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2024.05.21

【わかりやすく解説】マニエリスムとは何か?その特徴と代表的な画家・作品をご紹介

【わかりやすく解説】マニエリスムとは何か?その特徴と代表的な画家・作品をご紹介

目次

マニエリスムとは何か

マニエリスムは16世紀前半にイタリアから始まり、ヨーロッパ全土に広がった美術様式です。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロなど、盛期ルネサンスの巨匠たちの手法をさらに発展させようとして独特な表現が生まれました。

この記事では、マニエリスムの特徴と代表的な画家や作品についてアートリエ編集部が解説します。「マニエリスムって何?」という方や「なんとなく知っているけどもっと詳しくなりたい」という方も、ぜひ最後までご覧ください。

マニエリスム誕生の背景

盛期ルネサンスは、遠近法や黄金比率、自然の写実的な再現など様々な手法の到達点とも言える時代でした。次の世代の画家たちは、盛期ルネサンスの完成された美から絵画をさらに発展させるために巨匠たちの手法(マニエラ)に注目し、新たな表現方法を模索したのです。

マニエリスムはミケランジェロなどが起源と言われてます。ダ・ヴィンチやラファエロと並ぶ盛期ルネサンスの巨匠と称えられながらも、その作品には「ひねり」を加えた人体や、「カンジャンテ」と呼ばれる独特な色彩を施すなど、ありのままではなく理想の美を追求した姿勢が伺えます。弟子のジョルジョ・ヴァザーリは、著書「美術家列伝」の中で、盛期ルネサンスの巨匠たちの手法を「マニエラ」と言う言葉で称えました。これを起源として「マニエリスム」という言葉が使われるようになったのです。マニエリス厶はイタリア語の「手法」や「スタイル」を意味する「マニエラ」に由来します。

当時のヨーロッパは、ルターの宗教改革や神聖ローマ帝国のカール5世の軍勢による「ローマの劫掠」、新大陸や新しい航路の発見で各国の力関係の変化などが起こり、社会的な混乱や人々の不安感がまん延していた時代でした。人々の精神的な危機感が、マニエリスムの遠因になったとも言われています。

マニエリスムの主なテーマと特徴

マニエリスムはレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロが相次いで亡くなった1520年頃から1600年頃まで流行した美術様式です。盛期ルネサンスの後に起こったので、後期ルネサンスとも呼ばれています。

マニエリスムの画家たちは、盛期ルネッサンスに巨匠たちが完成させた絵画を理想としながらも、次の時代へ踏み出すために独自の解釈を加えた表現をしていきました。

主な特徴は「人体のひねりや引きの延ばし」「遠近法を使わない、もしくは極端に使用する」「不自然な色彩」「非現実的な寓意性」など様々です。これらの盛期ルネサンスの調和の取れた美の基準から脱する表現は、全体としてはルネサンスや古典主義に反する傾向とも捉えられています。

マニエリスムの代表的な画家たち

ここからはマニエリスムの代表的な画家5名を紹介します。当時の画家は通称で知られていることが多いです。

エル・グレコ(1541-1614)

エル・グレコ(1541-1614)

エル・グレコとは「ギリシア人」の意味で、本名はドメニコス・テオトコプーロスです。ヴェネツィア共和国統治時代のクレタ島で生まれました。

イコン画家として活動していましたが、1567年頃にヴェネツィアへ移ります。盛期ルネサンスの画家、ティツィアーノ・ヴェチヴェッリオの工房、もしくはその周辺で様々なルネサンスの技法を習得しました。その後、ローマを経てスペインへ渡り、宮廷画家にはなれませんでしたが、多文化が共存するトレドではグレコの画風が受け入れられて多くの作品を残しています。独自の色彩や人体、光の表現で知られており、後世の多くの画家に影響を与えました。

グレコがトレドで活躍していた時代に日本から天正遣欧少年使節団が訪れています。もしかしたら、グレコも彼らを見たかもしれませんね。

代表作には「オルガス伯の埋葬」「無原罪の御宿り」「ラオコーン」などがあります。

ジュゼッペ・アルチンボルド(1526‐1593)

ジュゼッペ・アルチンボルド(1526‐1593)

ミラノの画商の家庭に生まれ、宗教的なステンドグラスのデザインやフレスコ画などを描く画家として活動していました。1562年に神聖ローマ皇帝・フェルディナンド1世に招かれて宮廷画家になり、その後もマクシミリアン2世、ルドルフ2世と3代に渡ってハプスブルク家に仕えています。

当時は新大陸発見の影響で、王宮にはヨーロッパでは珍しい動植物の標本や文献、道具などが集まり、宮廷画家はこれらの記録係としての役割も担っていました。博物学や奇想が流行した時代でもあったため、身近にあった動植物や道具、本などを組み合わせた「奇想の画家」と呼ばれる独自のスタイルを築くきっかけになったのでしょう。

代表作に「ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像」「四大元素」「四季」などがあります。

ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494-1557)

ヤコポ・ダ・ポントルモ

ポントルモはフィレンツェ近郊のポントルメ出身であることに由来します。本名はヤコポ・カルッチです。

レオナルド・ダ・ヴィンチを始め複数の工房を経て、盛期ルネサンスの画家・アンドレア・デル・サルトの弟子となりました。デル・サルトの工房では、同時期にロッソ・フィオレンティーノも修行しています。非常に優秀な画家であったポントルモは、やがて独立して自身の工房を持ちました。ポントルモ工房の出身の画家には、アーニョロ・ブロンズィーノや、ブロンズィーノと双璧をなすマニエリスムの画家、パルミジャニーノらがいます。

ポントルモは盛期ルネサンスの影響を受けつつ、不自然な人体や色彩などルネサンス様式から抜け出した独自の画風です。繊細さや優美さがありながら、同時に陰気さを感じます。また、製作中の作品を誰にも見られないようにするなど、内気な性格であったそうです。

代表作に「キリスト降下」「エマオの晩餐」「エジプトのヨセフ」などがあります。

ロッソ・フィオレンティーノ(1494-1540)

ロッソ・フィオレンティーノ(1494-1540)

ロッソ・フィオレンティーノは「赤毛のフィレンツェ人」という意味で、赤毛やフィレンツェ出身であったことに由来します。本名はジョヴァンニ・バティスタ・ディ・ヤコポです。

ポントルモと同時期にデル・サルトの下で修業し、ローマで活動しましたが、1527年の「ローマ劫掠」をきっかけに北イタリアやヴェネチアへ移りました。その後、フランスにいた師の後を継いでフランソワ1世の宮廷へ赴きます。次代のアンリ2世にも仕え、フィオレンティーノと同じマニエリスムの画家・フランチェスコ・プリマティッチオと共にフォンテーヌブロー城の改築に関わりました。

フィオレンティーノはフランスにマニエリスムの画風を伝えたと言われており、彼の影響を受けた画家達を「フォンテーヌブロー派」と呼んでいます。

代表作に「十字架降下」「リュートを弾く天使」、フォンテーヌブロー城の壁画などがあります。

アーニョロ・ブロンズィーノ(1503-1572)

アーニョロ・ブロンズィーノ(1503-1572)

(引用:wikimedia)

ブロンズィーノは髪色がブロンズ色(青銅)だったことに由来します。本名はアーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トーリです。イタリア・フィレンツェ近郊で生まれました。初期ルネサンス画家・ラファエリーノ・デル・ガルボの弟子を経て、1515年頃にフィレンツェのポントルモの工房に入り、修道院や教会の装飾を行いました。

1531年に貴族のローヴェレ家に招かれてペーザロに移り、複数の肖像画を描いています。1539年に師のポントルモに呼び戻されて、初代トスカーナ大公・メディチ家のコジモ1世の下で宮廷画家になりました。マニエリスムの特徴のあるコジモ1世や妻のエレオノーラ・ディ・トレドの肖像画を描いて一躍人気となっています。

代表作は「愛の寓意」「羊飼いの礼拝」「本を持つ青年の肖像」などです。

マニエリスムの代表的な作品

ここからはマニエリスムの代表的な絵画を5点紹介します。

エル・グレコ《オルガス伯の埋葬》

エル・グレコ《オルガス伯の埋葬》

エル・グレコの最高傑作とも言われており、1586~1588年に製作されました。スペイン・トレドのサント・トメ聖堂に収蔵されています。

信仰心が篤いオルガス領主で騎士のドン・ゴンサロ・ルイスが死去した際の伝説を元に描かれています。上部の天上と下部の地上の様子に分かれており、地上では聖アウグスティヌスと聖ステファニスが現れ、オルガス伯を埋葬しようとしています。3人の後ろには当時のトレドの名士達が並んでいるのは集団肖像画の側面もある作品だからです。ちなみに中央の手をあげている人物がグレコだと言われています。

上部の天井部には、キリスト、マリア、ヨハネの伝統的な三角形の構図の横に、聖人や殉教者などが密集して描かれており、人物の大きさや向きが様々でグレコの特徴が出ている作品です。この絵は、後にピカソが「カサジェマス埋葬」を描くきっかけになったとも言われています。

ジュゼッペ・アルチンボルド《ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像》

ジュゼッペ・アルチンボルド《ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像》

マニエリスム的な奇想の極地と言われており、1590年頃に製作されました。スウェーデン・ホーボーにあるスコークロステル城に収蔵されています。

神聖ローマ帝国の皇帝・ルドルフ2世の肖像画を、古代ローマ時代の豊穣や果樹の神・ウェルトゥムヌスに模して描いています。肖像画の形をとった野菜や果物、花などの図鑑としての一面も持っており、宮廷画家を引退してミラノへ戻ったアルチンボルドの晩年に描かれました。この絵はルドルフ2世に贈られ、大変喜ばれました。

ルドルフ2世は教養に富んだ王で、文化や芸術を庇護したことで知られています。首都をウィーンからプラハに移し、彼の宮殿には多くの芸術家や研究者達が集まりました。このことをきっかけに、プラハを中心にマニエリスムがヨーロッパ全体に広がったとも言われています。

ヤコポ・ダ・ポントルモ《キリスト降架》

ヤコポ・ダ・ポントルモ《キリスト降架》

初期のマニエリスムの傑作とされる絵画で、1526から1528年頃に製作されました。フィレンツェのサンタ・フェリチタ教会内にある、カッポーニ礼拝堂の祭壇画です。息を引き取ったイエス・キリストと、キリストの周りには嘆き悲しんでいるマリアを始めとする人々が描かれています。

「キリスト降架」、または「十字架降下」と呼ばれていますが、十字架は画面には描かれておらず、絵の状況からキリストが磔刑に処された後の様子だと判断されています。上部まで人物を配置したフワフワと浮いているような構成、現実味のない滑らかな人体や淡い色合いなどマニエリスムらしい特徴が随所に見られる作品です。

マリアとキリストの構図や人々の姿勢、独特な色彩はミケランジェロの影響が伺えます。ちなみに右端の男性は、ポントルモ自身だと言われています。

ロッソ・フィオレンティーノ《十字架降下》

ロッソ・フィオレンティーノ《十字架降下》

フィオレンティーノの代表作のひとつで、1521年に製作されました。イタリア・ヴォルテッラの市立美術館に収蔵されています。ヴォルテッラ大聖堂の祭壇画として描かれました。磔刑に処されたキリストを十字架から降ろそうと奮闘している人々と、十字架の下で嘆き悲しむ人々を描いています。

梯子に上っている人々が浮いているような構図や引き延ばされた人体、全体的に時が止まっているように見えること、それぞれの異なる色彩の衣を着ている様子などはマニエリスムの絵画そのものです。右下の両手で顔を覆ったヨハネのハシゴの下部分には、フィオレンティーノの署名とこの絵を描いた年が記されています。

アーニョロ・ブロンズィーノ《愛の寓意》

アーニョロ・ブロンズィーノ《愛の寓意》

「愛の勝利の寓意」や「時と愛の寓意」とも呼ばれており、1540年から1545年頃に製作されました。イギリス・ロンドンのナショナル・ギャラリーに収蔵されています。トスカーナ大公のコジモ1世が、フランス王・フランソワ1世への公式な贈り物として描かせたものです。

中央のヴィーナスとキューピッドは愛を表し、2人の周りを時計回りに時間(老人)、愚かさ(少年)、欺瞞(少女)、愛欲(仮面)、愛(鳩)、嫉妬(頭を抱えている人物)、忘却(左上の人物)が囲んでいます。全体として愛は何ものにも負けないことを表していると言われています。この絵の寓意の解釈は研究者によっても見解が分かれており、見る人の想像力が刺激される作品です。

マニエリスムのその後

マニエリスムからマンネリへ

イタリアから始まったマニエリスムは、フランスやウィーン、プラハに広がり、やがてヨーロッパ全体で盛んになりました。16世紀の後半になると徐々に躍動感が加わり、やがてバロック様式の絵画が現れます。

するとマニエリスムの手法を追求する姿勢が、一転して形式的で変化のない状態、いわゆる「マンネリ」だとネガティブな評価に変わっていったのです。その後、長い間マニエリスムはルネサンス美術が衰退した時期だと考えられていました。

ちなみにマニエリスムは、英語でmannerism(マナリズム)と言い、日本語の「マンネリ」の元となっています。

現代のマニエリスムの再評価

マンネリと評価されたマニエリスムは、19世紀後半には主観的な表現が再び注目され始めます。20世紀に入ると1956年のオランダ・アムステルダムで「ヨーロッパ・マニエリスムの勝利」展が開催されました。また、シュルレアリスムを始めとする前衛的な画家達に支持されたことなどをきっかけに、マニエリスムは一時代の美術様式として再評価されたのです。

1980年に岩崎美術選書から、若桑みどり氏による本格的なマニエリスム研究書「マニエリスム芸術論」が出版されました。

2022年にはハイブランドのロエベが、ポントルモの作品から着想を得たコレクションを発表するなどの動きがあり、マニエリスムは現代でも高い評価を得ていることが分かります。

マニエリスムの作品が楽しめる場所

壁に描かれた絵の写真を撮る女性

ここでは、世界や日本でマニエリスムの絵画を楽しめる場所を紹介します。機会があれば、ぜひお出かけください。

世界で特にマニエリスムの作品が充実している場所

ルーブル美術館

フランス・パリにある世界最大級の美術館です。パオロ・ヴェロネーゼの「カナの婚礼」やアルチンボルドの「四季」、フォンテーヌブロー派の「ガブリエル・デストレとその妹」、ティントレット「聖母戴冠」などを収蔵しています。

美術史美術館

オーストリアのウィーンにあるルネサンスとバロックを中心とする絵画コレクションを持つ美術館です。パルミジャニーノの「凸面鏡の自画像」やブロンズィーノの「聖家族」、アルチンボルドの「四大元素」などを収蔵しています。

プラド美術館

スペインのマドリードにあり、歴代の王室が収集した世界屈指の美術館です。グレコの「胸に手を置く紳士」「受胎告知」、ソフォニスバ・アングイッソラの「スペイン王妃エリザベート・ド・ヴァロワの肖像」、ルイス・デ・モラレス「搾乳の聖母」などを収蔵しています。

ウフィツィ美術館

イタリアのフィレンツェにあり、マニエリスムを含むルネサンス期の絵画が充実しています。パルミジャニーノの「長い首の聖母」、ポントルモの「エマオの晩餐」、フィオレンティーノの「エテロの娘たちを守るモーセ」などを収蔵しています。

エル・グレコ美術館

スペインのトレドにあり、グレコの絵画収集を目的に作られました。「トレドの景観と地図」「聖終ペドロの涙」などを所蔵しています。

フォンテーヌブロー城

フランスのフォンテーヌブローにある世界遺産に登録されている城です。「フランスソワ1世の回廊」の壁画は、フィオレンティーノとフランチェスコ・プリマティッチオによって製作されました。

日本国内でマニエリスムの作品が見られる場所(作家別)

続いては日本で収蔵されているマニエリスム画家の作品を紹介します。

エル・グレコ

《国立西洋美術館》十字架のキリスト

《大原美術館》受胎告知

ジュゼッペ・アルチンボルド

《大阪中之島美術館》ソムリエ(ウエイター)

ティントレット

《国立西洋美術館》ダヴィデを装った若い男の肖像

アンブロワーズ・デュボワ

《東京富士美術館》フローラ

アレッサンドロ・アッローリ

《東京富士美術館》ビアンカ・カペッロの肖像

ドメニコ・ベッカフーミ

《国立西洋美術館》ふたりの男

ジュリオ・ロマーノ

《国立西洋美術館》舟形容器の図案・塩入れ容器の図案

パルミジャニーノ

《国立西洋美術館》聖母マリアの結婚・キリスト埋葬

まとめ:マニエリスムは画家たちの新たな試み

盛期ルネサンスの終わりと共に生まれたマニエリスムは、当時のヨーロッパの王侯貴族を中心とした人々に支持されました。独特の表現は現代でも私たちを魅了しています。

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