column
2024.07.26

アルフォンス・ミュシャとは?来歴やエピソード、代表作まで詳しく解説します!

アルフォンス・ミュシャとは?来歴やエピソード、代表作まで詳しく解説します!

女性たちに人気のある作家のひとり、アルフォンス・ミュシャ。優美な画風は時代を超えて愛され、日本でもよくミュシャのポスターを目にします。

美術館やアート展に行く習慣がない方も、ミュシャの名前を耳にしたことがあるかもしれません。アール・ヌーヴォーを代表する作家ミュシャは、美しい女性像だけではなく精緻な装飾表現でも有名です。

アルフォンス・ミュシャはいつごろ活躍し、どんな特徴や魅力がある作家なのでしょうか。アートリエ編集部がアルフォンス・ミュシャについて詳しく解説します。

アルフォンス・ミュシャとは

アルフォンス・ミュシャは、チェコスロバキア出身。大女優サラ・ベルナールのポスターを描いて一躍有名になり、パリで活躍した画家です。花々や女性、曲線を使ったミュシャ様式は、19世紀末から20世紀初頭にかけて一世を風靡。アール・ヌーヴォーの顔となりました。

日本の芸術や文学にも大きな影響を与えたミュシャ。祖国チェコスロバキアを愛し、後半生はプラハで活躍しました。切手や紙幣のデザインを手がけたことでも知られています。

アルフォンス・ミュシャの来歴

アルフォンス・ミュシャ

アルフォンス・ミュシャはどんな人生を送り、美しい作品の数々を残したのでしょうか。

ミュシャの来歴を追っていきます。

誕生からパリへ

アルフォンス・ミュシャは1860年生まれ。モラヴィアのイバンチチェに生まれた彼は、チェコ語では「ムハ」と発音します。

父は宮廷に仕える役人で家庭は富裕とはいえませんでしたが、宗教心の篤い母の影響をうけ、音楽や芸術に触れながら育ちました。教会の聖歌隊で歌ったり、絵を描いたり、ミュシャは精神的に豊かな幼少期を送ったと伝えられています。

17歳でプラハの美術アカデミーを受験するも不合格。父のつてで裁判所の書記官になったものの、アートへの思いは捨てがたく、19歳でウィーンに向かいます。ウィーンでは、舞台装置を作るカウツキー=ブリオシ=ブルクハルトに雇用されましたが、劇場の火事で失職。

ミュシャはチェコのミクロフで風景画や肖像画を描く生活を送った後、1885年にミュンヘンの美術アカデミーに入学します。ここで2年を過ごしました。

そして27歳の時、パトロンを得たミュシャは、芸術の都パリへ向かいます。アカデミー・ジュリアンに入学したミュシャでしたが、生活は苦しく、いくつかの仕事を経て大手出版会社アルマン・コランで仕事を開始。イラストや写真の仕事に携わりました。

ポスター挿絵家として活躍

ミュシャの転機となったのは1894年、30代半ばのことです。クリスマスシーズン、ミュシャが勤務していた印刷所に、大女優サラ・ベルナールからポスターの依頼が舞い込みます。ミュシャはピンチヒッターとしてポスターを製作。このポスターが、ミュシャの出世作となった≪ジスモンダ≫です。それまでのポスターの常識を覆すミュシャの作品を見たサラ・ベルナールは、ミュシャと6年間の契約を結びました。

その後ミュシャは≪ジスモンダ≫以外にも≪ロレンザッチョ≫≪四季≫≪トスカ≫など、数々のポスターや装飾パネル画を制作。1897年には個展も開催しています。

ミュシャ独特の画風は大人気を博し、挿絵の注文も舞い込むようになりました。劇作家ド・フレールの『トリポリの姫君イルゼ』や歴史家セニョボスの『スペイン史』など、有名文芸家の作品の挿絵を担当しています。

ミュシャは1904年から10年にかけてアメリカに旅行し、歓迎を受けました。アメリカでは数々の肖像画を描いたほか、教鞭もとっています。

故郷へ帰国

1910年、50歳を迎えたミュシャは故国チェコに活動の拠点を移します。残りの人生を、自分のルーツがあるスラブ民族のために捧げるためでした。アメリカ人起業家チャールズ・クレーンの資金援助により、ミュシャが温めてきた≪スラブ叙事詩≫の構想を実現することになったのです。

ミュシャは大作を製作するかたわら、チェコスロバキアへの愛国心から紙幣や切手のデザインも請け負っています。歴史家に教えを請い、さまざまな書籍を読み、ミュシャの晩年はスラブの文化のために捧げられました。

1928年に完成した大作はプラハ市に贈られますが、そのころからナチスが台頭。1939年には、チェコスロバキアもナチスに占領されてしまいます。愛国心の強さからナチスの尋問の対象となったミュシャは体調を崩し、1939年7月14日、79歳で亡くなりました。葬儀にはミュシャを慕う民衆が押し寄せたと伝えられています。

アルフォンス・ミュシャの画風

アルフォンス・ミュシャ

アルフォンス・ミュシャの作品はとても優雅。一目見て気に入ってしまう人も多いようです。

ミュシャの魅力や特徴を解説します。

アール・ヌーヴォー

アール・ヌーヴォー(Art nouveau)とはフランス語で「新しき芸術」という意味。19世紀終わりごろから20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを中心に広がったアートの様式です。

貴族社会が崩壊した19世紀、油絵に代表されるアカデミックなアートの世界に対抗するように登場したのが、ポスターや挿絵、工芸品でした。複製技術の普及で、ポスターや挿絵は特権階級以外にも広がり、さまざまな階級に愛好されるようになりました。

そのなかでもミュシャの作風は、平面的でラインがシンプル、視覚効果が高いことが特徴です。ベル・エポックという女性的な文化の隆盛とともに、美しい装飾が施されたミュシャの作品は大人気となりました。

優美なライン

ミュシャに代表されるアール・ヌーヴォーは、イタリア語で「花の様式(Stile Floreale)」と呼ばれるように、植物をモチーフにした曲線的な線で構成されています。波打つようなラインは印象的で、繊細でありながら力強さも存在します。

クリアなラインで描かれる優雅なラインは誰にでもわかりやすく美しく、ミュシャの人気を支える要素になっています。

美しい女性像

ミュシャが活躍した時代は、ベル・エポックと重なります。「美しき優雅な時代」といわれたベル・エポックの文化は、女性的な優美さが特色でした。

そのスピリットを体現したようなミュシャの美しい女性像は、当時の人々の心を強くとらえました。社会状況に呼応する新しいアートの形として、ミュシャが描く美しい女性たちは時代の顔になったのです。

パステルカラーの色彩

ミュシャ独特の装飾や構図を生かしているのは色彩です。とくに出世作となった≪ジスモンダ≫のパステルカラーは、抜群の視覚的効果をもたらしました。パステルのピンクや黄色は、当時パリで人気だったロートレックらを意識したといわれています。

写実よりも見る人の心をつかむ配色によって、ミュシャの作品は時代を代表する傑作となったのです。

アルフォンス・ミュシャのエピソードや評価

チェコスロバキア出身ながらパリで活躍したアルフォンス・ミュシャ。時代の寵児であったミュシャは、時代に翻弄されたアーティストでもありました。

ミュシャにまつわるエピソードや評価をご紹介します。

女優サラ・ベルナールとの関係

画家アルフォンス・ミュシャの転換点となった女優サラ・ベルナールとの出会い。

大女優ベルナールがミュシャを世に押し出してくれたことで、ミュシャの知名度は大きく上がり、社会的な名声や富も手に入れました。

一方のサラ・ベルナールも、ミュシャが製作したポスターによってさらなるスーパースターとなった感があります。どこか神秘的で幻想的なミュシャのポスターは、大女優にとって宣伝効果の高いものでした。

2人の協力関係は相互に良い結果をもたらし、アートの分野にも大きな足跡を残しました。

新国家「チェコ・スロバキア」のための様々なデザイン

壮年期にパリやアメリカで活動していたミュシャですが、50歳を過ぎるころ、故郷に戻ります。

大変な愛国者として有名だったミュシャは後半生を故国に捧げ、ライフワークである≪スラブ叙事詩≫を製作します。また1918年に誕生したチェコスロバキア共和国の紙幣、首都プラハの大聖堂のステンドグラスなど、さまざまなデザインを手掛けています。

ナチスによる尋問

ミュシャの故国チェコスロバキアは、数奇な歴史をたどってきた国です。1918年に共和国として独立したチェコスロバキアでしたが、世界大戦の流れを受けて1939年には解体。

愛国心の強かったミュシャはナチスドイツの秘密警察ゲシュタポによって、1939年3月15日に逮捕、尋問されました。最終的には釈放されたものの、心身に強い傷を負ったミュシャは同年7月14日に亡くなっています。

冷戦期

ミュシャは日本の芸術や文壇にも影響を与えるほど世界的な作家になりましたが、世界大戦後、東西に分断された冷戦期には忘れられた存在となっていきました。

ミュシャが再び脚光を浴びたのは1963年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館におけるアール・ヌーヴォーの美術展が契機になりました。

冷戦崩壊から現在

ロンドンの美術展で再び注目されたミュシャは、グラフィックアートの中心だった若い世代に受け入れられていきました。

幻想的でどこかサイケデリックなラインや色彩が再び見直され、ミュシャの美術展が各国で開催されるようになりました。日本でも人気のあるアーティストのひとりになっています。

アルフォンス・ミュシャの代表作

魅力的なアルフォンス・ミュシャの作品の数々。その中でも有名な代表作をご紹介します。

ジスモンダ

ジスモンダ

アルフォンソ・ミュシャの出世作となった≪ジスモンダ≫。1894年12月、女優サラ・ベルナールが依頼したポスターは、1895年1月からパリの街頭に登場し、センセーションを巻き起こしました。

高さが2mを超えるポスターには、ビザンツ式の衣装を身に着けた気品あるサラ・ベルナールが描かれています。製作時間が足りなかったため、背景の一部は空白になっていますが、ビザンツ様式のモザイク装飾が異国情緒を醸し出しています。

この作品に感銘を受けたベルナールは6年の契約を提案、ミュシャの名声は不動のものとなりました。

四季

四季

1896年にミュシャが製作した≪四季≫は、それぞれの季節が若い女性に擬人化されています。女性たちの清純さや妖艶さが、細やかに描かれた大自然の中で際立つ傑作。1896年の≪四季≫の好評を得て、ミュシャは何度か同じテーマで作品を描いています。

女性たちの暗示的なポーズも魅力があります。

夢想

夢想

1896年に描いた≪黄道十二宮≫の好評を受けて、1897年にミュシャが作成したのが≪夢想≫です。≪黄道十二宮≫同様、シャンプノワ社のカレンダーとして製作されました。

夢見るような表情の若い女性が、装飾デザインのカタログをめくっているような構図。女性の背後の装飾は、ミュシャの最盛期を思わせる精緻さがあります。

黄道十二宮

黄道十二宮

1896年、シャンプノワ社のカレンダーとして製作された≪黄道十二宮(Zodiac)≫

鼻梁が美しい女性の横顔と、ミュシャらしい光輪が印象的です。光輪の中に十二宮が描かれており、女性の高貴さや荘厳さ、ジュエリーの細かな表現で大人気となりました。

四芸術

四芸術

リベラルアーツや人間の徳を擬人化して描くのは、ヨーロッパでは古くからの伝統です。

≪四芸術≫でミュシャは芸術的な行動を称え、独自のスタイルを生み出しました。楽器やペンといった従来のアイテムを放棄し、躍動的で知的な女性を描いています。

スラヴ叙事詩

スラヴ叙事詩

1910年から1928年にかけて、ミュシャがライフワークとして取り組んだ≪スラブ叙事詩≫。6m×8mの大作を含む20枚から成る≪スラブ叙事詩≫には、3世紀から20世紀のスラブの歴史が描かれています。

スラブの人々のアイデンティティを喚起する作品は象徴性が強く、ミュシャの名を聞いて思い出す美しい女性たちとは趣を異にしています。

≪スラブ叙事詩≫を恒久的に展示する施設の建設が、2026年完成を目指して進行中です。

アルフォンス・ミュシャ作品を収蔵する主な美術館

堺アルフォンス・ミュシャ館

出典:いこーよ

一度見たら忘れられないアルフォンス・ミュシャの作品の数々。美しいミュシャの絵画を心ゆくまで鑑賞できる美術館をご紹介します。

プラハ・ミュシャ美術館(チェコ)

アルフォンス・ミュシャが心から愛した故郷にあるプラハ・ミュシャ美術館。1998年にオープンした同美術館には、ミュシャ最盛期のポスターから装飾パネル画など、代表作が一堂に会しています。

ミュシャの親族が秘蔵していた未公開作品の展示もあり、ミュシャファンには必見です。

堺アルフォンス・ミュシャ館(大阪)

日本の堺市にもアルフォンス・ミュシャに特化した美術館があるのをご存じでしょうか。実業家であった故土居君雄氏のミュシャコレクション500点が軸となっている、堺アルフォンス・ミュシャ館。

絵画だけではなく素描や彫刻など、ミュシャに関連するコレクションとして世界に誇る規模です。

まとめ:新しい時代にふさわしい女性たちを優美に描いたミュシャ

19世紀の終わりから20世紀はじめにかけて、アール・ヌーヴォーの代表格として活躍したアルフォンソ・ミュシャ。サラ・ベルナールに代表される新しい時代の女性たちを、斬新な手法と優美な画風で描いたアーティストです。

欧州文化の中心で華々しく活躍する一方、時代に翻弄される故国への思いを貫いた画家でもありました。冷戦期、忘れられていたミュシャの作品は、今も時代を超えた魅力を放ち、多くの人を魅了し続けています。

アートリエではアートに関する情報を発信しています。アートのことをもっと知りたいという方は、こまめにウェブサイトをチェックしてみてください。

また、実際に絵を購入してみたいという方は、活躍中のアーティストの作品をアートリエで購入、またはレンタルすることもできます。誰でも気軽にアートのある生活を体験することができるので、ぜひお気に入りの作品を探してみてください。

本物のアートを購入/レンタルするならアートリエ

アートリエメディア | アートの販売・レンタル-ARTELIER(アートリエ)

アートの良さは体験してみないと分からないけど、
最初の一歩のハードルが高い。

そんな不安を解決して、
誰でも気軽に、安心して
「アートのある暮らし」を楽しめるように。
そんな想いでアートリエは生まれました。

著者
ARTELIER編集部

アートの楽しみ方やアートにまつわる知識など、もっとアートが好きになる情報をアートリエ編集部が専門家として監修・執筆しています。 ARTELIER(アートリエ)は、阪急阪神グループが運営する、暮らしにアートを取り入れたいすべての人が気軽に絵画を取引できるサービスです。

RELATED ARTICLE関連する記事