ポップアートとは何か
「ポップアート」という言葉、どこかで耳にしたことがあるという方も多いと思います。でも実際「ポップアート」とはなにかと聞かれると、ぼんやりとしたイメージしか浮かんできません。ポップアートは、1960年代のアメリカを中心に盛り上がった前衛美術のひとつ。
代表的な画家には、マリリン・モンローなどを描いたアンディ・ウォーホルがいます。ポスターや漫画に登場し、大衆のためのアートとして普及したポップアート。その詳しい変遷や代表的な画家・作品について、アートリエ編集部が解説します。アートはよくわからないという方にも親しみやすいポップアート、どうか最後までお楽しみください。
ポップアート誕生の背景
ポップアートは、どのような時代を背景に生まれたのでしょうか。ポップアート誕生と普及の経緯をわかりやすく解説します。
ポップアート誕生!その名の由来?
ポップアートは、ポピュラーアート(大衆芸術)の略称。漫画や商業美術から派生して発展した美術運動のことです。ポップアートといえば1960年代のアメリカが有名ですが、発祥はイギリスでした。
1952年、ロンドンにあった現代芸術研究所(Institute of Contemporary Arts)において、若い芸術家グループが大衆文化について討論会を開催。このとき生まれたのが「ポップアート」という言葉でした。
ポップアート発祥はイギリス
1956年にロンドンで開催された「これが明日だ!」展において、リチャード・ハミルトンが展示した《いったい何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力的にしているのか》が、ポップアートの原点といわれています。
ハミルトンは、当時憧れの的だったアメリカの製品や広告のイメージをコラージュ、テレビなどの家電、女性のポスターが作品の主役となりました。機械製品を積み上げて立体的な作品をつくったエドワード・パオロッツィも、この流れの中で活躍したアーティストです。
イギリスのポップアートは、伝統への反発と、アメリカのマスメディアや機械文明への共感がベースとなっています。この芸術運動を推進し、はじめて「ポップアート」という言葉を使った批評家ロレンス・アロウェイのアメリカ移住とともに、ポップアートの中心もアメリカへ移動していきました。
アメリカのポップアート
アメリカのポップアートは、どのように発展したのでしょうか。アメリカでは1950年代後半から、さまざまなアーティストが活躍を始めていました。
表現より体験を重んじる音楽を提唱したジョン・ケージ、日常的な既製品をオブジェとして使うロバート・ラウシェンバーグ、アメリカの国旗や地図をイメージで絵画化したジャスパー・ジョーンズなどがポップアートの先駆者です。彼らは「ネオダダ」という芸術活動のグループとされていましたが、現在は初期のポップアートの体現者として認知されています。
ポップアートの代表的な絵画は、1960年代のアンディ・ウォーホルやロイ・リクテンスタインたちによって生み出されます。コミックスや有名人の肖像画を反復したこれらの作品、アートを知らない人もどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。
1962年にニューヨークで開催された「ニュー・レアリスツ」展が、アメリカのポップアートの本格的幕開けとなりました。ハリウッドのスター、ミッキーマウス、コカ・コーラをテーマとしたアートは、当時の人びとを驚嘆させるに充分でした。
アメリカのポップアートは、当時のアメリカの経済的な豊かさや、大量消費社会の現実を表現したものとして、世界に知られるようになったのです。
ポップアートの主なテーマと特徴
文字通りポップなカラーが魅力的なポップアート。主題や表現方法など、ポップアートの特徴についてわかりやすく解説します。
ポップアートに込められた思想
ポップアートは、大量生産や消費社会が最大のテーマ。テレビやコマーシャルによって流通する大衆的なイメージや製品が、主題となりました。
イギリスで生まれたポップアートは、アメリカをはじめ世界各地に飛び火しました。その後は、各国の文化と結びつくことで多様なスタイルを生み出しています。
いずれにも共通しているのは、大衆文化のイメージの流用。あっけらかんと華麗に表現したり、シニカルに表現したりと、時代や国によって表現方法は多岐にわたります。
ポップアートの代表的な画家たち
ポップアートを代表する画家たちは、どんな特徴を持っているのでしょうか。彼らの魅力に触れてみましょう!
アンディ・ウォーホル(1928-1987)
ポップアートの顔ともいえるアンディ・ウォーホル。アンディ・ウォーホルは1928年、アメリカのペンシルバニア州ピッツバーグに生まれました。カーネギー工科大学でデザインや絵画を学んだあと、ニューヨークでイラストレーターとして活躍、受賞歴も多数あります。
1962年に開催された美術展に《キャンベルスープ》や《マリリン》などの作品を発表。センセーションを巻き起こしました。いずれもポップアートの真骨頂として、現在もあちこちで目にする作品です。
ウォーホルはまた「シルクスクリーン」という技法を好んでいたことでも有名。シルクスクリーン技法とは、描写する画像を布に転写し、布目からインクを紙に刷り込む一種の印刷技術のこと。版さえあれば何枚も複製画ができるのが、この技法のメリットです。
ウォーホルの特徴は、感情を排除して非個性的なイメージを持っていることにあります。ニューヨークにあったウォーホルのアトリエは「ファクトリー」と呼ばれ、複写による絵画を増産していました。「美術=高尚なもの」というイメージを覆し、大量生産品やマスメディアのイメージを作品に取り込むのが、ウォーホルの典型的な手法。ウォーホルは映像作家でもあり、その存在はのちのミニマル・アートなどにも影響を与えました。
20世紀におけるもっとも有名なアーティストといって過言ではないでしょう。
キース・へリング(1958-1990)
ハイハイする赤ちゃんや吠える犬、祈る人などをモチーフにした作品で有名なキース・ヘリング。1958年にアメリカのペンシルバニア州に生まれたヘリングは、ピッツバーグの美術学校、ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツで学びました。
1981年からニューヨークの地下鉄構内に、動きある人間をチョークを使って描き始めました。原色を用いた明るい画風によって、「サブウェイ・ドローイング」の旗手となります。1982年から大々的な個展を開催し、世界的な知名度を得るようになりました。
ヘリングは描いた絵をモチーフにしたグッズを販売する「ポップショップ」をオープン、スウォッチ時計やジッポーのライターのデザインを手掛けるなど、商業的な活動でも熱心でした。
美術と大衆文化の区別を取り払った活動は、日本でも注目され、人気を博しています。
ロイ・リキテンスタイン(1923-1997)
アンディ・ウォーホルと並んで「これぞポップアート」という作品で知られるのが、ロイ・リキテンスタインです。
1923年にニューヨークに生まれたリキテンスタインは、アート・スチューデンツ・リーグとオハイオ州立大学で学んでいます。1961年頃から、漫画の1コマを拡大した作品を発表。代表作《ワーム:Whaam!》などから、ポップアートの芸術家として注目を浴びるようになりました。
セザンヌやピカソにインスピレーションを得た作品や、抽象表現主義風の作品も多数。網目を駆使した公共彫刻も手がけています。
デビッド・ホックニー(1937-)
イギリスにおけるポップアートの第2世代として有名なデビッド・ホックニー。1937年、イギリスのブラッドフォードに生まれたホックニーは、ロンドンのロイヤル・アカデミー・カレッジ・オブ・アート在籍中から才能が注目されていました。
1960年代には国際的な受賞を重ね、代表作《ニックのプールから上がるピーター》を残しています。アメリカ西海岸に移住後は、明るい色調となめらかな質感の作品をたくさん描き、ポップアートに関連づけられるようになりました。
モーツァルト作「魔笛」の舞台装置や衣装を手掛けたり、フォトコラージュを製作したり、多様な分野で才能を発揮しているアーティストです。
ジャスパー・ジョーンズ(1930-)
1950年代半ばから国旗をテーマにした作品を発表、ポップアートの先駆者と位置付けられているのがジャスパー・ジョーンズです。アメリカのサウス・カロライナ出身のジョーンズは、サウス・カロライナ大学で学んだ後、ニューヨークに移住。
1955年頃から、国旗、標的、アルファベット、数字、地図など平らなイメージを描き、大衆文化的な要素を前面に出す画風を確立しました。ビールの缶などの日常的なオブジェを取り入れるスタイルを導入、ラウシェンバーグとともにポップアートを先導したアーティストとされています。
「絵画がひとつのオブジェならば、オブジェも絵画でありうる」という言葉が印象的なジョーンズ。70年代には大きく画風を変化させ、敷石やあや目をモチーフにした装飾的な作品で注目を浴びました。
ロバート・ ラウシェンバーグ(1925-2008)
抽象表現主義からポップアートの過渡期に活躍したロバート・ラウシェンバーグ。1925年にアメリカのテキサス州に生まれたラウシェンバーグは、「戦後美術のピカソ」と呼ばれるほど美術史に大きな足跡を残しました。
パリのアカデミー・ジュリアンやニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学んだラウシェンバーグは、平面上に歯磨き粉や交通標識などを張り付ける立体的な作品を制作。絵画や彫刻の枠組みを超えるスタイルを確立します。オブジェと絵を共存させた「コンバインペインティング」では、現実の躍動感を伝える作品が評価されました。
ラウシェンバーグは作風の多様性に特徴があります。シルクスクリーンを使ったポップアート、テクノロジーを駆使したイベントを開催するなど、表現の領域を広げています。
ポップアートの代表的な作品
誰もが1度は目にしたことがあるポップアート。
ここで改めて、ポップアートの代表的な作品とその魅力にせまります。
キャンベルスープ缶(アンディ・ウォーホル)
平凡な物体が芸術作品になり得ることを証明したウォーホルの代表作《キャンベルスープ缶》。1960年代初頭、広告グラフィックから離れて芸術へと邁進していたウォーホルは、アメリカでは富む者も貧しい者も同じものを食べていることに気がつきます。
ウォーホル自身も熱心な消費者であったというキャンベルスープのバリエーションを、クールに描いたこの作品。製品のパッケージの均一性と普遍性を強調する、ポップアートの代表作となりました。
光輝く赤ん坊(キース・へリング)
ヘリングの作品の中でも象徴的な《光り輝く赤ん坊》。1980年代、若き日のヘリングが地下鉄構内に描いたモチーフのひとつで、ハイハイする赤ちゃんが表現されています。
ヘリング自身は、赤ん坊は無邪気さや純粋さの象徴と語っていたようですが、彼の社会的活動にともなって深い意味を持つようになりました。ヘリング自身が最も気に入っていたモチーフで、サインの際に描いていたことでも有名です。
ワーム!(ロイ・リキテンスタイン)
1963年にリキテンスタインが描いた《ワーム!》は、1.7×4mの大きさを誇る文字通りの大作。画面左側から突撃する戦闘機がロケットを発射し、命中する瞬間を漫画風に描いています。
冷戦時代を舞台にしたコミックにインスピレーションを得たこの作品には、戦争に対するシニカルな概念が込められているといわれています。製作から半世紀以上たった今も、戦争について考えさせられる作品です。
芸術家の肖像画(デビッド・ホックニー)
2018年に102億円という高額で落札されて話題になったホックニー作《芸術家の肖像画》。1972年に南フランスのサントロペで描かれた作品は、人生の喜びを描くホックニーらしい伸び伸びとしたカラーが印象的です。
白い水着を着て泳ぐ男性を見つめているのは、ホックニーの恋人ピーター・シュレジンジャー。2人の背景に描かれる自然のみずみずしさからも、生きる喜びが伝わってきます。
旗(ジャスパー・ ジョーンズ)
ポップアートの先駆者ジャスパー・ジョーンズの代表作《旗》。1954年製作当時、ハワイとアラスカはアメリカではなかったため星の数は48個です。
ジャスパーは都市の生活が数字や記号に支配されていることに着目し、国旗などの記号イメージを作品に投影しました。絵画を鑑賞するという行為そのものを問うたジョーンズのコンセプトは、その後の美術動向に大きな影響を与えました。
ホワイト・ペインティング(ロバート ・ラウシェンバーグ)
ウォーホルとともにポップアートの代表格とされるラウシェンバーグ。《ホワイト・ペインティング》は、光や影の偶発的な効果も含んだ作品。「行為の芸術」を実践したラウシェンバーグらしいクールさが光ります。
ウォーホルとともにポップアートの代表格とされるラウシェンバーグ。《ホワイト・ペインティング》は、光や影の偶発的な効果も含んだ作品。「行為の芸術」を実践したラウシェンバーグらしいクールさが光ります。
《ホワイト・ペインティング》製作の根底にあったのは、芸術作品も総合的環境の事物であるという大胆な発想。対になる《ブラック・ペインティング》もあります。
日本のポップアーティストたち
20世紀の芸術のなかでも大きな存在感を放つポップアート。この分野で活躍する日本人も数多く存在します。
世界的に有名な日本人ポップアーティストをご紹介します。
草間彌生(1929-)
ルイ・ヴィトンなどのブランドとのコラボで知られる草間彌生は、水玉模様で全宇宙を表現するといわれる前衛美術のクイーン。1929年に長野県に生まれた草間彌生は、幼少期から幻覚を見ることがおおかったのだとか。反復と増殖によって無限に続く水玉模様の原点は、こうした経験にあったといわれています。
ニューヨークで学び活躍する草間彌生は、ポップアートや前衛芸術の体現者であり、水玉をテーマにした「ハプニング」でも有名です。
村上隆(1962-)
日本のアニメや漫画などのポップカルチャーをモチーフに、世界を舞台に活躍する村上隆。アートとオタク文化の接合を試みた村上の作品は高い評価を得て、ヴェルサイユ宮殿での展示やルイ・ヴィトンとのコラボも実現。円熟期に入った現在、めざましい 活躍をしています。
伊東若冲や曽我蕭白の平面的表現を学び、スーパーフラットと呼ばれる技法を用いて、独特のスタイルで世界を魅了しています。
奈良美智(1959-)
愛らしさと悪魔的な要素を併せ持つ少女像で有名な奈良美智。青森県弘前市に生まれた奈良は、ドイツで学び、処女作品集『深い深い水たまり』で注目を浴びました。1995年に東京で開催された同名の美術展で、評価が盤石のものになりました。
デフォルメされた人物や動物を太い線でくっきりと描くのが奈良の特徴。日本のサブカルチャーの明るさと、詩的な世界の融合が魅力的です。
横尾忠則(1936-)
日本のグラフィックデザインの第一人者といわれる横尾忠則。1936年兵庫県生まれの横尾は、原色のサイケデリックな作品が有名です。
ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ展やブルーノ国際グラフィックアート・ビエンナーレ展で入賞し、1970年代から世界的なアーティストの仲間入りをしました。
土俗的風俗やヒンドゥー教のモチーフが多く、鑑賞者を挑発するようなスタイルで独自の画風を作り上げています。
ポップアートが世界に与えた影響
ポップアートの登場は、それまでエリートたちの「ハイカルチャー」とされていたアートを、一般人にも身近に感じさせることに成功しました。アートと周辺文化を融合させたことで、ポップアートは若い世代から支持を得たのです。
イギリスで生まれアメリカで全盛期を迎えたポップアートはその後、ドイツや旧ソ連、日本をはじめとするアジアや南米にまで影響をもたらしました。60年代後半、ミニマルアートなどの台頭で一時期下火となったポップアートは、80年代以降にジェフ・クーンズなどの活躍で再び脚光を浴びます。「ネオポップ」と呼ばれ、村上隆もこの流れの中で活躍しています。
ポップアートの評価がすごい!
ポップアートは複製も可能ですが、原画がオークションにかけられるニュースもよく目にします。
2013年にウォーホルの《コカ・コーラ》が74億円超で落札されたほか、2018年にはホックニーの《芸術家の肖像画》が102億円という価格をつけました。近いところでは2023年、草間彌生作《Pumpkin》が9億5千万円で、奈良美智の作品も4億円の値をつけるなど、億単位が常識に。
ポップアートの無機的な要素と詩的な感覚は、広い世代に支持されて評価を高めています。
ポップアートの作品が楽しめる場所
ポップアートを鑑賞できる美術館はどこにあるでしょうか。世界と日本、ポップアートの作品を所蔵している美術館をご紹介します。
世界で特にポップアートの作品が充実している場所
ポップアートの作品は、アメリカの美術館が充実。ニューヨークのメトロポリタン美術館には、ウォーホルの《キャンベルスープ》をはじめリキテンスタインや草間彌生の作品があります。
またグッゲンハイム美術館も、ウォーホルの自画像やリキテンスタインの作品を多数所蔵。シカゴ美術館には、《マリリン》をはじめとするウォーホルの作品が多数あります。
ヨーロッパでは、ロンドンのテート美術館にリキテンスタインの《ワーム!》があるほか、オランダのアムステルダム市立美術館でポップアートの作品を見ることができます。
日本国内でポップアートの作品が見られる場所
日本国内でポップアートを鑑賞したいと思ったら、まず中村キース・ヘリング美術館へ。八ヶ岳の大自然の中にある美術館で、ヘリングの作品を心ゆくまで楽しめます。新宿には日本が誇る前衛の女王、草間彌生の美術館があります。完全予約制ですが、その分ゆったりと作品鑑賞ができます。
青森県立美術館には、近年人気が急上昇している奈良美智の作品がずらり。巨大な彫刻《あおもり犬》もお見逃しなく!また東京都現代美術館では、リキテンスタインの《ヘアリボンの少女》をはじめとするポップアートを鑑賞できます。
まとめ:親しみやすいポップアートをぜひご自宅で!
「高尚な芸術」という概念を覆したポップアート。「アートへの関心はあるけどよく理解できない」という人にとっても親しみやすいのが、ポップアートの魅力です。クールでモダンな画風が多いポップアートは、日本のインテリアとも合わせやすいのもメリット。ぜひお気に入りの作品を見つけて、ご自宅やオフィスで楽しんでみてください。
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