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2023.11.22

ゴッホは天才?奇人?ゴッホの逸話・人生・代表作を徹底解説

ゴッホは天才?奇人?ゴッホの逸話・人生・代表作を徹底解説

世界的に有名な画家は数多く存在しますが、その中でも極めて知名度が高い人物がポスト印象派の画家「ゴッホ」です。ゴッホの本名はフィンセント・ファン・ゴッホといい、「ひまわり」をはじめとする誰もが知る名画を残しています。

ゴッホを語るうえで欠かせないのが、本人にまつわる破天荒なエピソードです。この記事ではゴッホにまつわる逸話や人生、そして名画を解説します。ゴッホの意外な一面を知りたい方は、ぜひチェックしてください。

フィンセント・ファン・ゴッホとは?

壁に描かれたフィンセントファンゴッホの自画像

ゴッホは、1853年にオランダ南部にあるフロート・ズンデルトにて、牧師の息子として誕生しました。職業を転々とした後、20代後半で画家を目指します。1986年にはパリへと渡り、フェルナン・コルモンの画塾に通います。そこでポール・ゴーギャンやアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックと出会い、当時台頭し始めた新印象派の作品に触れます。

1888年には静養のために南フランスにあるアルルへ移住し、そこで代表作「ひまわり」「種まく人」「夜のカフェテラス」を生み出しました。1890年に死去するまで、制作活動を続けたと言われています。

ゴッホの送った人生とは?

ゴッホ美術館

ゴッホは絵画への情熱から、別名「炎の画家」とも呼ばれています。ここではゴッホの人生に触れてみましょう。

幼少期

1853年にオランダ南部の街、フロート・ズンデルトに誕生したゴッホは、牧師の家庭の長男として育ちます。下にはのちに彼を支える弟のテオを含む5人の兄弟がいましたが、中でもゴッホは大人が扱いにくい子であり、母親や家政婦は手を焼いていました。

小さなころから癇癪持ちで、一人で遠くに行ってしまうことも多かったそうです。一時は父親と同じ聖職者の道を志すものの、画家として生きていくことを決意します。

パリ時代

1886~1887年、ゴッホは弟のテオを頼ってパリに移住します。当時台頭していた印象派の画家たちと親交を深めた時代は、「パリ時代」と呼ばれています。

ゴッホはパリで多くの刺激を受けたとされていますが、実際のところ、ゴッホがパリで過ごしていた生活は謎に包まれています。ゴッホがまだ無名であったことや、兄弟で生活していたために家族との手紙のやり取りがほとんどなかったことが理由です。

アルル時代

1888年、ゴッホはパリで出会ったポール・ゴーギャンと共に、南フランスのアルルに移住しました。この時代は「アルル時代」と呼ばれています。

ゴッホはアルル地方を非常に気に入っており、友人のエミール・ベルナール宛の手紙でも、心を寄せていた日本の風景と重ね、「日本版画に見る風景のようだ」と記しています。しかし、ゴーギャンとの生活は、ゴッホが起こした事件をきっかけに、わずか2ヶ月で終わりを迎えたのです。

サン=レミ時代

1889年、ゴッホはアルル近郊のサン=レミ=ド=プロヴァンスにある精神静養所に入院しながら、絵を書き続けます。この時代は「サン=レミ時代」と呼ばれています。その後も精神病院への入退院を数回繰り返しつつも、診療所の一室をアトリエとして使うことを許可され、創作活動を続けていました。

「星月夜」「アイリス」などに代表されるうねるような筆致は、サン=レミ時代に制作された作品です。

オーヴェル時代

1890年に静養所を退院したゴッホは、パリ近郊にあるオーヴェル=シュル=オワーズへと移ります。この期間から死に至るまでの時代は、「オーヴェル時代」と呼ばれています。レストラン「ラヴー亭」の3階にある屋根裏(ラヴー旅館)を拠点とし、わずか2ヶ月という短期間で、約70点もの作品を描きました。

ゴッホの最期

ラヴー旅館に滞在している間、ゴッホは「カラスのいる麦畑」や「オーヴェルの教会」などの大作を制作しています。1890年7月27日の夕方、ラヴー旅館にケガを負ったゴッホが戻ります。旅館にかけつけた医師のガシェは、弾丸は心臓をそれたものの、左の下肋部に達していることに気づきました。外科手術も難しいと悟ったガシェは、弟のテオを呼び寄せ、絶対安静でゴッホを見守ることにしたのです。翌日午前1時半に、ゴッホは37歳という若さでこの世を去りました。

ゴッホの死に関しては、一緒にいた少年の銃が暴発し彼をかばった説や、自殺など諸説あります。誰も現場を目撃していないことや不可解な傷の位置から、今もゴッホの死は謎に包まれたままです。

ゴッホの絵の特徴

ゴッホ美術館

ゴッホの作品の特徴は、大胆な色彩と細かい筆致です。本来であれば選びにくい色彩を用いて、活力あふれる自由な雰囲気の作品を作り上げています。たとえば代表作の1つである「自画像」では、顔の一部に赤や緑の原色を用いたことで、鑑賞者に大きなインパクトを与えます。さらに絵具には凹凸があり、厚く塗られた質感からは力強さを感じます。

大胆な色使いとは相反して、筆致は細かいストロークの繰り返しになっているのも特徴です。近くで見ると何を表現しているのかわからないものの、少し離れてみると計算された構図であることがわかります。まずは遠くから全体を、次に近づいて観察すると、新たな魅力を発見できるでしょう。

ゴッホの代表作

ゴッホの画家としての活動期間は短いですが、数多くの名画が残されています。ここでは特に有名な「星月夜」「ひまわり」「自画像」を紹介します。

星月夜

星月夜

「星月夜」はサン=レミ時代、診療所の一室で描かれた作品です。病院から見える景色を幻想的に描いています。特徴としては、ゴッホならではの「青」の使い方です。一種類の青ではなく、黄色を帯びていたり、淡い色合いだったりと、巧みに使い分けられています。

そして青の美しさを際立たせるように、黄色の月がはっきりと輝いているのも特徴です。現在、「星月夜」はニューヨーク近代美術館に所属されています。

ひまわり

ひまわり

ゴッホの代表作といわれている「ひまわり」ですが、複数あるのをご存じでしょうか。ゴッホはアルル時代に、花瓶に生けられたひまわりを7枚残しています。構図は同じであるものの、生けられているひまわりの本数と背景がそれぞれ異なるのが特徴です。

7点のうち、兵庫・芦屋の実業家である山本顧弥太氏が所有し、「芦屋のひまわり」と呼ばれる作品は、戦火によって消失しています。残り6点のうち1点は、東京都新宿にある「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」で常設されています。

自画像

自画像

ゴッホは画家として活動した10年間に、約40点もの自画像を描いています。その中でも特に印象に残るのが、1889年1月に制作された「耳に包帯をした自画像」でしょう。耳に包帯をした姿は、アルル時代にゴッホが起こした、通称「耳切り事件」の直後に描いたものです。

また、背景に描かれている日本の浮世絵も見どころです。耳に包帯をした自画像は、ロンドンにある「コートールド美術館」に所蔵されています。

ゴッホは天才?奇人?ゴッホにまつわる逸話

ゴッホ美術館

後世に名を残す天才芸術家は強烈な個性の持ち主が多いですが、ゴッホにも奇人と思われるエピソードがあります。ここでは3つのエピソードを紹介しましょう。

弟・テオに養ってもらっていた

今でこそ有名なゴッホですが、生前に売った絵は1枚だけといわれています。収入がないからといって働くこともなく、ゴッホの生活費は弟のテオが出していました。ゴッホは一時期彼女と同棲していましたが、その生活費もテオが支えていたのです。テオは兄を支えることに疲れ、家族宛に「残念な兄でつらい」とつづった手紙が残っています。

そんなテオですが、ゴッホがこの世を去ってからすぐに衰弱し、翌年にはこの世を去ります。テオ本人も、ゴッホを支えることが生きがいだったのかもしれません。

耳きり事件を起こした

「耳きり事件」とは、アルルでのゴーギャンとの共同生活を終わらせた事件です。ゴーギャンとの生活ははじめこそ順調だったものの、次第に亀裂が生じます。ある日大ゲンカに発展し、癇癪を起したゴッホは自分の耳を切り取り、共通の知人に託しました。

なぜ耳だったのかについては、「耳のかたちを笑われてカッとなった」「お前の話は聞かないという意思表示」など、諸説あります。ゴッホは耳の治療を受けてすぐにゴーギャンの去った家へと戻り、「耳に包帯をした自画像」を黙々と描いたというエピソードが残っています。

日本の影響を受けていた

ゴッホの作品を読み解くうえで欠かせないキーワードが「ジャポニズム」です。ゴッホは印象派の画家の中で、特に日本の浮世絵の影響を受けている画家の一人です。経済的な余裕のない生活を送りながらも、歌川広重などの浮世絵師の作品を、500点近く収集していました。

ゴッホの特徴である平面的な構図や鮮やかな色づかいは、浮世絵の影響だといえるかもしれません。南フランスのアルルに移住したのも、浮世絵の色彩に近いと感じたことが理由です。

まとめ

ひまわり

ゴッホが画家として活動した時期は、たった10年ほどです。この間に2,000点もの作品を残しました。また、ゴッホは日本の浮世絵を好み、影響を受けた作品も数多く残っています。海外の画家の中でも、とりわけゴッホの人気が高いのは、日本人との感覚の近さが背景にあるのかもしれません。

ゴッホの逸話やエピソードは他にも残っています。作品について調べてから鑑賞すると、さらに理解が深まるでしょう。

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