ポール・ゴーギャンは、19世紀から20世紀の初めにかけて活動した後期印象派の画家です。当時流行していた浮世絵や民族工芸の影響を受け、印象派の様式から象徴主義的な作風に向かう時期に活躍しました。
代表作であるタヒチをテーマにした作品は、鮮烈な色調や大胆な構図で有名。強烈な作風と同じように、ゴーギャン自身の人生も波乱に富んでいました。
西洋文明社会に背を向けて独特の画風を作り上げたゴーギャン。彼の特徴や魅力について、アートリエ編集部が詳しく解説します。
ポール・ゴーギャンとは

ポール・ゴーギャンは、後期印象派の画家のひとりとされています。当時のヨーロッパで流行していた浮世絵だけではなく、民族工芸やロマネスクの彫刻に影響を受け、象徴主義に向かう時代に活躍しました。
幼少期からさまざまな体験をし、ヨーロッパの外の世界を見ることが多かったゴーギャン。ゴッホとの共同生活が破綻し、耳切り事件に発展したことでも有名です。
主観性を重んじたゴーギャンの作品は平面的ながら重厚なラインで描かれ、見る人に強烈な印象を残します。
ゴーギャンの来歴
波乱に富んだ人生を送ったといわれるゴーギャン。彼の人生を追っていきます。
出生から幼少期
ポール・ゴーギャン(ゴーガンと呼ばれることもあります)は1848年、パリに生まれました。当時のパリは二月革命の騒動の名残りが残っていました。ゴーガンの父は共和主義のジャーナリスト、母アリーヌ・シャザルは社会主義の女性闘士と呼ばれたフローラ・トリスタンの娘でした。反逆的な精神に満ちたこの空気は、のちのゴーギャンの生き方や作風に影響を与えたという説もあります。
第二帝政を打ち立てたルイ・ナポレオンのクーデターが起こった後、一家は迫害を恐れて南米ペルーに亡命。船旅の途中で父が死亡しますが、ゴーギャンはペルーのリマで4年間を過ごしました。
就職・結婚
1855年にフランスに帰国したゴーギャンは、1865年から71年にかけて、船員として南米やスカンジナビア航路の商船で勤務。その後、1871年にパリの証券会社ベルタン商会に就職します。記録によると、かなり有能なサラリーマンだったようです。
20代半ばでデンマーク人のメット・ガットと結婚したゴーギャンは、つぎつぎと5人の子供をもうけました。ベルタン商会で高給を得ていたゴーギャンは家族と豊かに暮らし、幸福で平穏な日々を送っています。
修行時代
ベルタン商会勤務時代のゴーギャンは、早くから美術にも興味を抱いていました。1870年代後半にはピサロやドガなどの作品に刺激を受け、1874年ごろから余暇には絵を描いていました。
修業時代のゴーギャンは、後見人で美術収集家であったギュスターヴ・アローザの影響を受けたと伝えられています。アローザはゴーギャンの祖母フローラ・トリスタンを尊敬しており、その血縁につながる彼への支援を惜しみませんでした。ベルタン商会への就職、ピサロとの交遊も、すべてアローザが介在しています。
パリ時代
ゴーギャンの画家としてのキャリア初期に大きな役割を果たしたのはピサロでした。
ピサロはゴーギャンを印象派へと導き、修業時代のゴーギャンにとって大きな存在でした。1876年にサロンに初入選したゴーギャンは、1879年から82年にかけて印象派展に出品しています。
当初はピサロやセザンヌの影響を受けて風景画を描いていたゴーギャンですが、才能の行き詰まりを感じ、人物画も描くようになります。
マルティニーク島に滞在
1883年、ゴーギャンはベルタン商会を退職、画業に専念することを決意します。この時ゴーギャンは35歳。
パリよりも物価が安く絵心を刺激するという理由で、ピサロに頼んでルーアンに滞在したり、妻の縁でコペンハーゲンに赴いたりしました。しかし収入は激減し、妻とは別居状態に。
1886年の印象派展で独創性を発揮し始めたゴーギャンは、ブルターニュのポン=タヴェンで過ごした後、まずパナマに向かい、物価の高さを避けてさらにマルティニークに向かいました。
南国の強い太陽、乾いた風はゴーギャンにとってまさに楽園であり、強い色彩のインスピレーションを得たといわれています。
半年ほどのマルティニーク島滞在後、1888年に再びポン=タヴェンに滞在。この時期のゴーギャンを中心に「ポン=タヴェン派」と呼ばれるグループも生まれています。内面的な深みを帯びた作品≪天使とヤコブの戦い≫を制作し、徐々に評価も上がっていきました。
ゴッホとの共同生活
1888年、ゴーギャンはゴッホとの生活を開始します。2人のなれそめは、ゴッホの弟で美術商をしていたテオを介して始まったといわれています。
なにもかも順調だった共同生活は、わずか2カ月で破綻。強い個性を持つ2人の画家の生活は、1888年12月に起こったゴッホの「耳切り事件」により終焉を迎えます。
ゴーギャンはアルルからパリに去り、2人は2度と会うことはありませんでした。
最初のタヒチ滞在
ゴーギャンといえばタヒチですが、最初のタヒチ滞在は1891年からの2年。作品を売り払って旅費を作ったというエピソードがあります。タヒチへ旅立つ前のゴーギャンは≪黄色いキリスト≫や≪処女喪失≫などの傑作を制作しており、画家としての知名度も上がっていたころでした。
象徴主義の傾向が見えるようになった第1回目のタヒチ滞在で、ゴーギャンは≪海辺の2人のタヒチの女≫≪われマリアを拝す≫などの絵画や、『ノア・ノア』という著作も残しています。
タヒチで知り合った若い女性テフラにインスピレーションを得て、彼女をモデルにさまざまな絵画を描きました。
フランスへ帰国
経済的に困窮したゴーギャンは、1893年8月にフランスに帰国。同年11月には、大々的な個展を開催しました。タヒチで制作した作品38点、ポン=タヴェン時代の作品が6点、彫刻が2点。
1か月開催した個展で、売れた絵はポン=タヴェン時代のものを含めた11点にとどまりました。タヒチをテーマにした作品は当時の人には奇異に映り、売れ行きが良くなかったようです。
こうした事情がゴーギャンを疲れさせ、苛立たせ、再びタヒチへの旅立ちを決意することになりました。
2度目のタヒチ滞在
フランスの軽薄な風潮に嫌気がさしたゴーギャンは、魂の神秘を求めるように再びタヒチへと向かいます。1895年に2度目のタヒチ滞在を開始。タヒチはゴーギャンにとって生涯の希望となり、二度とフランスに戻ることはありませんでした。
1回目のタヒチ滞在時の作品と比べると、この時代の作品は思想的にも技術的にも円熟していますが、50歳を迎えようとしていたゴーギャンの気力は衰えに向かっています。
1896年に描いた≪ゴルゴタにて≫という自画像では、暗い表情が印象的。病気にも悩まされる中、≪ネヴァモア≫≪われらいずこより来たり、いずこへ行くか≫などの代表作を制作しています。
1898年には自殺まで試みるほど追い詰められたゴーギャンですが、周囲の助けによって回復。タヒチの風景をそのまま描くのではなく、楽園の神話を求めたゴーギャンの精神世界を反映したものとなっていきました。
マルキーズ諸島
1901年、ゴーギャンはかつてから行ってみたいと望んでいたマルキーズ諸島のヒバ・オアに渡り、創作意欲を復活させました。
≪浅瀬≫≪修道女≫などの作品を描き続けましたが、私生活は再び波乱に見舞われます。1903年、同地を管轄していたフランスの憲兵を告訴した結果、逆に名誉棄損で告発されてしまいます。
心身ともに衰弱していたゴーギャンは1903年5月8日に亡くなりました。死因は心臓発作や梅毒の進行が影響したと考えられています。
ポール・ゴーギャンの画風

エキゾチックな雰囲気が印象的なゴーギャンの作品。その特徴を解説します。
画風
ピサロやドガの影響を受けたゴーギャンは、後期印象派の1人とされています。のちに内面の表現を重視する象徴主義の要素を見せ始め、平面的な彩色で装飾的な絵画を制作するようになりました。
ヨーロッパの表面的な繁栄ではなく、自然や神話を感じるテーマを経て、重厚なラインと強烈な色調の作風を作り上げたのです。
素朴と野生と原始
幼少期を南米のペルーで過ごしたゴーギャンは、生涯楽園を模索していたという研究者もいます。若いころに船員として各地を見聞した結果、欧州文明とは反対の魅力をもつ素朴さや野生、原始的なものに惹かれ、それらをテーマにするようになります。
晩年は南の島の風景に心象を重ね、思想性のある作品を描きました。
タブーへの挑戦
ゴーギャンはタヒチの女性たちの裸体を、神話や象徴的イメージとして描きました。かつては裸体といえば神話をテーマにした場合に許されるタブーでしたが、マネをはじめとする印象派の画家たちによって、こうしたタブーが破られていきます。
ゴーギャンはさらに、当時は「未開」とされていた世界の女性たちを「黒いイブ」として描くというタブーに挑戦。議論を巻き起こしました。
ゴーギャンのエピソード

誕生から波乱に満ちていたゴーギャンの生涯。その中でも有名なエピソードを紹介します。
ゴッホの耳切り事件
絵画史に残る巨匠2人による「耳切り事件」。
1888年のこの事件は、自尊心の高いゴーギャンと精神的に不安定だったゴッホの間に起きた口論が原因だったといわれています。
ゴッホの神経症はこれを機にさらに悪化、ゴーギャンはアルルからパリに去り、二度とゴッホに会おうとはしませんでした。
セザンヌからの批判
商会勤務を経て画家となったゴーギャンですが、キャリア初期から自負心の強い行動が目立ちました。
ピサロを介して知り合ったセザンヌに、彼が時間をかけて会得したぼかしの技術の伝授を願うなどしたためセザンヌは激怒。
セザンヌはゴーギャンの振る舞いを快く思わなかったとされ、2人の間には確執があったと伝えられています。
ナビ派の画家たちへの影響
近年再注目されているアートのひとつがナビ派です。
カトリック精神と象徴主義的な特徴を持つナビ派は、19世紀末にポール・セリュジエを中心に結成されました。
ポン=タヴェン派の作品を都会風に洗練させたともいわれ、ゴーギャンの影響を強く受けました。絵画だけではなく、ステンドグラスやモザイクの作品も残しています。
ポン=タヴェン派への影響
ポン=タヴェン派は、1888年から89年にかけて生まれました。ブルターニュの小村ポン=タヴェンにたびたび滞在していたゴーギャンが中心となり、エミール・ベルナールやポール・セリュジエが主なメンバーとなって構成されました。
それぞれ作風はことなるものの、隈取りのある平坦な画面が特徴です。このグループがやがて、ナビ派へと発展しました。
汚職の告発と有罪判決
共和主義者であった父、有名な論客の血を引いていた母をもつゴーギャンは、反体制主義的なところがありました。
その性格が現れているのが、マルキーズ島滞在中に起こった事件です。
マルキーズ島はフランス領で、官憲の横暴が目立ちました。ゴーギャンは憲兵とその部下を汚職で告発、逆に彼らから名誉棄損罪で訴えられ有罪となってしまいます。
この事件はゴーギャンの心身に打撃を与え、まもなく亡くなっています。
ゴーギャンの代表作
キャリア開始が遅かったゴーギャンですが、傑作は多数あります。とくに知られた代表作を解説します。
タヒチの女(浜辺にて)

最初のタヒチ滞在中、1891年に描かれた≪タヒチの女(浜辺にて)≫。ポリネシアの2人の女性が、色座やかな衣装に身を包んで海岸で憩っている姿が描かれています。
つややかな黒髪と耳にかけられたタヒチを象徴するティアレが印象的で、南国に生きる女性たちの力強さや、エキゾチックな雰囲気が伝わってくる傑作です。新たな世界に踏み出したゴーギャンの意気込みも伝わります。
われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか

1897年、2回目のタヒチ滞在のなかで制作された作品。ゴーギャンのもっとも優れた代表作のひとつとされています。
貧困や病気に悩まされていたゴーギャンは、この作品を描いた後に自殺を試みるほど追い詰められていました。作品作成の数カ月前、最愛の娘を失うという悲劇も体験。人間の存在の不思議に思いを凝らし、彼の精神世界を作品に込めたといわれています。
自画像

ゴーギャンは自画像を何枚か描いています。1893年の作品は、いかにも彼らしい傲岸な表情が目を引きます。≪ゴルゴタにて≫はイエス・キリストと自分の姿を重ねたもので、苦難の時代を象徴する表情をしています。
1903年、最晩年の≪自画像≫はどこか達観したような顔つきでこちらを見つめています。鋭い視線はそのままですが、色合いも優しく、山あり谷ありの人生を送ってきたゴーギャンの到達点を感じます。
黄色いキリスト

タヒチへと旅立つ前、1889年に描かれた≪黄色いキリスト≫。ブルターニュ地方の素朴派宗教彫刻を参考に、磔刑の場面を独自に解釈して描いた作品です。背景はキリストが処刑されたゴルゴタの丘ではなく、ゴーギャンが滞在していたポン=タヴェンの麦畑になっています。
十字架の下にひざまずく女性たちもブルターニュ風の衣装を身につけています。
季節や背景の色を反映して黄色で表現されたキリスト。明暗のない絵画は輪郭が単純化され、より力強い印象を与えます。
ゴーギャン作品を収蔵する主な日本の美術館
ゴーギャンの作品を鑑賞できる日本の美術館を紹介します。
国立西洋美術館(東京)

西洋絵画に特化した国立西洋美術館には、ゴーギャンの作品が8点あります。
ゴーギャンが画業を目指し始めた1870年代の風景画から、ブルゴーニュ時代の風俗画、第1回タヒチ滞在後に描かれた作品もあり、彼の人生を追うように鑑賞できます。
アーティゾン美術館(東京)

印象派の作品が充実しているアーティゾン美術館。ゴーギャンの作品は5点所蔵しています。
初期の風景画から、ゴーギャンが得意とした人物画など、後期印象派の影響が残るエレガントな作品を見ることができます。
大原美術館(岡山)

ゴーギャンらしい作品を見たいと思ったら大原美術館がおすすめ。1892年、タヒチに滞在していた時代に作成された≪かぐわしき大地≫は、南国の楽園を思わせる情緒があふれています。
ゴーギャンのミューズであった少女テフラがモデルとなっており、タヒチの神秘や力強さが画面から伝わってきます。
まとめ:波乱の人生を送ったゴーギャンの作品、独特の色彩を楽しもう
エキゾチックな作品で有名なゴーギャンの作品は、美術の教科書などで目にしたことも多いと思います。
当時としてはタブーに挑戦した作品の背景には、困難が多かったゴーギャンの人生が反映されています。作風やエピソードを知り、より深く作品を楽しんでみてください。
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