抽象画とは?
抽象画とは、線や面、色や形などを使って画家が描きたいものを自由に描いた絵画のことを言います。人物や風景、静物など具体的なモノを描いていないので、抽象画を「難しそう」とか「何を描いているのか分からない」と感じるのは自然なことです。
この記事では、抽象画とはどんな絵画なのか、誕生した背景や種類、代表的な画家などについて、アートリエ編集部がお伝えします。「アートに興味はあるけど、抽象画は難しそう」という方や、「抽象画について知りたい」という方は、ぜひ最後までご覧ください。
抽象画の生まれた背景
見たありのままに描く写実主義の時代が長く続き、印象派の誕生で画家たちは写実主義を極めました。その後は19世紀後半のポール・セザンヌに代表されるように、印象派から距離を置いて独自路線を試みる画家が現れ始めました。同時に急激な社会の変化に伴って、従来にはない手法で絵を描く画家が増えていったのです。この動きは1910年ごろからパリ、ミュンヘン、モスクワなど、ほぼ同時期にヨーロッパ各地で起こりました。
現実にはない鮮やかな色合いと躍動的な筆遣いのフォーヴィズムや、「自然を円筒、球、円錐によって扱う」としたセザンヌの影響を受けたキュビズム、ドイツ表現主義の流れをくむ純粋抽象絵画などです。
画家たちは目に見えるモノを描くのではなく、絵画だからこそ描ける目に見えないものを表現し始めました。
抽象画の種類
抽象画と一言でいいますが、実際にはそれぞれ特徴を持ついくつかの種類に分かれています。ここからは抽象画の種類ごとの特徴と代表的な画家を紹介します。
キュビズム
キュビズムとは、日本語で「立方体主義」とも言う絵画のことで、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって誕生しました。1907年に開催されたポスト印象派の画家、ポール・セザンヌの回顧展で大きな影響を受け、モノや人物などの題材を複数の視点から見た形を、立方体や球、円錐など幾何学的に解体して、再構成した手法のことです。
キュビズムは単純化しながらも、形あるものを描いていることから、狭義の抽象画には含まれません。ただし、その後のアート界に多大な影響を与え、抽象画誕生の先駆となるなど、革新的な絵画様式とされています。ピカソやブラック以外にも、1910年代に活動していた多数のアーティスト達もキュビズム作品を描き、ヨーロッパからアメリカにも広がりました。
パブロ・ピカソ(1881-1973)
20世紀最大の画家とも言われるパブロ・ピカソは、スペイン・マラガの生まれです。美術教師でもあった父のもと、識字障害を持ちながらも幼い頃から絵の才能を開花させました。11歳でラ・コルーニャの美術学校に入学し、その後もバルセロナの美術学校で学びました。16歳で王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学しますが、学校よりもプラド美術館などに足繫く通っていたといいます。
ピカソの作品は長い画業のなかで何度も作風を変えており、「青の時代」「バラ色の時代」を経て、1907〜1916年頃までがピカソの「キュビズムの時代」とされています。ジョルジュ・ブラックとともに実験的なキュビズムの手法を用いた絵の製作に熱中したのです。
代表作に「ゲルニカ」「アヴィニョンの娘たち」「泣く女」などがあります。
ジョルジュ・ブラック(1882-1963)
ピカソとともにキュビズムの創始者と呼ばれているジョルジュ・ブラックはフランス・アルジャントゥイユの生まれです。ル・アーヴルの美術学校やパリの美術学校で学んでいます。
ピカソと同じく、1907年のセザンヌの回顧展で影響を受け、セザンヌが暮らしていたエスタックに滞在して絵を描いています。この時期の絵はセザンヌの影響を強く感じられつつも、キュビズムの特徴を持っています。ブラックの描いた建物がキューブ状であったことから「キュビズム」という言葉が生まれました。
ピカソの「アヴィニョンの娘たち」に刺激を受けたブラックは、ピカソとともにキュビズムの手法を極めていきました。ピカソよりキュビズムを追求した画家とも言われていますが、第一次世界大戦で徴兵され、戻ってきて以降は新たな画風で絵を描いています。
代表作に「レスタックの家」「レスタックの高架橋」「ビリヤード台」などがあります。
純粋抽象絵画
純粋抽象絵画とは、ドイツ表現主義の流れをくんだ抽象画のことで、「自己表現的抽象」とも呼ばれています。現実に存在する人物や風景、静物を描くのではなく、画家自身の感情や思想など目に見えない人間の内面を絵画で表現したものです。
代表的な画家にはワリシー・カンディンスキーやパウル・クレーらがいます。
ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)
抽象芸術の父と呼ばれるワシリー・カンディンスキーは、モスクワの裕福な家庭に生まれ、オデッサで育ちました。モスクワ大学で政治経済を学びましたが、30歳の時にクロード・モネの作品「積みわら」に感銘を受けて大学の教授の道を捨てて画家を志しました。
ドイツのミュンヘンの美術学校で、画家のアントン・アズベに師事し、その後、ミュンヘン美術アカデミーで象徴主義の画家フランツ・フォン・シュトゥックに師事しています。
いくつかの画風を経て、カンディンスキーの絵には次第に抽象画の傾向が現れます。1911年に芸術家サークル「青騎士」を立ち上げ、ドイツ表現主義の一翼を担っていきました。テーマにこだわらず、自由な色や形を使って自分の内面を描いていったのです。1922年からドイツの美術学校のバウハウスで教鞭を取り、抽象絵画の理論をまとめました。カンディンスキーの描く抽象画は「熱い抽象」と呼ばれることもあります。
代表作には、「印象Ⅲ」「即興 渓谷」「コンポジションⅧ」などがあります。
パウル・クレー(1879-1940)
カラフルで多彩な画風で知られるパウル・クレーは、スイス・ミュンヘンブーフゼーの生まれです。音楽家の両親の下、クレー自身も幼い頃からヴァイオリンを嗜み、11歳でベルンのオーケストラに在籍していました。高校を卒業後は銅版画などを学んだ後、ミュンヘンの美術アカデミーに入学しますが、まもなく退学しました。
しばらく画家としては不遇の時代を過ごしましたが、後に「青騎士」の展覧会に参加。1914年に青騎士の仲間とチュニジアに旅行をしたことで、それまでの暗い色彩から鮮やかな色彩の絵画へと変化していきます。カンディンスキーと同じく1921年から10年ほどバウハウスで教えていた時期は、音楽の視覚化や油彩転写の技法を考案するなど、画家として充実した時期でした。
代表作に「パルナッソス山へ」「セネシオ」「ポリフォニー」などがあります。
新造形主義
新造形主義とはネオプラスティシスムとも呼ばれ、ピエト・モンドリアンが提唱した幾何学的抽象芸術理論のことです。
キュビズムに影響を受け、深く追求していったモンドリアンは、水平や垂直な線と、赤・青・黄の三原色と無彩色を組み合わせて平面的で幾何学的に描くスタイルにたどり着きました。
ピエト・モンドリアン(1872-1944)
カンディンスキーと共に抽象画の創始者とされるピエト・モンドリアンは、オランダのアメルスフォールトの生まれです。幼い頃からスケッチに出かけるなど、絵画に触れる機会が多くあったといいます。アムステルダムの国立美術アカデミーで学びました。
美術展で出会ったキュビズム作品に影響を受け、パリに移りキュビズムの理論に則った絵画の製作に取り組みましたが、次第にキュビズムを超えて抽象画へたどり着きます。その後、ニューヨークへ移住したモンドリアンの作品は、アートだけでなく工業デザインや建築など世の中に広く影響を与えました。
モンドリアンの抽象画は「冷たい抽象」と呼ばれることもあります。
代表作には「ブロードウェイ・ブギウギ」「赤・青・黄のコンポジション」「ニューヨークシティ」などがあります。
抽象表現主義
1940年代後半~1960年代に盛んになった抽象表現主義の絵画は主に2つに分けられます。美術の中心がそれまでのヨーロッパからアメリカに移り、どちらもアメリカで生まれた美術の様式です。
- アクション・ペインティング
「ジェスチュラル・ペインティング」とも呼ばれています。絵具を飛び散らせたり垂らしたりして描いています。出来上がった絵そのものではなく、絵を描く過程(アクション)をアートとして捉えており、キャンバスを舞台として素材と格闘する場と考えます。
- カラーフィールド・ペインティング
線や形などはほとんど描かれず、巨大なキャンパス全体を少ない色数の絵具を使って大きな面を塗った表現方法です。平面的にキャンバスを塗る手法は「オール・オーバー」と呼ばれます。
ジャクソン・ポロック(1912-1956)
独自のアクション・ペインティングで絵を描いたジャクソン・ポロックは、アメリカのワイオミング州の出身です。母親の影響で幼い頃からアートに触れながら育ち、ロサンゼルスやニューヨークの美術学校で学んでいます。
1935年からアメリカの連邦美術プロジェクトに参加した際には、メキシコの画家デビット・アルファロ・シケイロスのエアブラシやスプレーガンで絵を描く姿に衝撃を受けました。空中から絵具を垂らして描く「ポーリング」の技法などを使い、一見、無造作に絵具を垂らしているように見えても、実際には綿密に計算されていると言われています。また、絵のどこにも中心となる部分のない絵は「オール・オーバー」と呼ばれています。
代表作は、「壁画」「五尋の深み」「No. 5, 1948」などです。
バーネット・ニューマン(1905-1970)
カラーフィールド・ペインティングの中心的存在、バーネット・ニューマンは、アメリカ・ニューヨークのユダヤ移民家庭の生まれです。ニューヨーク市立大学で哲学を学び、卒業後は父親の服職業などを行った後、1930年ごろから絵を描き始めました。
表現主義風やシュルレアリスム風などいくつかの作風を経て、一色に塗ったキャンバスを「ジップ(zip)」と呼ぶ縦線で区切った独自のスタイルにたどり着きました。ニューマン絵画には無題のモノも多いですが、「アダム」や「イブ」などタイトルがつけられている作品には、ユダヤ的な主題が感じられます。絵画の他、彫刻やエッチングなどの作品もあります。
代表作は、「野生」「Onement V」「アンナの光」などです。
マーク・ロスコ(1903-1970)
ニューマンと同じくカラーフィールド・ペインティングで知られるマーク・ロスコは、ロシア帝国領時代のラトビア・ドヴィンスクのユダヤ系の家庭に生まれました。父親は教育に熱心で、ロスコ兄弟は本をよく読んでいたといいます。10歳前後でアメリカ・オレゴン州ポートランドに移住しました。ニューヨークのパーソンズ美術大学で学び、また、キュビズムの画家のマックス・ウェーバーに影響を受けています。
ドイツ表現主義やギリシャ神話をモチーフにした絵、マルチフォームなどを経て、1950年ごろからロスコ独自のスタイルの絵画となりました。四角い巨大なキャンバスに、鮮やかな色彩の緩やかな輪郭の長方形を並べた作品で、人間の様々な感情を引き出し、没入することを望んだのです。
DIC川村記念美術館には、ロスコの作品7点のみを展示した「ロスコ・ルーム」があります。
代表作には「No.15」「The Ochre (Ochre, Red on Red」「ロスコ・チャペル」などがあります。
抽象画のコレクションの充実した美術館
ここからは抽象画のコレクションが充実している国内の美術館を紹介します。
アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)
東京都中央区にあるアーティゾン美術館は、ブリヂストン美術館から改名し、2020年にオープンしました。美術館名には「時代を切り拓くアートの地平を多くの方に感じ取っていただきたい」という意思が込められています。
パブロ・ピカソ62点、パウル・クレー31点、ジョルジュ・ブラック13点のほか、ワシリー・カンディンスキーや、パウル・クレー、ピート・モンドリアン、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコなど、名だたる抽象画家の作品を収蔵しています。(2024年6月現在)
東京都現代美術館
東京都江東区にある東京都現代美術館(MOT)は、現代美術専門の美術館です。戦後美術の体系的な収集と現代の若手作家の作品を中心に2024年6月現在で約5,800点の作品を収蔵。収蔵作品は1年を3~4期に分けて、テーマに合わせた毎回100~200点を鑑賞できます。
パブロ・ピカソや ヴァシリー・カンディンスキー、ピエト・モンドリアンの他、ケネス・ノーランドやウィレム・デ・クーニング、白髪一雄などの抽象画も収蔵しています。
森美術館
東京都港区・六本木ヒルズにある森美術館は、「現代性」と「国際性」をコンセプトに、世界中のあらゆる人々に開かれた現代美術館です。アジアを中心に世界中の現代アートの動向を知ることができます。また、アートを学べるラーニング講座も充実しています。
2023年1月現在の収蔵作品は約460点です。草間彌生、インドネシアのヌヌンWS、ミャンマーのポー・ポーなどアジアのアーティストの抽象画を所蔵しています。
まとめ:抽象画は個人が自由に楽しめるアート
ここまで抽象画誕生の背景や種類、代表的な画家を紹介してきました。抽象画は作品を見る人が自由に解釈することができる絵画です。美術館やギャラリーで鑑賞する機会があれば、心ゆくまでお気に入りの作品を鑑賞してみてください。
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