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2024.08.13

アンリ・ルソーとは?最も有名な「日曜画家」の来歴や画風、代表作について詳しく解説します!

アンリ・ルソーとは?最も有名な「日曜画家」の来歴や画風、代表作について詳しく解説します!

アンリ・ルソーは19世紀終わり頃から20世紀初頭にかけて活躍した画家です。彼はほぼ独学で絵画を制作し、後世に影響を及ぼすほどの作品を遺しました。

その功績から最も有名な日曜画家として知られています。

今回はそんなルソーの来歴や画風、エピソード、代表作をアートリエ編集部が徹底解説。作品の収蔵美術館もまとめているので、絵を直接鑑賞してみたい方も必見の内容となっています。ぜひ最後までご覧ください。

アンリ・ルソーとは

アンリ・ルソーはフランスの画家です。

フルネームはアンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソーと言います。代表作は《夢》や《眠るジプシー女》、《蛇使いの女》などです。

ルソーは美術教育を受けておらず、独自のスタイルで作品制作をしました。そうした関係から、現代においては素朴派の画家としてカテゴライズされています。

また、60代になってから評価されるようになるなど、遅咲きの人物でもありました。ルソーの作品は、現実と空想が入り混じったような画面作りが特徴です。神秘的、もしくは魔術的とも言われる独創的な描写は、当時の印象派や後の前衛芸術の巨匠たちに衝撃を与えました。

アンリ・ルソーの来歴

アンリ・ルソー

生い立ち

アンリ・ルソーは1844年、フランスのマイエンヌ県にあるラヴァルで生を受けました。ルソーは幼少期から絵や歌に優れていて、小学校では度々表彰されるような存在だったと言います。

しかし、その一方では父親の仕事が上手くいかず私生活で貧しい生活をしていたようです。借金もあったことから、彼が16歳の時には生活のために学業を辞めなくてはいけませんでした。

高等学校を退学した後、彼は法律分野の仕事に関わります。そこでは友人に促される形で窃盗に手を染め、短期間の禁固刑に。刑を受けた後の1863年からは軍隊に属する形で生活していきました。

画家と税関職員の両立

軍隊で生活するルソーが24歳になった1868年、父親が他界してしまいます。

これを機に彼は母親の面倒を見るため軍隊を除隊。居住地をパリに移し、輸入商品の関税検査職である税関吏の仕事を始めました。税関吏の生活はそれなりに余裕があったらしく、空き時間には興味があった絵画制作をしていたと言われています。

こうした日曜画家のような制作スタイルと税関職員の両立をルソーは長期的に続けていたようです。税関の仕事自体は20年以上も継続することになり、後に通称として呼ばれるドゥアニエ(税関吏)・ルソーの由来にもなりました。

なお、彼の最初期の作品としては35歳となる1879年に描かれたものが現在確認されています。

アンデパンダン展への出品

独自に技術を磨いたルソーは、やがてサロン(美術展覧会)に出品することを考え始めます。

しかし、当時のサロンは審査が存在するのが基本。そこでは専門学校で習うような古典的技術が求められるため、独学のルソーが描いた作品は次々に落選してしまいました。

この状況の中、次にルソーが目を付けたのが新印象派の画家たちによるアンデパンダン展です。アンデパンダン展は料金さえ払えば誰でも出品できるので、ルソーのような画家には適していました。そして、ようやく同展で出品を果たしたルソーは1886年から《カーニバルの夜》などを発表。

以降彼の絵は、より多くの人目に触れるようになっていきます。

評価されない作品と私生活の不幸

アンデパンダン展に出すことができたルソーでしたが、その評価は決して良いものではありませんでした。遠近法など基本的技法が見られない彼の作風は、嘲笑される対象でしかなかったのです。また、作品の世界観そのものが理解し難いというのも低評価の要因でした。

一方、私生活でもこの時期の前後にはルソーにとって不幸な出来事が起こります。なんと1868年に結婚したクレマンス・ボイタードの子供7人の内、6人が早期に亡くなってしまったのです。

その上、1888年にはクレマンスも35歳で他界してしまいました。

税関退職後は画家に専念

1893年、49歳になったルソーは長年勤めた税関吏の仕事を退職しています。

そしてモンパルナスで画家としての生活を本格的にスタートしました。生活は年金に頼っていたようですが、その金額は多くなかったとのこと。時には作品制作費を用意するために、デッサン教室などを行っていたと言われています。

やがて50代にもなると、ルソーは10代の時のような困窮した生活に再び突入。同居していた娘さえも生活に耐えられず出ていく中、彼は1897年に《眠るジプシー女》を発表しています。

後年評価される同作ですが、発表当時は評価に繋がらず買い手もすぐにつきませんでした。55歳の頃には再婚したことが明らかになっています。

ただ、その相手ジョセフィーヌは4年後に亡くなってしまうため、夫婦生活は短かったようです。

晩年

還暦を超えたルソーは、後に代表作として数えられる《蛇使いの女》を1907年に制作。

それまで笑いさえ起きていたと言われるルソーの絵でしたが、このあたりから彼の作風は徐々に認められていきます。ヴィルヘルム・ウーデなど当時の評論家や美術関係者たちの注目も大きく集めていきました。

1910年には最後の作品である《夢》を発表。この絵に対しては、詩人ギヨーム・アポリネールが「今年は誰もルソーの作品を笑うことができない」といった意味合いの賛辞を述べています。

そして同年、病気が原因となりルソーは66歳で亡くなりました。

アンリ・ルソーの画風やエピソード

Park with Figures

独自の素朴で直感的なスタイル

ルソーは美術的な教育を受けずに絵画制作を行った画家です。

そんな彼の作品は独自のポリシーやスタイルで描かれているのが特徴。例えば、彼が描く人物の顔は真横か正面を向いたものが殆どです。

表情などに関してもいくつかのパターンが見られます。また、背景を先に描いてから前面のものを描くのもルソーならではの部分。そうして描かれた人物や動物は、遠近感が無く不自然なサイズになっていることが少なくありません。

このようなルソーの画風は、古くから続く西洋美術史において極めて異質なものです。ただし、ルソー自身は変わった物を描きたいという意識は特に無かったと言われています。

おそらく、彼の美への探求心やリアルさと向き合う気持ちが直感的、かつ素朴な画風を無意識的に作り上げていったのでしょう。

鮮やかな色彩

鮮明な色使いが行われているのもルソーの作品に見られる特徴です。

特に草木の色使いにはこだわっていたようで、晩年の作品では緑だけで数十種類以上の階調が存在します。塗り方についてはほぼ平塗りで、細部まで綿密に着色を施しているケースが多数。

部分部分には、はっきりとした色面が作られており躍動感や立体感に作用しています。更に、そのカラーリングを際立たせる黒色の扱いにも彼は長けていました。

個性的な色使いで知られたゴーギャンでさえも、ルソーが扱う黒色を評価していたと言います。

平面的な構図

奥行きが浅い平面的な構図もルソーを語る上では欠かせないポイントだと言えるでしょう。

作品にもよりますが、画面は全体的にのっぺりとしており単純明快な作りになっています。また、女性の胸元や果実、動物の瞳といった各部分に正円図形が活用されていることもしばしば。

こうした幾何学的要素からは独特の小気味良さが感じられます。

ただ《廃墟のある風景》のように、イラストや写真などをベースにした作品は前述したルソーらしい要素が控えめです。

幻想的なテーマ

ルソーは幻想的なテーマ、もしくは夢の中で見たような風景を描くことが多かった画家です。

特に60代あたりからは異国のジャングルをテーマにした作品を精力的に制作しました。彼の神秘的要素が伴う世界観は、美術史におけるシュルレアリスムの先駆けとも言われています。

なお現代では、ルソーは異国の風景を良く描いたものの、実際はフランス国外に旅行したことがなかったという説が一般的。ジャングルに関しても実際の風景を参考にしていない可能性が高いです。

これについては、ルソーはパリ植物園に良く通っていたので、それらの植物を参考にしたという見方もされています。

素朴派

素朴派(パントル・ナイーフ、ナイーヴ・アート)とは、美術教育を受けていない者によるアートスタイルです。

技法などに縛られず、直感的に描いているのがこのスタイルの特徴となります。その分、技術的にはアマチュアの域を出ないことが多く、プロの画家と比べて稚拙と評されることも珍しくありません。

しかし、素朴派ではそういった部分すらも魅力や個性として扱います。現代の言葉で言うならば「ヘタウマ」という表現に近いものがあるかもしれません。今回紹介しているアンリ・ルソーはこの素朴派の代表的な存在です。

日本国内の画家では山下清などが素朴派に該当します。

交友関係

還暦を過ぎた頃のルソーは、画家仲間たちから敬愛される存在だったようです。

これに伴う形で交流もそれなりにあったと言われています。

そんなルソーの交友関係の中でも特に有名なのがパブロ・ピカソとの繋がりです。ピカソはまだ評価されていない内にルソーの作品を購入していたりと、彼の革新性に早くから気づいていた人物でした。

そして、アポリネールを介して晩年のルソーと交友を深めています。1908年にはピカソが自身のアトリエでルソー主役の宴を開いたこともあったようです。また、その時に集ったのがジョルジュ・ブラックやマリー・ローランサンといった後の巨匠たち。

彼らとも親しい仲にあったことが現在では判明しています。

手形詐欺事件

最晩年のルソーは手形詐欺事件に関係したとして服役していた期間があります。

この服役中の光景は《フットボールをする人々》という作品で描かれました。この事件の真相については未だ判明していません。ルソーが何らかの形で事件に巻き込まれてしまったという見方もあるようです。

裁判では、ルソーの才能と偽らない精神を示す証拠として彼の作品が提出されました。

アンリ・ルソーの代表作

私自身:肖像=風景

私自身:肖像=風景

《私自身:肖像=風景》(1890年)は46歳のルソー自身を描いた作品です。

彼の後方には1889年のパリ万国博覧会で披露されたエッフェル塔やセーヌ川が見えます。この絵は不自然な部分が多く存在するのが何よりも特徴。

例えば前面に描かれたルソー本人は、後方の通行人と比べるとあまりにも大きく違和感があります。

なおかつ足元の重心の掛かり方も自然ではありません。一見すると宙に浮いているようにも見えます。こうした描写の数々には「自分は画家である」という強い自信と意識が込められていると言われています。

戦争

戦争

《戦争》(1894年)は少女が笑いながら剣と松明を持ち、馬のような生物と共に走る様が描かれた作品です。彼女たちの足元に広がるのは力尽きたように倒れる多数の人間。

それらの死を表しているのか、近くにカラスが数匹集まってきています。いかにも凄惨な光景ですが、だからこそ少女の無邪気な表情や雰囲気が際立っていると言えるでしょう。

この少女については、諸説ありますが戦争の擬人化である可能性が高いです。

夢

《夢》(1910年)は縦約2m×横約3mの大型油彩作品です。

画面に広がるのは還暦を過ぎてから多く扱われたテーマであるジャングル。左側では長い椅子に裸婦が横になり、腕を伸ばすようなポージングをしています。

そして、彼女の視線の先に存在するのは草花やライオンたち。その後ろには黒人の蛇使いがおり、暖色の蛇が周囲を這っています。更に画面奥には、鳥や象たちの姿も。

タイトルや幻想的な内容を考慮すると、この絵はルソーが夢見た楽園を表現している可能性があります。

なお、《夢》は原田マハの美術ミステリー小説「楽園のカンヴァス」の題材としても有名です。

眠るジプシー女

眠るジプシー女

《眠るジプシー女》(1897年)はルソーが53歳の時に制作した作品です。

本作では、砂漠で寝ているジプシーと周囲に佇むライオンの姿が描かれています。女性の近くにライオンがいるという様子は、一見すると緊迫した状況のように思えるかもしれません。

しかし、ライオンの優しい目つきや穏やかな配色などもあって、そういった要素は薄め。その代わりに、場の静けさや神秘的な印象が前面的に漂っています。

ユニークなテーマや色調の鮮やかさといい、本作はルソーらしい魅力に溢れた作品だと言えるでしょう。

蛇使いの女

蛇使いの女

《蛇使いの女》(1907年、167×189.0cm)はアンリ・ルソーが63歳の時に制作した作品です。

画面内には《夢》のようにジャングル的な要素が見られます。ただ、本作は川岸の開けた場所が舞台。

生い茂る植物は20種以上の緑色が使われています。タイトルになっている蛇使いも《夢》との共通要素。こちらの蛇使いは衣服を着用しておらず、女性らしいフォルムを露わにしているのが特徴です。

また、明度の低い体色とは反対に、明るい色が彼女の瞳に使われているのもポイント。その視線は閲覧者を逆に見つめ返しているようで、どこか魔力めいたものが感じられます。

ジュニエ爺さんの二輪馬車

ジュニエ爺さんの二輪馬車

《ジュニエ爺さんの二輪馬車》(1908年)は、支払いを待ってくれた食料品店の経営者に向けたお礼として制作されたものです。

内容としては、色調が全体的に明るめで車輪の暖色、木々の緑などが目を惹きます。空の青を含めた鮮やかなカラーリングは、出かける人々の楽しい気持ちを表しているかのようです。

人物は不自然さを感じるほど、全員正面を向いています。帽子の人物はルソー本人という説が濃厚です。そんな本作ですが、実はこの作品は写真をベースに制作したものとなっています。

ただ、実際の写真は天気が曇りですし、人物も体ごと正面を向いていません。馬の近くにいる小さな犬もルソーが独自に加えた要素です。

アンリ・ルソーの作品を収蔵する主な美術館

ポーラ美術館(神奈川)

神奈川県足柄下郡に所在する美術館です。

こちらは印象派による作品の所蔵数が国内トップクラスなのが特徴になっています。アンリ・ルソーの作品としては《エデンの園のエヴァ》や《ライオンのいるジャングル》を所蔵。

過去には「アンリ・ルソー:パリの空の下で ルソーとその仲間たち」といった企画展も行いました。

公式ページ

ハーモ美術館(長野)

長野県諏訪郡に所在する美術館です。

アンリ・ルソーやアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスなどの素朴派による作品を所蔵しています。

アンリ・ルソーの作品で所蔵されているのは《果樹園》や《ラ・カルマニョール》、《花》などです。別館はアトリエを意識した作りになっており、くつろぎながら作品鑑賞が行えるようになっています。

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アーティゾン美術館(東京)

東京都中央区に所在する美術館です。

以前はブリヂストン美術館という名前でしたが、2019年7月に現在の名前に変わっています。このアーティゾン美術館は、古美術から現代作品まで様々な展示や所蔵をしているのが特徴です。

アンリ・ルソーの所蔵作品としては《イヴリー河岸》や《牧場》などがあります。

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大原美術館(岡山)

岡山県倉敷市に所在する美術館です。

こちらは日本で最初の私立西洋美術館として知られています。アンリ・ルソーの作品は《パリ郊外の眺め バニュー村》を所蔵中。

他にもエル・グレコの《受胎告知》やモネの《睡蓮》など名画を所蔵・展示しています。

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ひろしま美術館(広島)

広島県広島市に所在する美術館です。

このひろしま美術館では、アンリ・ルソーの《要塞の眺め》が所蔵されています。また、ルソーと関わりを持つピカソなどの名作も閲覧可能です。

なお、館内にはバリアフリー設備が充実しています。電車やバスでのアクセスのしやすさも魅力です。

公式ページ

まとめ:アンリ・ルソーは独自の画風が魅力的な素朴派画家

以上、アンリ・ルソーの来歴や特徴、エピソード、作品などについて一通りお伝えしました。

本記事を通して、ルソーの魅力をより知って頂けたかと思います。興味がある方は各美術館でルソーの作品を鑑賞してみましょう。

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