詩的な作風で人気の高いマルク・シャガール。花束や恋人たちをテーマにしたマルク・シャガールの作品は、「愛の画家」と呼ばれるにふさわしい魅力があります。日本でもマルク・シャガールの美術展はよく開かれており、気軽に親しむことができる画家のひとり。
故郷への思いや深い信仰心を基盤に描かれたといわれるマルク・シャガールは、どんな人生を送り、幻想的な作品を生み出したのでしょうか。アートリエ編集部が、マルク・シャガールの来歴や画風について詳しく解説します。
マルク・シャガールとは
マルク・シャガールは、20世紀に活躍したロシア出身の画家です。ロシアからパリへ向かい、前衛美術に影響を受けたのち、ロシアの民族性やユダヤの神秘性をベースに作品を描きました。
空を浮遊する恋人たち、メルヘンチックな花々、幻想的な色彩で人気を博し、絵画だけではなくステンドグラスのデザインや舞台装飾も手掛けました。
世界大戦後は平和や宗教をテーマにした作品も制作し、メッセージ性の強い絵画もよく知られています。キュビズムの影響を受けながらも、独自の画風を作り上げた画家、それがマルク・シャガールです。
マルク・シャガールの来歴
日本でも人気のマルク・シャガール。彼はどんな人生を送り、美しい作品を描いたのでしょうか。
マルク・シャガールの生涯を追います。
生い立ち
マルク・シャガールは1887年、ロシアのヴィテブスク(現在はベラルーシの町)に生まれました。農業と職人を兼業する父、深い信仰心を持つ母のいるユダヤ系の家庭でした。毎週土曜日には叔父が家にやってきて、聖書を朗読してくれるという、貧しくも平和な空気のなかでマルク・シャガールは少年期を過ごしました。この幸福な時代が、のちの作品に影響を与えたという説もあります。
故郷の画塾に通っていたマルク・シャガールは1907年、ペテルブルグの王立美術奨励学校に入学。翌年には退学し、レオン・バクストのアカデミーで当時のフランス芸術に触れました。セザンヌやゴッホ、ゴーギャンの作品を知り、強い刺激を受けています。
パリへ
1910年、23歳のマルク・シャガールは、憧れのパリに向かいます。ある代議士の援助で、1914年までフランスに滞在しました。当時のパリは、「芸術の都」としてよき時代の輝きを見せていました。
パリ滞在時代のマルク・シャガールは、画家のモディリアーニや詩人のアポリネールと交流。マルク・シャガールの作品に見られる奔放な想像力は、ロシアの民族性とフランス美術の表現力が融合することで、可能になったといわれています。
マルク・シャガール本人が「当時私は、自分にはパリが必要だということをはっきりと知っていた」と述懐したように、マルク・シャガールの絵画の大成にパリ滞在は重要な要素となりました。
モンパルナスの「蜂の巣(ラ・リュージュ)」で活動を始めたマルク・シャガールの作品はにわかに明るくなり、1911年にはアンデパンダン展に出品。1914年には、ベルリンのデア・シュトゥルム画廊で個展を開催し、ドイツを訪問しています。
ロシアへの帰還
ドイツを訪れたマルク・シャガールはその足で故郷に戻りました。同時に第1次世界大戦が勃発、そのままロシアにとどまることになりました。
1915年、マルク・シャガールはベラ・ローゼンフェルトと結婚。ベラの存在は、マルク・シャガールにとってインスピレーションとなり、さまざまな作品にベラを描いています。
1917年、ロシアでは10月革命が起き、ソビエト政権が誕生しました。それに伴い、マルク・シャガールは生まれ故郷ヴィテブスクの地区美術委員となり、美術学校を創設しました。しかし美術学校の教授陣と意見が合わなくなり、マルク・シャガールは学校を去りモスクワへ。モスクワでは、国立ユダヤ劇場の壁画装飾などを制作しています。
再びパリへ
1922年、マルク・シャガールはベルリンに赴き、1923年にパリに戻りました。
画商ボラールに依頼され、ロシア・リアリズムの祖とされるゴーゴリの『死せる魂』の挿絵を手掛けたり、版画制作や自伝の執筆など、精力的に活動。エコール・ド・パリの有力画家とされていたマルク・シャガールの幻想的な作風は、このころからシュルレアリストたちから高い評価を受けるようになります。
1937年にフランスの市民権を獲得したものの、世界大戦の余波がマルク・シャガールの平穏を脅かし始めます。ナチスから退廃芸術の作家という烙印を押され、生活拠点を南仏に移しました。
アメリカへの亡命と妻ベラの死
1941年、マルク・シャガールはニューヨーク近代美術館の招きを受けてアメリカに渡ります。第2次世界大戦が終わるまで、マルク・シャガールはアメリカでの亡命生活を続けることになります。
アンリ・マティスの息子ピエール・マティスの援助のもと、個展を開いたり美術展に出品するなどの活動を行ったほか、バレエの舞台や衣装を担当したりもしています。
1944年、マルク・シャガールは最愛の妻ベラを感染症で失いました。ベラの死は彼にとって大きな打撃となり、制作活動がままならないほどでした。1945年に描かれた≪彼女を巡って≫には、愛妻を失った彼の慟哭が見えるかのようです。
ベラの死後のマルク・シャガールの作品は、ますます神秘性を深めていくことになります。
南フランスへ
1947年、マルク・シャガールはパリで行われた大回顧展をきっかけにフランス永住を決心。南フランスのヴァンスに居を定めます。
バランチーヌ・ブロドスキーとの再婚も、マルク・シャガールの制作意欲を高めることとなり、1964年にはパリのオペラ座の天井画を制作。エルサレムにあるバダッサ病院内のシナゴーグのためにステンドグラスのデザインをしたり、版画、陶器の作品もあり、活動の幅を広げていきました。
20世紀を代表する巨匠としてゆるぎない名声を築いたマルク・シャガールは、1985年に97歳の天寿を全うしました。
マルク・シャガールの画風
絵本のような色彩、花や恋人たちのテーマが魅力的なマルク・シャガールの作品。彼の作品にはどんな特徴があるのか、詳しく解説します。
色彩の魔術師
マルク・シャガールの画風の最大の特徴は、豊かな色彩にあります。「色彩の魔術師」とか「色彩の詩人」というあだ名を与えられたほど、マルク・シャガールの色彩は豊かで自由。ロシアからパリに出てくることで、マルク・シャガールの奔放な想像力は花開き、キュビズムの影響を受けながらも独自の色彩表現を獲得したのです。70年という長い制作活動期間、多少の画風の変化はあったものの、第1回のパリ滞在期で得た色彩感覚は生涯を通じて変わりませんでした。
年齢や性別を超えてあらゆる人の心を捉えるマルク・シャガールの色は、まさに唯一無二のものといえるでしょう。
重力を無視した構図
マルク・シャガールといえば、空に浮かぶ恋人たちを思い浮かべる人は多いと思います。重力を無視した構図は、神話的とか幻想的などといわれています。
マルク・シャガールの親友であった詩人アポリネールは、マルク・シャガールが描く詩的な世界を「超自然的(シュルナチュレル)」と評しました。これがのちの「超自然主義(シュルレアリスム)」のひとつの根となり、後進たちに大きな影響を与えたのです。
ある美術評論家は、重力を無視したマルク・シャガールの構図の神秘性について、彼のルーツにあったユダヤの文化があったという説も展開しています。
愛の画家
美しい絵本のようなマルク・シャガールの作品を見て、悪意や邪心を感じる人はいません。喜びも哀しみも暖かな色彩で表現され、慈しみや優しさを感じます。マルク・シャガールが「愛の画家」と呼ばれるゆえんです。
マルク・シャガールが私生活において、妻のベラを熱愛していたことは有名です。彼女の死から立ち上がった後、再婚したバランチーヌとも琴瑟相和す仲でした。貧しくとも愛にあふれた少年期を送ったことも知られています。
こうした家庭の在り方に加え、故郷への郷愁、ユダヤ文化への敬愛など、マルク・シャガールの作品の機軸となったのが「愛」でした。
マルク・シャガールのその人柄が、作品へと投影されたといえるでしょう。
版画とステンドグラス
マルク・シャガールの活動は非常に多彩で、油彩以外にもグワッシュや彫刻、舞台芸術も手掛けていました。また版画やステンドグラスの作品は、絵画と並んで高く評価されています。
版画作品としては、ラ・フォンテーヌの《寓話》や《ダフニスとクロエ》、また聖書を題材にしたものが有名です。
信仰心が篤かったマルク・シャガールは、シナゴーグや大聖堂のステンドグラスのデザインでも才能を発揮。エルサレムのバダッサ病院、フランスのランス大聖堂には、シャガールが手掛けたステンドグラスが今も燦然と輝いています。
マルク・シャガールのエピソード
ソビエト政権発足前のロシアに生まれ、世界大戦を生き抜き、20世紀の巨匠と呼ばれるようになったマルク・シャガール。美しい作品に隠された彼のエピソードをいくつか紹介します。
故郷とユダヤ
代表作≪私と村≫をはじめ、マルク・シャガールの作品の中には故郷ロシアの農村や、ユダヤの風俗に根差したイメージを見ることができます。
芸術の都パリで大成したマルク・シャガールですが、画業の根本にあるのは故郷での思い出やユダヤ文化への尊崇でした。世界大戦中の困難を乗り越えたあとも、その確固たる思いは変わることがありませんでした。
エコール・ド・パリ
「エコール・ド・パリ」という名称は、活動した本人たちが意識したものではなく、美術史家によって作られたものです。1920年代のパリで制作活動をした外国人画家たちのグループを指します。
マルク・シャガールはエコール・ド・パリの有力画家と注目され、活動の幅を広げたという経緯があります。同時期のエコール・ド・パリの画家には、イタリアのモディリアーニ、ポーランドのキスリングなどがいました。
モンマルトルやモンパルナスで制作活動をしていたエコール・ド・パリの画家たちは、ユダヤ系が大半でした。シャガールのように、幼少期の回想にテーマを見出して傑作を残した画家も多数いました。
毒舌家
「愛の画家」と呼ばれるマルク・シャガールですが、好き嫌いがはっきりとした性格であり、毒舌家であったと伝えられています。
同時代に活躍した画家たちに対してもシニカルな批評をすることが多かったのだとか。
シュルレアリスムは、アンリ・ルソーからマルク・シャガールを経た流れの中で生まれたといわれていますが、アンリ・ルソーに心酔していたピカソについても、マルク・シャガールは辛辣に批判しています。
本田宗一郎との交流
マルク・シャガールは日本でも人気のある画家ですが、日本の偉人と交流があったことを知っている人は少ないかもしれません。その偉人とは、本田技研工業の商業者である本田宗一郎氏です。
1981年のインタビューで本田宗一郎氏は、マルク・シャガールと面会し夫人がサインをもらったことを明かしています。
本田宗一郎氏がマルク・シャガールに、筆と硯、墨をおみやげに持参したところ、それらの使い方を本田氏から聞いたマルク・シャガールは部屋に閉じこもり創作活動に没頭してしまったそうです。結局そのまま部屋から出てくることはなかったマルク・シャガールについて、本田氏は「あれは神の境地だね」とコメントしています。
偉人であった本田氏だからこそ、天才のマルク・シャガールを理解できたのかもしれません。
マルク・シャガールの代表作
死後40年近くたった現在も、マルク・シャガールの作品は愛され続けています。代表作とその魅力を解説します。
誕生日
1915年、ベラ・ローゼンフェルトと結婚した年にマルク・シャガールが描いたのが≪誕生日≫です。愛妻を描いたマルク・シャガールの作品の中でもとくに有名な作品で、浮遊する若く幸福な2人が印象的。当時の世界を席巻していた戦争や迫害からも解放されているような、自由と幸せが表現されています。
内気な性格であったというベラも、花束を抱えてキスを受け、今にも抱擁しそうな空気が漂います。制作から100年以上たった今も、不朽の名作として人気のある作品です。
ダフニスとクロエ
マルク・シャガールが手掛けた版画の中でも有名な作品のひとつ≪ダフニスとクロエ≫。2から3世紀ごろ、ギリシアの作家ロンゴスによって描かれた牧歌的な恋愛小説の挿絵です。
ダフニスとクロエの物語は、文学者ゲーテや音楽家のラヴェルにも影響を与えた名作。1958年パリのオペラ座で行われたバレエ公演は、舞台芸術や衣装についてもマルク・シャガールが担当しています。
物語に漂う抒情的で牧歌的な雰囲気は、まさにマルク・シャガールの作風と合致。≪ダフニスとクロエ≫は、品格ある挿絵としてマルク・シャガールの代表作となりました。
七本指の自画像
20代半ばのマルク・シャガールが描いた≪七本指の自画像≫。キュビズムの様式が際立つ作品は、窓の外に見えるエッフェル塔からパリで描かれたことがわかります。
パレットを持つマルク・シャガールの前にはキャンバスがあり、愛する故郷ロシアのヴィテブスクが描かれています。7本の指を持つマルク・シャガールの左手がこの絵を愛撫するように添えられていて、故郷への愛着が感じられます。
7本指についてはいろいろな説がありますが、聖書に登場する「天地創造の7日間」を意味すると主張する研究家もいます。
青いサーカス
1950年、60代のマルク・シャガールの傑作のひとつ≪青いサーカス≫。マルク・シャガールはパリ滞在期、画商のアンブロワーズ・ヴォラールに連れられてよくサーカスを見学したといわれています。
観客席から眺める光や色、ドラマティックな場面やコミカルなシーンが、マルク・シャガールの創作に刺激を与え、数々の作品が生まれることになりました。
≪青いサーカス≫は躍動感ある人物の動きを中心に、リズムや音を感じる作品に仕上がっています。
夢の花束
1964年、当時の文化大臣でマルク・シャガールの友人でもあったアンドレ・マルローの依頼で制作されたのが、パリ旧オペラ座の天井画が≪夢の花束≫です。パリの名所とともに、ワーグナーやヴェルディら14人の大作曲家の代表的オペラのシーンが描かれました。
制作当時77歳だったマルク・シャガールの最高傑作といわれる≪夢の花束≫ですが、極秘のプロジェクトであったこともあり、完成後は古典的な作風を好む人たちからの批判を浴びました。白い背景から浮かび上がるシャガールならではの色彩は、晩年のマルク・シャガールの真骨頂です。
マルク・シャガール作品を収蔵する主な美術館
日本でもよく知られた画家マルク・シャガール。彼の作品はどの美術館で鑑賞できるのでしょうか。
マルク・シャガールの作品を収蔵する美術館を紹介します。
国立マルク・シャガール美術館(フランス)
フランスのニースにある国立マルク・シャガール美術館は、1973年に文化大臣アンドレ・マルローの声掛けによって設立されました。アンドレ・マルローはマルク・シャガールの友人であり、パリの旧オペラ座の天井画の依頼者でもあります。
マルク・シャガールが存命中に開館した同美術館には、聖書をテーマにした作品がまとめられています。創世記や出エジプト記などの旧約聖書のテーマを、マルク・シャガールの色彩で鑑賞できます。モザイクやタペストリー、ステンドグラスも所蔵しており、マルク・シャガールが晩年を過ごした南仏の空気のなかで楽しめるのがうれしいところです。
ポンピドゥーセンター(フランス)
芸術活動の諸機能を備えたポンピドゥーセンターは、パリの中心ボーブール地区にあります。文化の向上をイメージした前衛的な建物の中では、≪白い襟のベラ≫や旧約聖書のモーゼをテーマにした作品、彫刻など、多数の作品を所蔵。
スケッチ類も多く、マルク・シャガールのデッサン力を実感できます。
高知県立美術館(高知)
世界でも有数のマルク・シャガールのコレクションで知られる高知県立美術館。油彩画と版画は1200点を超え、世界から注目されるコレクションになっています。
テーマごとに異なる作品を入れ替えて展示しているため、1年を通じてさまざまなマルク・シャガールの作品を鑑賞できます。
ポーラ美術館(神奈川)
印象派やエコール・ド・パリの画家の作品が充実している神奈川県のポーラ美術館。マルク・シャガールの作品もたくさんあり、≪私と村≫や≪花束を持つ少女≫、『死せる魂』や『ダフニスとクロエ』の挿絵も見ることができます。所蔵数はおよそ30点。
シャガールらしさが詰まった作品を見ることができます。
ひろしま美術館(広島)
広島市の中心にあるひろしま美術館は、エコール・ド・パリのコレクションが充実しています。印象派から始まる近代絵画の変遷を感じつつ、故郷への思いが詰まった≪ヴィテブスクの眺め≫や幻想的な≪恋人たちと花束≫などのマルク・シャガール作品を楽しめます。
まとめ:「愛の画家」と呼ばれるマルク・シャガールが作品に込めた故郷や妻への思いを感じよう
幻想的な色彩が印象的なマルク・シャガールの作品。一見すると上質な絵本のような作風は、アートに興味がない人にも強い印象を与えます。
マルク・シャガールが美しい作品に込めたのは、故郷への思い、自分のルーツへの敬愛、家族への深い愛でした。
困難な画風が変わらなかったマルク・シャガールの作品は、今も多くのファンがいます。
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