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2026.01.27

ウィリアム・ターナー:イギリス・ロマン主義の代表画家の生涯や画風を詳しく解説します!

ウィリアム・ターナー:イギリス・ロマン主義の代表画家の生涯や画風を詳しく解説します!

風景画が好きな人ならば、ウィリアム・ターナーという名前を聞いたことがあるかもしれません。イギリス風景画の黄金期を築いたといわれるのがターナーです。

イギリス湖畔の風景やドラマチックな海景を描いたターナーは、どんな人生のなかで作風を確立していったのでしょうか。

ターナーの魅力について、特徴や代表作とともにアートリエ編集部が詳しく解説します。

ウィリアム・ターナーとは

ウィリアム・ターナー

ウィリアム・ターナーは、18世紀の終わりから19世紀にかけて活躍したイギリスの風景画家です。当時のヨーロッパにあったロマン主義を絵画の世界で体現し、イギリス風景画の黄金期を築きました。

超人的なスケールで風景を描いたターナーは、自分の眼で見た自然を独自の作風で表現しました。空気や大気まで表現することで、生の自然を伝えようとしたターナー。その革新的な技法は、印象派の画家たちにも大きな影響を与えました。

ウィリアム・ターナーの来歴

風景画家として一時代を築いたターナーは、どんな人生を歩んだのでしょうか。

彼の人生を追っていきましょう。

生い立ちとロイヤル・アカデミー

ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、1775年に生まれました。ターナーの父は、劇場や市場が並ぶにぎやかなコヴェント・ガーデンで床屋を営んでいました。

1785年、ターナーはテムズ川をさかのぼったところにあるブレントフォードの叔父夫婦のもとで過ごしました。この時見た情景が、風景画家としてのキャリアの原点になります。

1788年にロンドンに戻ったターナーは、息子の才能を確信した父の庇護のもと、1789年には建築画の専門家のもとで素描を学びました。同年12月、ロイヤル・アカデミーへの入学を許されています。

ロイヤル・アカデミーは、当時のイギリスにおける唯一の正式な美術教育機関でした。

一方でトマス・モンローのアカデミーでカズンズやエドワード・デイズと交流。水彩風景画の先達たちの作品から、研究を重ねたと伝えられています。

入学の翌年、水彩作品≪ランベスの大主教館≫を出品しています。

オールド・マスター時代

ターナーが活躍した18〜19世紀は、イギリス美術界において水彩画が大きく発展した時代でもありました。彼が学んだロイヤル・アカデミーでは、石膏像や人体からの素描が教育の中心でしたが、絵画・透視図法・解剖学などの講義も含まれており、油彩画に関する体系的な指導は限定的だったと考えられます。

そのためターナーは、オールド・マスター(15〜18世紀の巨匠)の作品を収蔵する個人宅を訪ね歩き、模写や観察を通じて油彩技法を独自に習得しました。クロード・ロランやニコラ・プッサンからは風景構成を、アールベルト・カイプやヤーコプ・ファン・ライスダールからは海景表現を、レンブラントやヴァトーからは人物描写を学び取っています。

水彩と油彩の両分野で高い評価を得たターナーは、1799年11月にロイヤル・アカデミーの準会員に選出されました。

イタリアの影響

国内外の風景を描いて絶大な人気を得たターナーは、生涯に4回、イタリアを旅しています。18世紀のヨーロッパではグランド・ツアーが流行し、古代とルネサンスの文化的遺産が残るイタリアへ旅行する知識人がたくさんいました。

ターナーも、早くから版画や古代彫刻を通じてイタリア文化に触れていましたが、実際に最初の旅をしたのは1819年、44歳のときでした。

イタリアの各都市を巡りスケッチを描いたほか、古代の遺跡や美術作品を熱心に研究しました。

1828年、1833年、1840年にもイタリアを再訪し、40年から46年には毎年ヴェネツィアの風景を発表するほど、水の都に惹かれていました。1828年の滞在時にはローマのスペイン階段近くに部屋を借り、制作活動も行っています。

故郷とは違うイタリアの明るい光と大気は、ターナーが追求してきたテーマと合致したといわれています。

後年

1830年ごろから、テーマや表現のスタイルは独創的なものへと変化しました。自然や社会を見て感じ取ったものを、既存の枠組みに束縛されることなく描き出す、という手法です。

伝統的な規範から逸脱した自由な色彩は、痛烈な批判も浴びました。人気画家であったにもかかわらず、キャリアの後半期の作品は、展覧会に出品しても半数以上が売れなかったといわれています。

美術史のなかで俯瞰して見れば、ターナーの新しい技法は印象派や抽象絵画の先駆けです。彼が生涯追い続けた光や大気、天候などの主題もまた、印象派誕生に影響を与えました。

1851年12月19日に亡くなったターナーの作品約2万点は、国家に遺贈されました。

ウィリアム・ターナーの画風

ウィリアム・ターナーの画風

風景画家としてイギリス絵画の価値を高めただけではなく、印象派や抽象主義にも影響を与えたといわれるターナー。彼の画風の特徴を解説します。

イギリス・ロマン主義

自然を新しい感受性でとらえて表現するターナーの技法は、イギリス・ロマン主義の体現といわれています。

ロマン主義は、18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパで流行した思想です。合理主義的な思想よりも、個々の個性や感受性を重んじるというテーマが軸にあります。イギリスではすでに18世紀半ば、自然と人間の魂の交歓を歌い上げる文学作品が人気を博していました。哲学者ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」という呼びかけが、イギリス・ロマン主義の運動と合致していたともいわれています。

ターナーが描く霧に包まれたイギリスの湖畔の風景や神秘的な表現は、まさにそのシンボルでした。

彩色の傾向

ターナーの作風は、ガイドブックの写真のような写実から、光や大気の表現へと変化を遂げていきます。

実際に目に見えない空気や大気を描くためのターナーの彩色は、輪郭も定まらない自由なものとなります。大胆さを加速させた晩年の作風は、風刺画で揶揄されるほど、当時の人々の理解を超えていたようです。

ピクチャレスクの風景美学

ターナーの作風は何度か変わりましたが、初期においてはピクチャレスク(鑑賞して心地よいものの総称)で絶大な人気を得ました。

現代のインスタグラム同様、人々の心を捉えるモチーフを選ぶだけではなく、ときには崇高な荒々しさや不規則性を添えて、見る人の感情を掻き立てる作品がいわゆる「ピクチャレスク」です。

ターナーが描いた渓流や湖、古城や廃墟などはまさにピクチャレスクなテーマであり、巨大なものや激しいものをドラマチックに描いた点もまた、多くの人の心を捉えました。

印象派への影響

日本でも大人気の印象派は、19世紀後半に興った美術運動です。ターナーの作品は、印象派誕生にも影響を与えたといわれています。

1830年代半ば以降、伝統から抜け出した革新的な作風を用いただけではなく、大気や水、光や炎などの自然のエッセンスを自由なフォルムで描くようになります。

明確なテーマの具象画を見慣れていた人たちは、新しい作風に困惑したといわれています。しかしターナー自身は「理解してもらうために描いたのではない」と言い切り、気候や条件によって姿を変える「生」の大自然を描くことを重視しました。

この姿勢はまさに印象派のものですが、実際の印象派とは違い、ターナーの作品の多くはアトリエで構成されています。

ウィリアム・ターナーのエピソード

イギリス美術界を代表するターナー。彼の人生を彩るエピソードを紹介します。

ラスキンとの出会い

ターナーの最大の礼賛者が、19世紀に活躍した社会思想家ジョン・ラスキンです。2人の間には、40歳以上の差がありました。しかし13歳のときにターナーの挿絵に出会って以来、ラスキンはターナーに夢中になり、風景画となった場所の多くを訪れたといわれています。

ラスキンは1843年に刊行された『近代画家論』でターナー擁護の論陣を張り、独特の画風で批判されがちのターナーの最大の応援者となりました。

ターナー自身はラスキンと一定の距離を保っていたといわれますが、ヴィクトリア朝時代を代表する思想家ラスキンの支持を得たことで、評価は強固なものになったのです。

当時のイギリス社会の風景版画の人気

イギリスの富裕層は、旅行をして見聞を広めることを好む傾向がありました。ガイドブックのような役割を果たす風景画もイギリスでは大人気で、1790年代後半のターナーは60点もの注文を抱えていたという逸話も残っています。

美術批評家に批判されても、パトロンが常に存在していたことは幸運でした。貴族や地主階級の人々が作品を高額で購入したり注文したため、ターナーは名声と財産双方を手にすることができたのです。

生涯を通じて5〜7回の画風の転換

早熟の風景画家と呼ばれたターナーは、生涯を通じて作風が転換したことでも有名。5~7回、画風が変わったといわれています。

当時のイギリス絵画界を席巻していた水彩画の時代、画名を上げるために励んだ油彩への挑戦、オールドマスターたちから学び超越しようとした時代、大陸旅行で見聞を広めて以後の画風、ナショナリズムの影響を受けた時代、イタリア見聞後、そして晩年。

初期の作品と晩年の作品は、同一の画家とは思えないほど異なる画風があります。

ターナーの遺言

生涯独身だったターナーは、自分の作品について遺言を残しました。

彼の作品はまとめて国家に遺贈され、望んだとおり≪霧の中を登る太陽≫と≪カルタゴを建設するディド≫は並べて展示されています。

公共のギャラリーでイギリスの美術家が十分な評価を得られなかったことから、自らの遺贈がその改善につながることを願ったとも伝えられています。

ウィリアム・ターナーの代表作

2万点に及ぶ作品やスケッチの中から代表作を紹介します。

トラファルガーの戦い

トラファルガーの戦い

1824年に制作された≪トラファルガーの戦い≫は、ターナーが王室から注文を受けた唯一の作品。ナポレオン戦争後、ナショナリズムが高揚する風潮の中で描かれました。

伝統的な絵画の世界で格式が高い歴史画であるため、膨大な史料を参考に描いたといわれています。イギリスの偉大さを伝える船や海のテーマは、ターナーの得意とするところでした。

解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号

解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号

トラファルガーの戦いでネルソン提督が乗るヴィクトリー号を支えたテメレール号。老朽化した同船を描いたのが≪解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆくテメレール号≫です。

沈んでいく夕日に照らされた船に、歴史の変遷が感じられる作品。ターナーは同作品の展示に「戦いにも、吹く風にも立ち向かってきた旗も / もはやその姿をとどめず」という2行を載せています。

雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道 

雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道

1844年、70歳になろうとしていたターナーが描いた≪雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道≫。テムズ川をテーマにしたターナーの作品は、上流付近ののどかな風景が大半でしたが、晩年は近代的な鉄道とともに描きました。

動きによって速度を表現し、画期的と激賞されたこの作品。ターナーは、汽車の窓から身を乗り出して雨にずぶぬれになりながら構想したというエピソードも残っています。

ターナー作品を所蔵する主な美術館

ターナーの作品を鑑賞できる美術館を紹介します。

ナショナル・ギャラリー(イギリス)

1824年に開設されたナショナル・ギャラリーは、ロンドンの名所のひとつ。ターナーの油彩や未完成品、スケッチは彼の死後、ナショナルギャラリーに寄贈されました。

≪霧の中を上る太陽≫と≪カルタゴを建設するディド≫は、遺言通り並んだ姿で鑑賞できます。

テート・ギャラリー(イギリス)

1897年、イギリス美術に特化した美術館としてオープンしたテート・ギャラリー。現在ターナーの作品は、ナショナル・ギャラリーに一部を残して、すべてテート・ギャラリーに移されています。

1987年にはターナー遺贈コレクションのためにクロア・ギャラリーも新設。ターナーの世界にどっぷり浸れます。

まとめ:イギリス風景画の黄金時代を築き印象派にも影響を与えたウィリアム・ターナー

ウィリアム・ターナーは、18世紀の終わりから19世紀にかけて活躍したイギリスの風景画家です。のどかなイギリスの風景だけではなく、自然の偉大さや脅威もテーマにした作品が多く、イギリスを代表するアーティストと評価されています。

晩年の作風は印象派や抽象主義に影響を与えたといわれ、絵画史においても重要な役割を果たしたターナー。ぜひ彼の作品から風景画の魅力を感じてみてください。

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