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2024.07.26

レオナルド・ダ・ヴィンチとは?「芸術と科学の天才」の略歴や作品の特徴、代表作について解説します!

レオナルド・ダ・ヴィンチとは?「芸術と科学の天才」の略歴や作品の特徴、代表作について解説します!

レオナルド・ダ・ヴィンチとは

「万能の天才」と呼ばれる芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチ。ルネサンス時代に活躍した芸術家であり、科学の分野でも多大な功績を残した偉人です。

彼の本名はレオナルド・ディ・セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ。「ヴィンチ村出身の公証人ピエロの息子レオナルド」という意味です。彼は名士の息子でしたが、奴隷を母に持つ私生児でした。近年の研究で、レオナルドの母はコーカサス出身であったという説が発表されています。

レオナルドはなぜ天才と呼ばれるのか。生涯や有名作品とともに、アートリエ編集部がレオナルド・ダ・ヴィンチについて詳しく解説します。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯とエピソード

レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチはどんな生涯を送ったのでしょうか。天才レオナルドの生涯を、数々のエピソードとともに解説します。

修業時代

レオナルド・ダ・ヴィンチが生まれたのは1452年。ルネサンスの都フィレンツェ近郊のヴィンチ村で、公証人ピエロの非嫡出子として誕生しました。幼少期についてはよくわかっていないものの、少年時代はアルノ川の上流で、大自然に囲まれて過ごしたといわれています。レオナルドは生涯を通じて自然への好奇心を持ち続けていましたが、少年期の環境が影響を与えたという説もあります。

レオナルドは15歳のころ、フィレンツェにあったアンドレア・デル・ヴェロッキオに弟子入り。絵画や彫刻、建築や工芸デザインを手掛けるヴェロッキオの工房で、レオナルドはあらゆる知識を会得したといわれています。

1472年に画家組合に加入したことがわかっているほか、ヴェロッキオ作《キリストの洗礼》の天使の部分を担当。師匠を圧倒する画力を示して、これを機にヴェロッキオは筆を捨てたというエピソードも残っています。

1478年頃に画家として独立したレオナルドは《東方三博士の参拝》(1481年)や《清ヒエロニムス》(1482年)などの作品を残していますが、いずれも未完成のままです。

宮廷芸術家時代

ルネサンスの繁栄を謳歌したフィレンツェも、15世紀後半になると斜陽の時代を迎えます。

30歳を迎えようとしていた1481年、レオナルドはフィレンツェを後にしミラノ公国へ向かいます。ミラノの領主スフォルツァ家のお抱え芸術家として、1499年までさまざまな分野で活躍しました。

この時代のレオナルドは《最後の晩餐》(1495年頃)や《岩窟の聖母》(1495年頃)などの名作を残しています。遠近法や幾何学的構成など、フィレンツェでの修行の結実のような完成度の高さを感じる作品が目立ちます。

また軍事、治水、都市計画、宮廷のイベントプロデュースなど多岐にわたる分野で活躍し、解剖学や植物学、機械工学や水力学に関する研究を深めて、マルチな才能を誇示。

こうした研究が反映されたレオナルドの絵画は、イタリア・ルネサンスの最高峰ともいわれるようになります。

研究時代

ミラノで活躍したレオナルドですが、1499年にパトロンであったスフォルツァ家がフランスに攻められて没落、フィレンツェに戻りました。その後、1508年ごろまでレオナルドは各地を放浪し、技術者、科学者として研究を重ね、そのかたわらいくつかの絵画も残しています。

マントヴァで侯爵夫人イザベッラ・デステのデッサンを描いたり、チェーザレ・ボルジアの軍事責任者として運河や都市計画の技術を模索したのもこの時期です。

また1503年には、フィレンツェの市庁舎の大広間にミケランジェロとの競作となる《アンギアーリの戦い》に着手。しかし新たに挑戦した油絵具の調整に失敗。プロジェクトは流れてしまいます。

この時期のレオナルドの手稿からは、「慣性の原理」「落体の法則」「斜面の原理」「重心」などに興味を持ち実験や思考を重ねていたことがわかっています。レオナルドは実証的な研究を重んじる性格の持ち主で、頭だけではなく目や手を使うことを信条としていました。

この時代のレオナルドの芸術作品は未完成品が多いのが特徴ですが、それもまた彼のさまざまな研究の反映であり、なにかを会得した時点で作品の製作を放棄することが多かったのが理由もひとつといわれています。

晩年の時代

1499年から1507年まで、レオナルドはマントヴァ、ヴェネツィア、チェゼーナ、ローマ、フィレンツェなどイタリア各地で活躍し、1508年から1513年まで再びミラノにも滞在しています。ミラノの新たな権力者となったシャルル・ダンボワーズに技師として雇用され、フランス王ルイ12世に招かれたのがきっかけでした。

晩年のレオナルドはシャルル・ダンボワーズの宮殿のほか、サンタ・マリア・アッラ・フォンターナ教会の設計、トリブルツィオの記念騎馬像の企画、アッダ川の運河開削、人体解剖など変わらず幅広い分野に携わっていたことがわかっています。

1514年から1516年の前半まで、レオナルドは教皇レオーネ10世の招待を受けて、ヴァティカンで制作や研究にいそしんでいたという記録があります。イタリア各地の領主や権力者から、引っ張りだこであったようです。

1516年8月、イタリア・ルネサンスの礼賛者であったフランス王フランソワ一世の招へいで、レオナルドはフランスのアンボワーズに移住。クルー城を与えられ、王母のためにロモランタン城の設計に携わるなど、興味を活かした平穏な生活を送りました。

1519年、レオナルドは忠実な弟子フランチェスコ・メルツィに看取られてアンボワーズで死去。67歳の生涯でした。

絵画以外で発揮した才能

レオナルド・ダ・ヴィンチのローラーチェーンのスケッチ

《モナリザ》や《最後の晩餐》など、後世の画家たちにも影響を与えた傑作を残したレオナルド・ダ・ヴィンチ。

レオナルドは画家としてだけではなく、ルネサンス人らしい多様な才能を持っていました。それぞれの分野におけるレオナルドの特徴や貢献について解説します。

建築家

レオナルドにとっての建築とは、水力工学や軍事工学に関連する壮大なレベルのものが多く、美術史家のヴァザーリによれば「フィレンツェのアルノ川の進路を変えることを考えていた」と伝えられています。さまざまなプロジェクトに携わった痕跡やスケッチは残されていますが、レオナルドが単独で設計を担当した建造物は不明のままです。

またミラノ滞在中、シエナ出身の建築家フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニと友情を築き、建築関連の技術の知識を深めたともいわれています。ミラノ大聖堂のドームに関するスケッチも何枚か残っており、集中式の教会建築を目指していたこともわかっています。

思想が壮大なだけに実現が難しかったのがレオナルドの建築ですが、数々の手稿から彼の才能を理解することができます。

解剖学

 レオナルドによる素描やスケッチは500枚、手稿は1万ページが遺されているといわれています。なかでもレオナルドは解剖学に興味を持ち、解剖に関するスケッチや記述は200以上あります。

レオナルドは、人体を描いたり彫刻とするためには、解剖によって知識を得ることが必要と考えていました。実際、手稿の中でも「10以上の人体を解剖した」と明記しており、精密な自然描写の根本のために解剖にこだわっていたこともわかっています。

科学者

残されたレオナルドの手稿の4分の3は、力学や天文学、光学や水力額、測地学や自然研究で占められており、画家としてのメモは4分の1にとどまっています。科学へのより深い興味が、手稿の内容からも理解できます。

レオナルド自身は工房での修行経験はあっても、アカデミックな場での学習の経験はないため、レオナルドを「科学者」と呼ぶことに異を唱える学者や研究者もいます。レオナルドにとって科学と芸術は切り離せないものであり、どちらも観念としてではなく具象的な行為をベースとしていました。

科学へのアプローチは彼独自のものであり、そのあとに秩序立てて彼の研究を引き継いだ人がいなかった点もユニークです。

発明家

レオナルドの創意工夫は、さまざまな発明のアイデアを生み出しました。具体化した発明は少なかったとはいえ、後世における技術開発に役だったものも少なくありません。

レオナルドの草稿に残る発明には飛行マシン、ヘリコプター、パラシュート、大砲、ロボット、自立型の橋など。

空に関する発明が多いのは、鳥の飛行を研究して空を飛ぶことを夢見たためといわれています。

彫刻家

レオナルドは彫刻の分野でも野心的であったと伝えられています。現在、確実にレオナルドの作品とされる彫刻は認められていませんが、スケッチは何枚か残されています。

スケッチから察すると、レオナルドは彫刻においても躍動的な構造を模索していたようです。ミラノのスフォルツァ家から依頼され、素描のみが残る《スフォルツァ騎馬像》、同じく素描の段階で終わった《トリブルツィオ将軍騎馬像》は、デザインが斬新。ブロンズ作品としては力学的に制作が困難であったといわれています。

手稿

1万ページ以上あるといわれるレオナルドの手稿は、彼の精神活動の記録でもあります。「アトランティコ手稿」「ウィンザー手稿」「マドリード手稿」「トリブルツィオ手稿」など、コレクションごとに名前が付けられています。本来はレオナルドの愛弟子フランチェスコ・メルツィに遺されたものでした。左利きであったレオナルドは、裏返して書く「鏡文字」で手稿をつづっています。

レオナルドが残した芸術作品を理解するには、手稿は非常に大きな要素。彼の思想や手法を知るうえでも貴重な史料になっています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの画風や技法

没地アンボワーズにあるレオナルドの銅像

画家として以外にも、さまざまな顔を持っていたレオナルド・ダ・ヴィンチ。彼の画風や技法にはどんな特徴があるのでしょうか。

天才の魅力に迫ってみましょう。

画風

レオナルドの絵画は、解剖学や科学の研究結果を礎にした優れた写実主義が特徴。「画家」という枠にとらわれず、あらゆる分野からアプローチした結果が絵画に反映されています。遠近法や光の動きを捉えたリアリズムも、レオナルドの得意とするところでした。

空気遠近法

空気遠近法とは、遠近法の一種。空気や光の作用を利用して陰影や色調を調整し、距離感を表現する技法です。レオナルドはとくに空気遠近法の研究に熱心で、線遠近法では表現しきれない自然の情景などを、色彩や陰影で巧みに表現していました。

スフマート

スフマートとはイタリア語で「ぼやけた」という意味。絵画の明るい部分から暗い部分の表現に置いて、境界線なしで描く諧調を意味します。

レオナルド自身はこの技法について「空気に消えてゆく煙のように」と表現しており、線では表現できない現象の表現に重きを置いていました。

レオナルドのスフマートは、バロックやロマン主義のアートにも影響を与えました。

クロスハッチング

クロスハッチングとは、レオナルドだけではなくミケランジェロも用いていた技法。絵画における線影を、斜線を交差させて描いていく方法です。クロスハッチングによるスケッチは、陰影が美しく表現できるというメリットがあります。

正確な解剖学的描写

レオナルドは人体を表現するために、解剖にこだわった画家です。師匠のヴェロッキオ、ライバルであったミケランジェロも解剖を行い作品制作に活かしたことがわかっていますが、レオナルドの解剖に関する描写はとくに詳細にわたっているのが特徴。人体を知り尽くしたからこそ表現できる、独自の人物像を描きました。

科学的な光と影の研究

 光と影の表現が主流になったバロック時代に先駆けて、レオナルドは科学的な分野から光の影の研究を怠りませんでした。大自然への好奇心を生涯持ち続けたレオナルドは、空気や光、影の表現を絵画の技法としてだけではなく、サイエンティストの目で見て描き続けました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作

確実にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる絵画はごくわずか。しかしいずれもルネサンスのスピリットを体現した傑作といわれています。

誰もが知っている作品から傑作まで、レオナルドの代表作をご紹介します。

《モナ・リザ》

モナ・リザ

世界でもっとも有名な絵画といっても過言ではない《モナ・リザ》。縦77cm×横53cmの小品は、ルーヴル美術館が所蔵しています。

フィレンツェの富裕層の夫人リザの肖像の背景は、奥行きを感じるスフマートの技法で描かれています。神秘的な女性像はアートのアイコンとなり、後世の芸術家に刺激を与え続けています。レオナルドが自身の死まで愛蔵していたことでも有名です。

《最後の晩餐》

最後の晩餐

イエス・キリストが十字架にかけられる前夜、弟子たちと囲んだ食卓がテーマとなっている作品。レオナルドが描いたのは縦4.2m×横9.1mの大作で、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会付属の修道院に残っています。

イエスのこめかみ部分に消失点を設けた透視図法によって、劇場型の傑作となっています。世界大戦中の爆撃による剥落が激しく、将来に向けた保存が議論の対象になることも。

《受胎告知》

受胎告知

20歳頃のレオナルドが描いた初々しい《受胎告知》。フィレンツェのウフィッツィ美術館所蔵の名作。レオナルドの若さが感じられる、固めのラインで構成される聖母と天使が魅力的です。

聖母の純潔を意味する庭園には、レオナルドが研究した遠近法や光学の知識が垣間見えます。

《人体のプロポーション》(ウィトルウィウス『建築論』)

人体のプロポーション

紀元前1世紀のローマで活躍した建築家ウィトルウィウスの著作をもとに、レオナルドが描いた作品。ヴェネツィアのアカデミア美術館が所蔵していますが、一般公開はされていません。

芸術と科学の融合ともいわれるこの作品、哲学的に宇宙のシンボルである円と創造を表す四角形を背景に、万物の尺度としての人間が描かれています。世界の概念を感じる《人体のプロポーション》は、まさにルネサンス的な作品といってよいでしょう。

《洗礼者ヨハネ》

洗礼者ヨハネ

レオナルドの晩年、1510年前後に制作されたといわれる《洗礼者ヨハネ》。若いヨハネの物憂げな表情、アルカイックなほほえみは、どこかモナ・リザに通じるところもあります。

ヨハネのモデルとなったのは、レオナルドの弟子で愛人ともいわれたサライ。レオナルドの死後、《洗礼者ヨハネ》はサライの所有になっていたことがわかっています。

背後にうっすらと浮かび上がる十字架は、イエスの犠牲を暗示しています。スフマートの技法によって、暗闇から浮かび上がるような演出が見事です。現在はルーブル美術館所蔵。

まとめ:万能の天才が描いた革命的な絵画

典型的なルネサンス人といわれるレオナルド・ダ・ヴィンチ。複雑な家庭に生まれ、大自然の中で育ったレオナルドは、絵画の制作や科学的な研究を融合させて、独自の世界を作り上げました。あらゆる分野で秀でていたレオナルドがさまざまな知識や技術を結集させた絵画は、美術史の中でもアイコン的な存在になっています。

哲学や思想を感じるレオナルドの作品、見れば見るほどアートの奥深さを感じます。

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