ポップアートの王様とも呼ばれるアーティスト、それがアンディ・ウォ―ホルです。
ポップな作風が特徴のウォーホルの作品は、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。ウォーホルは独自の作風で、20世紀の美術史に大きな足跡を残しました。
アンディ・ウォーホルはどんな来歴や作風をもつアーティストなのでしょうか。ウォーホルの魅力について、アートリエ編集部が詳しく解説します。
アンディ・ウォーホルとは?
アンディ・ウォーホルは、20世紀におけるもっとも有名なアーティストのひとり。アメリカ生まれのウォーホルはポップアートの代表者であるだけではなく、版画家やイラストレーターなど幅広い分野で活躍しました。
「アートとは高尚なもの」というイメージを覆し、大衆に受ける作品を数多く残したアンディ・ウォーホル。20世紀のアメリカ文化を印象的に描き、今も多くのファンを魅了しています。
アンディ・ウォーホルの来歴やエピソード
アンディ・ウォーホルは、20世紀を代表する芸術「ポップアート」の代表者。彼はどんな人生をたどり、独自のアートを生み出したのでしょうか。
彼の来歴やエピソードをご紹介します。
生い立ち
アンディ・ウォーホルは1928年、アメリカのペンシルバニア州ピッツバーグに生まれました。チェコ移民の鉱夫を父親に持つウォーホルの家庭環境は、大衆性のある彼の作品に反映されたという説もあります。
若きウォーホルはピッツバーグ高校からカーネギー工科大学に進学、素描や絵画、デザインを学びました。
キャリア初期
大学卒業後のウォーホルは、デザイナーとしてニューヨークでキャリアを開始。1950年代、ウォーホルは繊細な作風のイラストによって、コマーシャルデザインの分野で名を知られるようになりました。
当時からウォーホルの才能は顕著で、雑誌のヴォーグやグラマーで活躍。1950年代にはヒューゴギャラリーで、最初の個展を開催しています。
またこの時期、ヨーロッパやアジアを旅行し多くのインスピレーションを得たといわれています。
ポップアートへ転向
ポップアートが誕生したのは1940年代のこと。当時ニューヨークで爛熟していた抽象表現主義への反動として、ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズがポップアートの先駆者となっていました。
デザイナーとして活躍していたウォーホルにとって転機となったのは、平面的な絵画を制作していたジャスパー・ジョーンズらとの出会いでした。
1960年代初頭、ウォーホルはポップアートへと移行します。漫画の一コマ、キャンベルスープ、ドル紙幣や女優のプロマイドなどの日用品をテーマに、シルクスクリーンに拡大転写する技法でセンセーションを巻き起こしました。
大量生産される通俗的なアイテムがアートのテーマになり得ることを証明したウォーホルは、感情を廃したクールなイメージで一時代を築いていきます。ウォーホルはポップアートの顔として、そのスピリットを体現する芸術家となりました。
ザ・ファクトリーと映画制作
イメージを増幅していくウォーホルの技法を凝縮させたのが、「ザ・ファクトリー」です。ザ・ファクトリーは、ニューヨーク西47丁目にありました。倉庫用ビルを改装して作られた、ウォーホルのアトリエです。ここでウォーホルは、複写による作品を数多く制作しました。
ザ・ファクトリーはウォーホルの創作の場であるだけではなく、有名なアーティストや若手芸術家たちのミーティングスペースでもありました。ザ・ファクトリーの敷居をまたいだ有名アーティストには、サルヴァドール・ダリ、ミック・ジャガー、アレン・ギンズバーグなどなど。
1962年から1968年まで、ウォーホル本人だけではなく多くのアーティストにとって刺激的な空間であったのがザ・ファクトリーだったのです。
1963年からは映画制作も開始。『スリープ』や『チェルシー・ガールズ』は代表作で、固定カメラで撮影し作者の意図を最小限に抑えた作風は、まさにウォーホルの真骨頂。のちのミニマルアートにも影響を与えたといわれています。
銃撃事件
感情を廃したウォーホルの作品には死のにおいがするといわれます。1968年には、ウォーホル自身も拳銃で狙撃されるという事件に遭遇しました。ウォーホルを撃ったのは、ウォーホルが制作した映画にも出演していた過激なフェミニスト、ヴァレリー・ソラナスでした。
瀕死の重傷を負ったウォーホルですが見事に復活、その頃にはロックグループ「ベルベット・アンダーグラウンド」を結成するなど、事件後も精力的な活動を展開しています。
しかしこの事件は、もともと死を感じさせる作品が多かったウォーホルの作品に、さらに強い影響を与えたといわれています。
晩年
銃撃事件以降のウォーホルは、写真を転写して友人の肖像画を描いたり、過去の名作を引用するなど多少の変化がみられるものの、ポップアーティストとしての活動は一貫していました。
1973年にはドラキュラやフランケンシュタインをテーマにした映画を作り、芸術と大衆文化の融合に寄与し続けたのです。
1987年、胆嚢手術を受けた直後に死去。1994年、ウォーホルの故郷ピッツバーグにアンディ・ウォーホル美術館が設立されています。
アンディ・ウォーホルの作風
死後40年近くたっても色あせないアンディ・ウォーホルの作品。彼の作風にはどんな特徴があるのでしょうか。
商業的イメージの再利用
ウォーホルの代表作には、コカ・コーラの瓶やキャンベルスープの缶、女優や著名人のポスターなど、商業的イメージを活用したものが数多く見られます。
ウォーホルのこの手法は、アートにはまったく縁のない人にとってもアートを身近に感じる効果をもたらしました。同じモチーフを単純に反復するだけではなく、スープの種類や色彩を変えることで、人々の関心をより集める要素も持っています。商業的な素材を使いつつ、遊び心も忘れていないのがウォーホルらしいところです。
シルクスクリーンの多用
ウォーホルが多用したシルクスクリーンは、1960年代以降、ポップアートの隆盛とともに普及した印刷技法です。シルクスクリーンの技法は、描写する画像を布に写し、布目からインクを紙に刷り込んでいく工程を経て作られます。
何枚も複製ができるほか、作業の痕跡が残らないクールな画面もシルクスクリーンの特徴です。
セレブリティ文化
ウォーホルが活躍したのは、アメリカが文字通り大国として成長し君臨した時代。大衆から人気を集めたモノだけではなく、俳優や著名人などのセレブリティもウォーホルのテーマとなりました。
輝けるアメリカの主役であったセレブリティたち。時代性を体現した彼らは、ウォーホル独自のコンセプトによって、普遍性を持つ芸術へと姿を変えました。セレブたちをクールに描いたウォーホルによる新しい解釈は、アートの世界に旋風を巻き起こしたといっても過言ではありません。
反復と量産
大衆性とアートの融合を試みたウォーホルは、「反復」と「量産」にこだわったアーティストです。
日常的に食べるスープや目にする女優の肖像を反復することで、そのテーマが本来持つイメージを覆すことにも成功しました。大量生産されるモノをテーマに描いたウォーホルの作品は、ザ・ファクトリーなどで量産され流布していったのです。
暗黒のテーマ
人間的な内面性や感情を除去したウォーホルの作品は、すでに無機的なイメージを持っています。
加えて、マリリン・モンローの死の直後に描いた《マリリン》やケネディ大統領暗殺を思わせる《ジャッキー》など、死をテーマにした作品が多いのも注目に値します。
1963年以降に制作された《ディザスター》シリーズでは、事故や自殺などの場面が繰り返されていて、ウォーホルが暗黒のテーマに興味を持っていたことがわかります。狙撃された事件を踏まえて、ウォーホルのポップアートはただ明るい色彩だけが特徴の単純なものではないことがわかります。
アンディ・ウォーホルの代表作
アンディ・ウォーホルの作品の中には、20世紀を代表するアートとなったものもたくさんあります。一度見たら忘れられない印象を残すウォーホルの代表作について解説します。
キャンベルスープの缶
世界でもっとも平凡なアイテムがアートとなりえるのか。その問いに応えたのが、ウォーホルの代表作《キャンベルスープの缶》です。原題は《Campbell’s Soup Cans》。1962年に制作されたこの作品には、種類が異なる32個のキャンベルスープの缶が整然と描かれています。
抽象表現主義の神秘性の対極にあるポップアートの顔として、ニューヨーク近代美術館に所蔵されている傑作。ウォーホル自身もキャンベルスープの熱心な消費者であったそうで、この作品以外にも同テーマの絵画を数多く描いています。
ウォーホルが好んで描いたキャンベルスープやコカコーラは、アメリカでは富める人も貧しき人も好んで口にしていた食材です。大衆的なキャンベルスープをアートのテーマにしたウォーホルの挑戦は、さまざまな論争を巻き起こしました。資本主義への攻撃と解釈する美術批評家もいましたが、ウォーホル自身は一貫してアメリカの近代性の愛好家であることを主張しています。
マリリン・モンローの肖像
2022年、ピカソの作品を上回る250億円超で落札されて話題になったウォーホル作《マリリンモンローの肖像(Shot Sage Blue Marilyn)》。誰もが目にした記憶があるウォーホルのモンロー像は、20世紀のアメリカ文化とポップアートの集大成といった趣があります。
1962年夏、ウォーホルはシルクスクリーンによるモンローの肖像画の制作を開始。モチーフとなったのは、およそ10年前に撮影された映画『ナイアガラ』のプロモーションとして、ジーン・コーマンが撮影した1枚でした。制作開始から数週間後、マリリン・モンローの訃報がニュースとして伝えられました。ニュースはウォーホルに大きな衝撃を与え、作品はより神秘的かつ演劇的に仕上げられていきました。
文字通りポップなカラーで構成されたマリリン・モンローの肖像画からは、彼女の名声と複雑なアイデンティティが感じとれます。女優としての華やかな姿と暗い現実が、クールな画面から伝わります。
電気椅子
事故や死、処刑などの暗黒のテーマにも意欲的に取り組んでいたウォーホル。1971年に制作された《電気椅子》は、10枚の電気椅子の絵が整然と並べられた1枚。連鎖していく悲劇を想起させる作品です。さまざまな色の配列もどこか不気味で、鑑賞者にリアルな死のイメージや恐怖を与えます。
一説によれば、ウォーホルは《電気椅子》によってメディアが連日伝える悲劇的なニュースを表現したかったともいわれています。誰も座っていない電気椅子からは、過去に起こった悲劇だけではなく、次に起こりうる災難や哀しみも感じられます。
《電気椅子》をはじめとするウォーホルの死をテーマにした作品は、近代における「ヴァニタス」ともいわれています。ウォーホルのポップアートの明るいカラーの下に潜む暗黒が、《電気椅子》の全画面で見ることができます。
まとめ:大衆性と時代性で美術史に足跡を残したウォーホル
20世紀でもっとも有名な画家の一人、アンディ・ウォーホル。それまでの高尚な芸術とは一線を画す大衆的なテーマで、時代を象徴する作品を数多く残しました。ポップなカラーが特徴ながら、どこか神秘や哀調も感じるウォーホルの作品は、今も多くの人を魅了します。
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