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2024.08.01

上村松園とは?来歴や画風、エピソード、代表作について詳しく解説します!

上村松園とは?来歴や画風、エピソード、代表作について詳しく解説します!

日本女性の美しさを描いた画家といえば、上村松園の名が筆頭に上がります。明治から昭和にかけて、まだ珍しかった女流画家として活躍しました。

死後75年を経ても変わらない人気を誇る上村松園の作品は、日本人であることの誇らしさを感じさせてくれるものばかり。歴史に残る傑作を数多く残しました。

いったいどんな人生を送り、どんなエピソードを持っている画家なのでしょうか。 上村松園の魅力や作品について、アートリエ編集部が詳しく解説します。

上村松園とは

上村松園は、明治時代から昭和の時代にかけて活躍した女流画家。美人画の画家として知られています。

上村松園は鈴木松年や竹内栖鳳などの大家に師事し、10代半ばで博覧会に入賞。1949年に亡くなるまで刻苦勉励、多数の展覧会で入賞を重ね、女性として初めて文化勲章を受章した画家でした。京都に生まれた上村松園は、京都らしい優美な女性像や風俗を描くことを得意としていました。皇室からも注文を受けるほどの品格のある作風が特徴で、漢詩や古典をテーマにした作品をたくさん残しました。

花鳥画を得意とした上村松篁は実子で、さらにその子の上村淳之も画家。3代にわたり日本美術史に残る活躍を残した一家の祖であった上村松園。現在も各地で展覧会が開催され、不動の人気を誇っています。

上村松園の来歴

上村松園

思わず見とれてしまうような美しい女性たちを描いた上村松園とは、どんな画家だったのでしょうか。彼女の生涯を追ってみましょう。

生い立ち

上村松園は1875年(明治8年)、京都の下京区四条通にある葉茶屋「ちきり屋」に生まれました。本名は津禰(つね)。母と姉と3人家族であった上村松園は、幼少期から画才に恵まれ、ちきり屋に出入りする文人たちの噂になるほどでした。

松園の母は娘の才能を喜び、後援を惜しまなかったと伝えられています。

京都府画学校へ

小学校を終えた上村松園は、画業を極めるべく1887年(明治20年)に京都府画学校に入学。当時の女性としてはまれなことでした。画学校で上村松園は、人物画を得意とする鈴木松年に師事。翌年に学校を退学し、松年塾に入りました。

上村松園自身の随筆によると、「松園」という雅号は師の鈴木松年の一字をもらい、実家の葉茶屋とゆかりのあった茶園からとったと記されています。

1890年(明治23年)、弱冠15歳の上村松園は≪四季美人≫を製作し、第3回内国勧業博覧会で受賞。≪四季美人≫は、当時来日していた英国の王族コノート公爵お買い上げという栄誉に浴しました。上村松園はその後、花鳥画を得意とする幸野楳嶺 に学びますが、1895年(明治28年)に幸野楳嶺 は死去。幸野楳嶺 門下の竹内栖鳳の塾へと移ることになりました。

栖鳳塾へ

「東の大観、西の栖鳳」という言葉が残るほど、京都画壇の重鎮として重きをなした竹内栖鳳。彼は大らかな性格で、当時は珍しかった女流画家松園のよき師匠であったといわれています。

栖鳳の激励を受けて、上村松園は男性の弟子たちとともに写生旅行にも出かけ、古典を学ぶべく膨大な量の縮図を手がけました。縮図とは、画業の上達のために古名画を縮写したものを指します。

栖鳳の影響か、上村松園はこの時期から漢詩や漢文を学び教養を深め、能楽を学び、日本の美の神髄を極めていきます。初期には浮世絵の影響を受けた形式美が目立っていた松園の作品は、栖鳳塾で大きく成長し、女性の心理まで写すような画風へと変わっていきました。

初期文展

上村松園は若いころから、文展入賞の常連でした。

文展とは、1907年(明治40年)に創設された官展のことです。文部省美術博覧会の略称で、上村松園は第1回文展で≪長夜≫が入賞。第2回文展では、≪月かげ≫が三等に入賞。第4回文展で≪花がたみ≫が二等を獲得。横山大観らとともに、銀牌を授与されています。

1916年(大正5年)には文展の永久無鑑査に推薦されています。

帝展

上村松園が入賞を続けた文展は、1919年(大正8年)に改組され帝展(帝国美術院展覧会)となりました。

文展の入賞を重ねて知名度を上げた上村松園は、帝展には3回しか出展していません。しかし実力と人気はうなぎのぼりで、1924年(大正13年)には帝展委員となり、1934年(昭和9年)には帝展参与に。

また1941年(昭和16年)には帝国芸術院会員となるなど、上村松園が日本の美術界で認められる理由のひとつには、帝展とのかかわりがありました。

母の死

上村松園は、明治時代に生まれた女性としては革新的な存在でした。美術の世界において女性がマイノリティであった時代に画家を目指し、私生活では未婚のまま息子を出産。

そうした上村松園の人生を支えたのは、女手一つで松園を育てた母であったといわれています。京女らしい美しさと芯の強さを持っていた母をモデルに、上村松園は数多くの作品を描きました。

上村松園の母が亡くなったのは1934年(昭和9年)。同年、≪母子≫を描いて以降の上村松園の作品は神がかっているとさえいわれ、≪序の舞≫や≪砧≫などの傑作を生むことになりました。

円熟期

母を失って以降の上村松園は、さらに気品高い作風を確立、充実した円熟期を迎えます。

京都出身らしい情緒に加え、理知的な表現も習得し、貞明皇后のご用命を受けた≪雪月花≫などの名作を皇室に納めています。数々の随筆も執筆し、豊かな文才も知られるようになりました。

上村松園は10代半ばから重ねてきた数々の功績が認められ、1948年(昭和23年)には女性として初めて文化勲章を受けました。

上村松園の画風やエピソード

「待月」

美しく雅な女性を描く画家として人気の上村松園。彼女の作風やエピソードをご紹介します。

気品のある美人画

上村松園の真骨頂は、なんといっても気品ある美人画。とくに日本髪のリアリティ、ぼかし技法を駆使した生え際の細やかさ、着物や帯の柄、匂い立つような仕草など、他の追随を許さない美しさは、今も多くのファンの心をとらえます。

京都の下京区で生まれ育った上村松園は、京都の女性たちを幼少期から見てきました。母をはじめとする女性たちをモデルに、あるいは古典や漢詩から学んだエピソードをテーマに、卑俗さのまったくない女性を描き続けたのです。

芯の通った上村松園の生き方そのものが、作品に反映されているといえるでしょう。

母への思慕

明治生まれの女性として型破りな生き方を選んだ上村松園の画業を支えたのは、よき理解者であった母であったといわれています。

つつましく葉茶屋を営みながら、娘の松園を物心両面で支えた母。上村松園の母への思慕は深く、≪母子≫≪青眉≫などの名作は母の存在なしには生まれませんでした。

情念

気品ある女性たちを描き続けた上村松園ですが、私生活は謎に包まれています。息子の上村松篁の父は、最初の師であった鈴木松年という説もありますが、松園は生前に決して明かしませんでした。

格調高く幸福な女性を描いた作品が多い中で、≪花がたみ≫と≪焔≫は狂女ものといわれ、女性の情念をリアルに表現しています。≪花がたみ≫には男性に恋するあまりうつろな視線でしどけないポーズをとる女性が描かれており、≪焔≫は能楽に登場する嫉妬に狂った女性をイメージしたおどろおどろしさがあります。

上村松園の私生活の波乱が作品に影響したという説もありますが、こちらもミステリーに包まれています。そんな謎めいた雰囲気も、上村松園の魅力かもしれません。

もう1人のしょうえん

「しょうえん」という発音を聞けば、上村松園を思い出す人が圧倒的に多いことでしょう。しかし上村松園と同時代に生きた女流画家に、もう一人、「しょうえん」という女流画家がいました。

もう1人のしょうえんは、池田蕉園。上村松園よりも10歳ほど年下であった池田蕉園は、河合玉堂に師事し、夫の池田輝方とともに美人画で有名でした。上村松園同様、池田蕉園も文展で知名度を上げた女流画家です。

上村松園は京都らしいクラシカルな画風が特徴ですが、池田蕉園は浮世絵系統の浪漫的な女性を描きました。池田蕉園の代表作は≪こぞのけふ≫や≪桃の酔≫など。

一時期は「西の松園、東の蕉園」ともてはやされましたが、池田蕉園は1917年(大正6年)に30代の若さで死去。もう1人のしょうえんは、画業半ばで世を去ってしまいました。

上村松園と鏑木清方

上村松園とよく似た作風を持つ画家に、鏑木清方がいます。ほぼ同年代の2人、清明な雰囲気の女性を描いたという点は共通しています。また2人は絵だけではなく文才にも恵まれ、それぞれが随筆を残しています。

よく似ているといわれる上村松園と鏑木清方ですが、同じ女性を描いても異なる点があります。

上村松園の作品は、京都の女性に代表される凛とした強さがあり、しっとりとした静けさが漂います。一方、鏑木清方は東京の神田に生まれた江戸っ子。市井の女性たちを生き生きと描き、彼女たちの感情の動きまで読み取れるような作風を持っています。

松園の作品には凛冽さと静謐があり、清方の絵には粋と温もりがあり、画家のルーツの違いが感じられます。

上村松園の代表作

美しい女性たちを数多く描いた上村松園。どれもが傑作ですが、とくに有名な代表作の魅力を解説します。

序の舞

序の舞

60代に入った上村松園が描いた≪序の舞≫。能の舞のワンシーンを描いたこの作品は、上村松園自身が「私の理想の女性の最高のもの」と断言した渾身の作です。

序の舞は静かな幽玄美と高い品位が必要な舞とされていますが、上村松園はその概念を見事に描き切り、≪序の舞≫によってキャリアの頂点に上り詰めた感があります。上村松園を主人公にした同名の小説があるほど、象徴的な地位にある作品です。

1936年(昭和11年)の文展招待展に出品した≪序の舞≫は、政府によって買い上げられました。重要文化財の指定を受け、現在は東京藝術大学が所蔵しています。

母子

母子

上村松園の画家としての人生は、母と二人三脚で歩んだものでした。上村松園がかけがえのない母を失ったのは1934年(昭和9年)。その年、上村松園が母への強い思慕を作品に投影させたのが≪母子≫です。≪序の舞≫と並んで、上村松園の活動後期における代表作とされています。

母の襟をつかむ幼子の仕草、静かなたたずまいながら子への細やかな愛を視線に宿らせる母は、松園芸術の到達点と激賞されました。第15回帝国美術員展覧会に出品され、政府に買い上げられ、のちに国指定重要文化財になりました。東京国立近代美術館所蔵です。

焔

上村松園は能のシテ方金剛巌に謡曲を習い、テーマやポーズを作品に投影させていました。能楽「葵上」に登場する六条の御息所に着想を得て製作したのが≪焔≫です。順調に見える上村松園のキャリアにもスランプの時期があり、1918年(大正7年)に描いた≪焔≫はその状況からの脱却を狙ったものでした。

上村松園には珍しく、≪花がたみ≫と並ぶ狂女ものといわれる≪焔≫は、松園独特の明るい色彩は息をひそめ、暗色で構成されています。青白い頬、蜘蛛の巣がデザインされた着物など、凄絶な美が楽しめる傑作です。東京国立博物館所蔵。

楊貴妃

日本の女性の風俗や美しさを描いていた上村松園ですが、1922年(大正11年)中国の美女を描いた≪楊貴妃≫を製作。漢学を学んでいた上村松園が、白楽天の「長恨歌」にインスピレーションを得て描いた作品です。

帝展への出品が4年ほど滞っていた後に出品された≪楊貴妃≫は、上村松園が当時の中国の風俗や衣装などを研究した結果が反映されています。蜀出身のふくよかな美女をなまめかしく描き、話題を呼んだ作品でした。松柏美術館が所蔵しています。

清少納言

竹内栖鳳に師事するようになった20代前半の上村松園が、1895年(明治28年)に描いたのが≪清少納言≫です。師に勧められて古典の勉強をしていた上村松園は、清少納言のエピソード「香炉峯の雪や如何に」を描きました。定子中宮の問いかけに、簾を上げて雪を見せようとする清少納言が理知的です。≪清少納言≫は、第4回内国勧業博覧会で褒賞を獲得しました。

同年には≪義貞聴琴図≫も描いていて、歴史的題材に取り組んでいたことがわかります。

上村松園作品を所蔵する主な日本の美術館・大学

京都国立近代美術館

出典:Wikimedia commons

上村松園は繊細な表現にこだわった画家で、決して多作とはいえません。しかし、一度は見ておきたい傑作が、各地の美術館や大学で鑑賞できます。

上村松園の作品を鑑賞するために、ぜひ訪れたい美術館をご紹介します。

京都国立近代美術館(京都)

平安神宮のすぐ近くにある京都国立近代美術館は、京都や関西出身の画家たちの作品が充実しています。上村松園や梅原龍三郎など、京都にゆかりのある画家たちの作品が見ものです。

上村松園の作品は、初期のものから円熟期のものまで揃っています。初々しい≪花のにぎわい≫、華やかな≪舞支度≫、円熟期の≪虹を見る≫など、それぞれの時代の上村松園が楽しめます。

東京国立博物館(東京)

上村松園の異色の名作を見たいと思ったら、東京国立博物館へ。

東京国立博物館では、女性の心理を描いた松園の傑作といわれる≪焔≫が鑑賞できます。松園独特の明るい色彩とは無縁ですが、女性の嫉妬さえ優艶に描く上村松園の筆の力を実感できます。

松伯美術館(奈良)

上村松園、松篁、淳之と3代の作品が一堂に会している松柏美術館。文化勲章を受章した3人の格調高い作品を、心ゆくまで鑑賞できます。

上村松園の作品は、キャリアの転換点となった≪花がたみ≫、日本人以外の女性を描いた≪楊貴妃≫、斬新な構図の≪人形つかい≫など。心が洗われるような作品がそろっています。

東京国立近代美術館(東京)

1952年(昭和27年)に、日本で最初の国立美術館としてオープンした東京国立近代美術館。約1万点の美術品を所蔵する東京国立近代美術館には、上村松園の作品もあります。

母の死後、上村松園が心を込めて描き重要文化財となった≪母子≫、歴史を題材にした≪静≫、京都の風情を感じる≪雪≫など、壮年期の傑作がずらり。日本の近代美術の流れを追いながら、上村松園の名作を堪能できます。

東京藝術大学(東京)

研究のために集められたコレクションを一般に公開している東京藝術大学大学美術館。国宝や重要文化財22点を含む芸術資料が、3万点近く揃っています。

上村松園自身が「理想の女性像」と語った≪序の舞≫があるのはこちらの美術館です。横山大観や黒田清輝など、日本の美術界の巨匠の作品とともに上村松園の傑作を鑑賞してみてください。

まとめ:日本人として誇らしくなる作品を描き続けた上村松園

明治時代から昭和にかけて活躍した上村松園は、気品ある美人画で有名な画家です。画家の大多数が男性であった時代に、抜きんでた才能で受賞を重ね、女性として初めて文化勲章を受章しました。

母への思慕、日本古来の女性の強さと美しさを、繊細かつ斬新に描き、美人画の画家として盤石の地位を築いた上村松園。美しさだけではなく、上村松園の精神性の高さを、ぜひ作品から感じ取ってみてください。

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