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2026.09.29

狩野永徳とは?信長・秀吉にも使えた狩野派の棟梁の来歴や画風、代表作について詳しく解説します!

狩野永徳とは?信長・秀吉にも使えた狩野派の棟梁の来歴や画風、代表作について詳しく解説します!

狩野永徳は室町時代~江戸時代まで続き、長く活躍した絵師集団・狩野派の代表的人物です。

その偉大な功績から日本美術史の中でも重要な存在として知られています。

今回はそんな「天下一の絵師」とも称された狩野派の頭領・狩野永徳についてアートリエ編集部が徹底解説。

来歴や特徴的な画風、有名なエピソードや作品を分かりやすく紹介していきます。

作品所蔵中の美術館の情報もまとめていますので、ぜひ最後までお読みください。

狩野永徳とは

狩野永徳は安土桃山時代の画人です。
天才と呼ばれ、権力者たちの御用絵師として数々の障壁画を描きあげました。

また、そうした中で江戸時代まで画壇をリードすることになる狩野派の成長にも尽力。
棟梁の地位を受け継ぎ、流派の影響力を高めました。

代表作としては《唐獅子図屏風》や《上杉本 洛中洛外図屏風》、《聚光院障壁画》などが挙げられるでしょう。
ちなみに桃山障壁画様式を構築したのも狩野永徳だと言われています。

狩野永徳の来歴

細画の時代

狩野永徳は1543年、狩野派三代目頭目である狩野松栄の息子として生を受けました。
幼少時から美術教育を受けた永徳は、早い段階で才能の片鱗を見せたと言われています。

また、彼は権力者とも縁があり、9~10歳あたりには当時の将軍である足利義輝に謁見。
20代の時も五摂家(関白や摂政の家系)の主要格・近衞家に障壁画を描いています。

そして、その同時期には後世でも現存している《上杉本 洛中洛外図屏風》や《花鳥図襖》を制作。
棟梁の地位も松栄から受け継ぎ、狩野派四代目として活動していくことになります。

なお、狩野永徳の作品は年代などによって、精密描写の細画様式と壮大な描写の大画様式に分かれているのが特徴。
本項で紹介した20代前後の頃は《上杉本 洛中洛外図屏風》のような細画の時代でした。

大画の時代

永徳が30代中盤(1576~1579年あたり)になる頃には、織田信長といった当時の権力者から依頼も増えていきました。

彼からは安土城の障壁画制作を依頼され、これを門弟たちと協力してこなしています。

ちなみにこの時期は、需要や作業量の関係で画風をこれまでの細画から大きく一変。
シンプルな構図ながら力強い大画様式の絵を独自に編み出していきました。

大画様式の迫力あるモチーフや金地による華やかさは、信長からも良い印象を持たれたと言います。

信長没後

信長が亡くなった1582年(天正10年)以降からは、新たに天下を掴んだ豊臣秀吉の御用絵師として活躍。

大坂城の障壁画や聚楽第(秀吉の邸宅および政庁)の障壁画を担当するなど、大役を務めていきます。

更にその後の1589年には後陽成天皇の私的区域での障壁画を、1590年(天正18年)には八条宮家の障壁画を手がけました。

しかし同年の作業中、過労により永徳は病に伏せてしまいます。
そして、再起をはかれないまま、狩野永徳は48歳 でその生涯を終えました。

狩野永徳の画風

豪壮華麗

豪壮華麗(ごうそうかれい)は、桃山絵画全体を特徴づける豪壮華麗な金碧様式です。

前述した大画様式そのもので、狩野永徳が画風として確立し、狩野派以外にも広がっていきました。

豪壮華麗の意味合い通り、華やかさと立派な様子が同居した絵面は、多くの権力者たちを魅了したと言います。

なお、永徳没後も豪壮華麗な様式はしばらく続きましたが、江戸時代になると需要に合わせて様式も変化。

瀟洒淡麗 (しょうしゃたんれい)といった軽い雰囲気の様式などが代わる存在になっていきます。

大胆な構図

作品内に見られる大胆な構図も狩野永徳の持ち味です。

例えば代表作《桧図屏風》の構図では、全体の画面半分程度に大きな檜の木を配置。
広がる枝も画面端に届きそうなくらい伸び伸びと描写されています。

ちなみにこうした構図の傾向は、彼が細画を描いていた時期にはあまり見られません。
大画、および豪壮華麗な様式への移行に応じて、盛り込まれていった要素だと思われます。

力強い筆致

《唐獅子図屏風》で感じられるような力強い筆致も狩野永徳の特徴だと言えるでしょう。
本作では迫力あるモチーフの存在感を高めるが如く、随所にしっかりとした筆の調子が見られます。

また、この要素に関しては京都の聚光院にある《四季花鳥図》も同様。
そういった筆致で木や岩などを描き、緩やかな空気感の中にメリハリをつけています。

狩野永徳のエピソード

狩野派

狩野派は開祖・狩野正信が活動した室町時代から始まり、およそ400年後の江戸末期まで続いた画家集団です。

特に四代目の狩野永徳以降からは流派としての存在感が強まっていき、長期的に日本絵画の先達となりました。

そんな狩野派の特徴は、門下の絵師たちを率いて仕事を行っていたこと。
作業を分業し、権力者や幕府からの膨大な数の依頼を捌いていったのです。

ただ、そうした体制故に狩野派の人間は流派の画風を守ることを求められました。

また、永徳の祖父・狩野元信の時点で、狩野派はやまと絵と中国の漢画を混ぜ合わせた画風を確立しています。

具体的には写実的な「真」、抽象的要素のある「草」、柔らかさが際立つ「行」といったパターンを使い分け、幅広い需要に応えていたようです。

狩野派に関して詳しく知りたい方は、下記の記事もぜひご覧ください。

天下人の絵師

狩野永徳は乱世で勝利を掴んだ織田信長や豊臣秀吉、そして天皇家に重宝された存在でした。
そのため現代では、永徳のことを「天下人の絵師」と呼ぶ声も少なくありません。

そして近年では、そんな権力者たちと関係を築いたビジネス力も注目されています。

ただ、永徳が子供の時から将軍の謁見などをしていたことを踏まえると、狩野派自体が外交能力に優れていたのかもしれません。

現存するものが少ない

狩野永徳が制作した作品の中で、現存しているものは20点に満たないと言われています。
これは何故かというと、権力者の依頼で制作した作品などは戦火の影響で失われてしまったため。

制作途中で永徳が病没した東福寺法堂の天井画も、弟子の狩野山楽が仕上げましたが現存していません。

前項で述べたように天下人の絵師と呼ばれる狩野永徳ですが、作品保全の面で言えば不幸な絵師だったと言えるでしょう。

狩野永徳の後継者たち

狩野永徳の死は、狩野派の人々に大きな悲しみと混乱を与える出来事でもありました。

そんな状況の中で奮闘したのが、永徳の子である光信や孝信といった後継者や門人たちです。
彼らは朝廷や当時拮抗状態にあった徳川と豊臣に専属絵師として関わったうえで、狩野派の地位を固めることに成功。

複数の勢力に流派の絵師をそれぞれ配置することで、権力者が変わっても狩野派が生き残れるような状態を作ったと言います。

更に、後世では孝信の子である探幽が狩野永徳の再来と呼ばれるほどに成長。
彼は徳川幕府の御用絵師を務め、江戸時代における日本画の基本形を確立しました。

また、門人の狩野山楽は流派の大半が江戸に移る中、京都に残り京狩野を広めています。

狩野永徳と長谷川等伯

狩野永徳のライバルとして名前が挙がりやすいのが長谷川等伯です。
彼は京で台頭していた狩野派に対抗すべく長谷川派を立ち上げました。

およそ20年かけて人脈形成や門下の育成、技術向上を行った長谷川派は、やがて大きな規模と勢力に育っていきます。
そして、狩野派が請け負う後陽成天皇の邸宅業務に割り込んでいくなど、狩野派と争う姿勢を見せていきました。

こうした長谷川派の行動に対して不満を持った狩野永徳は、割り込み防止に尽力。
ですが、体調を崩しそのままこの世を去ってしまいます。

この狩野永徳の他界を好機と見た長谷川派は、勢力を強め狩野派に並ぶ流派として台頭しました。

等伯の没後、長谷川派は縮小傾向に

その後、祥雲寺(現在の智積院)の障壁画を依頼されるなど等伯および長谷川派は目覚ましい活躍を行っていきます。

その一方で狩野永徳没後から約3年経った1593年に、次代長谷川派を担うはずの久蔵が他界。
更に1598年には自分を評価した豊臣秀吉が亡くなるなど、等伯にとって辛い出来事が続きます。

そして1610年になると、ついに長谷川等伯自身も72歳で病没。
以降の長谷川派は、画壇を牽引した狩野派とは対照的に規模を縮小していくことになります。

狩野永徳の代表的な作品

唐獅子図屏風

唐獅子図屏風

《唐獅子図屏風》(右隻:16世紀、左隻:17世紀)は右隻と左隻からなる1双の作品です。
本作は2021年に国宝指定されました。

2つの屏風(びょうぶ)の内、狩野永徳が手掛けたのは桃山時代に制作された右隻のみです。
こちらの内容としては、逞しい2匹の獅子(伝説上のライオンに似た動物)が岩の間を歩く様を描いています。

構図的にはシンプルですが、豪壮華麗な様式ならではの迫力と壮大さ、金地の華やかさを感じる絵面だと言えるでしょう。

この右隻は元々豊臣秀吉の城にあった作品で、それを屏風形式にしたという説もあります。

ちなみにもう一方の左隻は、江戸時代に狩野常信が右隻に合わせて描いたようです。

上杉本 洛中洛外図屏風

上杉本 洛中洛外図屏風

《上杉本 洛中洛外図屏風》(16世紀中期ごろ)も左右一双の作品です。
こちらは室町幕府第13代将軍を務めた足利義輝の命で制作したと言われています。

そこには上杉謙信に本図を贈り、権力が衰えた自身を助けてもらおうとする目論見があったようです。
ただ、義輝自身は本作の制作途中、裏切りによって落命しています。

そんな《上杉本 洛中洛外図屏風》は、京の洛中(町中)と洛外(郊外)を広く見渡す様な構図になっているのが特徴。
当時の住民の生活ぶりや風情、季節の行事、祭り、名所などが丁寧に描かれています。

なお、画面内に登場している人物は合計で2000人以上いるようです。
各所には金地や金雲といった要素も見られ、それらが全体的な華やかさを演出しています。

花鳥図襖のうち梅図

花鳥図襖

《聚光院障壁画》は狩野永徳が父と共同で制作した作品です。
その中に含まれる16面(左右正面の3方向)の襖絵《四季花鳥図》などは永徳の担当範囲だと言われています。

この内、右手側に配置されているのが特に有名な梅図(梅花禽鳥図)。
梅図はその名の通り、梅の木や禽鳥(キンチョウ)が優美な風景の中に描かれている襖絵です。

画面内の梅の木の枝は細いものの、4枚分の襖に大きく広がるほど雄大。
多少曲線を交えながら生き生きと伸びていて、自然の力強さを感じさせてくれます。

また、周囲の岩や木の根元が硬質感のある筆跡で描写されているのも梅図のポイント。
これらは穏やかな絵面の中に良いアクセントを生み出しています。

桧図屏風

桧図屏風

《桧図屏風》(1590年)は、狩野永徳が晩年に描いた4曲1双の襖絵です。
1590年に完成した八条宮(現在の桂宮家)の邸宅に配置されていたと言われています。

この《桧図屏風》は檜(ひのき)のダイナミックなフォルム、はっきりとした彩色がなによりも特徴。
檜の大樹は猛々しく力強く描かれ、その生命力を示すように大枝を広げています。

その様はまるで桃山花鳥画の基調である豪壮華麗を体現しているようです。
更に背景の雲や大地は金箔で、メインである檜の存在感をより強調させています。

なお本作には、今日に至るまで複数回の補修が行われてきました。
葉の部分などを見てみると絵の具が剥がれた形跡があるため、本来は現在よりも色彩豊かだった可能性があります。

狩野永徳作品を収蔵する主な美術館・博物館・寺院

宮内庁丸の内尚蔵館(東京)

東京都千代田区の皇居東御苑内に所在する博物館です。
国宝および重要文化財に指定されたアートや作品が多く集まっています。

こちらでは狩野永徳による《唐獅子図屏風》や狩野探幽の《源氏物語図屏風》が所蔵中です。

公式サイト:https://shozokan.nich.go.jp/

京都 聚光院(京都)

聚光院(じゅこういん)は、京都市北区に所在する臨済宗大徳寺派の寺院です。
本堂の方丈障壁画46面は狩野永徳とその父である松栄が制作したものとなっています。

ただし、こちらにあるのは高精度の複製画像。
オリジナルは京都国立博物館に存在します。

なお、寺内の公開は基本的に行われていません。
不定期に行われている特別公開日のみ、寺内の作品を閲覧することができます。

紹介ページ:https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=21

米沢市上杉博物館(山形)

山形県米沢市に所在する市立博物館です。
江戸中期の大名である上杉鷹山といった上杉氏に関連した貴重品、および国宝などが保管されています。

狩野永徳の作品としては《紙本金地着色 洛中洛外図屏風》が所蔵中です。

公式サイト:https://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/uesugi.htm

東京国立博物館(東京)

東京都台東区に所在する国立博物館です。
こちらは東洋や日本の文化財を多数展示・保管しています。

その数は2023年4月時点でおよそ12万件。
東京国立博物館には、狩野永徳の《檜図屏風》も所蔵されています。

公式サイト:https://www.tnm.jp/

まとめ:狩野永徳は狩野派を率いた日本を代表する画人

以上、狩野永徳の生涯や功績、逸話、作品を項目毎にお伝えしました。

本記事の内容が狩野永徳や彼の作品を理解するきっかけとなれば幸いです。
興味がある方はぜひ紹介した博物館などで作品をご覧になってみてください。

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