ジョルジュ・ブラックは20世紀初頭の芸術界に革命をもたらした画家の一人であり、彼の名はキュビズムというアートムーブメントとともに不滅です。この記事では、ブラックの華麗なる生涯と、彼の創り出した多面的かつ幾何学的な作品について探るとともに、キュビズムとは何か、その背景や特徴について詳しく解説します。
ジョルジュ・ブラックとは?
ジョルジュ・ブラックは、フランスの画家、彫刻家、版画家です。パブロ・ピカソとともにキュビズムの発展に貢献しました。1908年から活動を始めましたが、1912年までの作品はピカソとの共同制作が多く、両者の作品を区別することが難しいものも多いといわれています。
1908年から1912年までの間に制作されたブラックの作品には、幾何学的な要素や複数の視点から同時に対象物を見るという特徴があります。ジョルジュ・ブラックのキュビズムはポール・セザンヌの多視点のアイデアを基にしており、ブラックは静止しているオブジェを複数の視点から眺めることに興味を持っていました。
ブラックは光の効果や視点、技術的な手法についても研究を深めていました。たとえば、彼の村の風景画では建物の形状が単純化され、平面的な印象を与えるようになっています。
ジョルジュ・ブラックとピカソが創始したキュビズムとは?
キュビズムは、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって始められた芸術運動です。日本では立体派とも呼ばれ、その名前はキューブ(箱)に由来します。
この運動では、モチーフを分解して再構成し、視覚ではなく理論的な手法でイメージを表現することが目指されました。ピカソなどはアフリカ彫刻の影響を取り入れた「プロトキュビズム」や、伝統的な法則にとらわれない「分析的キュビズム」など、さまざまな手法を試みました。
この革新的なアプローチは絵画だけでなく、彫刻や建築にも影響を与えました。このような思想の浸透は、芸術界全体に新しい視点をもたらし、表現の自由度が高まったといえるでしょう。
ジョルジュ・ブラックの生涯
ここからは、ジョルジュ・ブラックの生涯について見ていきましょう。
生い立ち
ジョルジュ・ブラックは1882年5月13日にフランスのヴァル=ドワーズ県アルジャントゥイユで生まれました。ル・アーヴルで育ち、幼少期は装飾芸術職人である父や祖父から装飾芸術を学び育ったそうです。
また、1897年から1889年の間にはル・アーヴルのエコール・デ・ボザールで夜間の美術学校に通い、絵画を学びました。その後パリで装飾芸術の修行をし、1902年に卒業しました。卒業後はパリのハンバート美術大学に入学し、1904年まで絵画を学びました。
フォービズム〜原始キュビズムの時代
ジョルジュ・ブラックは初期の作品には印象派の影響がありましたが、1905年にフォービズムの展示を見てスタイルを変えることとなります。
ブラックはキュビズムの先駆者とされていますが、フォービズムからの影響も受けていると考えられています。フォービズムはアンリ・マティスやアンドレ・ドランなどの画家によって展開された、鮮やかな色彩と大胆な感情表現が特徴的な絵画スタイルです。
ブラックがパリで活動していた1907年頃には、フォービズムの代表的な作家たちと交流を持ち、そのスタイルの影響を受けたとされています。
ピカソと創始したキュビズムの時代
1908年に、ブラックはセザンヌの影響を受けた風景画をいくつか制作しています。マティスが後に「小さなキューブ」と形容した『レスタックの家々』や、最初のキュビズム的作品といわれる『家と木』(Maisons et arbre)もこの年に制作されました。
しかしながら、彼の作品はセザンヌとは異なるものでした。この時期の彼の絵画には、セザンヌの風景画の構図と同時にキュビズムの要素がみられることが非常に興味深い点です。『家と木』を例に取ると、その構図はセザンヌに似ていますが、キュビズム的な特徴も備えています。
分析的キュビズム
1909年から1911年頃の二人の作品は、分析的キュビズムと呼ばれます。1909年の初めに、ブラックは原始キュビズムを発展させていたパブロ・ピカソと共同制作を始めました。
分析的キュビズムとは、キュビズムの一派であり、主に1909年から1911年頃に展開された絵画のスタイルを指します。このスタイルでは、物体を小さな切片の集合体として描き、色合いは統一感を出すためにモノクロに近い褐色や灰色に統一されています。
総合的キュビスム
1912年、ピカソの作品は、ステンシルで文字を入れたり、新聞の切り抜きや木目を印刷した壁紙など、絵画とは異なるオブジェを導入していました。これらの技法はコラージュと呼ばれ、紙のみで行われるものはパピエ・コレと呼ばれました。
このアプローチは、形態を分解して細分化する分析的キュビスムとは対照的に、総合的キュビスムとして知られています。ブラックはコラージュの断片を論理的に組み合わせ、主に写実的な表現に使用していました。一方、ピカソのコラージュでは断片をつじつまの合わない方法で新しくつなぎ合わせたり、変形させることを楽しんでいました。
より個人的なスタイルを確立した時代
第一次世界大戦が始まる前の1914年まで二人の芸術家はコラボレーションを続けてきましたが、1915年5月のカレンシーでの戦いでブラックは頭部に深く傷を負い、一時的に視力を失いました。頭蓋骨に穴が開いたため、絵画制作を中断して長い療養期間を必要としたのです。
1916年後半になってから再び絵画制作を再開しましたが、ブラックは以前のキュビズムのような硬い抽象性を緩和し、鮮やかな色彩や質感のある表現を追求するようになりました。
そして、ノルマンディーの海岸に移ってからより個人的なスタイルの制作を続けました。
ジョルジュ・ブラックの代表作
ここからは、ジョルジュ・ブラックの代表作について3つご紹介します。あわせて所蔵美術館もご紹介しますので、是非足を運んでみてください。
レスタックの家
ブラックは、1908年に『レスタックの家(1908)』という作品を南フランスのレスタックとパリを往復しながら発表しました。この作品はセザンヌの幾何学的な風景画を模倣したもので、後にマティスによって「小さなキューブ」と評され、キュビズムの起源とされることになります。
ピカソとブラックは、セザンヌの「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱い、すべてを遠近法の中に入れなさい」という名言を軸に、独自の様式であるキュビズムを展開していきます。
ビリヤード台
ビリヤード台が折れ曲がって上から見たような視点で描かれており、過去のキュビズムの要素を感じることができます。これまでの作品と比べてより写実的な印象を受けます。色合いはやや抑えめで、画風も変化しているように見えます。
木のうしろの家
木の背後に描かれた家は、南フランスのエスタックで描かれたフォービズム(野獣派)の影響を受けて制作された作品です。原色の使用や平面的な描写は、まさにフォービズムの影響を感じさせるものです。
ジョルジュ・ブラックと親交のあった画家
- パブロ・ピカソ
- アンリ・マティス
- オトン・フリエス
- マリー・ローランサン
- フランシス・ピカビア
- アンドレ・ドラン
- ファン・グリス
- 平賀亀祐
まとめ
ジョルジュ・ブラックの生涯は創造的な歩みとともに進み、初期の風景画から後には抽象的なキュビズム作品へと変化しました。
ブラックはピカソと親交を深め、彼と共にキュビズムの起源を築きました。彼の作品は現代美術の一部として広く評価されており、芸術史において重要な存在とされています。
機会があれば、所蔵美術館でジョルジュ・ブラックの作品を是非ご覧になってください。