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2024.08.14

ピエト・モンドリアンとは?来歴や画風、代表作「コンポジション」シリーズまで詳しく解説します

ピエト・モンドリアンとは?来歴や画風、代表作「コンポジション」シリーズまで詳しく解説します

抽象絵画の創始者と言われるピエト・モンドリアンは、20世紀のもっとも重要なアーティストのひとりです。名前を知らなくても作品を見たことがある方は多いでしょう。

この記事では、モンドリアンの来歴や画風、代表作についてアートリエ編集部が解説します。モンドリアンについて詳しくなりたい方は、ぜひ最後までご覧ください。

ピエト・モンドリアンとは?

ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian 1872-1944)は、19世紀末から20世紀半ばにかけて活動した抽象画で知られる画家です。

初期は写実主義的な風景画を描いていましたが、キュビズムを経てしだいに抽象画へ移行。独自に確立した芸術理論「新造形主義(ネオ・プラスチシズム)」に基づいた、直線と3原色で構成された「コンポジション」シリーズが有名です。彼の作品は、アート界はもちろん、建築やファッション、工業デザインなど幅広い分野に影響を与えています。

ピエト・モンドリアンの来歴

ここからはモンドリアンの来歴を順を追って紹介します。

生い立ち

モンドリアンは、1872年3月7日にオランダ・アムステルダム近郊のアメルスフォールトで5人兄弟の長男として生まれました。

父親は小学校の教師でアマチュアの画家、叔父はハーグ派の画家という環境で育ち、2人の指導の下、近所の川沿いでスケッチをしながら育ちました。

キャリア初期

やがて小学校の教師になり、同時に絵も描いていました。この時期は故郷の田園風景や風車など自然主義的な絵をハーグ派の手法で描いています。

1892年には、中学校の美術教師の資格を取得しましたが、画家を目指してアムステルダムの国立美術学校に入学しました。美術学校でアカデミックな絵画技法を教わりながらも、神智学や印象派、フォーヴィズムなどの様々なアートの影響を感じる作品も描いており、自分の絵のスタイルを模索していたことが伺えます。

キュビズムとの出会いと抽象の試行

モンドリアンは1911年にアムステルダムで開かれた美術展「モダン・クンストリング」で、キュビズム作品に大きな感銘を受けたといいます。40歳を目前にパリに移り住み、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが提唱するキュビズムの影響が強い作品を制作するようになりました。

パリに出てからのモンドリアンは、本来の「Mondriaan」という姓の綴りを、フランス語風の「Mondrian」に変えています。画家としてパリの前衛芸術の世界に溶け込もうとする姿勢が表れているようです。

この時期の絵は「灰色の樹」や「ジンジャーポットのある静物Ⅱ」のように、しだいに平面的で幾何学的な画風へ変化する様子がわかります。しかし、キュビズムを追求していくなかで、ものの形をさらに抽象化するなど、キュビズムの先を目指すことを考え始めたのです。

新造形主義

1914年、父の病気の知らせを聞いて、見舞いのためにオランダへ帰国しました。しかし、第一次世界大戦が開戦したためパリに戻れず、以後、4年半ほどをオランダで過ごすことになります。

オランダでは、ベルト・ヴァン・デ・レックやテオ・ファン・ドースブルクらとの出会いがあり、キュビズムから抽象的な表現へ興味が移っていきました。1916年には神智学の影響を感じる「プラスとマイナスのための習作」や、1917年には色を平面的に塗った「カラーボックス付きコンポジションNo.3」などを描いています。

1917年には、ドゥースブルフらと芸術雑誌「デ・ステイル (De Stijl)」を創刊しました。そのなかで「新造形主義(ネオ・プラスチシズム)」という美術理論を提唱したのです。抽象的なアートの必要性を説き、現実にあるモノの形から離れた純粋な抽象絵画へ進んで行ったことが伺えます。

コンポジションの確立

再びパリへ

モンドリアンは1918年にパリに戻ると、自分らしい抽象画を追求しながら、1938年までの20年間を過ごしています。初期の抽象画にはグレーのグリッド線だけで構成された作品や、全体に均等に水平線や垂直線を描き、小さな正方形に色を塗った作品などがありました。

1921年には、キャンバスを太い黒のグリッド線で不均一に上下左右を区切り、赤・青・黄と無彩色で塗り分けた白い平面が目立つ作風を確立。「コンポジション」というタイトルをつけています。1930年代には、抽象画家グループの「アプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)」に参加しながら、「コンポジション」シリーズを熱心に制作しました。

ニューヨークへ

1938年には、戦争の兆しが見えるパリからロンドンへ移り、1940年にパリが陥落すると60代後半でニューヨークへ渡ります。ニューヨークでは、それまで黒だったグリッド線を黄色で描いたり、黄色のグリッド線の中に赤や青、無彩色が入るなど画面分割にリズムが加わったりするなどの変化が現れました。作品はより洗練され、明るく華やかとなり、モンドリアンがニューヨークの生活を楽しんでいた様子を映し出しているようです。

1942年に人生初の個展を開催し、1943年には「ブロードウェイ・ブギウギ」がニューヨーク近代美術館に買い上げられています。晩年になっても自らの絵に満足せず、模索を続けたモンドリアンでしたが、1944年2月1日、風邪からの肺炎により71歳で死去しました。

ピエト・モンドリアンの画風とエピソード

ピエト・モンドリアン

ここではモンドリアンの画風やエピソードを4つの視点から紹介します。

水平・垂直の直線と三原色から成る「コンポジション」

モンドリアンの代表作である「コンポジション」シリーズは、白いキャンバスに黒の水平線と垂直線、赤・青・黄の三原色で構成された抽象絵画です。コンポジションの手法は、1921年に確立しました。

構図を決めるのに試行錯誤したと言われており、1921年より以前の作品にはその過程が伺えます。モンドリアンは、線や限られた色などの組み合わせによって、純粋な抽象性を追求し、普遍的で純粋な美に到達しようとしました。

「コンポジション」は、後に続く抽象表現主義やミニマル・アートなどに大きな影響を与えています。

キャンバスへの工夫

1920年代半ばからキャンバスを45度傾けて、ひし形に配置した「タブロー No.Ⅰ」や「黄色い線のあるコンポジション」などの作品を定期的に制作するようになりました。この「ひし形」シリーズは、未完の「ヴィクトリー・ブギウギ」と晩年まで描き続けられています。キャンバスを傾けることで、斬新さと直角に交わったグリッド線や四角形との調和が感じられます。

また、現代アートでしばしば見かけるような、それまで絵画では当たり前だった額縁を用いないこともありました。むしろ額縁がないことで作品の余韻が感じられるようです。

モンドリアンは、単純に絵を描くだけではなく、キャンバスにも工夫を凝らしていました。

芸術雑誌『デ・ステイル (De Stijl)』を創刊

芸術雑誌「デ・ステイル (De Stijl)」は、モンドリアンがオランダに帰国していた1917年に、現地で知り合った仲間と創刊した芸術雑誌です。その中で自身の芸術理論、直線と3原色や無彩色などの限られた要素のみを使う手法「新造形主義(ネオ・プラスチシズム)」を唱えました。

「デ・ステイル」では、エッセイを寄せるなどの活動をしていましたが、ドゥースブルフが、「要素主義」を主張して対立したため、1925年に脱退しました。また、「デ・スタイル」は、雑誌の理論を基本としたアーティストグループの名前でもあります。

抽象画家のグループ「抽象・創造」へ参加

1930年代に参加した「抽象・創造(アプストラクシオン=クレアシオン)」は、1932年にパリで結成された国際的な抽象画家のグループです。ゆるやかに構成されたグループで、最盛期には400人ほどのメンバーがいました。

モンドリアンと並ぶ抽象画の創始者とされるワシリー・カンディンスキーや、パリ時代の岡本太郎なども在籍していました。第二次世界大戦の影響で画家たちが亡命するなどして、その影響はアメリカやブラジルなどにも見られます。

ピエト・モンドリアンの代表作

ここではモンドリアンの代表作を3点紹介します。

赤・青・黄のコンポジション

赤・青・黄のコンポジション

1930年に製作された油彩で、スイス・チューリッヒ美術館の所蔵です。モンドリアンの代表作のなかでも特に有名な「コンポジション」シリーズのひとつです。

キャンバスを長方形に区切り、境界線は太い黒の直線で塗られています。長方形は大部分を占める赤と、青と黄の3つの原色と白がそれぞれ塗られ、非対称に分割されながら、全体としてはバランスが取れた配置となっています。

ブロードウェイ・ブギウギ

ブロードウェイ・ブギウギ

1942~1943年にかけて制作された晩年の代表作で、ニューヨーク近代美術館の所蔵です。マンハッタンの街並みを、モンドリアンが好んだジャズのブギウギに触発されて描きました。

明るい黄色を中心とした、細かい正方形や長方形を配置した構図は、高層ビルの街並みにネオンが灯り、タクシーが行き交う華やかな街の様子が想像できるようです。抽象画でありながら、ニューヨークの地図を見ているような作品です。

ニューヨーク・シティ

ニューヨーク・シティ

1942年に制作された油彩画で、フランス・パリのポンピドゥー・センター内にある国立近代美術館の所蔵です。碁盤の目のようなニューヨークのストリートとアベニューが直角に交差する様子を、黄色を中心に赤や青の線で表しています。

この作品に先だって粘着テープで制作されたノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵の「ニューヨーク・シティⅠ」が、75年間上下さかさまに展示されていたことでも話題となりました。

ピエト・モンドリアンを収蔵する主な美術館

パリ国立近代美術館

出典:Wikimedia commons

ここではモンドリアンの作品を収蔵する海外の美術館を紹介します。

ニューヨーク近代美術館(アメリカ)

アメリカ・ニューヨークにある近現代美術専門の美術館で、1929年に開館したモダンアートの殿堂です。The Museum of Modern Art, New Yorkを略した「MoMA」と呼ばれています。

モンドリアンの代表作「ブロードウェイ・ブギウギ」や「コンポジション」シリーズをはじめとする抽象画、風景画など、30点ほどを所蔵しています。(2024年7月現在)

パリ国立近代美術館(フランス)

フランス・パリのポンピドゥー・センター内にある国立の近代美術館で、1947年に開館し、1977年に現在の場所に移動しました。20~21世紀の近現代のコレクションは、ヨーロッパ最大規模です。

モンドリアン作品は、「ニューヨークシティ I」や「赤・青・白のコンポジション II」のほか、デッサンなどを所蔵しています。

デン・ハーグ市立美術館(オランダ)

オランダのハーグにある市立の近代美術館で、1866年に設立されました。絵画の他、ファッションやデザインなど、19~20世紀の作品を楽しめます。

世界最大規模のモンドリアン作品のコレクションは、初期の風景画から最後の作品「ヴィクトリー・ブギウギ」まで、300点近くを所蔵しています。

まとめ:ピエト・モンドリアンはモダンデザインの立役者

ここまでモンドリアンの来歴やエピソード、代表作をお伝えしてきました。自分らしいスタイルを模索し、40歳を超えて独自の美術理論を確立して、今なお世の中に影響を与え続けています。機会があれば、ぜひ美術館で作品を直接見てください。

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