アクション・ペインティングを生み出した画家として知られるジャクソン・ポロックは戦中・戦後のアメリカ美術を代表するような存在ですが、その画業や作品について詳しく知らないという方も多いのではないでしょうか。
本記事ではアートリエ編集部がポロックの生涯と作品について分かりやすく解説します。
ジャクソン・ポロックとは
ジャクソン・ポロックはアメリカの抽象表現主義を代表する画家として知られています。第二次世界大戦後における美術の動向は、ヨーロッパからアメリカへとその中心が移行していきました。
アメリカの抽象画家たちは、巨大な画面に色彩を埋め尽くすような作品で人間の根源的な部分を表現しようとしました。ポロックはマーク・ロスコと並んで、絵の具で均一に画面を覆い尽くす「オール・オーヴァー」と呼ばれるスタイルの作品で、アメリカ美術に新しい潮流を作り出しました。
ジャクソン・ポロックの来歴
生い立ち
ポール・ジャクソン・ポロックは1912年にアメリカのワイオミング州コーディで5人兄弟の末っ子として生まれました。
母であるステラ・メイはかつて芸術家を志していたため、ポロックは文芸や芸術に囲まれた環境で育ちました。農夫だった父はのちに土地測量師となり、アメリカ中の各地を転々としていました。幼い頃のポロックも父とともに各地を移動し、ネイティブ・アメリカンの文化を探究するなど、異文化を学びながら育ちました。
高校では主に抽象芸術や彫刻、神智学を学び、1930年には兄のチャールズ・ポロックに続いてニューヨークに移り、二人はアート・スチューデンツ・リーグで画家であるトーマス・ハート・ベントンに師事し、美術を学ぶこととなります。
キャリア初期
ポロックは1936年に、ニューヨークの実験的なワークショップでメキシコの壁画家デビッド・アルファロ・シケイロスから液体絵の具の使い方について影響を受け、これがきっかけで1940年代初頭に液体を流し込んで線を描く「ポーリング」の手法を編み出します。
1938年から1942年までポロックはWPA連邦芸術プロジェクトに携わり、アルコール依存症と戦いながら絵画を制作しました。ユング派の精神分析医から依存症を克服するための絵画療法を受けていたことも影響し、ポロックは無意識が生み出す芸術の意味について追求していきます。
アクション・ペインティングを確立
1943年にコレクターであるペギー・グッゲンハイムのギャラリーと契約を結び、2.4×6.1mにおよぶ大壁画の制作を依頼されました。ポロックの友人でありアドバイザーでもあったマルセル・デュシャンの提案で、作品を持ち運べるように壁ではなくキャンバスに作品を描き、ポーリングや絵の具を滴らせる「ドリッピング」を駆使して描く「アクション・ペインティング」の技法を生み出しました。
この壁画は美術評論家であるクレメント・グリーンバーグなどから絶賛されましたが、マスコミからは絵の具をぶちまけただけと批判されました。
絶頂期と行き詰り
ポロックの最も有名な作品のほとんどは1947年から1950年の期間に描かれました。彼の名は1949年8月の『ライフ』誌における「彼はアメリカで現存する最も偉大な画家か?」という4ページにわたる特集によって有名となりました。
若い画廊のオーナーであるポール・ファケッティとの知遇を得て、1948年から1951年にかけて描かれた作品を披露する展覧会を開催し、好評を博します。しかしポロックは名声の絶頂期にドリッピングによる制作スタイルを放棄し、1951年以降は初期作品に見られるようなモノトーンの色使いに回帰します。これらの作品は「ブラック・ペインティング」と呼ばれますが、当時は不評で全く売れなかったと言います。
最期
1955年に制作した2点の絵画作品を最後としてポロックは全く絵を描かなくなり、ワイヤーやガーゼ、石膏などを用いた彫刻作品を制作するなどの模索を繰り返します。
有名画家としてのプレッシャーやアルコール依存症の再発などの理由で、晩年のポロックは混迷の只中にありました。1956年に同乗者を巻き込んだ飲酒運転による事故を起こし、44歳で亡くなりました。
ジャクソン・ポロックの画風やエピソード
ネイティブアメリカンの砂絵の影響
ポロックのドリッピングの技法は、ネイティブ・アメリカンの砂絵にその源泉があると言われています。ポロックは少年時代に兄に連れられて、先住民の居留地で砂絵の制作を見たことがあると言います。また彼は1941年にニューヨーク近代美術館で開催されたアメリカ先住民の美術をテーマとした展覧会において、ナバホ族による砂絵の実演を見たと言われています。
ナバホ族の砂絵師は地面に腰を下ろし、手に取った色砂を少しずつ流し落としていくことで砂絵を描いていきます。彼は床に向かって四方から描いていく砂絵の制作方法から強い影響を受け、自身の制作に取り入れていきました。
アクション・ペインティング
ポロックは第二次世界大戦中にアメリカに亡命していたシュルレアリストたちとの交流や、尊敬するピカソやジョアン・ミロらから影響を受け、無意識のイメージに着目しました。そのイメージを具現化する手法としてポロックはキャンバスを床に置き、大きな身振りをしながら絵の具を飛び散らせたり垂らしたりして作品を描きました。
絵の具を塗る道具としては、筆のほかに棒や注射器なども使用していました。ポロックは絵の具をキャンバスの四方から自由に垂らすことで、偶然に生まれる効果を作品に生かしました。
オール・オーヴァー
オール・オーヴァーとは、「全面を覆う」という意味の用語で、ポロックの作品に対して1950年代以降に使用されました。ポロックの作品はドリッピングやポーリングの技法でキャンバス全体が絵の具で塗り込められ、奥行きのない平面や統一性が強調されています。
オール・オーヴァーという単語は、このような特徴を持つ抽象表現主義の絵画に対して用いられるようになり、美術の一つの重要な概念として定着しています。
アルコール依存症との戦い
ポロックは生涯の大半をアルコール依存症と戦って過ごしました。彼は15歳頃から兄と一緒にグランド・キャニオンの測量調査団の助手として働いており、その頃から大人の男たちに影響を受けて飲酒癖がついてしまいます。
また彼は1938年から連邦美術プロジェクトに参加し作品を制作し始めますが、この頃からアルコール依存症が発症し、ユング派の医師によって精神分析の治療を受けて絵画療法などを実践していました。このような経験も相まって、ポロックは無意識の世界へと関心を向けたと言われています。しかし依存症を克服することはできず、飲酒運転が原因で友人を巻き込んだ自動車事故を起こし、44歳でその生涯を終えました。
妻リー・クラズナー
ポロックは1942年にマクミレン・ギャラリーに出展した際に妻となるリー・クラズナーと出会います。クラズナー自身も画家だったため、近代美術と絵画技法に明るかったことから、ポロックにしばしばアドバイスをしていました。またポロックにコレクターや批評家、芸術家を多数紹介し、彼のキャリアを支えた最も重要な人物として知られています。
ジャクソン・ポロックの代表作
五尋の深み
現在ニューヨーク近代美術館に所蔵されている「五尋の深み」は、ポロックがドロッピングやポーリングを用いて描き始めた初期の作品です。タイトルはシェイクスピアの『テンペスト』に登場するセリフから引用したと言われています。「五尋」とは約9メートルを表します。
ポロックは寝付けない夜に近所を散歩して過ごしていたそうで、その体験から本作は悩ましい夜を表現していると言われています。本作では絵の具のほかにタバコの吸い殻、釘、画鋲、ボタン、コインなどが埋め込まれており、彼が崇拝していたピカソのコラージュからの影響が指摘されています。
インディアンレッドの地の壁画
出典:WikiART
「インディアンレッドの地の壁画」は183×243.5センチの大作で、1950年に住宅用の壁画として描かれました。赤褐色のキャンバスの上に、白、黒、黄色、銀色の絵の具の線としぶきが散らばっています。
一見衝動的で無秩序にも見えますが全体にはリズムがあり、ポロックは意識的にドリッピングの技法をコントロールしているように見えます。本作はポロックのキャリアの全盛期に描かれた作品として貴重であり、彼独自の技法の完成形とも言えます。
秋のリズム:ナンバー30
出典:WikiART
「秋のリズム:ナンバー30」は、ポロック全盛期の1950年に描かれた266.7×525.8センチに及ぶ大作で、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。絵筆や棒に粘性のある絵の具を付けて垂らすポーリングの線描法が存分に発揮された作品で、本作は下塗りをしていないキャンバスを床に広げ、投げ縄を投げるような動作で描かれました。
白と黒を中心とした線が画面にリズムを作っており、書道を思わせるような絵の具の滴りや線の勢いが所々に見られます。ポロックは缶から直接絵の具を流しこむこともあったそうですが、本作では固まった絵の具の物質感と凹凸感も見ることができます。
収斂
出典:WikiART
「収斂」はポロックがアクション・ペインティングから脱却し、「ブラック・ペインティング」と呼ばれる新しい作風に移行した1952年に描かれた作品です。
ドロッピングやポーリングを駆使して描かれた黒の勢いのある線の上に白、黄色、赤、青といった鮮やかな色彩が乱舞しています。所々に絵の具の滲みがあり、全盛期のアクション・ペインティングにはない効果と特徴が見受けられます。
No. 5, 1948
本作はポロックが1948年に制作した240×120センチの作品で、人工木材であるファイバーボードに光沢のあるエナメル絵の具で描かれました。灰色、茶色、白、黒、黄色の絵の具が凝縮された密度で散らばっており、まさにオール・オーヴァーの画面となっています。
本作は当初個人が所有していましたが、2006年11月のサザビーズオークションで、当時史上最高額の約1億4000万ドルで落札され、その記録は2011年4月まで破られることはありませんでした。
ジャクソン・ポロック作品を収蔵する主な美術館
ニューヨーク近代美術館(アメリカ)
ニューヨーク近代美術館には「五尋の深み」をはじめとした初期のドリッピング作品をはじめ、全盛期のアクション・ペインティング、ブラック・ペインティング、版画作品など、ポロックの画業を網羅するような作品86点が所蔵されています。
ポロックの死後、妻のリー・クラズナーは所有していた主要作品を同館に寄贈し、彼の作品を広めるために大きく貢献しました。
メトロポリタン美術館(アメリカ)
ニューヨークのメトロポリタン美術館にはポロックの代表作である「秋のリズム:ナンバー30」が所蔵されているほか、古典の神話を題材とした大作「パシパエ」、人体のスケッチなどが多数所蔵されています。
「秋のリズム:ナンバー30」は同館の目玉コレクションの一つとして知られ、多くの来場者の目を惹きつけています。
大原美術館(岡山)
ポロックはオール・オーヴァーの作品を手がけたほぼ同時期に、支持体の一部を切り抜いた「カット・アウト」という作品シリーズを制作していました。その中の貴重な作品の一つが岡山の大原美術館に所蔵されています。アクション・ペインティングによってさまざまな色の線で埋め尽くされた画面の中央が人型のような形に切り取られています。
オール・オーヴァーの完全に抽象的な画面に、具体的な形を要素として盛り込んだポロックの模索が見てとれる作品となっています。
DIC川村記念美術館(千葉)
DIC川村記念美術館にはポロックが1951年に制作した「緑、黒、黄褐色のコンポジション」という作品が所蔵されています。
彼の全盛期に描かれた良作であり、同館では抽象表現主義の他の作家の作品とともに鑑賞できるため、ポロック作品の位置付けを理解することができます。
まとめ
アルコール依存症に苦しみ、44歳という若さでこの世を去ってしまったポロックですが、その斬新な制作方法と迫力ある作品でアメリカの美術の一つの潮流を作った点においては、やはり偉大な画家と言えるでしょう。
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