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2024.06.18

エッチングとは?特徴や制作方法、有名な画家について解説します!

エッチングとは?特徴や制作方法、有名な画家について解説します!

エッチングとは

エッチングとは、銅などの金属板に傷をつけてイメージを描き、板を腐蝕させて線の窪みを作り、そこにインクをつめて紙に転写する版画の技法です。線で描いた部分がそのままイメージとして印刷されるため、凹版印刷に分類されています。元々は中世ヨーロッパの金細工職人たちが装飾技法として開発したもので、15世紀末ごろにその技術が版画に応用されたと言われています。その後アルブレヒト・デューラーらの芸術家によって作品制作に利用され、ヨーロッパ全体に技術が広まっていきました。

エッチングは銅版にニードルで引っ掻くようにして細い線を描いていくため緻密な描写が可能であり、陰影やグラデーションを表現することもできます。エッチング版画を制作するにはニードルや銅版などの道具や腐蝕液、専用の印刷機などを必要とするほか、技術の習得には時間がかかる技法でもあります。

エッチングの特徴

ジャック・カロ:
聖アントニウスの誘惑(第二作)

繊細な線とディティール

エッチングは木版画のように腐食の作用を利用しない直刻法に比べて描画が容易であり、デッサンやペン画などと同じように自由な細い線でディティールを描きこむことができます。

レンブラントの風景を描いたエッチングや、デューラーのキリスト教を題材としたエッチング作品においては、細部の驚くほど正確で緻密な描写を見ることができます。

豊かなトーンと階調

繊細な線で描きこむことのできるエッチングでは、細い線を平行に描いたりかけ合わせたりする技法である「ハッチング」によって陰影を表現することができます。

線の密度によって陰影の濃度が調整できるので、画面に豊かなトーンと諧調を生み出すことができます。

 深みとテクスチャ

エッチングでは腐食時間の長さによって刷り上がった時の線の表情を変えることが可能です。

腐食時間を長くすることで溝が深くなるため線が太くなり、ハッチングによる陰影にさらに深みを与えることができます。また、全て描いて腐蝕液につけたのちに、細い線にしたい箇所に防蝕剤を塗り、もう一度腐蝕させることで他の部分の線を太くさせる技法もあります。このような技法によって微妙なグラデーションやニュアンスを表現できるのもエッチングの特徴です。

複製が容易

エッチングは複製が容易で、版に摩耗の兆候が現れるまで数百枚の印刷をすることが可能です。16世紀中頃からヨーロッパ各地に普及したエッチングの技術は、本の挿絵や絵画の版画化などに利用され、絵や図案が世の中に広まるようになりました。

エッチングの制作方法

液体グランド(防錆剤)を塗る行程

出典:Wikimedia commons

銅版にグランドを塗布

版面を金属磨きなどで磨いた銅版を用意し、銅版を腐蝕から守るためのグランドと呼ばれる防触剤を塗布します。刷毛や平筆でグランド液を取り、まんべんなく塗っていきます。版が大きい場合はグランド液を直接版面に多めに垂らし、版をゆっくり傾けることで全体に行き渡らせます。

この方法を「流し引き」と言います。グランド液を塗ったらしっかりと時間をおいて乾かします。

グランド面にニードルで描画

グランドが完全に乾いたらニードルで版面を引っ掻いて描画し、銅の部分を露出させていきます。絵柄が反転して刷り上がることに注意しながら、絵を描いていきます。下書きを版に転写したい場合はまずトレーシングペーパーに鉛筆で下絵を描き、描いた面を版面に付けて固定します。その状態のまま鉛筆で描いた線をさらに鉛筆でなぞることで、最初に描いた鉛筆の粉がグランドに転写されます。あとは転写された線をニードルで引っ掻いていきます。

ニードルで描くときはあまり力を入れず、グランドを剥がすように描いていきます。手の熱でグランドが剥がれないように、版に直接手が触れないようにする必要があります。

銅版を腐食する

描画を終えたら銅版を腐食液に浸し、銅が露出した部分を溶かして溝を作ります。腐食液には第二塩化鉄水溶液や硝酸水溶液などを用い、バットに入れて版面を下にして浸します。

浸す時間が長いほど凹部が深くなりインクを溜めやすくなるため、腐食の具合を見ながら一定時間浸けていきます。腐食液は銅を溶かすほどの強い成分でできているため、換気を徹底し、ゴム手袋を付けて作業を行います。

版にインクを詰める

腐食が終わったら銅版を綺麗な水で洗浄し、余分なグランド液を拭き取り、インクを詰める作業に移ります。描画した線の部分は腐食されて溝になっているため、そこにゴムベラでインクを詰めていきます。このとき、描画されていない平らな面にもインクを伸ばし、確実に溝にインクを詰めていきます。専用のウォーマーの上に版を乗せて作業することでインクの伸びが良くなります。

プレス機で刷る

溝につめたインクを吸い取らない程度に余分なインクを拭き取り、印刷の工程に移ります。

版画用紙を適度な大きさに切り、水に浸けて柔らかくしておきます。専用のプレス機に埃や汚れがないかを確かめてから版面を上にして銅版を設置します。銅版の上に版画用紙を乗せ、銅版が完全に通過するまでプレス機のハンドルを一定の速度で回します。紙を銅版からゆっくり剥がしたら完成です。

エッチングで有名な画家

レンブラント・ファン・レイン

レンブラント・ファン・レイン

「光の魔術師」の異名を持ち、17世紀オランダおよびバロック絵画を代表する画家であるレンブラントは、油彩だけでなくエッチングをはじめとする銅版画やデッサンなど多くの作品を残しています。

レンブラントの生涯

1606年のオランダ・ライデンの中流階級に生まれたレンブラントは、14歳の時に飛び級でライデン大学に入学し、画家を目指すようになります。歴史画家のスヴァーネンブルフに弟子入りし、絵画の基礎や解剖学を学びます。その後は当時のオランダにおける最高の歴史画家と呼ばれたピーテル・ラストマンに師事し描写力に磨きをかけます。

アムステルダムに出て画家としての修行を積み、やがて肖像画家として活躍するようになります。大胆な構図で光と影を際立たせた画風を確立し、1642年に代表作として現在でも名高い「夜警」を制作します。しかし本作は注文主からの不評を買い、これをきっかけとして注文が激減し、生活が困窮して晩年は貧民窟で暮らしました。しかし窮地に陥っても制作をやめることはなく、油彩、水彩、デッサン、エッチングなど多数の作品を残しました。

レンブラントの版画制作

レンブラントは油彩画のみならずエッチングにおいても類まれな独創性を発揮し、生涯に約300点もの版画作品を残しました。彼は画家として活動し始めた1626年ごろから私生活のトラブルに見舞われた1649年を除いて1660年ごろまでエッチングの制作に取り組み続けました。

初期の作品においては自分の手で印刷も手がけるなど、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら、聖書の主題、肖像、自画像、風景、日常生活などをテーマに精力的に作品を制作しました。ハッチング技法を用いた陰影表現や、和紙の利用、印刷におけるインクの調整などを通して絵画的表現を模索し続けました。

フランシスコ・デ・ゴヤ

フランシスコ・デ・ゴヤ

ゴヤの生涯

ベラスケスと共にスペイン最高の画家と評されるフランシスコ・デ・ゴヤは、スペイン北東部の寒村フェンデトードスで彫金師の息子として生まれました。14歳の時から地元の画家に師事して絵画の修行をし、24歳の時に大画家を目指してローマへ赴き、ルネサンスの傑作からフレスコ画の技法を学びました。

タペストリーの下絵描きや肖像画などで徐々に頭角を現し、40歳で国王カルロス3世付きの画家となり、43歳で新王カルロス4世の宮廷画家となりました。

ようやくスペイン最高の画家としての地位を得たゴヤでしたが、1792年に不治の病に侵され聴力を失います。ゴヤの代表作として知られる「カルロス4世の家族」「裸のマハ」「着衣のマハ」などの有名作品は、いずれも聴力を失った後半生に描かれました。

版画家としてのゴヤ

ゴヤは画家としてだけでなく版画家としても精力的に活動し、「ロス・カプリーチョス(気まぐれ)」「戦争の惨禍」「闘牛技」「妄」は彼の四大版画集として知られています。大胆な技法と人間の内面に及ぶ鋭い心理洞察、特異な幻想性といったゴヤ作品の特質は、ドラクロワをはじめとするフランスのロマン主義の画家たちにも多大な影響を及ぼしました。

中でも「戦争の惨禍」はゴヤが病に冒された体で秘密裏に制作していた版画集であり、死後35年後に出版されました。鋭い観察眼を持って目撃した戦時下の惨事から豊かな想像力の世界まで、幅広いヴィジョンで描かれた本作には、彼の「最初の近代画家」としての特質がよく表れています。

アルブレヒト・デューラー

アルブレヒト・デューラー

早熟の天才

ドイツのルネサンス期の画家、版画家であり、数学者としても活動したデューラーは、1471年にニュルンベルクに生まれました。父は名声ある金細工師だったため、デューラーは父から金細工とデッサンの基礎を学び、金細工師になることを勧められましたが、絵画への関心を強く持っていました。早くから絵の才能を開花させたデューラーは、放浪の旅で他国の芸術を学びました。中でも版画制作における高度な技術を学ぶために訪れたイタリアは、彼に大きな影響を与えました。

代表的な版画作品

1486年ごろに制作した木版画の連作である「黙示録」は、デューラーの成功を決定づけました。他にもキリスト教主題の絵画や自画像、水彩やガッシュによる素描など、様々な作品を残しています。1513年から14年にかけては、銅版画の傑作として知られる「騎士と死と悪魔」「メランコリアⅠ」「書斎の聖ヒエロニムス」などを発表しました。

パブロ・ピカソ

パブロ・ピカソ

ピカソの画業

ピカソは生涯に1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の陶器と彫刻を制作し、最も多作な芸術家としてギネスに認定されています。キュビスムの創始者であり、精力的な創作活動の中で次々と作品のスタイルを変え、絵画の新境地を切り拓きました。

ピカソは幼い頃から絵画の才能を発揮し、10代からバルセロナやマドリードで芸術の基礎を学びました。1899年に初の個展を開催し、以降もバルセロナとパリを行き来しながら風景や人物画、静物画などを手がけました。

1900年代に入ってからは、鬱屈とした心象を描いた「青の時代」、明るい色調に満ちた「薔薇色の時代」、「アフリカ彫刻の時代」を経て、キュビスムを創始します。第一次世界大戦後は古代の遺跡や都市、ルネサンスやバロック芸術の影響を受けて古典に回帰し、シュルレアリスムの時代を経て第二次世界大戦期には「ゲルニカ」をはじめとした作品で戦争への関心を向けました。

ピカソの版画制作

ピカソは旺盛な絵画制作のかたわら版画も精力的に取り組み、レンブラントやゴヤ、デューラーなどの古典の巨匠に倣ってエッチングの伝統を拡張し、発展させました。中でも「ヴォラール組曲」のシリーズは、ピカソの版画の中でも重要な作品として知られています。1930年に着手され、1937年に完成した100点の版画シリーズである本作は、ピカソの支持者であり版画の出版も手がけていた画商・アンブロワーズ・ヴォラールの依頼で制作されました。神話や美術史のからのさまざまな引用を用いて、芸術家とモデルの関係性などをエッチングで表現しました。

まとめ

エッチングの特徴と制作方法、代表的な画家についてご紹介しました。版画の技法の中でも古い歴史を持つエッチングは、デッサンと変わらないほどの繊細な描写に向いており、特にレンブラントやデューラーはその性質を利用した名品をいくつも残しています。エッチングにしか出せない独特のテクスチャや風合いもあるため、さまざまな優れた印刷技術が発達している現代においてもその技術は利用され続けています。

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