column
2024.08.26

ルイス・ウェインとは?来歴や画風、エピソード、代表作「猫」シリーズについて詳しく解説します!

擬人化した猫の絵で爆発的人気を誇ったルイス・ウェイン。この記事では、ルイス・ウェインの来歴や画風、エピソードについてアートリエ編集部が解説します。ルイス・ウェインについて詳しく知りたい方は、ぜひ最後までご覧ください。

ルイス・ウェインとは

ルイス・ウェインは、19世紀末から20世紀初期にかけて活躍したイギリスの画家、イラストレーターです。擬人化した猫を描いた作品は高い人気を誇り、国中で名前が知られていました。

一方で、身近な人々の死や自身の精神疾患に悩まされ、人生最後の15年間は精神病院で過ごしています。しかし、1960年代のアメリカを中心としたサイケデリック・ムーブメントで晩年の抽象的な作品が再評価され、2021年にはウェインの人生をもとにした映画が制作されたことでも話題となりました。

ルイス・ウェインの来歴

ここからはルイス・ウェインの来歴を順を追って解説します。

ルイス・ウェイン

生い立ち

ルイス・ウェイン(Louis Wain 本名:ルイス・ウィリアム・ウェイン 1860-1939)は、1860年8月5日、イギリス・ロンドンのクラーケンウェルで6人兄妹の長男として誕生しました。ウェイン以外は女の子で、5人の妹たちはいずれも生涯独身を通しています。

ウェインは口蓋裂だったことや、健康状態が悪かったこともあり、10歳まで学校に通えませんでした。その後、小学校に入学しましたが、雰囲気になじめず、授業を受けるよりもロンドンの街中を歩き回ったり、昆虫採集をしたりして過ごしていたといいます。

教師時代

やがてウェストロンドン美術学校を卒業すると、そのまま同校の教師として働きました。しかし、ウェインが20歳の時に父親が死去したため、母親と5人の妹たちの生活費がウェインの肩に重くのしかかったのです。

1881年に初めて絵が売れ、週刊誌のクリスマス号に掲載されました。翌年に同紙からイラストの仕事を依頼されたことをきっかけに、給与が安い教師の仕事を退職し、フリーのイラストレーターになりました。当時のイギリスは空前の出版ブームで、イラストの需要が高かったのです。

フリーの画家へ転向

結婚生活

ウェインは様々な雑誌の挿絵やポスターなどの仕事を手掛けました。動物やイギリスの田園風景を描き、徐々に仕事も軌道にのっていきました。

1884年には、妹たちの家庭教師をしていた女性、エミリー・マリー・リチャードソンと結婚。エミリーはウェインより10歳年上だったため、当時のイギリスではあまり良く思われませんでした。2人は駆け落ちのようにしてハムステッドに移り、拾った子猫のピーターと結婚生活を送りました。ちなみにこの時代は、猫はネズミを狩るために飼育されており、ペットと言える存在ではなかったようです。

結婚後まもなくエミリーが乳がんにかかっていることが判明し、2人の結婚生活は3年ほどと短いものでした。エミリーはピーターをとても可愛がっていたため、ウェインはピーターをモデルにした猫の絵を描いて闘病中のエミリーを元気づけました。

猫の絵で人気に

ウェインの初期の作品で写実的に描かれた猫

ウェインは徐々に猫の絵で世間に知られるようになり、1886年にクリスマス版『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』に擬人化された猫たちを描いた『子猫のクリスマス・パーティー』が掲載されました。この作品は、11枚のパネルに150匹の猫がクリスマスを祝う様子を描いたものです。

1890年には、猫に関する知識が認められて「ナショナル・キャット・クラブ」の会長に就任しましたが、1898年に飼い猫のピーターが亡くなりました。

1906年にウィリアム・イングラム卿の援助を受けてイギリス・ケント州の海辺のリゾート地、ウェストゲート・オン・シーの豪華な別荘に移り、母や妹たちを呼びよせています。1910年に母が亡くなり、1913年には長年精神病院に入院していた妹のマリーも亡くなりました。1916年にイングラム卿の金銭的援助が途絶えたため、1917年にウェインと4人の妹はロンドンに戻りました。

晩年

ロンドンから戻ってまもなく、妹のキャロラインが死去し、同時期にイラストの仕事も減り、経済的に困窮するようになりました。

ウェインの精神状態は徐々に不安定になり、人を寄せ付けなくなって、自宅にこもるようになりました。また、現実と妄想の区別がつかず、優しかった性格が攻撃的になるなど変化し、ウェインを心配した妹たちに暴力をふるうこともあったといいます。

1924年に統合失調症と診断されると、妹たちはスプリングフィールド精神病院の貧民病棟にウエィンを入院させました。劣悪な環境の病院でしたが、ウェインの状況を知ったSF作家のハーバート・ジョージ・ウェルズらの嘆願や、当時の首相が介入し、翌年には環境の良いベスレム王立病院へ転院しています。

1930年にはナプスベリー病院に再度転院。ナプスベリー病院には数匹の猫が飼われており、猫たちに接したウェインは穏やかな性格を少しづつ取り戻し、再び猫の絵も描くようになりました。しかし、1938年脳卒中に倒れて健康状態が悪化し、1939年7月4日、78歳で死去しました。

ルイス・ウェインの画風やエピソード

ここからはルイス・ウェインの画風やエピソードを5つの視点から解説します。

猫の絵で知られるウェインですが、もともとは風景画や様々な動物など幅広いテーマで描いていました。特に犬が得意で、一時は犬の絵だけで生計を立てようとしたといいます。

闘病中の妻・エミリーを慰めるために飼い猫のピーターを描いたことが、猫を描く画家としてのキャリアのはじまりとなりました。ウェインの描く猫は大人気となり、亡くなる直前まで生涯描き続けたテーマでした。

また、ウェインの作品は、夏目漱石が『吾輩は猫である』を着想するきっかけになったとも言われています。

多作な作家

ウェインは、多作なアーティストとしても有名です。多いときには雑誌やポスター、広告など向けに年間何百点もの絵やスケッチを描き、生涯に手掛けた児童書の挿絵は100冊以上にもなります。

当時は郵便制度が発達した時代だったため、絵ハガキは75の出版社から1100点以上出版されました。また、ウェインの人気が絶頂期だった1901年から1915年までと、1921年には『Louis Wain Annual(ルイス・ウェイン年鑑)』が発行されたほどでした。

金銭的な不遇

人気が高く、作品数も多かったウェインですが、金銭的に裕福とは言えませんでした。20歳で父親を亡くしてからは、母親と生涯独身だった5人の妹たちを養う必要があったことや、性格も穏やかで騙されやすかったことなどが大きな原因でした。

作品の著作権を保護する対策をせず、価格の交渉をするなどのビジネスセンスにも欠けており、怪しい投資話に引っかかってお金を失うこともあったようです。

動物関連へのチャリティーへの参加

ウェインが活躍した当時は、動物保護の機運が高まっていた時代でした。「ナショナル・キャット・クラブ」の会長に就任した以外にも「Governing Council of Our Dumb Friends League(言葉を話せない私たちの友人連盟評議会)」や「Society for the Protection of Cats(猫の保護協会)」、「Anti-Vivisection Society(反動物実験協会)」など、ウェインはいくつもの動物関連のチャリティーに参加しています。

統合失調症を煩う

ウェインは1924年に統合失調症と診断され、死去する1939年までの約15年間を精神病院で過ごしました。入院する以前から呂律が回らなくなったり、周りの人間すべてが敵に思えたりしていたようです。

妻や妹など身近な存在を亡くしたことや、仕事の需要が減ったこと、事故で頭に重傷を負ったことなど様々な要因が挙げられます。晩年には大きく画風が変わっていますが、必ずしも病気の影響だとは言えないようです。

ルイス・ウェインの代表作

ここではルイス・ウェインの代表作「猫」シリーズについて、画像を見ながら時代を追って解説します。

「猫」シリーズ

背景に抽象的な幾何学模様の描かれた猫の作品

闘病中の妻・エミリーのために描いた初期の作品では、写実的に猫を描いています。また、モデルの多くは飼い猫のピーターでした。

1886年に発表された『子猫のクリスマス・パーティー』では、ほとんどの猫は4つ足で服も着ていません。

A cat by Louis Wain, representative of his anthropomorphic style.

やがて、猫たちはこの作品のように後ろ足で2足歩行をするようになり、表情も豊かになりました。さらに時を経ると、当時の流行の服を着て、社交や音楽を楽しむ人間のような姿が描かれています。

ウェインの作品の特徴である擬人化された猫の絵

上記の作品からさらに月日が経つと、猫の背景に抽象的な模様が描かれはじめます。ウェインの精神的不安定さの表れとも、壁紙を背景に描いただけとの説もあり、実際のところはわかっていません。

2014年にはキュビズムの影響を受けたとされる「未来派の猫」という幾何学的な模様を持つ陶器製の猫シリーズを発表しています。

こちらの作品は、これまでに比べて猫が単純化され、背景も原色が多用されるなど、徐々に抽象化が進んでいます。

他の作品

最晩年の作品は、猫とはわからないほど抽象的になり、細かい装飾や色合いから「万華鏡猫」とも呼ばれるほどになりました

病気の悪化が原因で画風が変化したと言われたこともありましたが、精緻な筆致はウェインが新しい画風を模索し、実験的に描いたとも考えられます。

他の作品

この時代の抽象的な作品のいくつかは、1860年代のサイケデリック・アートの先駆けとも言われています。

ルイス・ウェインを収蔵する主な美術館

ここではルイス・ウェインの作品を収蔵するイギリスの美術館を紹介します。

ベスレム心の博物館(イギリス)

イギリス・ロンドンにあるベスレヘム心の博物館は、1970年にベスレム王立病院内に創立されました。過去に精神疾患で入院していた患者たちの作品を展示しています。

ウェインの作品は『Phrenology』などを収蔵しており、同博物館を代表するコレクションのひとつです。また、ミュージアムグッズにもウェインが描いたイラストが使われています。

ヴィクトリア&アルバート博物館(イギリス)

イギリス・ロンドンにあるヴィクトリア&アルバート博物館は、ヴィクトリア女王と夫のアルバート公が基礎を築いた国立博物館です。絵画や彫刻、工芸品、宝石や貴金属、陶磁器、衣装など約400万点の幅広いコレクションを有しています。

ウェインの作品は、『子猫のクリスマス・パーティー』やカラフルな猫の絵、風景画、デッサンを含めた40点近くを収蔵しています。

まとめ:ルイス・ウェインは猫を描き続けたアーティスト

ここまでルイス・ウェインの略歴やエピソード、代表作についてお伝えしてきました。ウェインの作品は人々を魅了するだけでなく、猫の地位を向上させたと言われています。機会があれば、ぜひ美術館で作品を鑑賞してみてください。

アートリエではアートに関する情報を発信しています。アートのことをもっと知りたいという方は、こまめにウェブサイトをチェックしてみてください。

また、実際に絵を購入してみたいという方は、活躍中のアーティストの作品をアートリエで購入、またはレンタルすることもできます。誰でも気軽にアートのある生活を体験することができるので、ぜひお気に入りの作品を探してみてください。

本物のアートを購入/レンタルするならアートリエ

アートリエメディア | アートの販売・レンタル-ARTELIER(アートリエ)

アートの良さは体験してみないと分からないけど、
最初の一歩のハードルが高い。

そんな不安を解決して、
誰でも気軽に、安心して
「アートのある暮らし」を楽しめるように。
そんな想いでアートリエは生まれました。

著者
ARTELIER編集部

アートの楽しみ方やアートにまつわる知識など、もっとアートが好きになる情報をアートリエ編集部が専門家として監修・執筆しています。 ARTELIER(アートリエ)は、阪急阪神グループが運営する、暮らしにアートを取り入れたいすべての人が気軽に絵画を取引できるサービスです。

RELATED ARTICLE関連する記事