つようになった葛飾北斎。このころ日課として描いていた《日新除魔 》には、若々しく大胆な獅子の絵が数多く残されています。

晩年まで創作意欲や向上心は一向に衰えず、76歳で発表した《冨嶽百景》の跋文には「八十歳にして益々進み、九十歳にして猶ほ其奥意を極め、一百歳をして正に神妙ならんか、百有十歳にしては一点一格生くるが如くあらん、願くば長寿の君子、予が言の妄ならざるを見給ふべし」と記しました。

つまり110歳の寿命さえあれば画業を完成できると語り、老年期にもみずみずしい作品を描き続けました。「あと10年あればひとかどの絵師になれるのに」という言葉を残し、葛飾北斎は1849年4月18日、浅草聖天町遍照院内で息を引き取りました。享年90歳。刻苦勉励を続けた一生でした。

葛飾北斎の画風や評価・逸話

『冨嶽三十六景 甲州石班澤』

葛飾北斎は国内外で人気のある画家。その魅力は、画風だけではなく彼が残したさまざまな魅力にもあります。

葛飾北斎の画風や評価、楽しい逸話をご紹介します。

画風

10代半ばから90歳で亡くなるまで、北斎は多作の画家でした。また名前や師匠を変えるたびに画風も変化し、1人の画家の作品とは思えないほど特徴は多彩です。

琳派や狩野派など日本を代表する絵画から学んだだけではなく、洋画からも多くを習得した葛飾北斎。彼独自の才能がこれに加わり、風景画や植物が、人物画などにおいて唯一無二の画風を反映させました。

大胆な構図、繊細な写実表現、ドラマチックな臨場感など、北斎の画風はさまざまに表現できますが、晩年までみずみずしさを失わなかったのは一貫した特徴といえます。

世界での評価

葛飾北斎の作品は、海外でも高く評価されています。とくにフランス印象派の画家たちは、北斎の作品に強い刺激を受け、それぞれの作品に浮世絵の要素を入れたといわれています。

当時欧州に輸出された日本の陶器の包装紙に北斎漫画が使われていたというエピソードもあり、マネやゴッホは葛飾北斎の作品をコレクションしていたことも知られています。

アールヌーヴォーの芸術家にも少なからぬ影響を与えた葛飾北斎は、1960年には世界文化巨匠として認められました。また1998年にはアメリカのライフ誌によって「この1000年で重要な業績を残した世界の人物100人」に選ばれました。この栄誉を受けた唯一の日本人となっています。

たくさんの逸話

葛飾北斎をより魅力的に見せているのは、彼の生涯を彩ったさまざまな逸話です。「画狂人」と自称していた葛飾北斎は、画号を変えること30回以上。ときには生活に困窮して、画号を弟子に売却したりしていました。

生涯の引っ越し回数は93回を数え、寝床は敷きっぱなし、土鍋や茶碗も使ったまま放っておくという生活でした。着物の汚れも頓着しなかったという葛飾北斎は、家庭生活では妻に先立たれたり、80歳を目前にして火災で膨大な量の写生帖を失うなど波乱万丈でした。

北斎の娘の葛飾応為も女流画家で、父の製作を助けながら親娘で画業にいそしんだのだとか。こうした逸話は、時代小説などにもよく登場します。

2024年の千円紙幣

日本文化に詳しくない人にもよく知られている《冨嶽三十六景》。その中でも特に芸術性の高さで有名な「神奈川沖浪裏」は、2024年に新しくなった千円紙幣にデザインされています。もはや日本のアイデンティティとして世界中で知られるようになった風景画、お札の意匠にふさわしいといえるでしょう。

表面の北里柴三郎とセットになった千円札、海外でも話題になりそうな素敵な紙幣です。

葛飾北斎の代表作

画業に刻苦勉励し続けた葛飾北斎。とくに有名な代表作について、魅力や特徴を解説します。

『冨嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」

『冨嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」

葛飾北斎の作品の中でも有名な《冨嶽三十六景》。出版時期は明確ではないものの、60代後半から70代に入ったころの円熟した技術によって制作されたと考えられています。

当初は36枚の予定だったこのシリーズ、裏富士10枚が加わり最終的には46枚で構成されました。

そのなかでとくに評価の高い3枚が「山下白雨」「凱風快晴」「神奈川沖浪裏」。とくに「神奈川沖浪裏」は「グレート・ウエーブ」と呼ばれ、世界でもっとも有名な日本絵画の1枚となりました。ゴッホはこの波の表現を「鷲の爪」と呼び、激賞しています。

勇壮な波の間に整然と佇む富士山と、波にもてあそばれる3艘の船の対比が印象的なこの作品。ドラマチックで大胆な魅力は画家だけではなく音楽家の心をも動かし、ドビュッシーは「神奈川沖浪裏」からインスピレーションを得て交響曲「ラ・メール(海)」を作曲。

日本の絵画の技量の高さだけではなく、精神性の深さも世界に伝える傑作中の傑作です。

『冨嶽三十六景』「凱風快晴」

『冨嶽三十六景』「凱風快晴」

俗に「赤富士」と呼ばれる「凱風快晴」は、青空の中に山肌を赤く染めた富士山がくっきりと浮かび上がる詩的な作品です。「凱風」とは南から吹く穏やかな風のことで、秋に向かう清澄な空気の中に佇む富士山が気品ある姿で描かれています。

版木の木目まで活かしたこの作品は、葛飾北斎の円熟期の技量が十全に発揮されました。「神奈川沖浪裏」と並び世界的に知られた名作です。

《冨嶽三十六景》は葛飾北斎の代表作であるだけではなく、富士山を描いた作品の白眉とされています。葛飾北斎はこの作品を制作する以前に関西に旅行した経験があるため、実際に見た富士山を参考にしたといわれています。しかし奇知のある構図は葛飾北斎のオリジナルで、当時から大変な好評を得ました。その後、第二弾となる《富嶽百景》が出版されています。

なお葛飾北斎の画風に異を唱えた歌川広重も《富士見三十六図》を出版。日本の絵画にも影響を与えました。

『諸国瀧廻り』「下野黒髪山きりふりの滝」

『諸国瀧廻り』「下野黒髪山きりふりの滝」

《冨嶽三十六景》以外にもシリーズ化された風景画があります。全8枚で構成された《諸国瀧廻り》もそのひとつ。日光の黒髪山は下野富士とも称された名勝地で、霧降の滝はそのふもとにあります。

江戸っ子にとっては大切な権現様が祀られた日光東照宮への道中、多くの人が訪れたといわれる名所を、葛飾北斎は独創的に描きました。常識からは逸脱したうねうねとした水流の表現から、滝の迫力が伝わってくる傑作。インパクトの強い作品として人気を誇ります。

『北斎漫画』

『北斎漫画』

全国に200人以上の弟子を持っていたといわれる葛飾北斎。弟子たちのために葛飾北斎が制作したのが『北斎漫画』です。

1814年に初めて刊行された北斎漫画は、人物や動物や妖怪、山や水や器物など、あらゆるものが描かれています。生粋の江戸っ子らしい葛飾北斎の洒脱さが随所に見られ、出版から200年以上経た今も少しも色あせない魅力があります。

弟子向きに作られた北斎漫画は、あまりの面白さに武士や庶民にまで愛好され、葛飾北斎死後の1878年まで15編5冊が出版されました。13編以降は葛飾北斎の死後に刊行されたため、他筆が混ざっています。

北斎漫画は陶器の包装紙として欧州に渡り、センセーションを巻き起こしたことでも有名です。

『塩鮭と鼠』

『塩鮭と鼠』

出典:CULTURE INQUIETA

50歳前後の葛飾北斎は、肉筆画の製作に熱心でした。琳派や狩野派からも技能を習得した北斎の写生力が実感できる《塩鮭と鼠》。こちらに迫ってくるような劇的な構図ではなく、塩鮭のリアリティや鼠たちの愛らしさが伝わる作品です。

一説によれば、天保の飢饉のころに葛飾北斎は肉筆画を多く描き、紙草紙屋で販売させていたそうです。《塩鮭と鼠》もその1枚とされています。花鳥や動物を描いた葛飾北斎の画帖には、同じテーマの作品が何枚か残っています。

『百物語』

『百物語』

百物語とは19世紀初頭、江戸で流行した怪談会のこと。室町時代に生まれた「百鬼夜行」が源流となったこの娯楽、集った仲間が百の怪談を語り終えると怪異が現れるといわれていました。江戸の文化人を中心に流行したそうです。

葛飾北斎が実際に何図を描いたのかはわかっていませんが、現存するのは5図。《お岩さん》《さらやしき》《こはだ小平二》《しうねん》《笑ひはんにゃ》の5つのタイトルです。おどろおどろしくもユーモラス、葛飾北斎の想像力の豊かさを実感できます。

葛飾北斎は遊び心たっぷりに百物語を描いていますが、頭蓋骨などの描写は当時のオランダの解剖書などを参考にした形跡もあります。写実にこだわる葛飾北斎ならではのリアリティが魅力的です。

葛飾北斎のコレクションで有名な美術館

すみだ北斎美術館

出典:Wikimedia commons

世界中で愛される葛飾北斎の作品。国内外の著名な美術館が北斎コレクションを所蔵しています。

北斎のコレクションで有名な美術館をご紹介します。

すみだ北斎美術館(東京)

葛飾北斎が生まれ、90歳で亡くなるまで絵を描き続けた墨田区。その縁によって生まれたすみだ北斎美術館は、葛飾北斎や門人の作品を数多く所蔵しています。葛飾北斎のコレクターとして有名だったピーター・モース氏所有の600点をはじめ、浮世絵の研究者であった楢崎宗重氏による寄贈が多数。肉筆画、摺り絵、錦絵など、充実したコレクションを楽しめます。

葛飾北斎が生まれ育った土地の空気を感じながら作品を鑑賞できるのは、日本の美術館ならでは。

大英博物館(イギリス)

海外で高い評価を受けた葛飾北斎。世界でも有数の北斎コレクションは、大英博物館にあります。

所蔵数は800点を超えるといわれ、《冨嶽三十六景》の「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」、《百物語》の「こはだ小平二」など見どころ満載。ヨーロッパの人々がいかに北斎に魅了されたかが理解できる、質の高いコレクションになっています。

ボストン美術館(アメリカ)

東洋美術研究家のフェノロサや美術評論家の岡倉天心らの奔走によって設立されたボストン美術館の東洋部門。フェノロサがボストン美術館で初めて企画した日本展も、葛飾北斎がテーマであったといわれています。

ボストン美術館が所有する葛飾北斎の肉筆画は150点、版画は1200点に及び、《諸国瀧廻り》は全8図が揃っているほか、《冨嶽三十六景》の21図、《百物語》の全5図など、シリーズ物の充実が鑑賞者を喜ばせています。

江戸の大衆文化であった浮世絵の価値が、海外の美術館のコレクションから伺えます。

まとめ:日本が誇る絵画の巨匠、葛飾北斎の多彩な魅力!

世界中で人気を誇る江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎。90年の人生は波乱万丈、多様な作風の作品を描き続けた葛飾北斎は、唯一無二の存在感を放っています。《冨嶽三十六景》に代表される景色から、写実力が光る肉筆画まで、葛飾北斎の作品は見飽きることがありません。ユーモアやモダンさも感じる葛飾北斎の作品、ぜひ興味をもって鑑賞してみてください。

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