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2025.07.01

ラファエロ・サンティはどんな人?生涯や性格・代表作品「キリストの埋葬」「アテネの学堂」も詳しく解説

ラファエロ・サンティはどんな人?生涯や性格・代表作品「キリストの埋葬」「アテネの学堂」も詳しく解説

アートリエ編集部が、ラファエロ・サンティについて詳しく解説します。

ラファエロ・サンティは、ルネサンス三大巨匠の1人として知られる画家です。わずか37年の短い生涯でありながら、数々の名作を残し、後世の画家たちに大きな影響を与えました。

調和のとれた美しい作品群がどのように生み出されたのか、ラファエロの生涯を知りたい方は多くいるでしょう。

そこでこの記事では、ラファエロの生涯を解説します。また、代表作の「キリストの埋葬」「アテネの学堂」なども紹介します。

この記事を読めばラファエロの人生と代表作品をより深く理解できるので、興味がある方は、ぜひ参考にしてみてください。

ラファエロ・サンティとはどんな人?

Raphael

出典:WIKIART

画家のラファエロ・サンティ(1483-1520)は、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと並ぶ、盛期ルネサンスの三大巨匠の1人です。画家として活躍したのはもちろん、建築家としても活動していました。

ローマ教皇のユリウス2世やレオ10世に気に入られたラファエロは、サン・ピエトロ大聖堂の設計や宮殿の壁画制作など、多方面で才能を発揮しています。

ラファエロの作品は、完璧な調和と優美さが伺えるのが特徴です。聖母子像シリーズや「アテネの学堂」などは古典絵画の理想とされ、後の画家たちの手本となりました。

ルネサンスの絵画は、以下の記事で詳しく解説しているのでぜひ併せてご覧ください。

ラファエロの生涯

ラファエロ・サンティ - 友人との自画像

出典:WIKIMEDIA COMMONS

ここからは、ラファエロの生涯を以下の内容でみていきましょう。

  • ウルビーノ公宮廷画家の息子として誕生する
  • ペルジーノの元で才能を発揮する
  • レオナルド・ダ・ヴィンチからの影響を受ける
  • ミケランジェロからも影響を受ける
  • ローマで人生の後半を過ごす
  • ラファエロの死因

1つずつ詳しく解説します。

ウルビーノ公宮廷画家の息子として誕生する

ラファエロは1483年3月28日、イタリア中部のウルビーノで生まれました。父のジョヴァンニ・サンティは宮廷画家として活動しており、幼いころから芸術に囲まれた環境で育ちます。

ウルビーノ公国は当時、美術史上において重要な都市でした。ラファエロはこの恵まれた環境で、早くから絵画技法の基礎を学んだようです。

しかし、8歳のときに母を、11歳の時には父も亡くしたラファエロは叔父を後見人として成長します。

ペルジーノの元で才能を発揮する

孤児となったラファエロは、当時評判の高かった画家の1人である、ペルージャのペルジーノの工房に弟子入りしました。ラファエロは、ペルジーノから透明感のある色彩技法と優雅な人物表現を学んだといわれています。

ラファエロの技術は、学び始めてからわずか数年で、師匠に並ぶほどまでに向上しました。初期の作品とされる「キリストの復活」では、すでにラファエロ独自の繊細な表現力が見て取れます。

レオナルド・ダ・ヴィンチからの影響を受ける

若い男の肖像 1518-1519

出典:WIKIMEDIA COMMONS

1500年~1506年ごろ、ラファエロはフィレンツェで、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの作品に触れる機会を得ました。ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」や「聖母子」などから大きな影響を受けたと思われるラファエロの描写技法は、一層洗練されていきます。

この時期のラファエロは、ダ・ヴィンチが開発したスフマート(ぼかし技法)を自分の作品に取り入れ、より自然で柔らかな表現を身につけました。ラファエロが描いた聖母子像シリーズの構図や技法には、この影響が色濃く表れています。

ラファエロとダ・ヴィンチは同じ時代で刺激し合った画家でありながら、30歳ほどの年の差がありました。

ラファエロが影響を受けたとされるダ・ヴィンチに関しては、以下のページもぜひ参考にしてみてください。

ミケランジェロからも影響を受ける

ラファエロは、同じくフィレンツェで活動していたミケランジェロからも刺激を受けました。年齢でいうと、ミケランジェロの方が7歳ほど年上だったようです。

作品におけるミケランジェロの力強い人体表現や劇的な構図は、ラファエロの表現の幅を広げる重要な要素となります。

「キリストの埋葬」ではミケランジェロの影響が顕著に現れており、従来のラファエロの優雅な作風に力強さが加わったことが分かります。このように、ラファエロに影響を与えたミケランジェロですが、ラファエロのことを嫌っていたともいわれています。

ラファエロが影響を受けたとされるミケランジェロに関しては、以下のページで詳しく紹介しています。ぜひ参考にしてみてください。

ローマで人生の後半を過ごす

ラファエロは1508年ごろ、ローマ教皇ユリウス2世に招かれ、ヴァチカン宮殿の装飾を任されました。ヴァチカン宮殿には「ラファエロの間」といわれる場所があり、「アテネの学堂」をはじめとする壁画の傑作群を制作しています。

ユリウス2世の死後は、次の教皇であるレオ10世にも気に入られ、壁画の制作が続けられました。ローマ時代のラファエロは、教皇の寵愛を受け、数多くの重要な仕事を受けています。

サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家にも任命されるなど、建築家としても活動し、芸術界で確固たる地位を築きました。

ラファエロの死因

1520年4月6日、ラファエロは37歳の若さで亡くなりました。死因は梅毒や医師の誤診によるものといわれていますが、発熱にかかわらず無理をしたためともいわれています。

他にも肺炎や感染症などさまざまな死因が挙げられていますが、約15日の闘病生活を送り、誕生日に亡くなったとされています。

ラファエロの死は、当時のローマに大きな衝撃を与えました。遺体はラファエロの遺言に従ってパンテオンに埋葬されています。短い生涯でしたが、ラファエロが残した作品群は美術史に永遠に輝き続けています。

ラファエロの性格

ユリウス2世の肖像

出典:WIKIPEDIA

ここでは、ラファエロの性格をより詳しく見ていきましょう。ラファエロは、以下のような性格だったといわれています。

  • 人当たりが良く社交性がある
  • 多くの弟子に慕われる
  • 貪欲に学ぶ姿勢
  • 女性好き

それぞれ詳しく解説します。

人当たりが良く社交性がある

ラファエロはコミュニケーション能力が高く、人当たりの良い性格で知られていました。貴族から一般市民まで、幅広い階層の人々と良好な関係を築き、多くの人に愛される人柄だったといわれています。

この社交性は、ラファエロの芸術活動にも大きく影響していたようです。さまざまな階層の人々との交流から得た経験は、作品の人物描写の豊かさにも反映されています。

多くの弟子に慕われる

ラファエロの工房には、50人以上の弟子や助手が在籍していました。ラファエロは弟子たちから深く慕われ、師匠として優れた指導力を発揮していたようです。

弟子たちの中からは、ジュリオ・ロマーノやジャンフランチェスコ・ペンニなど、後に有名になる画家が誕生しています。また、弟子だけではなく、すでにローマ以外で高い評価を受けていた画家も在籍していました。

貪欲に学ぶ姿勢

The Miraculous Draught of Fishes

出典:WIKIPEDIA

ラファエロの大きな特徴は、他の画家から積極的に学ぶ姿勢です。ラファエロはペルジーノやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど優れた画家の技法を吸収し、自分の表現に昇華させる能力に長けていました。

この謙虚で向上心に富んだ態度が、ラファエロを短期間で最高峰の画家へと押し上げた原動力となっています。

ただし、ラファエロの学ぶ姿勢が一部の画家には不評だったようです。特に、ミケランジェロはラファエロのことを、「自分に対して陰謀を計る若造」として嫌っていた説もあります。

女性好き

ラファエロは人当たりが良いうえにハンサムで、社会的な地位もあることから女性にモテたといわれています。ラファエロは生涯を通じて多くの女性との関係があったことでも有名ですが、最後まで独身でした。

婚約していたメディチ・ビッビエーナの姪、マリアは結婚に至る前に病気で亡くなっています。最も愛した恋人は、パン屋の娘のマルガリータ・ルティといわれていますが、身分差があったため結婚できなかったようです。

ラファエロの女性に対する強い関心は、聖母子像シリーズの美しさにも影響を与えたと考えられています。多くの美しい女性をモデルにすることで、理想的な女性美を追求し続けました。

ラファエロの名言

Widzenie Ezechiela

出典:WIKIMEDIA COMMONS

ラファエロが残したとされる言葉として、以下のようなものが知られています。

「多くの美女を見なければ美女は描けない」

「我らが時代」

ラファエロは、まず美しいものを十分に観察し、理解することが作品を描くうえで重要だと考えていたようです。

「我らが時代」は同時代の芸術家たちとの関係を語った際の言葉です。この表現からは、ルネサンス期の芸術家たちとの連帯感や時代への誇りが感じられます。

ラファエロの作品の特徴

コロンナ・マドンナ 1507-1508

出典:WIKIMEDIA COMMONS

ラファエロの作品には、以下の2つの特徴があります。

  • バランス感覚に優れた構図
  • 古典絵画のお手本

それぞれ詳しくみていきましょう。

バランス感覚に優れた構図

ラファエロの作品は、黄金比や三角形の構図を巧みに用いることで、見る者に安定感と美的満足感を与えています。人物の配置・色彩・光と影の配分など、あらゆる要素が調和を保ちながら配置されている点が特徴的です。

調和の美学は、古典古代の芸術理論に基づいているといわれています。ラファエロは数学的な比例関係を意識して、多くの作品を構成しました。

古典絵画のお手本

ラファエロの作品は、後の時代の画家たちにとって古典絵画の理想的な手本とされました。17〜18世紀のロイヤル・アカデミー付属美術学校においては、ラファエロの技法や構図が教育の基準として用いられていたようです。

優雅さ・調和・理想美といった古典主義における価値観を体現したラファエロの作品は、「芸術の完成形」として長らく崇敬されました。現代においても、その技術的完成度と美的価値は高く評価されています。

ラファエロの代表作品を解説

死せるキリストへの哀歌 1503-1505

出典:WIKIMEDIA COMMONS

ラファエロは数々の作品を残しています。ここで紹介する代表作は、以下のとおりです。

  • キリストの復活(1499年〜1502年頃)
  • 聖母子像シリーズ(1500年代頃)
  • キリストの埋葬(1507年)
  • アテネの学堂(1509年-1510年)
  • キリストの変容(1516年–1520年)

以上の5つの作品を紹介します。

キリストの復活(1499年〜1502年頃)

キリストの復活

出典:WIKIPEDIA

「キリストの復活」は、ラファエロの初期作品の傑作です。師匠ペルジーノの影響を受けながらも、すでにラファエロ独自の洗練された表現が見て取れます。

作品では、復活したキリストが墓から立ち上がる瞬間が描かれており、神々しい光に包まれたキリストの姿が印象的です。兵士たちの驚きの表情とキリストを対比することで、奇跡の瞬間をより劇的に演出しています。

聖母子像シリーズ(1500年代頃)

聖母子像シリーズ

出典:WIKIPEDIA

ラファエロは生涯を通じて数多くの聖母子像を制作しており、これらはラファエロの作品の代名詞ともいえます。

ラファエロの聖母子像の特徴は、巧妙な三角形の構図です。聖母と幼子イエス、洗礼者ヨハネが三角形を形成することで、安定感のある構図を作り上げています。

ラファエロがこれほど多くの聖母子像を描いた理由は、当時の宗教的需要の高さと、幼くして亡くした母への憧憬があったと考えられています。

ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)(1506年ごろ)

ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)

出典:WIKIPEDIA

「ベルヴェデーレの聖母」は、ラファエロのフィレンツェ時代の代表作です。牧歌的な風景の中で、聖母マリアが幼子イエスと洗礼者ヨハネを見守る穏やかな情景が描かれています。

母子の愛情表現と、レオナルド・ダ・ヴィンチから学んだスフマート技法の融合が見事に表現された作品です。

美しき女庭師(1507年-1508年)

美しい女教師

出典:WIKIMEDIA COMMONS

「美しき女庭師」は、聖母子像の中でも人気の高い作品です。庭園を背景に、聖母が幼子イエスと洗礼者ヨハネを見守る場面が描かれています。

この作品は、ラファエロがフィレンツェで描いた最後の聖母子シリーズといわれています。また、未完成のままローマに発ち、弟子が完成させたともいわれているようです。

タイトルの「美しき女庭師」は、聖母マリアの美貌と、背景の美しい庭園から名付けられました。ラファエロの優美な女性描写の技術が存分に発揮された傑作です。

システィーナの聖母(1513年)

システィーナの聖母

出典:WIKIART

「システィーナの聖母」は、祭壇画として制作された大作で、雲の上に立つ聖母子の神々しい姿が印象的な作品です。

画面下部の天使たちは愛らしい表情で多くの人に親しまれており、後に独立したモチーフとしても広く愛用されています。

キリストの埋葬(1507年)

キリストの埋葬

出典:WIKIPEDIA

「キリストの埋葬」は、体をくねらせる表現がミケランジェロの影響を強く受けて制作された作品だといわれています。さらに、この作品の特徴は、左右対称的な人物と母親の苦悩にもあります。それぞれ詳しくみていきましょう。

左右対称的な人物

「キリストの埋葬」は、左右対称的な人物像で構成されています。キリストの遺体を運ぶシーンが描かれており、向かって左側は嫌そうに、仕方なく運んでいる様子です。

右側は聖母マリアがキリストの死を受け、気絶するシーンが描かれています。周りの女性たちは聖母を支えながらも悲しみ、1人は右側の男性たちを睨んでいるようです。

このように、同じシーンにもかかわらず左右で異なる感情を抱いている点は、舞台のワンシーンのようにもみえます。物語性がある点も、この作品の特徴の1つといえるでしょう。

母親の苦悩がテーマ

作品の主要テーマの1つは、息子を失った聖母の苦悩で、実際にラファエロの周りで起きた事件をきっかけに描かれました。

ラファエロが弟子入りしていたペルージャでは、ベリオーニ家の若者が虐殺されています。この作品を依頼したのは虐殺された息子の母親で、追悼の意味を込めて制作されました。

罪のない若者が虐殺された事件とその母親の悲しみが、「キリストの埋葬」として描かれています。

アテネの学堂(1509年-1510年)

アテネの学堂

出典:WIKIPEDIA

「アテネの学堂」は、バチカン宮殿の署名の間(スタンツァ・デッラ・セニャトゥーラ)の壁面に描かれた大壁画です。ラファエロの傑作として広く認められています。古代ギリシアの哲学者たちが一堂に会する、想像上の光景を描いています。

絵画の特徴をより詳しく見ていきましょう。

バランスの良い構図

「アテネの学堂」における建築的な構図は、ラファエロの空間を把握する能力の高さを示しています。遠近法や三角形の構図がバランス良く取り入れられている点は見事です。

中央のアーチを焦点として、左右に広がる人物たちの絶妙なバランスからは、ラファエロの優等生ぶりがうかがえます。

登場人物は実在する人物

「アテネの学堂」に登場する人物は、実在の人物をモデルにしています。中央のプラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチ、アリストテレスはラファエロ自身とも言われ、右下のヘラクレイトスはミケランジェロがモデルとされています。

他にも、ユークリッドやゾロアスターと思われる人物など、多くの著名人が描かれました。

ローマ教皇の権力を描く

「アテネの学堂」は単なる哲学者の集合場面ではなく、ローマ教皇の知的権威を象徴的に表現した政治的意味も持っています。古代の知恵とキリスト教的真理の融合を表現することで、教皇の統治の正当性を視覚的に示しました。

また、「アテネの学堂」が描かれたユリウス2世の居室、「署名の間」の壁は「詩学・法学・哲学・神学」のテーマで分けられています。描かれた場所からも、ローマ教皇が博識さや知識の高さを誇示していたことがうかがえます。

キリストの変容(1516年–1520年)

キリストの変容

出典:WIKIPEDIA

「キリストの変容」は、ラファエロの遺作として知られる大作です。ラファエロの死により未完成のまま残されましたが、弟子たちによって完成されました。

作品は上下二段構成になっており、上段にはキリストの変容場面、下段には悪霊に憑かれた少年の治癒場面が描かれています。神のの栄光と人間の苦悩を対比させることで、キリスト教の救いのメッセージを力強く表現しています。

この作品は、ラファエロの技術的完成度の到達点を示すとともに、後のバロック絵画への橋渡し的役割も果たしている重要な作品です。

まとめ

ヴィッラ・ファルネジーナ『三美神』

出典:WIKIPEDIA

この記事では、ラファエロの生涯や性格、代表作を紹介しました。ラファエロは37年の短い生涯の中で、盛期ルネサンスにおける最大巨匠の1人といわれるほどの作品を残した画家です。

コミュニケーション能力が高くハンサムだったことから、女性にモテたエピソードも残っています。さらに、真面目で人当たりの良い性格だったため、女性だけでなく権力者や多くの弟子からも愛されていたようです。

建築家としての活動も含め、ラファエロの多面的な才能は、芸術家の理想像を体現するものでした。この記事を参考に、ラファエロを深く知り、絵画をより一層楽しみましょう。

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