クロード・モネってどんな人?
印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネは「光」に対する類まれな感覚で数々の名作を生み出した、日本でも人気の高い芸術家です。
- モネの人生と画家としてのキャリア
モネはフランスの港町ル・アーヴルで生まれ育ち、海景画家のウジェーヌ・ブーダンの導きで画家を志すようになりました。父の反対を押し切り、18歳でパリに出たモネはその後ほとんど独力で画家としての道を切り開いて行きました。
- 印象派運動とモネが果たした役割
宗教画や神話画などのアカデミックな絵画が主流だった当時において、モネはより自由な発表の場を求めて画塾の仲間たちとともに1874年に第1回目のグループ展を開催しました。当初は厳しい批判にさらされたものの、徐々に画家としての名声を確立していきました。モネは描く対象が固有の色を持っているという考えを否定し、太陽の光によって変化する色を目に映るままに表現しようと試みました。彼は印象派運動の中心となり、後世の芸術家たちにも大きな影響を与えました。
モネの代表作とその背景
「睡蓮」はなぜこんなにも人気があるの?
「睡蓮」は1890年代の終わりから1926年に亡くなるまでの約30年間で最も力を入れて制作したシリーズであり、その作品点数は約250点にも上ります。モネは1890年にジヴェルニーの土地に自宅を構え、睡蓮の咲く池と日本風の橋をしつらえた理想的な庭を作りました。
「睡蓮」のシリーズは、自らが手がけて愛した庭が太陽の光で刻一刻と変化する様子を捉えています。睡蓮のシリーズは印象派の一つの到達点としてみなされ、後世の抽象表現主義の画家たちにも大きな影響を与えました。水面に映る睡蓮や柳の葉、時間帯によって変化する光の反射は、よく見るとさまざまな色の重なりで表現されています。
モネの作品には、自然や光への純粋な感動を思い起こさせる普遍的な美しさがあります。日本では印象派の展覧会が頻繁に開催されるため、モネの作品を目にする機会が多いという点も人気になった理由の一つと言えるでしょう。
「印象、日の出」が印象派の名前の由来って本当?
「印象、日の出」は、1874年に開催された若い芸術家たちによるグループ展に出品された作品です。この展覧会は当時のサロンになかなか入選できなかったモネや彼の仲間であるシスレー、セザンヌ、ピサロなどが企画したもので、のちに「第1回印象派展」と呼ばれるようになりました。
この展覧会を見た美術記者のルイ・ルロワが「印象主義者たちの展覧会」というタイトルで批評文を書いたことがきっかけとなり、「印象派」という言葉が広まることとなりました。
「積みわら」と「ルーアン大聖堂」、どこがすごいの?
光の移ろいによって対象の見え方が変化していくようすを描くために、モネは同じモチーフを多数のキャンバスに描く連作に取り組み始めました。「積みわら」は、1890〜91年にモネが初めて手がけた25点からなる連作です。モネは積みわらという一つのモチーフを、日没や夏の日中、雪景色などさまざまな時間帯とシチュエーションで描きました。
また1892年から93年にかけては、ルーアン大聖堂の連作30点を手がけました。モネはルーアン大聖堂に赴いて近くにイーゼルを構え、大聖堂を照らす光のようすを入念に観察しながら、時間帯ごとの変化と見え方の違いを連作で表現しました。
これらの二つの連作のシリーズからは、モネがいかに鋭い目を持っていたかがわかります。まるで自然の中のものが同じように見える瞬間などないと教えてくれるかのようです。
モネが絵を描く過程ってどんな感じ?
戸外での制作:自然光の追求
- 野外で絵を描くってどういうこと?
印象派以前のアカデミックな絵画制作においては、戸外でスケッチをすることはあっても、アトリエで絵を完成させるのが一般的でした。19世紀中頃にチューブ入りの絵の具が開発されたことも手伝って、印象派の画家たちは戸外へ画材を容易に持ち出すことができるようになりました。彼らは自然光のもとで見える風景を、さまざまな色彩を用いてできるだけ忠実に表現しようとしました。
色彩と光の効果:モネの画法
- モネの色使いと光の魔法
モネをはじめとする印象派の画家たちは、光を表現するために特殊な技法を編み出しました。それは赤、青、黄の三原色を中心として、色をなるべく混ぜ合わせることなく使うという方法です。色には混ぜるほど暗くなるという性質がありますが、それを避けるために彼らはなるべく純粋な色のままキャンバスに色をのせ、本来混ぜるべき色は細かいタッチで別々に並列させました。
少し離れて見れば、色同士が混ざり合って見えるため、明るさを保ったまま多様な色を表現することができるのです。この技法は「筆触分割」と呼ばれています。
現代におけるモネの評価は?
モネの絵の値段っていくらくらい?
2019年の5月にサザビーズ・ニューヨークで行われたオークションで出品されたモネの「積みわら」が、1億1070万ドル(当時にして約122億円)で落札されたことは大きな話題となりました。
これはモネと印象派のコレクションにおける過去最高額であり、初めて1億ドルを超えて落札された印象派の作品となりました。
モネの絵画はアートとしてどんな位置づけ?
モネは印象派の運動を牽引した第一人者であること、そして後世にも多大な影響を与えたという点で美術史上重要な人物であることに間違いはありません。デッサンを重視し、宗教や神話や歴史上の出来事をあたかも本物のように描くことがよしとされていた古典的な絵画に対して、印象派の画家たちは全く異なる画風を築きました。
彼らは日常で目にする風景と人々の生活を題材とし、目に見えるままの光の移ろいを表現するために色彩を研究し、筆のタッチを活かして描く新しい手法を編み出しました。彼らの中でもモネは誰よりも自らの目に忠実であろうとしました。それはあのセザンヌに「モネは眼に過ぎない、しかし何と素晴らしき眼なのか」 と言わしめたほどでした。
モネの作品は時代の規範を覆し、後世に大きな影響を与えたという点で歴史的価値が高い上に、今でも世界的に愛され続けています。現代のオークションで非常に高い値段が付くことは当然とも言えるかもしれません。
モネの絵がもたらした大きな波紋
美術界は印象派をどう迎えた?
歴史や神話などの主題を描くアカデミックな絵画をよしとする人たちの目から見れば、モネたちのタッチの荒い絵は「描きかけ」に見えるという批判にさらされました。しかしその「未完成」に見える絵画を「完成」とする価値の転換に大きく寄与したのがモネでした。
当初は批判されていた印象派は徐々に受け入れられ、モネ自身も画家としての名声を確立していきました。その背景には画商のポール・デュラン=リュエルの貢献があったことも無視できないでしょう。彼は印象派の作品を自ら積極的に購入したり、ロンドンやニューヨークで展覧会を行うことで印象派の海外での評価を高めました。
モネの影響を受けたアーティストって?
モネの影響を大きく受けた芸術家の一人にジャクソン・ポロックがいます。アメリカの抽象表現主義の画家であるポロックは、絵の具をキャンバスに叩きつけたり上から垂らしたりして線や形を描く、アクション・ペインティングと呼ばれる画法を生み出しました。
ポロックをはじめとする抽象表現主義の画家たちは、晩年のモネが描いた色彩が渦巻く睡蓮のシリーズに、大いに刺激を受けました。こうした背景から、モネは後世において抽象表現主義の先駆者として再評価されたのです。
モネにまつわる興味深いエピソード
モネのプライベート:家族や友達、趣味は?
モネは1840年にパリで実業家の父と歌手の母との間に生まれました。1860年にパリの画塾に入学し、ピサロやシスレー、ルノワールなどの画家たちと知り合いました。熱心に制作を続けるもサロンへの落選が続く中で、最初の妻となるカミーユ・ドンシューとの交際を始め、長男ジャンが生まれました。
1878年になるとセーヌ川沿いのヴェトゥイユに移り住み、パトロンだったエルネスト・オシュデとその妻アリスの家族との同居を始めます。同年に次男のミシェルが生まれますが、その直後にカミーユは病死してしまいます。妻の死後モネは悲しみに打ちひしがれますが、アリス・オシュデの支えもあり精力的に制作に取り組みます。のちの1892年にモネとアリスは結婚し、生涯を共にすることとなりました。
1883年にモネとその家族はジヴェルニーに移り住み、そこでモネは一連の「睡蓮」シリーズの数々を制作します。モネは自ら花や木を植えて理想の庭を作り上げました。時が経つにつれてモネは植物学への興味を深め、友人のクレマンソーやカイユボットと植物を交換したりもしていたそうです。 モネは大画家であったと同時に、自然をこよなく愛する造園家でもありました。
モネの芸術に対する情熱と哲学
今では大画家として認められるモネですが、その画業は必ずしも順風満帆ではありませんでした。立て続けのサロン落選、経済的な困難や妻の死はモネを長らく苦しめました。特に妻カミーユが死の床にあった時期は経済的にもかなり困窮しており、妻の死後、モネは子供を養う手立てもなく生きる気力を失ってしまいました。しかしアリスの献身的な支えもあって次第に気力を取り戻すと、二度と貧困には陥らないと決意してフランスの田舎の風景や海景を精力的に描き始めました。貧困の苦しみと妻の死は、彼が制作への情熱を燃やすきっかけとなったのです。
また、晩年のモネは白内障のために失明の危機に見舞われました。視力が低下しながらも、彼は決して観察することを諦めませんでした。「色は私にとって一日中執着するものであり、喜びであり、苦しみです」と語ったように、モネは自然とそこにあふれる光を色彩で表現することに情熱を燃やし続けました。
モネと他の印象派画家との絆
ルノワール、ピサロ、シスレーとの友情
モネは1860年に入学したパリの画塾にて、ルノワール、ピサロ、シスレーといった画家たちと知り合い、交流を深めます。とりわけルノワールとは仲がよく、互いに経済的に困窮していた時期は、同じ画塾の仲間であるバジールのアトリエに一緒に住んでいたこともありました。
その後も二人は同じ場所に赴いてはキャンバスを並べて一緒に絵を描いたりと、深い友情を築いていきます。同じくピサロもモネと青春時代を共にした仲間でしたが、モネが連作を手がけるようになると、ピサロは商業主義的だとして彼を批判していました。
印象派の中でモネはどんな存在
モネは印象派の中の中心人物であり続け、仲間からも慕われていました。サロンへの疑問を持つ仲間が集まり、当初は厳しい批判にもさらされた印象派でしたが、展覧会の開催を重ねながら世に受け入れられていくにつれ、内部でも主張や方向性の違いが現れ始めました。
ピサロやシニャックらが新印象派として新しい画風で活動し始めると、モネはそれを嫌い、明確に距離を置きました。モネは印象派の活動を牽引しながら新しい潮流には傾くことなく、あくまでも自分の芸術を貫いた画家の一人でした。
モネの作品をもっと見てみよう!
モネといえば「積みわら」や「睡蓮」の連作が有名ですが、自然の中の人物に着目した作品も多数描きました。中でも「庭園の女性たち」(1866〜67年)や「パラソルを差す女」(1886年)は特に有名です。また、オルセー美術館に所蔵されている「かささぎ」(1868〜69年)は雪景色を描いたモネの初期の作品です。地面や木々に雪が降り積もっており、一見すると白銀の世界ですが、白の中にも暖色を効果的に用いて太陽光を反射した雪の色を表現しています。
マルモッタンモネ美術館に所蔵されている「ローズウォーク、ジヴェルニー」(1920〜22年)などは、晩年の作品の中でもほとんで抽象絵画と言えるほどタッチが荒々しく、装飾的です。視力が低下していく中でも執念深く光と色彩を探究した、モネの画家としての情熱が感じられます。
「庭園の女性たち」
「パラソルを差す女」
「かささぎ」
「ローズウォーク、ジヴェルニー」
モネの作品を鑑賞できる場所
- 「睡蓮」を見れるオランジュリー美術館
パリにあるオランジュリー美術館は、モネの睡蓮のシリーズを収めるために美術館として整備されました。もともと温室として設計された建物のため、自然光が降り注ぐ楕円形の大きな展示室があり、そこではモネの巨大な睡蓮がパノラマ展示されています。
自然光のもとで作品の見え方が変化していくようすを楽しめるため、生涯を通じて光の移ろいを観察したモネのまなざしを追体験できるような美術館です。
- ナショナル・ギャラリーやオルセー美術館もおすすめ
ロンドンのナショナル・ギャラリーやオルセー美術館にもモネの作品が多数展示されています。モネは人生で何度もロンドンを訪れており、国会議事堂のある風景やテムズ川の風景を描いています。ナショナル・ギャラリーではモネが描いたロンドンの風景画をまとめて見ることができます。
また、パリのオルセー美術館はモネや他の印象派の画家たちの作品を多数収蔵しています。他の画家たちと比較しながらモネの絵画を見ることができ、印象派を含む近代美術の流れを理解するために最適な美術館です。
- 日本でモネの作品が鑑賞できる場所
箱根のポーラ美術館では睡蓮を含むモネの作品を多数収蔵しています。都内では京橋のアーティゾン美術館、上野の国立西洋美術館などに収蔵されており、モネの作品は常設展で展示されていることも多いため、気軽に鑑賞することができます。
関西、四国、九州方面では大阪府の和泉市久保惣記念美術館、岡山県の大原美術館、香川県の地中美術館、鹿児島県の鹿児島市立美術館などがあります。
モネの展覧会やもっと知るための情報
- 最新の展示やイベント情報
国立西洋美術館で2024年10月5日から開催される展覧会「モネ 睡蓮のとき」では、マルモッタン・モネ美術館のコレクション50点と国内に所蔵されている作品の数々が一堂に会します。中でも晩年に描いた大画面の睡蓮の作品が多数出品され、絵画と一体になれるような展示空間が再現されるようなので、この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。
- おすすめの書籍やドキュメンタリー、ネットでの情報源
オランジュリー美術館のウェブサイトでは、館内で展示されているモネの作品を高解像度で見られるほか、パソコンやスマートフォン上で館内を歩き回るような体験ができるオンライン美術館の機能もあります。現地へ行くことは難しくても、インターネットでモネの作品と展示室の雰囲気まで感じられるのは嬉しいですね。
また、モネのことをもっと詳しく知りたい方には、『もっと知りたいモネ 改訂版』(2022年)がおすすめです。モネの生涯を追いながら、多くの図版と解説で各作品の詳しい情報を得ることができます。最新の調査による知見が盛り込まれている点もポイントです。
まとめ:モネの絵とその残したもの
モネの絵が今の私たちに伝えること
水面の光の反射、木々や花々が風にそよぐさま、太陽の暖かさと移り変わる空の色…モネの作品はこうした自然の普遍的な美しさへの感覚を思い出させてくれます。苦労も多かったモネの画業と作品を照らし合わせて見ていくと、彼は芸術への情熱を頼りに彼だけの「まなざし」を獲得していったのだということが分かります。モネの作品は何かを「見る」ということの難しさ、自然を愛し表現することへの喜びを今の私たちにも伝え続けています。
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Q&A
Q1. モネの絵って、どこで見られるの?
A1. モネの作品は世界中の美術館で鑑賞できますが、特にパリのオランジュリー美術館やオルセー美術館が有名です。
Q2. モネの絵画を家に飾りたいけど、高そう…。
A2. 本物のモネは高価ですが、アートリエなら印象派の特徴を持つ手の届く価格の絵画がたくさんあります。気軽にお部屋にアートを飾ってみてはどうでしょうか?
Q3. 印象派って何?
A3. 印象派は19世紀後半にフランスで生まれた美術運動で、光と色の変化を捉える新しい画法を特徴としています。
Q4. 印象派とモネってどんな関係があるの?
A4.モネは印象派運動の先駆者で、モネの作品「印象、日の出」は印象派の名前の由来にもなっています。
Q5. モネの有名な作品といえば?
A5. 「睡蓮」シリーズや「印象、日の出」、「積みわら」シリーズなどが特に有名です。これらの作品は、自然の美しさと光の変化を捉えたモネの感性を見事に表しています。
Q6. モネの絵画で、初心者におすすめの見方は?
A6. モネの絵を見るときは、色彩の使い方や光の表現に注目してみてください。また、モネがその瞬間に捉えたかった感情や印象を想像することで、作品の魅力がより深く感じられますよ。