ミニマルアートとは何か
ミニマルアートとは、1960年代に主にアメリカで起こった美術運動です。若い作家を中心として美術作品そのものを根源から見つめ直そうとする動きから始まったミニマルアートは後世へ大きな影響を与えた重要な潮流です。しかし明確な定義付けがなく美術の一傾向を表す言葉であるため、捉えにくい側面があることも確かです。本記事ではアートリエ編集部がミニマルアートの特徴と、活躍した作家たちの概要と作品をわかりやすく紹介していきます。
ミニマルアート誕生の背景
ポップ・アートの開花
第二次世界大戦後のアメリカでは、1950年代後半にはどの国よりも早く豊かな社会が実現されつつありました。ヨーロッパ諸国でもアメリカの影響を受けて雑誌や広告、映画、漫画などの大衆文化の産物を主題および素材としたポップ・アートが抽象表現主義に代わって登場しました。ポップ・アートは1950年代半ばのイギリスでエドゥアルド・パオロッツィやリチャード・ハミルトンらによって表面化し、1950年代末にはアメリカにおいてアンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズらによって本格的に開花しました。
反動としてのミニマルアート
抽象表現主義やポップ・アートに見られる芸術の陳腐化とアカデミックな要素を否定する形で登場し、のちのコンセプチュアル・アートへ影響を与えたのがミニマルアートです。
1950年代半ばのニューヨークでは、ドナルド・ジャッドやロバート・モリスなどの若い芸術家たちが当時の主流であった抽象表現主義の流れを汲む絵を描いていましたが、当時の最新のヨーロッパ美術の影響を受けて新しい方向へ移り、やがてミニマルアートのスタイルを築いていきました。その最新のヨーロッパ美術とはオランダのデ・スティルやロシアの構成主義、ドイツのバウハウスなどの潮流です。
これらの運動を牽引するメンバーによる展覧会がニューヨークで行われたことで、新しい視覚表現がミニマルアートの芸術家たちのインスピレーション源となっていきました。ピエト・モンドリアンやヨーゼフ・アルバースらの画面の平面性を強調したシンプルな絵画は、ミニマリズムの先駆けとして捉えることができます。
ミニマルアートの主なテーマと特徴
ものの本質の表現として
ミニマルアートは、美術が持つテーマ性や装飾性、説明的な部分を排除することできわめて本質的なものを表現しようとしました。抽象表現主義に見られる表現の過剰さよりも匿名性を重視し、あからさまな象徴主義や感情的な内容を意図的に避けて、代わりに作品の物質性に注意を向けました。このような意識から、極限まで抽象性を高めたシンプルな造形や幾何学的な形態、素材のありのままの物質性に着目した表現が生み出されました。
模倣の否定
アートは風景や人物などの現実世界にあるものの一側面を表現するもの、また感情や感覚などを反映するものと考えられてきました。しかしミニマルアートにおいては、アートは独自の現実を持つべきであり、何らかの模倣であってはならないという考えが反映されています。ミニマルアートの作家たちはただ目の前にあるもののみに反応することを鑑賞者に求めました。実際にフランク・ステラは自身の絵画について「あなたが見ているものは、あなたが見ているものである」という言葉を残しています。
彫刻への関心
また、ミニマルアートの芸術家たちは彫刻の伝統的な概念を打ち破り、絵画と彫刻の区別をなくそうとしました。彼らは芸術の本質的な要素として対象の物質性に着目していたことから、しばしば工業用の素材を用い、単純で幾何学的な形状の立体作品も制作しました。空間を占領する大きな立体作品が多いため、鑑賞者はその空間における作品のスケールと配置に直面せざるを得なくなり、その重さや高さといった物理的な要素に対する反応が求められました。
このような従来の彫刻作品以上に空間と作品の結びつきを重視する性質は、ミニマルアート彫刻の大きな特徴の一つであり、現代アートにおいては今や主流となっているインスタレーション芸術の先駆けとなりました。
ミニマルアートの代表的な画家たち
フランク ステラ
- 青年期
ミニマルアートの第一人者でもあるフランク・ステラは1936年にアメリカのマサチューセッツ州に生まれました。大学在学中にジャスパー・ジョーンズの作品《旗》と出会い、その縞模様に感銘を受けたステラは1958年から「ブラック・ペインティング」のシリーズを制作し始めます。この時期のステラの作品は1950年代後半のミニマルアート運動の火付け役となりました。
- 画風の展開
1960年からは縞模様を描いた分度器のような形のキャンバスをいくつも組み合わせた「分度器シリーズ」を制作し始めます。1969年にはメトロポリタン美術館100周年の記念ロゴの制作を依頼され、翌年にはニューヨーク近代美術館で回顧展が開催されました。この時のステラは、回顧展が開催されたアーティストとしては最年少となる34歳でした。
- 多様な活動と晩年
1980年代後半からはヨーロッパで建築プロジェクトに携わるなど活動の幅を広げ、1991年には日本のDIC川村記念美術館で回顧展が開催されました。
2009年にはアメリカ政府からアメリカ国民芸術勲章を授与されました。近年はNFTアートに取り組んだりと、新しい技術も積極的に活用した制作を続け、2024年5月にニューヨークの自宅にて87歳で逝去しました。
ドナルド ジャッド
- 修業時代
ドナルド・ジャッドは1928年にアメリカのミズーリ州エクセルシオール・プリングスで生まれました。11歳の時から美術教室に通い始め、1948年には大学で哲学を学び、翌年にはニューヨークの美術学生連盟の夜間クラスで絵画を学びました。1957年にはニューヨークのパノラス・ギャラリーで抽象表現主義の初個展を開催するも、自作に不満を覚えるようになります。
- 研究と批評
作家として活動するかたわら、ジャッドはコロンビア大学の修士課程で美術史を学び、ルネサンスから20世紀美術まで幅広く研究しました。また1959年から1965年にかけては『アート・ニューズ』などの雑誌で美術評論を執筆し生計を立てました。前衛美術についての作品批評の中で、絵画の終焉を主張した彼の批評は高く評価されました。
- 立体作品の制作
1962年ごろから絵画の制作をやめて立体作品の制作を始めます。1965年からは箱状の立体を複数並べた作品である「スタック(積み重ね)」と呼ばれるシリーズの制作を始め、のちにこれがジャッドの代表作となります。
テキサス州・マーファ移住して広大な砂漠地帯を購入し、野外インスタレーションを設置しました。1986年には非営利芸術財団「チナティ・ファンデーション」を設立し、同地に美術館を開館しました。
晩年は家具のデザインや建築の仕事、環境活動や土地の保全活動にも精力的に取り組み、1994年2月にニューヨークにて悪性リンパ腫によりこの世を去りました。
リチャード セラ
- 学生時代
サンフランシスコの造船工場で働いていた父の元に生まれたセラは早くから金属加工に親しみ、学生時代は製鉄所で働いていました。カリフォルニア大学で英文学の学位を得て卒業したのち、イェール大学大学院で絵画を学びます。この頃から彫刻作品の制作を始め、1968年に最初の個展を開催しました。
- パブリック・アート
1970年代からセラの作品は巨大化し始め、パブリックアートとして公共の場に展示されるようになります。1981年にはアメリカ連邦政府からの委嘱を受けてニューヨークの連邦ビル前の広場に《ティルテッド・アーク》を制作します。しかし本作は当時のレーガン政権による芸術への支出削減の風潮を受けて政治問題化し、1989年に取り壊されることとなります。
- 晩年
1993年にはアメリカ芸術科学アカデミーの会員となり、2000年にはヴェネツィア・ビエンナーレで現代美術部門の金獅子賞を受賞するなど、数々の権威ある賞を受賞していきます。2024年3月にニューヨークの自宅で肺炎により亡くなりました。
カール アンドレ
- 修業時代
カール・アンドレは1935年にアメリカのマサチューセッツ州クインシーに生まれました。名門フィリップス・アカデミーで学んだ後、1957年にニューヨークへ移住し、出版社で働き始めます。1958年よりフランク・ステラとアトリエを共有し、ステラや彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの作品から影響を受けた作品を制作します。
- 彫刻家としての活躍
1966年には137個のレンガを直線上に並べた作品を制作し、彫刻に新しい可能性を開きます。その後金属板を用いた床置きの彫刻の制作を始め、アメリカやヨーロッパ各地で作品を発表していきます。1970年には東京ビエンナーレの招聘作家として初来日し、1978には個展も開催しました。
アンドレは彫刻の制作のかたわら、前衛的な詩作も行っていました。日本ではアンドレが亡くなって約2ヶ月後の2024年3月からDIC川村記念美術館にて個展「カール・アンドレ 彫刻と詩、その間」が開催されており、彫刻作品とともに詩作も多数紹介されています。
ロバート モリス
- 画家兼振付師として
ロバート・モリスは1931年にアメリカのミズーリ州カンザスシティに生まれました。1948年から地元の美術学校およびカンザスシティ大学で学び、1950年から1年間はサンフランシスコの美術学校で学びました。1959年にニューヨークへ転居し、ダンサー兼振付師であった妻の影響でダンスに興味を持ち、多くの作品の振付も行いました。
- 前衛的な彫刻の制作
1960年代に入るとモリスはマルセル・デュシャンらの影響を受けた彫刻作品を制作し始めます。また、自身が演出したダンス・パフォーマンスの小道具としてミニマルなオブジェを制作し、アヴァンギャルドな作家として認知されるようになります。1960年代後半から70年代にかけて、モリスは「アンチフォーム」という新しい美術理論を提唱し、金網やプラスチック、フェルトやゴムなどの工業製品を使った立体作品を制作しました。
- 多様な活動
1966年にはニューヨークのハンターカレッジでブランクーシに関する論文で修士号を取得します。その後モリスは制作活動のかたわらでダンスやミニマル彫刻、アース・ワークについてなど数々の批評文を書き、大きな反響を得ました。
晩年は戦争やフェミニズムなどをテーマとしてインスタレーションやドローイング作品など様々な表現を試み、2018年に87歳で生涯を終えました。
ミニマルアートの代表的な作品
Shoubeegi(フランク ステラ)
本作はステラの「インディアンバード」シリーズのうちの一つです。1977年にインドのアーメダバード滞在中にこのシリーズの制作を開始し、個々の作品にインドの鳥の名前をつけました。本作は1978年に制作され、現在はサンフランシスコ近代美術館に所蔵されています。
いくつもの渦巻き状になった物体が金属の格子に取り付けられています。渦巻きには飛行機に使用される軽量素材が使用され、その表面は金属の削り粉やガラスの粒子などで加工されています。
ステラは本作のシリーズを決して彫刻とは呼ばず、あくまで絵画であると主張しました。本作はステラが独自に拡張した絵画観がよく表れている作品となっています。
無題(スタックシリーズ)(ドナルド ジャッド)
スタックは1965年からジャッドが手がけた作品のシリーズです。工業的な素材でできた薄い箱状の物体が、壁一列に等間隔に取り付けられた本作は、ジャッドの代表作として知られています。
ジャッドは美術史の研究などを経て、絵画の制約から逃れるために立体物による表現に到達しました。環境や言葉に従属しない芸術を追い求めたジャッドは、本作においてその一つの形を達成しています。彼は決して自身をミニマルアートの作家として認めませんでしたが、本作は紛れもなくその要素を含んでいます。
ドローイング(リチャード セラ)
セラは彫刻作品と並行して1969年から生涯にわたってドローイングの制作も行いました。セラにとってのドローイングは、一般的な線画や素描のみならず、巨大なキャンバスのインスタレーションや版画なども含んでいます。
セラは大学院を修了後に絵画と決別し、彫刻の道に進みます。絵画表現を乗り越えるために制作に取り組む中で、金属板が空間の中で線のように見えた経験が、ドローイングに結びついていきました。彼は巨大なキャンバスを塗りつぶしたインスタレーションや、版画技法を用いたドローイングを制作しました。
ブリックス(Equivalent Ⅷ)(カール アンドレ)
《Equivalent Ⅷ》は120個の耐火レンガを2層に積み上げたアンドレの代表作の一つです。本作は1966年に制作され、1972年にロンドンのテート・ギャラリーが買収しました。
アンドレの「Equivalent」シリーズは8つの彫刻作品から構成されています。全ての作品が120個の耐火レンガを直方体状に配置したもので、それぞれの長さと幅は異なりますが、奥行きはレンガ2個分に統一され、質量と体積が等価(Equivalent)になっています。彼は彫刻を単に人間が眺める物体としてでなく、環境の一部として設置することで空間と鑑賞者の関係を変化させることを試みました。
無題(タン・フェルト)(ロバート モリス)
モリスが1968年に制作したタン・フェルトは、9本の工業用の分厚いフェルトを壁から吊り下げたような作品です。ダンスに精通していたモリスは、この時期にミニマリズムの厳格な素材と幾何学的な形から脱却し、人間の身体性に着目しました。「アンチフォーム」という言葉を使い、制作のプロセスを重視することを呼びかけたモリスは本作において、素材や重力に任せた偶発的な形を追求しています。
ミニマルアートからもの派へ
ミニマルアートは1970年代に盛んになったコンセプチュアル・アートに強い影響を与えました。作品の形式や美的価値よりもアイデアや思想を重視し「概念芸術」とも呼ばれたコンセプチュアルアートは、芸術の本質的な部分に着目している点でミニマル・アートと共通しています。
また、日本の前衛美術である「もの派」もミニマルアートの潮流から誕生しています。もの派は1960年代から70年代前半にかけて活動した作家のグループで、自然物や人工物をできるだけそのままの状態で並列させることで「もの」自体に語らせることを試みました。ものと空間、ものと人間の新しい関係性を探ろうとしたこの動きは、日本版のミニマルアートとして戦後日本の重要な美術運動として広がりました。
ミニマルアート近年の動向
国内ではミニマルアートをテーマとした展覧会がたびたび開催されており、近年では2021年から2022年にかけてDIC川村記念美術館などで「ミニマル/コンセプチュアル ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術」という展覧会が開催され、国内外のミニマルアート作品が多数紹介されました。
またミニマルアートは日本では特にもの派への影響という観点から重要視されています。日本のミニマルアートの先駆者である桑山忠明や、日本を拠点に現在でも国際的に活躍中の韓国の芸術家・李 禹煥(リ・ウファン)などの活躍は近年特に高く評価されています。
ミニマルアートの作品が楽しめる場所
スペインのグッゲンハイム美術館ではカール・アンドレやドナルド・ジャッドの作品が多数所蔵されています。アメリカではニューヨーク近代美術館、イギリスではテート美術館などにおいてミニマルアートの作品が充実しています。
日本では千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館がステラの作品を多数所蔵しています。また静岡県立美術館や東京都現代美術館にはドナルド・ジャッドの作品が、豊田市美術館ではリチャード・セラの野外彫刻を鑑賞することができます。
まとめ
ミニマルアートの概要と、代表的な作家と作品について詳しく解説しました。ミニマルアートはそのシンプルな形態ゆえに、現代でも古びない魅力があります。今後どれだけ時代が進んでも、美術の本質に立ち返るというミニマルアートの精神性は、繰り返し省みられていくことでしょう。
アートリエでは今後もアートに関する情報を発信していきます。この記事を読んでアートへの興味が深まったという方は、アートのレンタルページで現役作家の作品も鑑賞してみてください。