ノーマン・ロックウェルは、古き良きアメリカの姿を描いた画家です。物語性を感じる作風をもつノーマン・ロックウェルは、『サタデー・イブニング・ポスト』誌のイラストを40年以上にわたって手掛け、アメリカ人の日常生活を生き生きと描きました。
美術におけるさまざまな動向が交流する20世紀に、一貫したスタイルを守ったノーマン・ロックウェル。彼はどんな画家だったのでしょうか。 アメリカ的な文化の体現者ノーマン・ロックウェルの魅力や作品について、アートリエ編集部がわかりやすく解説します。
ノーマン・ロックウェルとは
ノーマン・ロックは、20世紀に活躍した画家でありイラストレーターです。
アメリカが経済的にも技術的にも大国になろうとしていた時代、アメリカ人の姿を物語性のある作風で描き人気を得ました。革新性よりも親しみやすさを重視したノーマン・ロックウェルの作品は、長年にわたりアメリカの雑誌のカバーを飾ったほか、多数のポスターにもなりました。
とくに『サタデー・イブニング・ポスト』のカバーは、1916年から1963年の長きにわたり手がけたことで知られています。理想と写実のバランスが抜群で、アメリカ人の姿を率直に描きながら、アメリカ人が誇らしく思える作品を数多く残した画家ノーマン・ロックウェル。
晩年には社会問題にも注目し、政治的なテーマでも傑作を残しています。
ノーマン・ロックウェルの来歴
アメリカ人に愛された画家ノーマン・ロックウェルは、どんな人生を送ったのでしょうか。
彼の来歴を見ていきましょう。
生い立ち
ノーマン・ロックウェルが生まれたのは1894年。
ニューヨークのマンハッタン、アッパーウエストサイドに生まれ、当時の典型的な中産階級の家庭に育ちました。ノーマン・ロックウェルの父親は家族にディケンズの作品を読み聞かせることが多かったといわれ、ロックウェルの明朗な作風は幼少期の経験に由来するという説もあります。
生粋のニューヨーカーであったノーマン・ロックウェルですが、若い頃から田舎の風景を描くことを好んでいました。当時のアメリカはヨーロッパの影響が残る保守的な風潮が一般的で、英国にルーツを持つ家庭に生まれた伝統であるロックウェルも、英国的に自然を愛する傾向があったようです。
ノーマン・ロックウェルは10代にナショナル・アカデミー・オブ・デザインとアート・スチューデンツ・リーグに学び、イラストレーターのトーマス・フォガティに師事。当時からノーマン・ロックウェルの才能は、教師陣を瞠目させるほどだったそうです。画家のジョージ・ブリッジマンからは人物描写を学び、早くも16歳でデビューすることになりました。
画家・イラストレーターとして活躍
16歳でデビューしたノーマン・ロックウェルの作品は、4枚のクリスマスカードでした。またノーマン・ロックウェルは10代から、ボーイスカウトアメリカ連盟の機関紙『Boy’s Life』のアートディレクターに採用され、若い世代向けの雑誌のカバーを担当するフリーランスとして成功していきます。
21歳の時、ノーマン・ロックウェルは家族とともにニューヨーク州ニューロシェルに移ります。この町には、イラストレーターとして活躍していたラインデッカーやハワード・チャンドラー・クリスティーなどが住んでいました。彼らの影響を受けたノーマン・ロックウェルは、友人であるヴィクター・フォーサイスとともにスタジオを設立。『ライフ』『リテラリー・ダイジェスト』『カントリー・ジェントルマン』などの雑誌に作品を掲載するようになりました。
転機となった1916年以降
ノーマン・ロックウェルにとって転機となったのは1916年、22歳の時です。『サタデー・イブニング・ポスト』に最初のカバーを描いたロックウェルは、その後47年間、同紙にカバーを提供することになります。
1920年代、ノーマン・ロックウェルはパリに滞在して、当時の最新の画法にも触れています。しかしノーマン・ロックウェルは、純粋芸術ではなく大衆とともにある絵画制作に終始し、アメリカ人の心に寄り添い続けました。
1930年からの最盛期
1930年に結婚したノーマン・ロックウェルは、1939年にバーモント州アーリントンに引っ越し、作品にはアメリカの小さな町の風景もよく登場するようになります。
1930年代以降、ノーマン・ロックウェルの作風はより円熟味を見せるようになり、1枚の絵で人生そのものを映し出すような作品が増えました。キャリア初期には白を背景に人物が主役としてくっきりと浮かび上がるスタイルが目立ちましたが、最盛期には幅広い視点から物語性を伝える表現も顕著になります。
1930年代後半から、ノーマン・ロックウェルは写真を参考に作品を制作するようになります。友人や隣人のありのままのポーズを参考に描かれた作品は、見る人によりリアリティを感じさせるようになりました。
1940年代にはいると、ノーマン・ロックウェルの作品は彩色よりも輪郭が目立つようになり、技法にも多様性が際立っています。
1943年、ルーズベルト大統領の議会演説に触発されたノーマン・ロックウェルは代表作となる≪4つの自由≫を制作。『サタデー・イブニング・ポスト』に掲載された≪4つの自由≫は大変な人気を博し、米国各地を巡回しました。
政治性も帯びた晩年の活動
1963年、ノーマン・ロックウェルは47年に及んだ『サタデー・イブニング・ポスト』との関係に終止符を打ちます。その後、『ルック』紙に作品を掲載するようになりました。この時期のノーマン・ロックウェルは、公民権や貧困、宇宙への探検など、政治性を帯びた作品も数多く残しています。『ルック』誌では「私たちみんなの問題」など社会問題に関する連載も制作しています。
1977年にノーマン・ロックウェルは名誉ある大統領自由勲章を授与され、翌年、84歳の生涯を閉じました。
ノーマン・ロックウェルが晩年を過ごしていたマサチューセッツ州ストックブリッジは、現在ノーマン・ロックウェル美術館となっています。
ノーマン・ロックウェルの作風やエピソード
詩情やユーモアを感じるノーマン・ロックウェルの作品。ノーマン・ロックウェルの作品やエピソードを知り、より深く作品を楽しんでみましょう。
軽いタッチで描くアメリカの市民生活
ノーマン・ロックウェルの最大の特徴は、平均的なアメリカ人の市民生活を軽いタッチで描いたところにあります。抽象芸術が台頭した20世紀にありながら、ノーマン・ロックウェルは日常生活をテーマに、わかりやすい絵画を描き続けました。生活音や人々のざわめきまで聞こえてきそうなリアルさが、ノーマン・ロックウェルの作品の魅力です。
悪意のかけらもない理想郷のようなノーマン・ロックウェルの作品には、アメリカ人がこうありたいと願う姿が軽やかに表現されています。
『サタデー・イブニング・ポスト』紙の表紙
ノーマン・ロックウェルにとってキャリアの機軸となっていたのが、キャリア初期から後期に至るまで47年間継続した、『サタデー・イブニング・ポスト』の表紙制作です。
「アメリカを映す最高のショーウィンドー」と激賞されたノーマン・ロックウェルによる『サタデー・イブニング・ポスト』の表紙は実に312枚。
まさに20世紀のアメリカを描き続けた半世紀でした。
スタジオの火災で多くの作品が焼失
ニューヨークに生まれ町育ちのノーマン・ロックウェル。人生において何度か引っ越しを繰り返し、バーモント州やマサチューセッツ州で自然に囲まれた生活を好んでいました。
1943年、キャリアの最盛期を迎えたころ、当時住んでいたバーモント州アーリントンのスタジオで火災が発生。多作で知られているノーマン・ロックウェルの多数の作品が、この火事で焼失してしまいました。
晩年のノーマン・ロックウェルは自らの作品の保存に心を砕き、マサチューセッツ州にあるノーマン・ロックウェル美術館の構想を残して世を去りました。
現在、ノーマン・ロックウェルのオリジナル作品の大半が、同美術館に保管されています。
ボーイスカウト運動に対して多大な貢献
10代から才能を発揮していたノーマン・ロックウェルは、10代後半でボーイスカウトアメリカ連盟のアートディレクターとして活躍。機関紙『Boy’s Life』の表紙だけではなく、ボーイスカウトのガイドブックやカレンダー、切手のデザインも担当しました。
日本のボーイスカウトの『ポケットブック』にもノーマン・ロックウェルの作品が用いられたことがあり、青少年の健全性や活動、仲間や家族との関係をさまざまな構図で描きました。
ボーイスカウト運動に対するノーマン・ロックウェルの多大な貢献に対して、アメリカ連盟は功労賞を贈り、謝意を伝えています。
ノーマン・ロックウェルの代表作
ノーマン・ロックウェルは、アーティストにありがちな「意外性」ではなく、大衆の心をつかむ「わかりやすさ」によって高い評価を得ていている画家です。
ノーマン・ロックウェルの代表作について、その魅力を見ていきましょう。
4つの自由(The Four Freedoms)
ノーマン・ロックウェルが最盛期を迎えた1943年に描いた≪4つの自由(The Four Freedoms)≫。ノーマン・ロックウェルの代表作といわれるこの作品は、1941年1月6日、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトが年頭に述べた内容を絵にしたものです。
4つの自由とは「言論および表現の自由」「信仰の自由」「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」。将来の世界像の基礎となるべきものとして提示されたこのテーマを、ノーマン・ロックウェルは一般人の視線から描いています。
16都市を巡回した≪4つの自由≫は、100万人以上のアメリカ人が鑑賞したといわれています。関連商品の販売により、戦時資金の調達の一助になったというエピソードがあります。
Walking to Church
『サタデー・イブニング・ポスト』の1953年4月4日号の表紙を飾った≪Walking to Church≫。若い夫婦と3人の子供が教会へ向かう姿が、当時のアメリカの街並みとともに抒情的に表現されています。父親と息子たち、母親と娘はそれぞれおそろいのカラーで盛装をし、聖書を持って歩いています。
配達された新聞や牛乳が戸口に置かれていることから、早朝のワンシーンであることがわかります。
道に落ちたゴミ、歩道の割れ目から生えた草など、どこにでもある小さな町の様子が丁寧に描写され、評価の高い1枚になっています。
The Problem We All Live With
明るく健全なアメリカ人を描いていたノーマン・ロックウェルは、1960年に『ルック』誌に作品を掲載するようになって以降、社会問題にも目を向けるようになりました。
1964年に描いた≪The Problem We All Live With(私たちが共有すべき問題)≫は、当時のアメリカの暗部を表現した作品です。
作品の主役となっているのは6歳のルビー・ブリッジス。きちんとした服装で描かれた彼女は、1960年にニューオリンズのウィリアム・フランツ小学校入学初日を迎えました。連邦裁判所の判断によってルビーは同校に通う最初のアフリカ系アメリカ人となりましたが、世論の反発は大きく、絵の中の壁には黒人に対する軽蔑語が書かれています。
黄色い腕章をした連邦保安官に守られて登校する黒人の少女のこの作品は、2009年に大統領となったバラク・オバマ氏によって、大統領執務室につながる廊下に掲げられました。モデルとなったルビー・ブリッジスとともに、この歴史的な作品を眺めるオバマ大統領の姿が、写真に残されています。
ノーマン・ロックウェルを収蔵する主な美術館
ノーマン・ロックウェルの作品は、残念なことに1943年の火災で失われてしまったものもたくさんあります。ロックウェル自身が保管にこだわった彼の作品、いったいどこで鑑賞できるのでしょうか。
ノーマン・ロックウェル美術館(アメリカ)
ノーマン・ロックウェルの作品をまとめてみたいと思ったら、アメリカのマサチューセッツ州ストックブリッジにあるノーマン・ロックウェル美術館へ。ロックウェルのコレクションとしては世界最大です。
ノーマン・ロックウェルが晩年の25年を過ごした場所にある美術館は、ロバート・スターンによる設計で建てられています。
オリジナル作品574点に加え、ノーマン・ロックウェルゆかりのアイテムも鑑賞できます。
スミソニアン・アメリカ美術館(アメリカ)
ノーマン・ロックウェルの後期の傑作≪4つの自由≫。オリジナルはノーマン・ロックウェル美術館にありますが、リトグラフの作品はスミソニアン・アメリカ美術館で鑑賞できます。
アメリカが誇る学術研究機関でもあるスミソニアンで見る≪4つの自由≫は、人種差別の問題を克服してきたアメリカの歴史を実感できる重々しさがあります。
メトロポリタン美術館(アメリカ)
ノーマン・ロックウェルの生まれ故郷、アメリカにあるメトロポリタン美術館は、アメリカでも有数の規模を誇ります。
メトロポリタン美術館には、ロックウェルがキャリア初期、1925年に『サタデー・イブニング・ポスト』8月29日号のカバーになった≪Expressman≫、1954年1月9日号のカバーとなった≪Lion and Zookeeper≫などがあります。ユーモアと悲哀が交差するこれらの作品から、ノーマン・ロックウェルの真髄を実感できます。
まとめ:一貫してアメリカの姿を描き続けた画家ノーマン・ロックウェル
物語を感じる作風が魅力的なノーマン・ロックウェル。ニューヨーク生まれのノーマン・ロックウェルは、一貫してアメリカの姿を描き続けた画家です。
アメリカ人の真実の姿を描きながら、アメリカ人が誇れるような作風やテーマが特徴のノーマン・ロックウェル。キャリア初期にはおとぎ話のような作風が際立っていますが、晩年にはアメリカの暗部にも目を向け、風刺性やメッセージ性のある作品を残しました。
アメリカで最高の栄誉である大統領自由勲章も受章したノーマン・ロックウェルの作品、機会があったらぜひじっくりと鑑賞してみてください。
アートリエではアートに関する情報を発信しています。アートのことをもっと知りたいという方は、こまめにウェブサイトをチェックしてみてください。
また、実際に絵を購入してみたいという方は、活躍中のアーティストの作品をアートリエで購入、またはレンタルすることもできます。誰でも気軽にアートのある生活を体験することができるので、ぜひお気に入りの作品を探してみてください。