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2026.05.12

「最後のオールド・マスター」フランシスコ・デ・ゴヤ:宮廷画家から戦争と闇を描く巨匠への変遷を解説します!

「最後のオールド・マスター」フランシスコ・デ・ゴヤ:宮廷画家から戦争と闇を描く巨匠への変遷を解説します!

優れた技量と独自の表現力で知られるフランシスコ・デ・ゴヤは、スペイン最大の画家のひとりです。この記事では、ゴヤの来歴や画風、エピソードについてアートリエ編集部が解説します。

ゴヤについて詳しくなりたい方は、ぜひ最後までご覧ください。

フランシスコ・デ・ゴヤとは

フランシスコ・デ・ゴヤ

フランシスコ・デ・ゴヤ( Francisco de Goya 1746-1828)は18世紀後半から19世紀初頭に活躍したスペインの画家です。ヨーロッパでは18世紀以前の優れた画家や作品をオールド・マスターと称すため、ゴヤは「最後のオールド・マスター」と呼ばれています。

40歳で宮廷画家になって活躍していましたが、聴力の消失や戦争の影響で次第に画風が変わっていきました。作品には現実を冷静に描写し、社会を批判する姿勢が見られることから、近代絵画の先駆者とも評されています。

フランシスコ・デ・ゴヤの来歴

ゴヤの生家

出典:Wikipedia

ここからはゴヤの来歴を順を追って解説します。

出生と修行時代

ゴヤは1746年3月30日、スペイン北東部の村フエンデトードスに生まれました。父親は腕の良い金箔職人で、母親は貴族の血を引く比較的裕福な家庭の出身でした。

14歳になるとフエンデトードスから40kmほど離れた都市サラゴサで4年ほど絵画の修行をし、そこで将来義兄となる兄弟子のフランシスコ・バイユーに出会います。1763年と1766年に王立美術アカデミーに応募しましたが、結果は不合格でした。

1770年にイタリアのローマへ行ってルネサンス期の傑作に触れ、フレスコ画などを学びます。帰国後は聖堂の天井装飾などを手掛けるなどし、1773年に27歳でバイユーの妹ホセーファと結婚しました。

マドリード時代と宮廷画家への道

1775年にマドリードへ移住して、以降10年ほど王立タペストリー工場で下絵画家として働きました。1780年に『十字架上のキリスト』を王立美術アカデミーに提出すると、満場一致で名誉会員に任命されたといいます。1786年に国王付きの画家に任命され、1799年には正式に宮廷首席画家となりました。マドリードに移ってからのゴヤは、王宮のタペストリーの下絵のほか、スペイン貴族や王族の肖像画などを描いています。

しかし、1790年頃から震えやめまいの症状が起こり始め、1793年に旅行先で病気にかかり、やがて46歳で聴力を失ってしまったのです。病気の原因については梅毒や鉛中毒など様々な推測がありますが、はっきりしたことはわかっていません。

聴力を失ったものの制作の意欲は衰えず、1795年にバイユーが死去すると、王立美術アカデミーの絵画部門ディレクターに任命されました。この頃に宰相のマヌエル・ゴドイと親しくなり、また、アルバ公爵の庇護を受けるようになったといいます。

戦争による作品への影響

1807年にナポレオン・ボナパルトが率いるフランス軍がスペインへ侵攻しました。翌年にはナポレオンの兄がホセ1世としてスペイン王位につき、スペインはフランスの支配下に置かれています。1808年から1814年にかけてのスペイン独立戦争の間、ゴヤはマドリードにとどまり、ホセ1世の政権下でも官職を維持していました。彼が王立勲章を授与された記録もありますが、積極的に忠誠を誓ったとする確証はなく、政治的には中立的な立場をとっていたと考えられています。

この頃はそれまでとは異なる画風で『マドリード、1808年5月3日』や版画の『戦争の惨禍』などを描いています。フランス軍による攻撃の一方で、ホセ1世はスペインの国内改革を進め、1808年には異端審問所の停止・廃止を宣言しました。また、スペイン初の近代憲法であるカディス憲法は、フランス支配に抵抗するコルテスが1812年3月19日に公布し、近代化が試みられたのです。

ナポレオンの失脚後、フェルナンド7世がスペインに戻ると、ゴヤは再び王家や貴族たちを描きました。しかし、王は他の画家の作品を好むようになったため、宮廷から距離を置くようになったのです。

また、1812年に妻のホセーファが亡くなり、1815年頃から家政婦のレオカディア・ヴァイスと同居しはじめました。

晩年の活動

ゴヤは1819年、マドリード郊外の「聾者の家(Quinta del Sordo)」と呼ばれる別荘を購入しました。それまで仕えてきた王家から離れたゴヤは、自宅にこもって制作に励むようになったといいます。1819年から1823年にかけて自宅の漆喰の壁に直接油彩で描いた14点の作品は、通称「黒い絵」と呼ばれるゴヤの傑作です。

1824年、78歳になったゴヤは、フェルナンド7世による自由主義者の大粛清を逃れるためフランスに亡命し、南西部の都市ボルドーに落ち着きました。ボルドーにはヴァイスも同行しています。

1826年にスペインに一時帰国して宮廷画家を辞職をし、ボルドーで創作を続けていましたが、1828年4月16日に81歳で死去しました。

フランシスコ・デ・ゴヤの画風

日傘 (ゴヤ)

ここではゴヤの画風を3つの視点から解説します。

ロココ調から写実的な画風への変化

初期のゴヤは宮廷画家らしい明るい色彩で、ロココ調の華やかで軽やかさが特徴の作品を描いていました。しかし、聴力を失ったことやスペイン独立戦争中のマドリードにとどまったことが深い影響を与え、画風が変化していきます。

鋭い洞察力で社会の不条理や人間の真理などを写実的に描き、絵画を通して世の中に伝えるという社会性を持った作品は、ゴヤが近代的と言われる理由のひとつです。

心理や感情の表現力

ゴヤは人間の心理や複雑な感情を、優れた表現力で描いていることでも知られています。耳が聞こえなくなったことで感受性が豊かになり、それまで見えなかった人の内面を鋭くとらえることができたのかもしれません。

筆遣いや色合い、しぐさや表情などで恐怖や怒り、絶望など様々な人間の内面を鑑賞者が読み取れるように描きました。特に肖像画においては単純に人物の外見をそのままに描くのではなく、目や表情などにその人の内面や個性までもが感じられます。

晩年にかけて暗くなる画風

聴力を失った後も宮廷画家として活躍していたゴヤですが、晩年にかけてその作品は次第に暗い雰囲気に包まれます。戦争の残虐さや人間の醜さに触れたことや、ナポレオン失脚後のスペイン社会に落胆したことなどが大きな理由でしょう。

特に『黒い絵』シリーズは世間に公開する予定がなかったため、社会に対する風刺や人間の醜さなどを鬱々とした雰囲気で描いています。

フランシスコ・デ・ゴヤのエピソード

理性の眠りは怪物を生む

ここではゴヤの5つのエピソードを解説します。

風刺的な表現

ゴヤは風刺的な作品でも知られています。版画集『ロス・カプリーチョス』では、ゴヤの生きたスペインの社会体制に対する批判や、人間の愚かさなどを皮肉る内容を描いています。

そのなかでも特に有名なのが、No.43の「理性の眠りは怪物を生む」で、ゴヤ自身とも思われる画家が伏せ寝をしている背後に、コウモリやフクロウなどが描かれている作品です。この版画集は1799年2月に発売されましたが、わずか14日後に販売が中止されました。異端審問からの追及を避けるためだったと考えられています。

この他、『戦争の惨禍』シリーズや『黒い絵』シリーズなど、寓意や象徴を通して風刺的な内容を独自の鋭い視点で表現しています。

聴力を失う難病が作品に与えた影響

ゴヤは聴力を失った後も、引き続き『裸のマハ』や『カルロス4世の家族』など、明るく洗練された画風で宮廷画家として優れた作品を制作しています。

同時に苦悩や恐怖、不安など人間の内面に焦点を当てた作品や、権力や宗教など社会に対する批判的な視点でも絵を描くようになりました。また、暗く幻想的なイメージで、孤立や狂気、孤独感なども表現しています。

フランスへの亡命

ナポレオンが失脚してフランス軍が撤退すると、1814年にフェルナンド7世がスペインに帰還して王位につきました。ホセ1世のもと近代化の道を進んでいたスペインでしたが、専制君主制が復活したのです。

それに反対する人々への弾圧が強まったため、ゴヤは1824年、78歳で健康状態の悪化のための療養を名目にフランスへ亡命し、ボルドーで残りの人生を過ごしました。

ゴヤの遺体

ゴヤはボルドーで亡くなり、同地に埋葬されました。その後、マドリードのサン・アントーニオ・デ・ラ・フロリーダ礼拝堂(通称:ゴヤのパンテオン (Panteón de Goya) )に改葬されています。

しかし、ボルドーに埋葬されている間に頭蓋骨が盗まれてしまい、現在まで見つかっていません。また、盗掘の犯人や目的、ゴヤの頭蓋骨の行方などについてもわからないままです。

『巨人』 の作者について

プラド美術館に収蔵されている『巨人』はゴヤの代表作とされていましたが、2009年1月に同美術館はゴヤの作品ではないと発表しました。様式的には『黒い絵』シリーズに似ているものの、筆遣いや色彩などがゴヤの秀逸な技法とは異なる点や、「A.J.」のサインがある点などを理由に挙げています。その後、研究の進展を受けて見解が変わり、2021年にはプラド美術館が帰属表示を「ゴヤに帰属(atribuido a Goya)」へと改めています。作者については、弟子や共同制作者とされるアセンシオ・フリアとの関連を指摘する説も残されていますが、決定的な結論には至っていません。

フランシスコ・デ・ゴヤの代表作

ここではゴヤの代表的な作品を4点紹介します。

わが子を食らうサトゥルヌス

わが子を食らうサトゥルヌス

1820年から1823年にかけて制作された『黒い絵』シリーズの1点で、ゴヤが晩年暮らした「聾者の家」の食堂の壁に描かれていました。現在この絵はキャンバスに移され、プラド美術館に収蔵されています。

全体的に黒い色合いのなか、狂気に満ちた目を見開いたサトゥルヌスが、人を食いちぎっている様子を描いています。ローマ神話に登場する農耕の神サトゥルヌスが、自分の子の1人に殺されるという予言を恐れ、生まれた5人の子供をつぎつぎに丸のみにしたという話がモチーフです。

グロテスクで衝撃的な内容は、鑑賞者に不快感を与えるほどリアリティがあります。一説には、戦争を体験したゴヤが、殺し合いをする人間の残酷さや恐怖を表したのではないかと言われています。

裸のマハ / 着衣のマハ

裸のマハ
着衣のマハ

『裸のマハ』は1797年から1800年頃に制作され、『着衣のマハ』は1800年から1805年頃に描かれた油彩画で、いずれも現在はプラド美術館に収蔵されています。2点とも宰相マヌエル・デ・ゴドイの邸宅に置かれていた後、1808年から1813年および1836年から1901年のあいだは王立アカデミーに所蔵され、1901年にプラド美術館へ移されて一般公開されました。

当時のスペインでは実在の女性を裸で描くことは異端審問の対象となるほどの禁忌であり、ゴヤは異端審問所から召喚を受けましたが、依頼主の名を明かすことはありませんでした。

ちなみに「マハ」とはモデルの名前ではなく、スペイン語で「小粋な女性」と言うような意味があります。

カルロス4世の家族

カルロス4世の家族

1800年から1801年にかけて制作された油絵で、プラド美術館に収蔵されています。スペインの王カルロス4世の家族を描いた集団肖像画です。

威厳が感じられない姿に、画家のピエール・オーギュスト・ルノワールや作家のテオフィル・ゴーティエから批判的に評されたことから、ゴヤがスペイン王家を風刺的に描いたと言われてきました。しかし、ディエゴ・ベラスケスの『ラス・メニーナス』のように、この作品にもゴヤの姿が描かれており、ゴヤの宮廷画家としての自負が感じられます。

光の表現は後の印象派を彷彿とさせるほどで、豪華な衣装や宝石類、勲章など細部をも際立たせています。また、人物のそれぞれの性格を感じるような描写には、ゴヤの優れた技量が感じられます。

マドリード、1808年5月3日

マドリード、1808年5月3日

1814年に制作された油絵で、プラド美術館に収蔵されています。『マドリード、1808年5月2日』と対になる作品で、当時のスペイン政府の依頼で描かれました。

暗闇のなか、明かりで浮かび上がった白いシャツを着た男性らに向けて、複数の兵士がまさに今、銃の引き金を弾こうとする緊迫した場面を描いています。

フランス軍に抵抗したマドリードの市民たちを逮捕し、数百人が銃殺刑に処された事件をテーマにした作品です。ゴヤは犠牲になった市民を英雄的に描くのではなく、戦争の残虐性や暴力、死などをそれまでの歴史画とは異なるジャーナリズム的な視点で描いています。

フランシスコ・デ・ゴヤ作品を収蔵する主な美術館

ここではゴヤの作品を収蔵する国内外の美術館を3館紹介します。

プラド美術館(スペイン)

プラド美術館

出典:wikipedia

スペインのマドリードにあるプラド美術館は、スペイン王家の歴代コレクションを中心に、数々の傑作を含む幅広くヨーロッパ絵画をコレクションしている世界有数の美術館です。同美術館とティッセン=ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センターを含む地区をマドリードの芸術黄金地帯と呼び、一帯は世界遺産に登録されています。

ゴヤの作品は『カルロス4世の家族』『裸のマハ』『着衣のマハ』『黒い絵』シリーズなど、初期から晩年までの膨大なコレクションを保有しています。

ティッセン=ボルネミッサ美術館(スペイン)

ティッセン=ボルネミッサ美術館

出典:Wikipedia

スペインのマドリードにあるティッセン=ボルネミッサ美術館は、実業家で美術コレクターのハインリヒ・ティッセン・ボルネミッサ男爵とその父親のコレクションをもとに設立されました。14世紀から15世紀のイタリアやフランドル、オランダの絵画やをはじめ、印象派や後期印象派、ピカソなどの近現代の作品も含まれています。

ゴヤの作品は『アセンシオ・フリアの肖像』『フェルディナンド7世の肖像』『バケットおじさん』があります。

東京富士美術館(東京都)

東京富士美術館

出典:Wikipedia

東京都八王子市にある東京富士美術館は、アートを一般の人々に開かれたものにしたいというコンセプトのもと1983年にオープンしました。16世紀から20世紀の絵画や版画、彫刻、日本画の他、オリエントの陶磁器やアール・ヌーヴォーのガラス、日本の武具や刀剣、工芸品など幅広いコレクションを保有しています。

ゴヤの作品は『ブルボン=ブラガンサ家の王子、ドン・セバスティアン・ガブリエル』のほか、『戦争の惨禍』『ロス・カプリーチョス』『妄』シリーズなど多数の版画があります。

まとめ:フランシスコ・デ・ゴヤは古典から近代芸術をつなぐ画家

ここまでゴヤの来歴やエピソード、代表作についてお伝えしてきました。宮廷画家として活躍するうちに聴力を失い、歴史的な動乱に巻き込まれたことがゴヤ本来の才能を開花させたとも言えるでしょう。機会があれば、ぜひ美術館でゴヤ作品を鑑賞してみてください。

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