アートリエ編集部が狩野派について詳しく解説します。狩野派とは、室町時代から江戸時代まで約400年にわたり活躍した、日本最大の絵師集団です。そんな狩野派ですが、「狩野派とは何だろう」「狩野永徳の絵はなぜ有名なのか」と疑問に思う方もいるでしょう。
そこでこの記事では、狩野派について詳しく解説しています。また、狩野派の歴史や代表作も併せて紹介します。この記事を読めば狩野派について理解できるので、興味がある方はぜひ参考にしてみてください。
狩野派とは
出典:文化遺産オンライン
狩野派とは、初代・狩野正信が足利将軍家の御用絵師となったことを契機に発展し、以降も権力者の庇護を受け続けてきた絵師集団です。狩野派の多くは障壁画や金屏風を得意とし、豪壮かつ洗練された作品で広く知られています。
家系と門下による継承と、絵の手本「粉本」による教育体制で、多数の優秀な弟子を輩出しました。代表的な絵師には、狩野永徳・狩野探幽らが名を連ね、日本美術史に深く刻まれています。
京都・江戸・各地に分派を持ち、室町時代から江戸時代にかけてその影響力は日本全国に広がりました。
狩野派の歴史
出典:Wikipedia
狩野派は、日本絵画の流れを変えるほどの影響を与えてきました。ここからは、どのような影響を与えたのか、狩野派の歴史を解説します。
狩野派の歴史は室町時代から江戸時代までの400年
狩野派は、室町時代に狩野正信によってその歩みを始め、息子の狩野元信の代で画風が確立されました。中国の水墨画を基盤とした「漢画」の様式に、日本の伝統的な「やまと絵」の要素を融合させていったのです。さらに、安土桃山時代には狩野永徳が登場し、城郭建築にふさわしい壮麗な障壁画を手がけることで高い評価を得ました。
その後、探幽らによって江戸幕府の御用絵師として活躍し、各地に支流を持つ一大絵師集団へと成長します。時代が変わっても、その名は絶えることなく、美術史において長きにわたる影響を与え続けています。
400年続いた理由
狩野派が400年もの間、絵画界の第一線で存続できた理由は、強固な組織体制にあります。 血縁を重視した家系継承と、弟子の育成に特化した教育制度がその土台となりました。
特に、「粉本(ふんぽん)」と呼ばれる模写の手本を活用した技術指導により、誰が描いても一定の品質を保てるようになります。また、権力者に巧みに取り入る政治的な柔軟性も400年続いた要因になっているようです。
狩野派はただの画家集団ではなく、時代を読み、組織で勝ち抜いた職能集団でした。
狩野派の家系図
出典:富山県HP
狩野正信を祖とした狩野派は永徳の息子・光信と孝信が跡を継ぎ、孝信の子・探幽は江戸幕府の御用絵師として「江戸狩野」を築きあげました。
狩野派は、血縁と弟子制度によって京都・江戸の両拠点で発展を続けています。
狩野派の代表的な絵師一覧

出典:Wikipedia
狩野派は代々、傑出した才能をもつ絵師たちが系譜を築いてきました。 ここからは、狩野派の代表的な絵師を紹介します。
- 狩野正信(かのうまさのぶ)
- 狩野元信(かのうもとのぶ)
- 狩野永徳(かのうえいとく)
- 狩野山楽(かのうさんらく)
- 狩野探幽(かのうたんゆう)
それぞれ詳しく解説します。
狩野正信(かのうまさのぶ)|狩野派を起こした人物
狩野正信は、室町時代中期に活躍した絵師であり、狩野派を起こした人物です。 足利将軍家に仕えた絵師で、中国から伝わった水墨画を日本の風土や感性に合わせた表現へと発展させました。
正信の代表作 「周茂叔愛蓮図(しゅうもしゅくあいれんず)」は、中国の故事を主題とした作品で、淡い色彩と緻密な筆致が特徴です。池に浮かぶ舟と蓮の葉、風になびく柳の表現には、自然と調和した静謐な世界が描き出されています。構図や色彩には、南宋絵画の影響が見られ、狩野派の原点ともいえる画風が確立されています。
正信は画業にとどまらず、後継者の育成にも注力しました。 その教えは息子・元信へと受け継がれ、狩野派が400年続く礎を築くきっかけとなりました。
狩野元信(かのうもとのぶ)|狩野派の2代目
狩野元信は、初代・正信の画風を発展させ、狩野派を組織として確立させた2代目の名匠です。 狩野元信は中国の「漢画」と日本の「やまと絵」を融合させた独自のスタイルを築き上げました。
「四季花鳥図屏風」を代表とする華やかで構成力の高い作品群は、金箔と顔料を駆使した技法で描かれています。
これは、桃山時代の金碧障屏画(きんぺきしょうへいが)の技法の基礎を築いたとして、高く評価されています。また、狩野元信は画風だけでなく、絵画を工房形式で大量生産する体制を整えました。弟子の育成や注文対応を体系化し、狩野派が「絵のプロ集団」として全国に名を轟かせる土台を築きました。
狩野永徳(かのうえいとく)|権力者たちの御用達絵師

出典:Wikipedia
狩野永徳は、狩野派を天下一の絵師集団として全国に知らしめた、桃山時代を代表する天才絵師です。 永徳は幼少期から画才を認められ、9歳で将軍に拝謁した記録が残っています。
また、狩野永徳は織田信長や豊臣秀吉といった天下人たちの信任を得て、安土城や聚楽第など重要な建築の障壁画を多数制作しました。
「唐獅子図屏風」「上杉家洛中洛外図屏風」は国宝に指定され、そのスケール感と迫力、構図力は、桃山文化の豪華さを象徴しています。狩野永徳は、 47歳で病没するまで第一線を走り続けた、まさに時代に選ばれた絵師でした。
狩野山楽(かのうさんらく)|京狩野の祖
狩野山楽は、狩野永徳の高弟にして、京都に拠点を構えた「京狩野」の創始者です。 近江国の武士の家系として生まれ、豊臣秀吉に才能を見出されたことで、永徳の門人となり狩野姓を授かりました。
永徳が病没した際に、未完だった東福寺法堂の「蟠竜図(ばんりゅうず)」を見事に完成させ、名声を一気に高めます。以降は伏見城や四天王寺、大坂城本丸や二条城行幸殿などの障壁画を手がけ、江戸狩野に並ぶ活躍を見せました。
豪壮な永徳風を受け継ぎつつも、装飾性や写実性を強めた画風が特徴で、その柔和で優美な表現は桃山芸術の円熟を体現しています。
狩野探幽(かのうたんゆう)|16歳で江戸幕府の御用達絵師
狩野探幽は狩野永徳の孫にあたり、江戸時代初期に活躍した江戸狩野派の中心人物です。 幼少から天才と称され、13歳で徳川秀忠に謁見し、16歳にして幕府の御用絵師に任命されました。
23歳で宗家を弟・安信に譲ると、自らは「鍛冶橋狩野家」を創設し、名古屋城・二条城・大坂城などの大規模な障壁画制作を主導しました。画風は永徳の重厚な作風とは対照的に、余白と構図のバランスを重視し、詩情と洗練を感じさせる「探幽様式」を確立しています。
その後も写生・古画研究に励み、粉本や画帖による教育にも力を注ぎ、 江戸狩野250年の礎を築いた功績から「画壇の家康」とも称されています。
狩野派の代表作
出典:Wikipedia
ここからは、狩野派の代表作を以下の内容で紹介します。
- 周茂叔愛蓮図(しゅうもしゅくあいれんず)
- 四季花鳥図屏風(しきかちょうずびょうぶ)
- 唐獅子図屏風(からししびょうぶず)
- 秋冬花鳥図屏風(しゅうとうかちょうずびょうぶ)
1つずつ詳しくみていきましょう。
周茂叔愛蓮図(しゅうもしゅくあいれんず)

出典:文化遺産オンライン
「周茂叔愛蓮図」は、狩野派の祖・狩野正信による室町時代の水墨画の逸品です。中国・北宋の儒学者・周茂叔が蓮を愛する姿を主題とし、風雅な情景を淡彩で表現しています。蓮の花の気品ある佇まいと、水面を漂う舟の静けさが見事に描かれ、見る者に余韻を残す作品です。
水墨と淡彩を融合させた筆致には、狩野派の洗練された感性が宿っています。室町文化と中国思想の結びつきを物語る作品として評価が高く、現在は国宝として九州国立博物館に所蔵されています。
四季花鳥図屏風(しきかちょうずびょうぶ)

出典:文化遺産オンライン
「四季花鳥図屏風」は狩野元信が手がけた、和漢の技法を融合させた華麗な金碧障屏画です。春夏秋冬の風景と季節の草花・鳥が左右に分かれて描かれており、自然の移ろいを視覚的に堪能できる構成になっています。
金箔の使用や鮮やかな彩色には桃山美術の豪華さが表れ、筆致には繊細な観察眼が光ります。狩野元信はこの作品で、父・正信の水墨画にやまと絵の装飾性を加え、後の狩野派のスタイルを確立させました。
奈良・興福寺に伝わるこの作品は、狩野派の技術と美意識の結晶といえるでしょう。
唐獅子図屏風(からししびょうぶず)

出典:文化遺産オンライン
「唐獅子図屏風」は、狩野永徳が桃山時代に描いた国宝で、狩野派の中でも屈指の代表作です。金箔の背景に二頭の唐獅子が雄大な姿で描かれており、その筆致は力強く、構図は圧倒的な迫力を誇ります。
この作品は、織田信長や豊臣秀吉など、権力者の象徴的空間にふさわしい装飾画として制作されました。永徳のダイナミズムと装飾性の融合は、日本美術史においても他に類を見ません。
唐獅子の勇壮さと豪華さが融合したこの作品は、永徳の画才と時代背景を体現した歴史的傑作といえます。
秋冬花鳥図屏風(しゅうとうかちょうずびょうぶ)
出典:文化遺産オンライン
「秋冬花鳥図屏風」は、狩野良信が描いた江戸時代中期の作品で、季節の情景と花鳥の調和が美しい作品です。秋には紅葉、冬には雪の風景が描かれ、自然の中で静かに佇む鳥たちの姿が詩情豊かに表現されています。
金地を背景にすることで、季節の移ろいに豊かな奥行きと輝きを与え、鑑賞者の感性に深く訴えかけます。静謐かつ格調高い本作は、江戸狩野派の成熟を象徴する名品として、東京国立博物館に所蔵されています。
狩野派のライバル
ここでは、以下の狩野派の強力なライバルたちを紹介します。
- 土佐派
- 長谷川等伯(はせがわとうはく)
- 琳派(りんぱ)
それぞれ詳しくみていきましょう。
土佐派

出典:文化遺産オンライン「源氏物語図屏風(初音・若菜上)」
土佐派は日本の伝統的なやまと絵を継承した宮廷絵師の流派です。平安時代からの美意識を色濃く残し、装飾性と物語性に富んだ作品を多数生み出しています。
中でも室町時代中期の土佐光信は、絵所預(えあずかりどころ)として宮廷絵師の頂点に立ち、絵巻や屏風など数々の傑作を描きました。
戦国時代には一時衰退したものの、江戸時代に土佐光起が再興し、再び宮廷に重用されるようになります。光起は従来の濃厚な色彩から軽やかで優美な作風へと転換し、江戸時代らしい装飾的な美を確立しました。
狩野派が武家文化と結びつく一方、土佐派は宮廷文化との関係を深め、日本画におけるやまと絵の正統として確固たる地位を築いています。
長谷川等伯(はせがわとうはく)

出典:Wikipedia「松林図屏風」
長谷川等伯は桃山時代に登場した天才絵師で、狩野永徳と並び称される巨匠です。等伯は能登出身の絵仏師として活動を始め、30代で京都に上洛し、本法寺に身を寄せながら絵師としての人生を切り開きました。
作品は肖像画や仏画、水墨画に加えて障壁画や装飾画まで幅広く手がけ、豊臣秀吉や千利休らに高く評価されました。代表作「松林図屏風」では、墨の濃淡と余白を駆使して霧に包まれた幻想的な松林を描き、日本水墨画の到達点といわれています。
等伯は息子・久蔵と共に長谷川派を築き、門弟の育成にも力を注ぎましたが、久蔵の死や時代の変化により衰退しました。それでも等伯の革新性は、今もなお多くの人に感動を与え続けています。
琳派(りんぱ)
出典:出光美術館「風神雷神図屏風」
琳派は安土桃山時代から江戸時代にかけて発展した芸術流派で、本阿弥光悦や俵屋宗達に始まり、尾形光琳や酒井抱一へと受け継がれました。琳派の特徴は師弟関係ではなく私淑によって継承されてきた点です。
琳派の作品には金箔や銀箔を背景に用いた華やかな装飾性、大胆な構図、「たらしこみ」などの技法による柔らかな色彩表現がみられます。屏風や工芸品、書画の分野にまで広がり、日本の美意識を現代にまで伝える役割を果たしてきました。
血縁や組織ではなく、思想と美意識で繋がる琳派は、日本美術における独自の進化を遂げた存在として注目されています。
「琳派」については以下の記事で詳しく解説しているため、ぜひ併せてご覧ください。
狩野派の作品を楽しめる場所

狩野派の作品は、全国各地の美術館や寺社で鑑賞できます。中でも狩野派の魅力をじっくりと堪能できるおすすめの場所を3つ紹介します。
- 板橋区立美術館
- 二条城
- 南禅寺
1つずつ詳しく解説します。
板橋区立美術館

出典:板橋区立美術館
板橋区立美術館は、東京23区で最初に誕生した区立美術館で、江戸時代の狩野派をはじめとした日本画が所蔵されています。館内では、狩野派の作品をはじめとする近世絵画が定期的に公開され、特集展示や企画展でその魅力を味わえます。
また、近年の改修により施設全体が現代的に整備され、誰もが快適に鑑賞できる空間へと生まれ変わりました。展示室内には江戸狩野派の様式美が垣間見える絵画も含まれており、日本美術の流れを知る貴重な機会となっています。
狩野派の絵師たちが描いた風景や人物表現に触れながら、その技術と美意識の高さを堪能できます。
開館時間 | 9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
観覧料 | 展覧会により異なる特別展示観覧料:一般900円/大学生600円/高校生以下無料 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始 |
アクセス | 都営三田線「西高島平駅」下車 徒歩約14分東武東上線「下赤塚駅」、東京メトロ「地下鉄赤塚駅」下車徒歩約24分 |
HP | https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/index.html |
※営業時間や入館料、休館日などの情報は変更になる場合があります。最新情報については公式ウェブサイトにてご確認ください。
二条城

出典:二条城
世界遺産「元離宮二条城」は、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿所として築いた歴史的建造物です。「二の丸御殿」は国宝に指定されており、狩野派が手がけた豪華な障壁画が数多く残されています。
二の丸御殿では、狩野探幽やその弟・尚信による障壁画のほか、書院造の精緻な建築美も見どころの1つです。中でも「松鷹図」や「竹林群虎図」は、徳川幕府の権威を象徴する圧巻の芸術作品として高く評価されています。
狩野派が総力をあげて制作した障壁画は、1626年の後水尾天皇行幸のために制作され、現在も鮮やかな色彩と構図が来場者を魅了します。
開城時間 | 午前8時45分~午後4時(閉城午後5時)二の丸御殿観覧受付時間:午前8時45分~午後4時10分本丸御殿観覧受付時間:午前9時30分~午後4時(事前予約必要) |
観覧料 | 入城券:一般800円/中高生400円/小学生300円入城券+二の丸御殿観覧券:一般1300円本丸御殿観覧券:一般1,000円/中高生300円/小学生200円展示収蔵館観覧券:100円※本丸御殿観覧券、展示収蔵間委観覧券は別途入城券が必要) |
休城日 | 年末(12月29日〜31日)、その他臨時休城日あり二の丸御殿観覧休止日:毎年1月・7月・8月・12月の毎週火曜日、12月26日~28日、1月1日~3日本丸御殿観覧休止日:毎月第3月曜日※及びその翌日、12月26日~28日、1月1日~3日 |
アクセス | 地下鉄東西線「二条城前駅」より徒歩すぐ |
HP | https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/introduction/highlights/ninomaru/ |
※営業時間や入館料、休館日などの情報は変更になる場合があります。最新情報については公式ウェブサイトにてご確認ください。
南禅寺
出典:南禅寺
京都・左京区に位置する南禅寺は、臨済宗南禅寺派の大本山として知られ、日本を代表する禅寺の一つです。境内には国宝や重要文化財が点在し、秋の紅葉や春の桜とともに、訪れる人々を魅了し続けています。中でも本坊の方丈にある狩野派による障壁画《群虎図」、通称「水呑みの虎」は、南禅寺を象徴する名画です。
力強くも静かな虎たちの姿は、見る者に圧倒的な存在感と荘厳さを感じさせます。金箔を大胆に使った背景が、室内の空間と調和しながらも圧巻の美を演出しています。また、三門からの眺望や枯山水の庭園なども見逃せない魅力の1つです。
拝観時間 | 12月1日~2月28日:午前8時40分~午後4時30分3月1日~11月30日:午前8時40分~午後5時 |
観覧料 | 方丈庭園:一般600円/高校生500円/小中学生400円三門:一般600円/高校生500円/小中学生400円南禅院:一般400円/高校生350円/小中学生250円 |
休館日 | 要問い合わせ |
アクセス | 地下鉄東西線「蹴上駅」より徒歩10分 |
HP | https://nanzenji.or.jp/ |
※営業時間や入館料、休館日などの情報は変更になる場合があります。最新情報については公式ウェブサイトにてご確認ください。
まとめ

出典:東京藝術大学大学美術館
この記事では、日本美術史における狩野派の歴史と代表作、家系図などを紹介しました。狩野派は、室町時代に狩野正信が立ち上げ、世襲制で代々の勢力を維持してきた絵師集団です。400年の歴史の中で、数々のライバルたちに差をつけ、権力者の周囲を彩ってきました。
狩野派の作品は、現在も全国の美術館や寺社で鑑賞できます。この記事を参考にして、時代の権力者たちが重宝した狩野派の作品を楽しみましょう。
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誰でも気軽にアートのある生活を体験できるので、ぜひお気に入りの作品を探してみてください。