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2024.08.08

菱川師宣とは?浮世絵の祖の来歴や画風、代表作について詳しく解説します!

菱川師宣とは?浮世絵の祖の来歴や画風、代表作について詳しく解説します!

菱川師宣という名前は知らなくても、≪見返り美人≫という作品を目にしたり、タイトルは聞いたことがある人が大半ではないでしょうか。世紀の傑作≪見返り美人≫の作者が、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)です。浮世絵の歴史を語るうえで欠かせない画家であり、江戸時代の文化に大きく貢献した芸術家でもありました。

江戸時代前期に活躍した菱川師宣は多作で、≪見返り美人≫をはじめとする数々の作品は、江戸っ子たちを夢中にさせました。菱川師宣とはどんな画家で、どんな作品を残したのでしょうか。その魅力や作風を、アートリエ編集部がわかりやすく解説します。

菱川師宣とは

菱川師宣は江戸前期、17世紀に活躍した画家です。≪見返り美人≫に代表される独自の美人様式を確立し、浮世絵版画の祖ともいわれています。「菱川様(よう)の吾妻俤(あずまおもかげ)」と俳句にうたわれるほど、菱川師宣が描く江戸美人は一世を風靡しました。

古典や歌舞伎、遊里の風俗など庶民の生活を生き生きと描き、生涯に制作した絵本や挿絵は150種以上に上ります。江戸時代の多くの無名の画家とは異なり、作品に初めて署名を入れた画家でもあります。

江戸時代を通じて発展する浮世絵の開祖とされる菱川師宣は、後世の画家に多大な影響を与えました。残された作品は、海外でも高く評価されています。

菱川師宣の来歴

菱川師宣

菱川師宣はどんな人生を送り、数々の名作を制作したのでしょうか。菱川師宣の来歴をご紹介します。

挿絵画家時代

菱川師宣の生年は明らかではありません。出身は安房国平群郡本郷村(千葉県安房郡鋸南町保田)で、父親は縫箔師でした。縫箔とは刺繍や箔を用いて裂地に模様を施すことで、菱川師宣は吉兵衛という名の幼少期から絵画に親しんでいたようです。

菱川師宣の若き時代は未詳ですが、後年に自分のことを「大和絵師」と称していることから、江戸に出て土佐派など本格的な流派の技法を学んだのではないかといわれています。

寛文年間(1661‐1673)に大衆出版界に身を投じて、挿絵画家になりました。1672年(寛文12)に出版された絵入り本《武家百人一首》には、挿絵画家としてはじめて「菱川吉兵衛」の署名を残しています。画家として立つ気概が、残された落款から伝わってきます。

菱川師宣が描く挿絵は大好評で、ページに占める挿絵のスペースが大きくなるという現象を生み出しました。本を読むという江戸庶民の娯楽の普及には、菱川師宣らの挿絵の美しさも一役買っていたのです。

師宣様式の確立期

延宝年間(1673年以降)、菱川師宣はいわゆる師宣様式と呼ばれる独自の画風を確立していきます。≪伽羅枕≫などの好色本、《岩木絵づくし》《美人絵づくし》などの絵づくしシリーズ、《江戸雀》《東海道分間絵図》などの名所案内、仮名草子や和歌書など、活動は多岐にわたります。

師宣様式の女性や風物は、率直な明快さを愛する江戸っ子の美意識と合致。とくに歌舞伎絵や風俗画は江戸庶民の大きな支持を得て大人気になりました。それまで文章に従属していた挿絵を、一枚絵の鑑賞用として独立させたのも、菱川師宣の功績といってよいでしょう。

師宣様式の確立により、菱川師宣の評価は盤石のものになりました。

円熟期

生年が明らかではないため年齢は不明ですが、天和から貞享年間(1680年代)が、菱川師宣の円熟期であり、最盛期ともいわれています。

肉筆画や屏風、軸物なども手掛け、人気に応えるような旺盛な制作活動を展開しました。長男の師房をはじめ、師重や師平などの門人を育てて工房単位での制作活動も多く、芝居町や遊里を舞台にした市井の人々をたくさん描いています。重要文化財となっている≪歌舞伎図屛風≫は、その代表作です。また、隅田川や上野を舞台とした行楽地の様子を描いた作品もあり、円熟期の充実ぶりがうかがえます。

師宣の代名詞ともいえる≪見返り美人≫も晩年の作品。「菱川様(よう)の吾妻俤(あずまおもかげ)」と俳諧で歌われるほど、菱川師宣の女性像は江戸美人の典型とされています。

菱川師宣の画風

Yoshiwara no tei

江戸っ子に愛された菱川師宣の画風。その特徴を解説します。

浮世絵の確立

浮世絵という言葉が定着し始めたのは、菱川師宣が活躍をしていた天和年間(1681-84年)といわれています。浮世絵は江戸絵ともいわれ、江戸の庶民文化の成熟とともに発展した経緯があります。出版が盛んになった時代に、菱川師宣は挿絵の分野で頭角を現し、文字が不要な一枚絵を制作するようになります。これが浮世絵のルーツとされているのです。菱川師宣が実際に浮世絵の祖であるのかはいまだ議論が決着していませんが、浮世絵版画の元祖であるということでは認識が一致しています。

江戸初期の風俗画を母体に、狩野派や土佐派の傾向も積極的に取り入れた浮世絵は、安価で良質な絵を多くの人が楽しめるよう、木版画が主流でした。菱川師宣は数多くの版画作品を残す一方、肉筆画もたくさん描いています。

「浮世」という言葉には、あの世ではない現世、過去でも未来でもない現在、そして好色な俗世間などの意味が込められています。菱川師宣が当世流行の風俗を描いたことから、生まれた名前とされています。

菱川派

菱川師宣の画風は江戸の町で愛され、やがて菱川派と呼ばれる流派が生まれます。菱川派の主な画家には、師宣の長男である師房、『好色江戸紫』で有名な師重がいます。また師宣の画風の影響を受けて菱川姓を名乗る画家は非常に多く、伝統的に名前に「師」の名を用いています。線は素朴ながら、生き生きとした描写が菱川派の特徴です。

浮世絵はやがて菱川派以外に、鳥居派、歌川派、勝川派を生み、江戸文化の成熟の一翼を担いました。

肉筆浮世絵の制作

浮世絵は、質が良く値段が安い絵が庶民にも行き渡るよう制作されていました。そのため木版画が主流でしたが、「大和絵師」と自負していた菱川師宣は、肉筆画も多数残しています。

平民的な絵画を得手としていた菱川師宣は肉筆浮世絵の量産にも心を砕き、庶民のための絵画の発展に力を尽くしています。この動きはやがて、菱川派以外の浮世絵の流派にも伝播していきます。

18世紀の教法年間、肉筆浮世絵は宮川長春を中心に発展、彼の孫弟子の勝川春章、さらにその弟子の葛飾北斎へと伝えられていきます。世界中の画家を瞠目させた肉筆浮世絵は、菱川師宣を祖にして江戸で大輪の花を咲かせたのでした。

菱川師宣の代表作

江戸の庶民文化に寄与し、後世の画家たちにも大きな影響を与えた菱川師宣。生涯旺盛な政策を続けた菱川師宣の代表作を紹介します。

見返り美人図

見返り美人図

制作年は明らかではないものの、菱川師宣の晩年に描かれたといわれる≪見返り美人図≫。菱川師宣の代名詞であり、昭和23年の切手のデザインにもなったことがある≪見返り美人図≫、日本人にはおなじみの美女です。

絹本着色の肉筆浮世絵で、鮮やかな紅色の着物をまとった女性がふっと振り返った瞬間をとらえた名作。歌舞伎役者によって当時の江戸で流行していた「吉弥結び」という髪型、京風とは対照的な細かな模様の着物、すべて江戸スタイルで一貫しています。

江戸の女性の粋と美を凝縮した≪見返り美人図≫には、「房陽菱川友竹筆」の落款があります。「房陽」は菱川師宣の出身地である房州のこと、「友竹」は晩年に薙髪したあとの号です。さりげない仕草から品のよい色気がこぼれるようなこの作品、日本美術史に残る傑作といえるでしょう。

歌舞伎図屏風

歌舞伎図屏風

出典:みんなの知識 ちょっと便利帳

菱川師宣の作品の中で国の重要文化財になっている≪歌舞伎図屏風≫。大和絵師と名乗っていた菱川師宣が、王朝の大和絵風に歌舞伎の劇場を描いた作品です。

左隻、向かって右側のシーンは、歌舞伎役者たちが舞台の準備をしているところ。髪を結ったり、衝立の陰で着替えをしたり、本番を控えた楽屋の活気が伝わります。左側には、当時の芝居茶屋の様子が表現されています。江戸時代の遊興がとてもリアルです。

右隻には、中村座による芝居の様子が見えます。入り口付近には演目が記された旗がたなびき、呼び込みの男性の姿も。画面左に視線を移動するとそこは舞台。役者たちが華やかに踊り、庶民や身分の高そうな客が思い思いに観劇しています。

左隻右隻それぞれ6曲1双の屏風は高さ170cm、通常の屏風より20cmほど高めです。幅は4m近くあります。特注で制作された屏風ではないかという説もあります。菱川師宣の署名はないものの、彼の晩年の代表作とされています。

上野花見図押絵貼屏風

上野花見図押絵貼屏風

出典:サントリー美術館

日本だけではなく海外でも高く評価される江戸の文化。菱川師宣の傑作のひとつ≪上野花見図押絵貼屏風風≫は、アメリカのボストン美術館にあります。

1878年(明治11年)に来日した東洋美術史家フェノロサによって購入され、彼がボストン美術館東洋部主管となったことから、現在も同美術館で鑑賞できる作品です。

6枚のパネルから成る屏風風の作品には、江戸っ子が愛した娯楽「上野の花見」の様子が生き生きと描かれています。輿を仕立てて出かける人、徒歩で散策しながら上野に向かう人、桜の下で楽器を奏でたり踊る人、女性たちと戯れる人。髪型や衣装も細やかに描かれています。

上野は御殿山や向島と並ぶ桜の名所で、行楽地に憩う人たちが印象的な作品。江戸の庶民の明るさやユーモアが伝わってきます。

菱川師宣を収蔵する主な美術館

菱川師宣記念館

≪見返り美人≫をはじめとする菱川師宣の作品は、どこで鑑賞できるのでしょうか。

菱川師宣の作品を所蔵する美術館を紹介します。

東京国立博物館(東京)

菱川師宣の代表作であり、日本の宝である≪見返り美人≫。そして重要文化財の≪歌舞伎図屏風≫は、東京国立博物館が所蔵しています。

東京国立博物館にはこの2作品のほかにも、江戸の四季の様子が楽しい≪四季風俗図巻≫、遊女と彼女に仕える禿(かむろ)がひそやかに話し合っている≪遊女と禿図≫、遊郭を描いた≪吉原の体≫など、見ごたえのある絵画がそろっています。

菱川師宣が描く人々のしなやかな動きや細やかな情景を、間近で鑑賞できます。

出光美術館(東京)

皇居外苑を一望する立地にある出光美術館。国宝や重要文化財を含む1万点ものアートを鑑賞できます。

浮世絵や風俗画も充実しており、菱川師宣の≪江戸風俗図巻≫をはじめ、菱川師平作≪春秋遊楽図屏風≫など門人の作品も所蔵。菱川派の作品を比較しながら鑑賞できます。

浮世絵の傑作としては喜多川歌麿の≪更衣美人図≫、葛飾北斎の≪春秋二美人図≫など、菱川師宣が興した浮世絵の変遷を楽しむのも一興。

大和絵に関しては平安時代の作品もあり、菱川師宣の時代までの歴史や変化を堪能できます。

菱川師宣記念館(千葉)

≪見返り美人≫の落款に出身地の名を入れるほど故郷への思い入れがあった菱川師宣。彼の故郷にある菱川師宣記念館は、1985年にオープンしました。菱川師宣に特化した同館、師宣の父で縫箔師だった吉左衛門の刺繍や、菱川家ゆかりの旧家に伝わっていた狩野派を思わせる作品など、興味深い展示が数多くあります。

師宣風の美女が描かれた≪秋草美人図≫があるほか、周辺には師宣ゆかりのお寺や見返り美人ブロンズ像などなど見どころは満載。

菱川師宣を生んだ房州の空気を感じながら楽しめます。

まとめ:江戸の風俗や文化を今に伝える菱川師宣の作品たち

江戸の文化を語るうえで欠かせない浮世絵。浮世絵の祖といわれているのが、≪見返り美人≫で有名な菱川師宣です。江戸の美人を描かせたら右に出る者がいないといわれた菱川師宣は、狩野派や土佐派など正統な絵画を学びつつ、江戸の市井の人々を喜ばせる作品を多数残しました。

絵画としての価値だけではなく、歴史的にも見るべきものが多い江戸の風俗や文化を克明に描きました。歌舞伎や遊郭など娯楽の場をシーンにした作品も多く、江戸っ子の粋や活気を作品から感じることができます。

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