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2024.05.15

【わかりやすく解説】キュビズムとは何か?ピカソなど代表的な画家と作品をご紹介

【わかりやすく解説】キュビズムとは何か?ピカソなど代表的な画家と作品をご紹介

キュビズムとは何か

「アートには興味があるけれど、特に詳しく勉強したわけではないからわからない言葉がたくさんある」これはごく普通のことです。美術の歴史は非常に長く複雑で、すべてを網羅するのは至難の業。興味を持ったり「好き!」と思える作品に親しめば、立派な美術愛好者です。

近代美術に興味がある人ならば、「キュビズム」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。具体的にどんなアートなのか、イメージが湧かない人も多いことでしょう。

キュビズムの代表的な画家が、かの有名なピカソです。

ピカソは美術史において抜群の知名度を誇りますが、彼の絵画はとても独特。キュビズムがどのような様式なのか理解しづらいですね。

この記事ではアートリエ編集部が、近代美術には欠かせない「キュビズム」についてわかりやすく解説します。

キュビズム誕生の背景

『ボルドーのボトルのある静物』(1919)ファングリス

キュビズムはどのような経緯で誕生したのでしょうか。キュビズムの生まれた時代とともに、解説します。

キュビズムの誕生

キュビズムは「Cubisme」と書き、「キュビスム」「キュービズム」と呼ばれることもあります。

キュビズムが興ったのは、20世紀初頭のフランスでした。20世紀のヨーロッパ美術におけるもっとも重要な美術運動といわれています。絵のテーマをあらゆる角度から幾何学的にとらえ、再構成して描く技法を指します。「キュビズムが人間の意識に与えた変革は、物理学における相対性理論に匹敵する」と語る美術評論家もいます。

キュビズムの別名は「視覚の革命」。

中世以降、ヨーロッパの絵画は写実主義が主流でした。19世紀後半、あるがままを描くという手法は、強烈なカラーを用いて表現するフォービズムによって過去のものになりました。フォービズムの代表的な画家には、日本でも人気のデュフィやマティスがいます。 次いで興ったキュビズムは、形態においてそれまでの常識を覆した美術です。現実の描写に依存しないキュビズムの手法は、20世紀に盛んになった抽象絵画成立の礎にもなりました。

きっかけとなったセザンヌ展

キュビズムの特徴は、幾何学的な手法を用いて、対象を二次元的に描くという点にあります。この代表格がピカソですが、実はキュビズムの誕生のきっかけとなったのは、1907年に開催されたセザンヌの回顧展でした。当時のセザンヌは、印象派の特徴を保ちながら、自然を構造的にとらえて表現した作品を生み出していたのです。

物体の三次元性と絵画の二次元性の問題に取り組み、「自然を円錐と円筒と球体によって扱う」ことにこだわったセザンヌの作品群は、若い画家たちに強い衝撃を与えました。

そして同年、パブロ・ピカソは「キュビズムの革命」と呼ばれた《アヴィニョンの娘たち》を製作。

ピカソと並んでキュビズムの巨匠と呼ばれるジョルジュ・ブラックは、セザンヌ展に影響を受けて、1908年からセザンヌと縁の深い南フランスで活動を開始しました。

ブラックの作品はサロン・ドートンㇴと呼ばれる展覧会に出品され、マティスによって「すべてが球体(キューブ)によって構成されている」と批判されてしまいます。この批判から、球体を使って表現する画家たちは「キュビスト」と呼ばれるようになりました。

当時、前衛的な美術に興味を持っていた詩人ギョーム・アポリネールによって「キュビズム」という言葉が生まれ、定着していったと伝えられています。

それまでの西洋美術の美学とは異なる要素を内包したキュビズムは、1907年から1914年までが正統派の活動期間と呼ばれています。しかしその影響は非常に大きく、20世紀の美術界に大きな影響を与えました。

キュビズムの代表的な画家たち

西洋美術史上の革命とも呼ばれるキュビズム。その代表的な画家にはどのような芸術家がいるのでしょうか。

キュビズムを実践した画家について詳しく解説します。

パブロ・ピカソ(1881-1973)

パブロ・ピカソ

巨匠、天才、変革者。現代美術のすべてに大きな影響を与えたピカソの呼び名はさまざま。ピカソの名前は、アートに縁がない人たちの間でも浸透しています。

ピカソは、1881年にスペインのアンダルシア地方に生まれました。幼少期から天才的なデッサン力を発揮、14歳でバルセロナの美術学校に入学します。ピカソ自身ものちに、「子どものころからまるでラファエロのように描いた」と述懐しています。バルセロナには、パリの世紀末美術の影響を受けた空気が漂っていました。パリに憧れたピカソは、1900年に初めてパリを訪れたのを皮切りに、2つの都市を行き来するようになります。この期間に生まれた作品群は「青の時代」と名づけられています。

1904年からパリに移住、モンマルトルにある有名な集合アトリエ「洗濯船」の一員となりました。「ばらの時代」を経て、1907年に発表した《アビニョンの娘たち》が、キュビズムの先駆となったのです。

ピカソは1907年に出会ったジョルジュ・ブラックや同郷のフアン・グリスとともにキュビズムの探求に邁進、人物や物体を多面体の集合のように描く手法を極めます。この技法は、美術の世界で「革命」と称えられました。1910年頃のピカソのキュビズムは写実性を失い、ヨーロッパで数世紀にわたって踏襲されてきた一点透視法の原則は完全に喪失しています。多視点的遠近法が完成し、ブラックとともにキュビズムの理論を確立させました。

1920年頃までキュビズムの様式で描いていたピカソは、詩人のジャン・コクトーとイタリアを旅行したことを契機に、「新古典主義」の時代に入ります。幾何学的多面体による構成から、どっしりとした人物像へと移行していくのです。

1925年頃からシュルレアリズムに接触、再び自由奔放でユーモラスな作品を制作するようになります。91歳という天寿をまっとうしたピカソは、長かった活動期間に技法や様式を変化させています。とくに1920年代から1940年代まで、2回にわたる世界大戦の影響を受けた作品が残っています。有名な《ゲルニカ》は、ピカソが戦争の悪夢を怒りとともにキャンバスに描いた作品でした。

作品同様、ピカソは私生活も奔放でした。数々の女性と浮名を流し、その時代に没頭していたスタイルで愛人たちの姿を描いています。生前に評価が高まる幸運にも恵まれ、晩年まで抜群の存在感を放ち続けた鬼才でした。 キュビズムを生み出したことにより、のちの芸術家たちに大きな影響を与え、20世紀最大のアーティストと呼ばれています。

ジョルジュ・ブラック(1882-1963)

ジョルジュ・ブラック

ピカソとともにキュビズムの創始者と呼ばれているのが、フランス生まれのジョルジュ・ブラックです。ブラックは、感情に溺れない知性の持ち主でした。キュビズムの美学に関しては、ピカソ以上に重要な役割を果たしたという評価もあります。

ブラックは1882年生まれ。印象派とも縁の深いセーヌ河畔のアルジャントゥイユが故郷です。父は建築装飾関連の仕事をしていたことから若きブラックも徒弟として学び、この経験が作品に活かされたといわれています。1902年、画家になるためパリのアカデミー・アンベールに通い始め、当初は印象派の様式で描いていました。1905年頃からフォービズムに転じ、1907年のセザンヌ展鑑賞後に画面構築を試みるようになります。

《アビニョンの娘たち》を描いたピカソと意気投合し、キュビズムを創り上げました。ピカソはブラックのことを「女房のようなもの」と言い、ブラックは「ピカソと私はロープでつながれた登山家同士」と表現するほど、2人の関係は密でした。ブラックは1910年以降は風景画から静物画に転じ、新聞紙などを使ったコラージュでも才能を表しました。

2014年に第1次世界大戦に参戦し負傷。のちに画業に戻りました。

第1次大戦後は、ブラックもピカソと同じように古典的な絵画に傾倒しましたが、生涯を通じて絵画空間の構成と調和に挑み続けました。

情熱的で自由奔放なピカソと、理知的で冷静なブラックのコンビネーションによって完成したキュビズム。キュビズム本来の理念により合致していたのは、ブラックのほうであったという美術批評家も少なくありません。 晩年のブラックは精神空間に飛ぶ鳥を描き、理想的調和を表現しました。ピカソと比べると渋いイメージのブラック。彼の静謐な詩のような深い精神性は高く評価され、のちの画家たちにも影響を与えました。

フェルナン・レジェ(1881-1955)

フェルナン・レジェ

ダイナミック・キュビズムの第一人者と呼ばれるフェルナン・レジェ。詩人のアポリネールは「レジェの作品は妖精劇のようだ」と語ったほど、リズミカルな華やかさが特徴です。

1881年、ノルマンディー地方のアルジャンタンに生まれたレジェは、カンで建築を学んだあと1900年にパリに出ます。装飾美術学校、アカデミー・ジュリアンで絵画を学び、1907年のセザンヌ展に刺激を受けました。その結果描かれたのが《森の中の裸像》です。

1912年に製作した《青衣の女》によって、レジェのキュビズムは幾何学的かつ抽象的な方向へ向かっていきます。

第1次世界大戦参戦の経験を経て、レジェは機械文明の機能美や庶民の逞しさに着目、自然と文明、そして人間が調和する作品をたくさん残しました。 ピカソやブラックとは一線を画す明るい色合いが、レジェの特徴です。

ジャン・メッツァンジェ(1883-1956)

ジャン・メッツァンジェ

画家としてだけではなく、理論家としても有名なジャン・メッツァンジェ。1883年にフランスのナントに生まれ、キャリアを開始した当初は新印象主義の影響を受けていました。とくにスーラの画法を踏襲した作品が目立ちます。

フォービズムを経てキュビズムに参加。ピカソ、ブラックと並んでキュビズムの代表的な画家と呼ばれるようになりました。メッツァンジェは分析的キュビズムの名手といわれ、1912年にはビヨン兄弟やアルベール・キュベーズとともに「セクション・ドール(黄金分割)」という画廊を開いています。

グレーズとの共著である理論書『キュビズム』を著したのもこのころでした。理論家としてキュビズム推進に力を注いだメッツァンジェの作品は、明るい抒情性が特徴です。

フアン・グリス(1887-1927)

フアン・グリス

ピカソと同様にスペイン人であったフアン・グリス。1887年にマドリードに生まれたグリスは、1906年からパリに移り「洗濯船」のメンバーになりました。

当初は生活のために挿絵などを描いていたグリスが本格的にキュビズムに参加するのは1911年。そのころのキュビズムは、構造が細分化された「分析化時代」からより大胆に表現する「総合的キュビズム」の時代へと移行しようとしていました。グリスは楕円や照明を駆使して新たなキュビズムの手法を生み出し、理知的な作品を生み出していきました。

「セザンヌは1個の壜から円筒形を作ったが、私は円筒形から1個の壜を作る」と語ったように、グリスの作品は抽象芸術の先駆けとなりました。

スペイン人らしい誠実さと詩情が漂う作風が、グリスの魅力です。

キュビズムの代表的な作品

ピカソをはじめとするさまざまなアーティストが探求し続けたキュビズム。 キュビズムを代表する作品について解説します。

アヴィニョンの娘たち

アヴィニョンの娘たち

1907年にピカソによって描かれた《アヴィニョンの娘たち》は、キュビズムの誕生を告げる記念碑です。現在でこそ高く評価されている《アヴィニョンの娘たち》ですが、発表当初はピカソの仲間でさえ彼の精神状態を心配したといわれるほど、破天荒な作品でした。

画布の中の5人の娘たちは丸みも厚みもない肉体によって描かれ、正面と側面、あらゆる方面から見たパーツが組み合わされています。三次元の奥行きを失い、すべてが平面化したこの作品が、キュビズムの基本原理となりました。

ピカソは「私にとって絵画とは破壊の集積である」と語りましたが、破壊することで創り上げられた作品、ともいえます。古代イベリア半島の文化の影響や、アフリカの黒人彫刻からインスピレーションを得たと伝えられる《アヴィニョンの娘たち》。20世紀の絵画が進むべき方向を示したといわれるほど、美術史における転換点となりました。

現在は、ニューヨーク現代美術館が所蔵しています。

ギターを持つ男

ギターを持つ男

分析的キュビズムの傑作といわれるブラックの《ギターを持つ男》。理性的な作風のブラックは、1911年頃から楽器を中心とした静物画の作成に熱心でした。《ギターを持つ男》も1911年夏に描かれています。 伝統的な遠近法ではなく、分析的キュビズムの様式を用いた傑作といわれるのが《ギターを持つ男》です。ピカソと切磋琢磨していた時期に描かれており、新しい空間の概念を確立した作品です。

ゲルニカ

ゲルニカ

円熟期にあったピカソが50代半ばで製作した大作《ゲルニカ》。349.3cm×776.6cmというサイズは、鑑賞者を作品の中に引き込む迫力を持っています。

スペイン内戦中の1937年4月26日、バスク地方の自治を象徴するゲルニカの町がナチス空軍によって襲撃されました。ピカソは同年5月1日に《ゲルニカ》の構想を練り始め、6月4日に完成。キュビズムの破壊的なフォルムと黒、白、灰色を用いて、悲劇をドラマチックに描きました。

死んだわが子を抱きしめる母親、スペインを象徴する怒れる雄牛、もがきながら炎に包まれる人間。

《ゲルニカ》は、時代を超えたヒューマニスティックなメッセージを伝える作品として、20世紀の美術の中でも突出した存在感を放っています。

モナ・リザと鍵

モナ・リザと鍵

ダイナミックなキュビズムの体現者と知られるレジェ。1930年代にレジェが描いた《モナ・リザと鍵》は、金属質の固いフォルムを中心に幻想的な世界を描いた傑作です。

ピカソやブラックと一線を画するレジェの特異性は、印象派の影響を受けた明るいカラー。余分なものを切り捨て、単純明快なデッサンと原色を使い、モニュメンタルな作品に仕上がっています。

ピカソの肖像画

ピカソの肖像画

優れた幾何学的構成を用いたキュビズムの画家グリス。同じスペイン出身であったピカソに親しみ、グリスは《ピカソの肖像画》を描きました。

1912年に描かれた《ピカソの肖像画》は、円熟した画面構成と緩やかな形態分析が際立つ名作。40歳という若さで世を去ったグリスですが、ピカソやブラックとは異なる個性でキュビズムの運動を盛り上げました。

キュビズムの技法と変遷

美術史における変革ともいわれるキュビズム。それまでの常識を覆す技法によって、ピカソらの傑作を生みだしました。

キュビズムの技法や変遷について、わかりやすく解説します。

キュビズムの技法

キュビズムの革新性は、セザンヌをはじめとする近代の美術家に由来します。しかし歴史的に振り返ると、ルネサンス時代のピエロ・デッラ・フランチェスカ、バロック時代の二コラ・プッサン、新古典主義のアングルなどの系譜に、キュビズムの揺籃があったともいわれます。

古代のイベリアや黒人彫刻など、ヨーロッパの美術以外の影響を受けて成立したキュビズムは、現実の描写に依存しないことが最大の特徴。基本的な形態や量感を強調する技法は、当初は伝統を汚すものとして非難されました。ピカソやブラックといった画家だけではなく、アポリネールなどの文学者の弁護や支援を得て、大きな発展を遂げたのです。

キュビズムの変遷

キュビズムと一口にいっても、時期によって技法や表現方法が異なります。

初期キュビズムは、1907年に開催されたセザンヌ展と、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》の登場に影響と刺激のもとに生まれ、発展します。明暗と肉付けが正統とされていたヨーロッパの芸術家から脱却し、ボリュームから面へと観念的な表現が完成していきました。

1910年頃から、分析的キュビズムが興隆します。この時期、面の解体と再構成が進行し、テーマの写実性は失われていきました。古代エジプトのような多視点的遠近法が用いられ、細分化されたパーツによって対象が構成されています。

ピカソやブラックに加え、レジェやメッツァンジェもこの技法を用いて作品を描きました。

1913年頃、フアン・グリスによって総合的キュビズムが確立されます。厳密化した分析的キュビズムよりも大胆な技法が用いられています。

総合的キュビズムの最大の特徴は、古新聞や楽譜などの「オブジェ」の利用。いわゆる「コラージュ」やトロンプレイユが生まれて、ダダなどのアートに影響を与えました。

キュビズムの影響と評価

ガベル

近代美術において最も影響力が強いと評価されているキュビズム。キュビズムはのちにどのような芸術運動を生み出したのでしょうか。

近年のキュビズム作品のオークション価格も合わせて、キュビズムの影響と評価を説明します。

キュビズムから派生した芸術運動

20世紀のあらゆる芸術運動に影響を与えたといわれるキュビズムですが、キュビズムから派生したといわれるグループがいくつかあります。

そのひとつが1910年から1920年代に起こったイタリアの未来派。キュビズムの空間把握を基盤にした、イタリアの前衛的な芸術運動です。ウンベルト・ボッチョーリーニやジーノ・セヴェリーニらが、機械やダイナミズムを礼賛しつつ作品を制作しました。

またイギリスでは、キュビズムの刺激を受けてポーティシズムが生まれています。1914年頃から盛んになったポーティシズムは、キュビズムの幾何学的造形をもとに、強い抽象性を特徴とするアートです。エドワード・ウォッズワースやウィリアム・ロバーツなどの画家、彫刻家のエプスタインらがこのグループに属しています。

さらにオルフィスムを創始したロベール・ドローネーや、ピュリスムを提唱したアメデエ・オザンファンも、キュビズムから派生した画家たちです。

日本におけるキュビズム

キュビズムは日本の芸術家にも影響を及ぼしました。1915年頃から東郷青児、万鉄五郎などの画家たちがキュビズムを受容し、作品に反映し始めます。

矢部友衛、古賀春江をはじめとする多数のアーティストたちもキュビズムの影響を受けたものの、未来派や抽象的傾向との厳密な区別はなく、あいまいな概念の中で流行したとされています。

キュビズムの作品、オークションでの驚きの額!

キュビスムの顔といえばピカソです。

彼の作品が高額になるのはもはや日常茶飯事、ニュースで耳にしたことがあることでしょう。

近いところでは2023年11月、ピカソ作《腕時計をする女性》が1億3千900万ドル(当時のレートで209億7900万円)で競り落とされました。

モデルとなった女性はピカソの愛人だったマリー・テレーズ・ワルテル。ほんわかとした色調で描かれることが多かったマリー・テレーズが、この作品では原色で描かれています。

壮年のピカソが描いた傑作として、今世紀最大の額がつけられたわけです。

キュビズムの作品が楽しめる場所

絵を見る人物の後ろ姿

独特の魅力を持つキュビズムの作品。世界や日本の美術館でぜひ鑑賞してみたいですね。

キュビズムの作品が楽しめる美術館をご紹介します。

海外でキュビズムの作品が充実しているのは?

海外の美術館でキュビズムを見たいと思ったら、おすすめはニューヨーク近代美術館。

ピカソの《アヴィニョンの娘たち》を所蔵していることで有名なニューヨーク近代美術館には、ピカソやブラック、レジェの作品も充実しています。 パリのポンピドゥーセンター内にある国立近代美術館にも、キュビズムの作品がたくさんあります。ピカソ、ブラック、レジェ、グリスの作品が鑑賞可能です。

日本国内でキュビズムの作品が見られる場所は?

日本国内でもキュビズムの作品は見ることができるのでしょうか。

まず、キュビズムの影響を受けたといわれる岡本太郎の美術館が、神奈川県川崎市にあります。

ピカソやブラックの作品は、千葉県にあるDIC川村記念美術館が所蔵。横浜美術館にも、ピカソやセザンヌの作品があります。長野県にあるセゾン現代美術館には、キュビズムの影響を受けたパウル・クレー、カンディンスキーの絵画が多数。

さまざまな作品を見て、キュビズムの真髄を感じてみてください。

まとめ:20世紀の美術を根本から変えたキュビズムの魅力!

More details
Georges Braque, 1913–14, Still Life on a Table (Duo pour Flute)

ジョルジュ・ブラックは、キュビズムの創始者の一人として知られ、その革新的な作品は美術史に大きな影響を与えました。ブラックの作品は、対象を多面的に捉え再構築する手法で、従来の写実主義を超えた新しい表現を追求しました。
ピカソとの共同作業を通じて発展したキュビズムは、後のモダンアートの基盤となり、多くの芸術家に影響を与え続けています。ブラックの作品は、彼の独自の視点と創造力が凝縮されたものであり、その魅力は現在も色褪せることがありません。

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