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2024.05.15

【わかりやすく解説】ダダイズムとは何か?その特徴と代表的な画家・作品をご紹介

【わかりやすく解説】ダダイズムとは何か?その特徴と代表的な画家・作品をご紹介

ダダイズムとは何か

「『ダダイズム』という言葉を聞いたことはあるけど、意味はよく知らない」「ダダイズムのアート作品を観てもよくわからない…」そんな人が多いのではないでしょうか。

ダダイズムは1916年にスイス・チューリッヒで起こり、その後世界各地の都市に広まった前衛芸術運動。理解しにくいのもそのはずで、ダダイズムの哲学は「反芸術」。それまで芸術とされてきたものをすべて否定、破壊する思想なのです。そんな新しい思想がどのように生まれたのか、そして8年ほどしか続かなかったダダイズムがどうして現代の芸術に大きな影響を及ばしたのかを紐解いていきます。

ダダイズム誕生の背景

1920年ベルリンダダがブルヒャルト画廊で「大ダダ見本市」開催

「ダダイズム」の理解には、当時の時代背景が重要です。20世紀初頭のヨーロッパは産業革命によって力をつけた国々の勢力争いが激しさを増し、1914年ついに第一次世界大戦が勃発。戦闘機や戦車から毒ガスまで当時の最先端兵器による初の世界大戦で、死者1,600万人以上という犠牲を伴いました。人々は戦争におびえ嫌気がさし、ヨーロッパ全体に虚無感が広がります。ダダイズムが生まれたのはちょうどその頃、第一次世界大戦のさなかの1916年です。

ヨーロッパ全土が戦いに巻き込まれた中、永世中立国スイスは戦禍を逃れます。芸術家たちがヨーロッパ各地からスイスのチューリッヒに逃れてきました。彼らは『キャバレー・ヴォルテール』に集まり、戦争の原因を議論します。戦争は利益を追求したブルジョワ層が起こしたもので、利益を求める「合理主義」「理性」があるから戦争が起きる。だから理性や論理を捨ててしまおう、というのが彼らの結論でした。

キャバレーのメンバーは、気まぐれに辞書を開いて目についた単語「DADA」を自らの運動の名前としました。辞書にえいやとナイフを突き立てて決めた説もあります。「DADA」は、フランス語の「木馬」、ルーマニア語で「はいはい」にあたる相槌、まだ言葉を話せない幼児の「ダーダー」からとった、とも言われます。

1916年「ダダ」と命名したこの時を「ダダ宣言」と呼び、ダダ運動の始まりとされます。詩人のトリスタン・ツァラ、作家のフーゴー・バルとリヒャルト・ヒュルゼンベック、芸術家のハンス・アルプらは資本主義の論理や理性を排除した運動を展開。それまでの伝統的芸術を拒否、無意味で不合理な「ダダイズム」作品を発表していきます。

ダダイズムの代表的な芸術家たち

トリスタン・ツァラ

トリスタン・ツァラ

ルーマニア生まれのフランスの詩人で、ダダの創始者。第一次世界大戦中にスイス・チューリッヒを訪れ、1916年にフーゴ・バル、リヒャルト・ヒュルゼンベックらとチューリッヒ・ダダを結成し、「ダダ宣言」を発表します。

ツァラの詩は無秩序に言葉を並べ理性や論理を否定するアプローチを採用。その思想は20世紀の芸術に大きな影響を与えました。

ハンス・アルプ

ハンス・アルプ

ドイツ・アルザス地方(現在はフランス)出身の芸術家。第一次世界大戦を避け、スイス・チューリッヒでトリスタン・ツァラらとダダイズム運動を開始。偶然性を重視し、抽象的で幾何学的な形や曲線を組み合わせた独創的な絵画で知られます。第一次世界大戦が終息するとドイツに戻り、ケルンでマックス・エルンストらとケルン・ダダを結成します。

ラウル・ハウスマン

ラウル・ハウスマン

オーストリアの画家、写真家、ジャーナリストでベルリン・ダダの中心人物。当時のパートナー、ハンナ・ヘッヒとともにフォトモンタージュの創作を始め、コラージュやアッサンブラージュなどの技法を駆使し政治や社会批判を表現。詩や音楽、ダンスでのパフォーマンスも試み、ダダイズムの理念を広めるために積極的に活動しました。

マルセル・デュシャン

フランス生まれの芸術家で、現代アートのパイオニアとされ、ニューヨーク・ダダの中心人物としても知られます。既製品の小便器にサインして芸術作品として提示した『泉』は大論争を巻き起こし、芸術の定義を問い直す問題作となりました。デュシャンは既製品をほぼそのままオブジェとして提示した「レディ・メイド」を数多く発表。「鑑賞者が考えることで初めて作品が完成する」のちのコンセプチュアルアートやPOPアートに通じる芸術の転換点となるアーティストです。

マン・レイ

マン・レイ

アメリカの写真家で画家のマン・レイは、マルセル・デュシャンと出会い、ともにニューヨーク・ダダの中心人物として活躍します。日常の既製品を芸術作品とする「レディ・メイド」手法を採用。抽象的な写真や実験的な技法を試みました。のちにパリに移り、写真家として成功を収めます。

ダダイズムの代表的な作品

ハンス・アルプ「偶然の法則に従って配置された矩形」

ハンス・アルプ「偶然の法則に従って配置された矩形」

チューリッヒ・ダダの創始者のひとりハンス・アルプの、ちぎった色紙を意図的でなく配置したコラージュ。同じくチューリッヒ・ダダの中心的存在だったトリスタン・ツァラの無意味な言葉を並べて詩にした「言葉の実験」を形で表現したものと言われています。

ラウル・ハウスマン「機械的な頭部」

ラウル・ハウスマン「機械的な頭部」

美容師が使うマネキンヘッドに、定規やタイプライター、時計の部品などが無秩序に貼り付けられています。「寄せ集め」を意味する「アッサンブラージュ」と呼ばれる立体作品。ドイツ・ダダをリードしたハウスマンの代表作品です。

マルセル・デュシャン「泉」

マルセル・デュシャン「泉」

1917年、デュシャンがニューヨークのアンデパンダン展に匿名で出品した問題作。ただの既製品の小便器に「R.MUTT」と署名を入れただけの『泉』と名付けられた作品は、芸術ではないとして展覧会側が出展を拒否。デュシャンは論文で抗議し、大スキャンダルに発展します。芸術とは何かを問いかけた「20世紀で最も影響を与えた作品」とされています。

マルセル・デュシャン「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」

マルセル・デュシャン「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」

高さ2.7メートルの2枚の透明なガラスの間にヒューズ線や鉛の箔、ホコリまで使った通称「大ガラス」と呼ばれる謎めいた作品。上部の「花嫁」と下部の「独身者たち」のパートに分かれています。1915年にこの作品にとりかかったデュシャンですが、1923年に制作を中断、未完のまま放置します。しかし1934年にこの作品の思考プロセスが書かれた膨大なメモ「グリーンボックス」が出版され再び話題をさらいました。

マン・レイ「女綱渡り芸人は自分の影を伴う」

2015年のマン・レイ作品。後にレイヨグラフやソラリゼーションなど実験的な写真で有名になるマン・レイですが、この頃は絵を描いていました。マルセル・デュシャンと出会い、デュシャンの絵画にも見られる無機質な形態をずらした重なり、鮮やかな色彩の対比など、動的な要素が現れています。後の洗練された作品の片鱗をすでに見ることができます。

ダダイズムの主なテーマと特徴

ダダイズムの根底にあるのは「反芸術」、芸術へのアンチテーゼです。「アーティストの手で作り上げた唯一の作品で、美しく高尚なもの」とされていた「これまでの芸術作品」を全否定。既存の芸術を破壊するような「何の意味もない」挑戦的な作品を発表、マルセル・デュシャンをはじめとして「芸術とは何か」を問いかけ続けました。またダダイズムを表現するためにさまざまな技法が開発されました。

コラージュ

フランス語で「糊付け」を意味するコラージュ。写真や印刷物などを切り貼りしてイメージを創り出します。技法自体は古くからあったものの、芸術作品としてはピカソやブラックがキュビスムの表現としてとりあげ「コラージュ」と名付けました。ダダイストたちは積極的にコラージュを取り入れ「偶然」を表現しました。

フォトモンタージュ

「組み立てる」という言葉から由来し、二つ以上の映像を重ねたり合成したりして表現する手法。コラージュとの区別があいまいな部分がありますが、ダダイズムにおいては新聞記事や雑誌の写真を切り取って再構成し、政治批判や社会風刺につなげたラウル・ハウスマンらの作品を「フォトモンタージュ」としています。

アッサンブラージュ

「寄せ集める」「混ぜ合わせる」を意味するフランス語で、平面で構成するコラージュに対しアッサンブラージュは立体的に表現したもの。ダダでは廃品や日用品など雑多なものを寄せ集め無意味に貼りつけ、固定して制作された手法を指します。

レディメイド

「既製品」の意。マルセル・デュシャンが提示した既製品を使用した作品。大量生産された既製品さえ『アーティストが選んだ』時点でアートであるという考えです。それまでの「アーティストが自分の手で制作した美しい一点もの」というアートの概念に一石を投じました。

スイスのチューリッヒで始まったダダイズムですが、ほぼ同時期に世界各地で同じような思想が起こり、拡大しました。

ダダイズムの地域ごとの特徴

チューリッヒ・ダダ

1916年にチューリッヒの「キャバレー・ヴォルテール」から始まったダダイズムは、第一次世界大戦の戦禍を逃れた芸術家たちの集まりでした。当初は明確な目的は示されず、社会や政治、文化芸術に不満を抱き、厭世的なパフォーマンスやイヴェントを繰り広げていました。が、詩人トリスタン・ツァラによって第二ダダ宣言がなされて以降、論理や理性を否定するダダイズムの方向性が定まります。トリスタン・ツァラをはじめ、フーゴ・バル、ハンス・アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベック、ハンス・リヒターらが中心となって活動。詩人や文学者が多かったため文学的要素が強いのが特徴です。1919年、トリスタン・ツァラがパリへはハンス・アルプがケルンへ去り、終わりを告げました。

ドイツ・ダダ

1918年にチューリッヒからリヒャルト・ヒュルセンベックが帰国。「ダダの夕べ」を開催し、ドイツでのダダが本格的に始まりました。

ベルリンでは政治色が強く、左翼的な出版物を中心に展開されます。ラウル・ハウスマンやハンナ・ヘッヒによる印刷物と写真を組み合わせたフォトモンタージュが特徴。ハノーヴァーではクルト・シュヴィッタースが独自に活動していました。日常の中から拾い上げた印刷物や色紙などの断片で構成されたコラージュ作品「メルツ絵画」で知られます。

ケルンではチューリッヒから帰国したハンス・アルプやヨハネス・バールゲルト、マックス・エルンストらが前衛芸術家たちのグループを形成。エルンストはこの時期に最初のコラージュ作品を制作し、のちにシュルレアリスムへと進みます。

パリ・ダダ

1920年チューリッヒで活動していたトリスタン・ツァラがプルトンやピカビアの誘いでパリに移りパフォーマンスや雑誌の発行などの活動を始めます。しかしやがてプルトンとツァラは決別。のちのシュルレアリスム運動へとつながっていきます。

ニューヨーク・ダダ

ニューヨーク・ダダの活動家たちは、当初自分たちの集まりを「ダダ」と認識していなかったといいます。しかし社会に反発する姿勢がダダと通じていたため「ダダ」と呼ばれるようになりました。第一次世界大戦の影響を受けなかったニューヨークではヨーロッパダダのような虚無感はなく、シニカルとユーモアが入り混じった作品が発表されていきます。中心となったのはデュシャン、ピカビア、マン・レイ。特にデュシャンは「泉」などの問題作を制作し美術界を揺るがしました。

ダダイズムの終焉とその後

第一次世界大戦が終結し時代が落ち着き始めると、チューリッヒに集まっていた芸術家たちは帰国しダダは行き詰まります。チューリッヒ・ダダの中心人物だったトリスタン・ツァラはプルトンやピカビアらの招きでパリへ向かい、ともに活動します。しかしプルトンとの考え方の違いから分裂、ダダイズムは終焉を迎えます。

ダダイズムの実質的な活動期間は約8年間という短いものでしたが、芸術界に与えた影響は大きいものでした。それまでの芸術の概念を否定したことで「芸術とは何か」を問い直し、新たな表現の可能性を生み出したのです。 ツァラと決別したプルトンは「シュルレアリスム宣言」を発表。シュルレアリスムは「人間の本質は無意識の中にある」という考えから、夢や無意識の世界を表現します。ダダイズムは芸術を全否定した「破壊の芸術」、シュルレアリスムは「創造の芸術」と言われました。ダダイズムのメンバーの一部はシュルレアリスム運動に参加しています。

今なお生き続けるダダイズムの精神

ダダイズムは、革新的なアプローチが現代アートの発展に大きな影響を与えたとして高く評価されています。アーティストたちはダダイズムによって芸術の概念の再考を迫られ、さまざまに新たな芸術を模索しました。社会批判、レディ・メイド、自由な表現。これらダダの生み出したものたちは現代美術に引き継がれます。1960年代にはアメリカで「ネオ・ダダ」が登場。後のコンセプチュアルアートやPOPアートへとつながり、その精神は受け継がれます。

ダダイズム作品は時代の転換点の作品として高い評価を受けています。オークションに出品されることは少ないダダイズム作品ですが、2002年に出品されたマルセル・デュシャンの「泉」のレプリカは約2億円で落札。オリジナル作品は紛失しており、17点の公式レプリカが制作されましたが、これはそのひとつです。 2022年にはマン・レイの代表作「アングルのバイオリン」が写真の史上最高落札価格、約16億円を記録しました。

ダダイズムの作品が楽しめる場所  

コラージュ

ダダイズムの作品はヨーロッパやアメリカの近現代美術館を訪れると数多く見ることができます。スイス・チューリッヒの「チューリッヒ美術館」にはハンス・アルプ、ハンナ・ヘッヒ、マン・レイ、トリスタン ツァラなどの作品をはじめとする世界最大のダダコレクションがあります。

MOMAの通称で知られるニューヨーク近代美術館はマルセル・デュシャンやピカビア、マン・レイ、マックス・エルンストらの作品を収集。パリ国立近代美術館、通称ポンピドゥー・センターではデュシャン、マン・レイのほかマックス・エルンストやラウル・ハウスマンの作品を観ることができます

日本では、軽井沢のセゾン現代美術館がマン・レイの作品約60点のほか、デュシャンやエルンスト作品を所蔵。京都国立近代美術館はマルセル・デュシャンの「泉」や「自転車の車輪」「L.H.O.O.Q」の再制作版を所蔵しています。

まとめ

ダダイズムは、第一次世界大戦の混乱と不条理に対する反発から生まれ、伝統的な美術の概念を覆しました。無意味や偶然性を重視し、コラージュやレディ・メイドといった手法を用いることで、芸術の新しい表現形式を確立しました。

この運動は現代のコンテンポラリーアートに多大な影響を与え、アートの枠を超えた自由な表現を可能にしました。ダダイズムがなければ、今日のアートシーンは全く異なるものになっていたでしょう。

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